刺 抜 き




「う〜ん?」

「どうしました、悟空?」

食卓を挟んで向かい側に座る十代半ばの少年が発した、少し唸るような声。それを聞いて、八戒は視線を落としていた書物から顔を上げた。

「指、どうかしたんですか?」

視線の先には、小振りのけれど少年の体格には相応の指を睨みつけている悟空が居た。

「なんか、ここがチクチクする感じがする」
「見せてください」

二人の間にある食卓には、先ほどまで飲んでいたホットミルクのカップが置かれている。八戒はそれらを脇に除け、食卓以外の障害物を排除した。そうして出来た空間に素直に伸ばされてくる少年の手。
指先を指し示され、八戒は自分の物よりも小さな手をとる。言われた箇所は悟空が弄くっていた為か、周りよりも若干赤くなっていたが傷などは見当たらない。視力のあまり良くない八戒はじっとその指先を見つめて、漸くそれらしいものを発見した。

細く小振りな指の先にある、小さな黒い点。

「ああ、棘が刺さっていますね」
「とげ?」
「ええ。ほら、ここです。小さく黒いものがあるでしょう?」
「……あ、ホントだ」

互いが食卓に身を乗り出すようにして、件の箇所を覗き込む。黄金の瞳がその箇所を見つけたようだった。

「痛みはありますか?」
「ううん。痛くはないよ」
「きっと小さな棘ですね。見え方からして、縦に刺さってしまったんでしょう」
「でも、なんか気になる」
「悟空、あまり弄らないでください。余計取りにくくなってしまいますから」

気になって仕方が無いのだろう。指先を引っかく仕草をする少年の手を抑え、それ以上深く棘が刺さらないようにする。そうしてから少し待つように伝え、刺抜きを取りに席を立った。
何処に仕舞いましたかねぇ、と呟きながら心当たりを探る。普段頻繁に使用しないものだけに、家事全般を仕切っている八戒でも直ぐに思い出すことが出来なかった。

「たでーま」

不意に玄関の方から、それまで存在しなかった人の声が届く。顔だけを玄関に覗かせてみれば、真紅の髪を持つ同居人が立っていた。

「お帰りなさい、悟浄」
「おう、ただいま、八戒。誰か来てんのか?」

玄関の脇に置かれた外套掛けに、見慣れない上着を見つけたからだろう。帰宅の挨拶と共に問い掛けてきた。

「悟空が来ているんですよ」
「あ、これはおサルちゃんのか。 飼い主は?」
「三蔵なら仕事だと言って、一人で出掛けてしまいました。終り次第、ここに戻ってくるそうです」

猿と飼い主。その表現に苦笑が漏れる。悪口の類に属するはずなのに、けれど不思議と暖かい響きを伴っているのは、目の前の青年が相手に好意を持っている証拠に他ならないからだ。
三蔵と悟空に、正確に言うなら悟浄と八戒を含めた四人が出逢ったのは、まだ半年ほど前。交流を始めてからさほど時間は経っていないが、これまでの誰よりも深い繋がりを感じる。それは目の前の青年とて同じなのだろう。
彼の性格上、口を吐いて出るのは悪態が主。けれど、どれもこれも彼なりの愛情が篭っていると、八戒は感じていた。

「またかよ。ったく、ここは託児所じゃないんだぜ」

愚痴っぽい言葉も、表情を見れば彼が正反対の感情を抱いているのが判る。悟浄も素直で明るい悟空が遊びに来ることを楽しんでいるのだ。

「よ、サル。飼い主に置いてけぼり食らったのか?」
「サルゆーな! この赤カッパ!」

早速ちょっかいを掛け始めた同居人の声を聞きながら、八戒は探し物を再開する。程なく目的のものは見つかった。

「はいはい、二人ともじゃれ合うのは一旦停止してくださいね」
「じゃれ合うって、八戒さん……」
「八戒! おれはカッパとケンカしてんの! じゃれてないってば!」

保父さんの制止に、脱力する者と抗議する者。双方の言葉を笑顔一つで受け止めた八戒は、先ほどまで自分が腰掛けていた椅子ではなく、近頃購入したばかりの小さなソファーセットの方へと移動する。二人掛けのソファーに腰掛けてから、窺ってくる者たちに手招きをした。

