「雨…止まない」

窓にもたれて見上げる空は、重たい雲に覆われて、細い雨に煙っていた。



星祭り
悟空を拾って一緒に暮らし始めた二度目の夏、どこで聞いてきたのか、星祭りをしたいと言い出した。
けれど、その日は星祀り。
それは寺院上げての星供養の日で、三蔵が構ってやる暇などない。
世間一般で言う七夕とは違う、厳然とした法要で。
言ったところでこの養い子が納得するとは思えず、仕方なく三蔵は忙しい中、悟空に請われるまま笹飾りを作ることに付き合った。

「こんなもんだろう…」

出来上がった笹飾りはそれなりに形を成して、細い笹の枝に所狭しとぶら下げられた折り紙の飾りが、陽の光に光っていた。
その飾りを嬉しそうに、眩しそうに飽きずに日がな悟空は眺めていた。
それが、昨日の昼。
そして、今日は朝から雨が降っていた。

「大人しくしていろよ」

そう言い置いて、三蔵は星祀りの法要に出掛けて行った。
いつもならちゃんと、三蔵を寝所の扉まで見送りに出てくる悟空が、今日は「いってらっしゃい」の言葉もなく、三蔵の言葉にも振り返らず、ただ雨に煙る窓の外を眺めていた。
その姿を思い出し、三蔵は本堂へ向かう道すがらどうしたものかとため息を吐くのだった。






「雨…止まないと、織り姫と彦星が逢えないのに…」

一年に一度だけ許された逢瀬。
愛し合う二人に科せられた重い罰。
逢えない間思いを募らせ、逢いたい気持ちをたくさん抱えて、指折り数えて。
ようやくその日を迎えた。
晴れた夜空に蕩々と流れる天の川に橋が架かり、二人はひと夜の逢瀬が叶う。
けれど、雨が降れば天の川に橋が架かることもなく、二人は対岸からお互いを見つめるだけで言葉をかわすことも温もりを感じることも出来ない。
そうして、また、次の逢瀬の日まで長い一年を過ごすのだ。

「そんなの…可哀想じゃん……」

もし自分だったら…そう思うだけで、悟空は悲しくなる。
あの日、出逢った三蔵と離ればなれになって、逢えなくて、ようやく逢えても声も届かない程離れた場所でお互いの姿だけを見て、また次に逢える日まで一人で待つなど耐えられない。
きっと、川を渡って逢いに行く。
どんなに重い罰を貰っても。
だから、

「絶対やだもん…」

恨めしげにいつもより早くに日暮れを迎えた空を見上げて、悟空はまろい頬を膨らませた。
けれど、悟空がむくれても雨が止むはずもなく、しとしとと音もなく雨は世界を濡らし続けた。











法要を終えた三蔵が寝所に戻ってきた時、時間は深夜に近かった。
もう眠っているはずの養い子は、今日はどんな一日を過ごしたのかと思う。
あれほど楽しみにしていた七夕が、雨で台無しになったのだ。
法要に出掛ける前の様子からすれば、落胆したまま眠ってしまったのだろうと。
さて、明日、どうやって慰めるか。
柄にもないことを考えながら寝所の扉を開けた三蔵は、目の前の光景に言葉もなく立ち尽くした。

養い子は、悟空は開け広げた窓の下で、蹲って眠っていた。
よくよく見れば、振り込んだ雨で床の色が変わっている。
それは窓の下に眠る悟空にも言えることで。

「──っ!バカが」

我に返って慌てて駆け寄れば、暑い季節にもかかわらず、悟空の身体はしっとりと濡れて、冷たく冷えていた。
三蔵は悟空を抱き上げ、窓から離れると、着ていた衣で悟空の身体を包み、もう一度、今度は冷えた身体に熱を与えるように抱き直した。

「……ん…」

寒かったのか、三蔵が与える温もりを感じたのか、三蔵の腕の中でもっと温かさを求めるように三蔵の方へ身体を悟空はすり寄せる。
こんな風に思う程、楽しみにしていたのかと、三蔵は今日の雨を恨めしく思った。
と、腕の中の悟空が身動ぎ、目を覚ました。