「悟空、いらっしゃい。棘を抜いちゃいましょう」
「うん」
「ここに腰掛けてくださいね」

自らが腰掛けているソファーの隣を指差すと、少年は素直に首を縦に振る。その仕草は彼の実年齢よりもずっと幼いものだったが、悟空の愛らしさを引き立て、見る者に微笑を誘うものだった。
手招きに応じて隣に移動してきた悟空の手を取る。そして先ほど見つけた棘の刺さった箇所を、もう一度探っていった。

「何やってんだ?」

一人事情を知らない悟浄が、向かい合わせに置かれた一人用のソファーに身を落としながら訊ねてきた。

「棘を抜くんですよ。悟空の指先に、小さいやつが刺さったみたいなんで」
「棘ねぇ。そんなモンで取れるのか?」
「深く刺さっていなければ刺抜きでいけますけど……ちょっと難しいかもしれませんね」

鈍い銀色の光を放つ小さな刺抜きの先で、八戒は容易に事が運ばなさそうなのを見て取る。刺抜きは棘を挟んで抜く為の道具。しかし細い指先に刺さる棘は、すっかりその身を肉に収めてしまっているようで、挟めるような箇所が見当たらなかったのだ。
悟空も八戒が困った顔をしたのが見えたのだろう。大丈夫かと、心持ち気弱に取れる声で訊ねてくる。それに曖昧な笑顔を浮かべた八戒に、俺に任せろという声が掛かった。

「悟浄?」
「任せろって、どうするつもりなんですか?」
「いーから、いーから。そんな道具じゃ、ちっこい棘なんて挟めないだろ。それより別のモンの方が早いって」

言うなり立ち上がり、居間を出て行ってしまう。鼻歌交じりの後ろ姿に、翠の瞳と黄金の瞳が申し合わせたように互いの顔を窺ってしまった。
悟浄が姿を消して一分後、同じ扉から姿を現した悟浄の顔は、八戒に一抹の不安を抱かせるには充分なもので。隣の悟空も同じ事を感じ取ったのか、まだ握ったままの手に力が入ったのに気付いた。

「やっぱ、棘を抜くにはコイツっしょ」
「何を持っていらしたんです?」
「コレだよ、コレ」

言いながら指に挟んだものを振ってみせる。小さなものの存在に、八戒は目を眇める。漸く見て取れたのは、一本の針だった。

「悟浄、それって針ですか?」
「おーよ」
「しかもそれ、うちの裁縫箱に入っていた縫い針ですよね?」
「そうだぜ。コイツで棘の刺さったところを突っつきゃ、直ぐ取れるってモンさ」
「突っつくって、悟浄、雑菌だらけの針を悟空に刺すつもりなんですか?」
「こんなの軽く火に炙ればダイジョーブだって。深々刺そうっていうんじゃねーんだし」
「そういう問題ではないんじゃないですか」
「気にしすぎだぜ、八戒。ほれ、サル、手ぇ貸してみろ」

悟浄とて半分は人間。決して人情味が薄いわけでもなく。寧ろお人好しとも言える部類に属するだろう。だから彼のこの行動も悟空を思ってのこと。

が、しかし。

如何せん、表情は心配している色よりも、針の存在に慄く子供の様子を楽しんでいる色の方が、遥かに比率が高い。八戒の目には勿論のこと、悟空にだってそれは判っているのだろう。近付く悟浄から逃れようとするかの如く、小さな躰を引いた。
だが悟空は背もたれの付いたソファーに腰掛けたまま。どんなに身を逸らそうとも、その場から立ち上がらない限り逃れる術はない。自分の状況に気付いて立ち上がろうとする前に、悟浄の大きな手が悟空の腕を捕らえた。

「放せよ、悟浄!」
「逃げることねーだろ。せっかく人が親切に棘を抜いてやろうっていうのに」
「いらねーよ! 八戒にしてもらってんだ。悟浄はやんなくていい!」
「そー言うなって。オレってば、こーゆーの結構得意ヨ?」
「あぶねーって! そんなもん、近づけんなよ!」
「ほーら、手を出してみろって。痛くないからよ」
「ウソだ!」
「ウソじゃねーよ。暴れていたら痛くないモンも、痛くなるかもしれないけどな」
「放せってば!」

目の前で繰り広げられる悶着に、正直どう対処してよいものやら、八戒は悩んでしまう。掛ける言葉もタイミングも掴めないまま、動物同士のじゃれあいの如く言葉の応酬を続けている二人を見続ける。
悟空は必至に止めようとし、悟浄は多分にからかいを含めて針をちらつかせる。もっとも、その針が不用意に悟空に当たらないように注意していることだけは充分に見て取れたが。

そんな状態がどれほど続いたか。
本気で嫌がる悟空の為に、八戒が制止の声を掛けようとしたときだった。八戒の視界に、針よりも鮮やかで重みのある銀色が写ったのは。



「何をしている」

ゴリ。

そんな音が聞こえそうなほど、力強く且つ無遠慮に悟浄の頭部に押し付けられたのは、鈍い光を放つ銃口。おそらく押し付けられた者にとっては既に馴染みになっているのでは思わせるそれは、最高僧と崇められる人物の愛銃だった。

「何をしている、と訊いている」
「……三蔵サマ、オカエリになっていたんですね〜……」

不機嫌も顕わなその声に、銃を突きつけられた悟浄の顔が引きつったものになる。
この状況を速やかに脱するには、捉えている彼の被保護者を開放し、現状を簡潔且つ的確に説明する他はない。だが実際に銃口を突きつけられ、更に本気で殺気をぶつけられては、いかに大胆不敵な悟浄とて冷静に対処できよう筈も無く。硬直したように少年の腕を掴んだまま、冷や汗であろう透明の体液を額にだらだらと浮かべるだけだった。

膠着状態に陥った場を崩したのは、この中で最も年若い少年だった。

自分の腕を掴んでいた手を振り解き、動けないで居る悟浄の脇をすり抜けて、殺気を漲らせている三蔵に飛びついたのだ。幼い顔に、他の誰にも向けられないような眩しい笑顔を湛えて。

「さんぞー、おかえりー!」

タックルを仕掛けているような勢いに、構えていた銃口が逸れる。それによって、悟浄は素早くその場から逃れ、一部始終を横から見ていた八戒も精神的な硬直から立ち直った。

「おかえり! おかえり! おかえりー!」

抱きついた胸に顔を埋めて、待ちきれなかったとばかりに「おかえり」を繰り返す悟空。きっと尻尾があったら千切れんばかりに振られているのだろうと、見ていた八戒は微笑まずに居られなかった。

「懐いているんじゃねぇよ、馬鹿猿!」

スパーン!

すっかり馴染みになった音が家の中に響いたのは、それから直ぐのことだった。





「……で、何を騒いでいたんだ」

通常の落ち着きを取り戻した八戒が入れた珈琲を前に、改めて三蔵が騒ぎの元を問いただしてきた。

「棘を抜いてやろうとしただけだっての」

銃を向けられて死に目に遭いそうになった悟浄が、幾分拗ねたような物言いで答える。だがそれだけでは伝わらなかったらしく、金色の眉が寄せられるのを見た八戒が、詳細を説明した。

「悟空の指先に棘が刺さったようなんです。それで抜いてあげようとしたんですけど、刺抜きでは取れなくって」
「それだけで、どうしてあんな騒ぎになる」
「悟浄が刺抜きじゃ無理だからって、針でとろうとしたんですけど……悟空がそれを嫌がって」