「…ん…ぁ…」

幼子がむずかるような仕草を見せ、悟空は半分焦点の定まらない視線を三蔵に向けた。

「ぁ…さ、ん…ぞ…?」

不思議そうに三蔵の顔を見上げる瞳にだんだんと覚醒の色が宿って行く。

「目が覚めたか」

言えば、悟空はきょとんとした顔付きになった。

「…あれ?───うわっ!」

もぞもぞと動き、自分が今、どういう状況に置かれているか、悟空はようやく気付いた。
その途端、ぼんっと、音が聞こえたような錯覚を三蔵が覚える程、一瞬で、悟空の顔が真っ赤に染まった。
そして、じたばたと暴れ、三蔵の腕の中から転げ落ちるように抜け出た。
その慌てふためく様子に三蔵はあっけにとられ、身動きすることも忘れていた。

「ぁあ…あ、の…あの、ゴメン」

その声で我に返った三蔵は、まだ熟れたトマトの顔色のまま、項垂れる悟空を見やった。

「何がゴメンなんだ?」

問えば、

「あ…や…あの…その…だ、抱っこ…」

もじもじと歯切れの悪い返事が返る。
最後の方は口の中でもごもごと消えてしまった理由に、三蔵は一瞬、瞳を見開いた後、手の中に悟空が抜け出した形のままの衣を広げると、悟空の頭からすっぽりと覆い被せた。

「ふぇ…?!」

突然視界を覆った羽黒の衣の薄い生地の闇に悟空は、驚いて顔を上げた。

「…さんぞ?」

訳がわからずに名前を呼べば、衣ごと頭をぐしゃぐしゃと掻き回された。

「な、何だよぉ…」

くしゃくしゃになった頭に同じようにくしゃくしゃになった衣からむくれた顔を出せば、あっという間に悟空は三蔵に抱き上げられてしまった。
何が起こったのか理解する間もなく、悟空は三蔵に抱き上げられたまま向かう先が何処か気付いた、

「ちょ…ちょっと、さんぞ、三蔵ってばっ」

自分の状況に、下に降ろせと暴れれば、返事の代わりに肩に担ぎ上げられてしまう。

「三蔵っ!やだ、降ろせってば」

暴れる悟空をモノともせず、三蔵は片手で湯殿の扉を開け、そのまま悟空を浴槽に放り込んだ。

「うわっ!」

派手に上がる水しぶきを満足そうに見やった三蔵は、

「汗かく程、温もってこい、サル」

捨て台詞のように言葉を吐いて、湯殿から出て行った。
それを呆然と見送った悟空は、湯に直接触れた肌がじんと痺れるような感覚にようやく、三蔵の目的に気付いた。

「…信じられねえ…」

湯船に広がる三蔵の衣を見やって、悟空は呆れながらもこぼれてくる笑いを止めることが出来なかった。






悟空を湯殿に放り込んだ三蔵はそぼ降る雨を見つめながら、悟空が風呂から上がって来る頃には、雲が切れていればいいと、柄にもなく願う。
三蔵が晴れろと願ったところで、自然が言うことを聞くはずもない。
悟空が願えばひょっとしてとは思うが、それもまた何だか馬鹿らしいような、情けないような気がして。
窓辺に踞ってうたた寝していた姿を思えば、寂しそうな子供の姿を思い出す。
いつも元気で明るい子供が意気消沈している姿を見たくはない。
だから。

「…ま、機嫌が直ってればいいか」

手荒に悟空を扱った自分の行動を正当化して。
そんなことを思いながらぼんやりと外を眺めていた三蔵に声がかけられた。

「三蔵、あがった…──んで…おかえり」

振り返れば、暖まったのだろうまろい頬をバラ色に染めた悟空が立っていた。

「ああ…」

返事をして頷けば、悟空は照れたような笑顔を浮かべた。
そして、とてとてと三蔵の傍らに近づいて、窓から空を見上げた。

「雨…止まなかった…」
「そうだな」
「うん…」

その頷く気配に、まだ機嫌は直っていないと気付いて、三蔵はまだ濡れて湿っている頭をぽんぽんと、叩いた。

「何?」

びくりと首を竦めて三蔵を振り返れば、

「心配しなくても二人はちゃんと逢えてる」

そう言われた。
誰がとは言わないけれど、それはきっと今、悟空が思っている二人のことで。

「何、で…?」

問えば、

「邪魔されたくないから隠すんだよ。イチャイチャするバカップルなんざ、俺も見たくねえ」

と、宥めるような、嫌そうな返事が返った。

「何、それ…」

その返事に悟空はくすくす笑いが浮かんでくる。
三蔵の不器用な気遣いに、きっとそうなのだろうと思えて。

「ありがと…」

言えば、また、頭を掻き混ぜられた。
恋人達の逢瀬は秘め事なのだと、知った日。




end

close