あんな騒ぎに。そう伝えると、冷ややかな紫暗の視線が悟空に向けられる。すると居心地が悪そうに、悟空は身を縮こませた。

「ったく。棘を抜くくらいで大騒ぎするんじゃねぇ」
「だって……ハリなんか刺されたら痛いじゃん」
「だからガキって言われるんだ、テメェは」
「む〜」

剥れる悟空を気にした様子も無く、三蔵が八戒へ向き直った。

「それで取れたのか?」
「は? 何がですか?」
「テメェまで呆けてんじゃねぇよ。コイツの棘は取れたのかと訊いているんだ」

カップを手にしてない方の親指で、未だに剥れている悟空を指差す。そうされることで八戒は棘を取ってやれて居ないことに思い至った。

「あ、まだです」
「そうか。おい、猿」
「サルじゃないってば!」

予想していたのか。まだ処置が終了していないことを聞いても、三蔵の表情は眉一つ動かされない。
紫暗の瞳が八戒から再び悟空へと移る。猿と言われて悟空は律儀にもまた訂正を入れるが、悟浄のときとは違って食って掛かったりはしない。三蔵もそれには何も言わず、別のことを告げた。

「手を出せ」
「手?」
「棘が刺さった手だ。さっさとしろ」

悟空は素直に言われた手を差し出す。食卓を挟んで向かい側に並んで座っていた八戒と悟浄は、何をするつもりなのかとその行動を唯見ていた。



「「―――――え?」」

驚く声は二重奏。



そして。

「いって―――――っ!」

悲鳴はボーイソプラノのソロ。



それを奏でさせる原因を作った当人と言えば……

「騒ぐな、喧しい」

一人涼やかに俯かせていた秀麗な顔を持ち上げた。





「……なあ、あれって牽制だと思うか?」

目の前では世間では保護者と被保護者という肩書きを披露している二人が、言い争いを繰り広げている。それを聞くともなしに聞いていた八戒に、どうにか立ち直ったらしい悟浄が問い掛けてきた。
彼の問うているのは、勿論先ほどの光景だ。

八戒と悟浄の目の前で、三蔵が悟空の指に口付けた―――――と言えば聞こえは良いのかもしれないが、実際は棘が刺さった部分に噛み付いたのだ。
それによって刺さっていた棘は無事に取り除けたのだが、予告も無しに噛み付かれた悟空はその痛みもあって、今三蔵とケンカの真っ最中。そしてその行動を見せられた残りの二人はと言えば。

まさかそのような行為が行われるとは予想も出来ず、衝撃から立ち直るまでに暫しの時間を必要としたのだった。

「99%以上、そうでしょうね」

悟浄の確認に近い問いかけに、八戒は苦笑交じりに答えた。

普段無愛想で感情を表に出さない三蔵が、被保護者に対してだけは違うところを見せる。
しかしそれは悟空と三蔵が二人だけのときのはず。それが今回のように独占欲を垣間見せる行動に出たとすれば、それは牽制に他ならないだろう。

悟空が懐き始めている八戒たちに対しての。



「噛み付くことないじゃん!」
「このくらいでガタガタ喚くな、猿。これくらいの怪我はしょっちゅうだろうが」
「でも痛いもんは痛い! もう、血が出てるし!」

目の前の喧嘩はまだまだ続いている。脱力している八戒たちにしてみれば、もう好きにしてくれという気持ちだ。だが、その認識はまだまだ甘かったと思うことになった。

本当の脱力感が襲う出来事が繰り出されては。



「この程度の血がどうした。こんなモンは舐めておけば充分だ」



そう言って小さな指の先を咥えるように舐める三蔵の顔は。

八戒と悟浄の双方に、悪夢で繰り返し見させられる対象となったのだった。







* * *


三蔵の出番がめちゃめちゃ少ないですι
とても三空には見えないし……(T_T)
拙い作品で申し訳無いです。
けれど感謝の気持ちを込めてmichiko様に奉げさせていただきます。




<鷹耶 光 様 作>

私の我が侭で始めた企画に参加して頂いた鷹耶さまから、駄文のお礼にともったいなくも頂きました。
何気ない日常の一瞬にある悟空のちょっと痛がりなところや三蔵のさりげなさを装った(?)独占欲。
あてられた八戒と悟浄のあははな気分が、素敵に織り込まれた可愛い三空のお話です。
我が侭だけど企画立ち上げて良かったと、ほくそ笑む奴がここにいます。
気分は、わらしべ長者。
鷹耶さま、本当にありがとうございました。

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