A Little Letter




寝所の机で悟空は、薄紫の綺麗な便箋に手紙を書いていた。

この便箋は、何日か前に笙玄と一緒に買い物に麓の街へ出掛けた折り、見つけたものだった。
薄紫の地色に淡い色彩の白と黄色との細い線で小花が繊細なタッチで描かれていた。
そろいの封筒もあった。
一目で気に入った悟空は、買ってもらうはずのお菓子と引き替えに、このレターセットを買ってもらったのだった。






「なあ、これって手紙っての書くんだろ?」
「そうですよ」
「笙玄も書く?」
「もちろん。悟空はどなたに書きますか?」
「俺が?」
「はい」

優しく笑う笙玄に悟空は小首を傾げてみせる。

「んと…誰に?」
「えっと…悟空?」

訊かれた意味を計りかねて、笙玄は悟空の顔を見た。

「俺、手紙なんて書いたことないからわかんね」

ちょっと寂しそうに笑う。
そんな表情を見せる悟空に、笙玄は彼の置かれた環境に思い至った。




悟空は、大地のオーラが集まって出来た仙岩より生まれた大地母神が愛し子。
この世の何ものにも属さない唯一無二の存在。
親、兄弟はもとより悟空に連なる眷属などなく、大地と自然に属するモノがかろうじて悟空の仲間と言えば言えないこともなかった。
だが、そんな自然に在るモノが手紙など書くはずもない。
例え悟空が書いたとて、受け取る相手は形のないモノ、物言わぬモノばかりだ。
唯一人間で、悟空の書いた手紙を受け取ったり、悟空に手紙を書きそうな養い親である三蔵も例に漏れない。
そう、悟空は生まれてこの方、手紙を書いたこともましてやもらったこともなかったのだった。



これはゆゆしき事ですねぇ。



笙玄は悟空のことを考えているうちに、名案が浮かんだ。

「ねえ、悟空」
「何?」

笙玄の嬉しそうな問いかけに、悟空は怪訝な顔をする。

「手紙を書きましょう、ね」
「手、紙…?」
「そう、手紙です。悟空の大好きな人に、悟空がどれだけその人のことが好きか書くのです」
「俺の…大好きな人、に?」
「ええ、悟空が大好きでたまらない人に」

笙玄の言葉に悟空は、不思議そうな顔をしていたが、やがて笙玄が言わんとしている事に気付いたのか、満面の笑みを浮かべた。

「うん…うん!笙玄、俺書く、書くよ」
「はい」

輝く笑顔を浮かべて、悟空は便箋を抱きしめたのだった。




そして、冒頭へと戻るのである。




悟空は、精一杯丁寧な字で溢れて余りある思いを込めて手紙を書く。

大好きな人。
それは玄奘三蔵。

誰よりも美しく、気高く、強い、孤高の人。
そしてどんな人より感情豊で、暖かく、優しく不器用な人。

どんなに好きで、どんなに大切か。
太陽よりも眩しくて、鮮やかな世界をくれた。
その嬉しさを、幸せを、感謝を、悟空は綴る。




その様子を楽しそうに見つめながら、三蔵とて、私信の手紙はもらったことなどないはずだと、笙玄は考えていた。

あちらこちらから漏れ聞く三蔵の生い立ちや境遇を考えれば、きっとそうだと確信できるからだ。
手紙や書簡は、三蔵の立場であれば掃いて捨てるほど、毎日届けられる。
法話の依頼、供養の願い、妖怪退治に調伏の依頼。
内容はみな似たり寄ったりで、三蔵自身に宛てられたものなどない。
みな、”三蔵法師”という肩書きに寄せられるものだ。

だからこそ、と、笙玄は思うのだ。

どんな人間だって、一度は手紙を自分自身に宛てた手紙をもらう。
それが消息を訊ねるものだったり、礼状や恋文だったり、慶弔の知らせであっても、自分だけのために書かれた手紙であれば、嬉しいのだ。
世の中に一人ではないと、自分のことを気に掛けてくれる人間が在る、そのことが嬉しいのだから。
そんな嬉しい気持ちが在ることを三蔵や悟空に知って欲しい。
悪意ばかりが在るわけではないと。



どうか、ほんの少しでも気付いてください……。



笙玄は、祈らずにはいられなかった。




















公務と名の付くきわめて煩雑な仕事の書類整理をしていた三蔵の元に、笙玄は両手一杯の手紙や書簡を持ってきた。
その一番上には悟空が昨日書いた手紙が載せられていた。

「三蔵様、本日分の手紙と書簡でございます」
「ああ、わかった」

手元の書類に目を通したまま、三蔵は頷いた。
笙玄は悟空の手紙が一番最初に三蔵の手に触れるように置き直すと、自分の仕事部屋へ引き上げて行った。
三蔵は書類の最後に決済印を押し終え、笙玄が置いていった手紙に目をやった。
と、拙いが丁寧に”玄奘三蔵法師様”と書かれた薄紫の封筒が、目についた。

「何だ…?」

三蔵はそれを手に取ると封を開けた。
そこには拙いが精一杯ゆっくり丁寧に書いた文字が、たった一行記されていた。

どんなモノにも負けないたくさんの思いのこもった一行。

その文字を辿る三蔵の瞳が、見たこともない柔らかな色を宿し、口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。



バカ猿…



仕事も忘れてその手紙を見つめていた三蔵は、笙玄が部屋に入って来たことにすら気が付かなかった。
そう、笙玄は悟空の手紙を三蔵がちゃんと呼んだかどうか、確認するために決済済みの書類を受け取ることにこじつけて来たのだ。
戸口に佇んで三蔵の様子を見つめている笙玄にも幸せな笑顔が浮かんでいた。

そこへ、慌ただしい足音が聞こえてきた。
はっとして顔を上げた三蔵と三蔵を見つめていた笙玄の目が合った。
一瞬、三蔵の頬に朱が登る。
その瞬間、しまったと笙玄は思った。



三蔵は自分の気持ちを隠す。
特に悟空への気持ちは照れがあるのか、プライドの所為か素直に出した試しがない。
悟空と二人きりの時は知らないが、笙玄が見る限りこういう場合、三蔵はきっと悟空に辛く当たってしまう。



弱りましたねえ…



何も知らずにここへ来る悟空の事を考えて、笙玄は小さくため息を吐いた。

「さんぞーっ!」

息を弾ませて悟空が、執務室に走り込んできた。
瞬間、ハリセンが紛う事無く悟空の頭に命中する。

「静かにしやがれ!」

痛みに踞る悟空に三蔵の罵声が飛ぶ。
ハリセンを投げつけた反対の手には、悟空が書いた手紙が握られているのを見て、笙玄は思わず小さく声を漏らした。
その声に敏感に三蔵が、反応する。

「何だ?」
「何だよぉ、痛てぇじゃんか」

三蔵の声と悟空の声が重なって、笙玄はつい綻びそうになる顔に困ったような表情を浮かべて二人を交互に見つめた。

「何だ、笙玄」

イライラとした三蔵の声に笙玄は、慌てて答えた。
これ以上三蔵の機嫌を損ねるのは得策ではないと、判断したからに他ならなかった。

「あ、既決の分を頂きに参りました」
「なら、持ってとっとと、出て行け」

振り上げた左手に握られた薄紫の手紙。
丁度、顔を上げた悟空が、それを見つけた。
満面の笑顔を浮かべて三蔵に飛びつく。
その悟空を横目に見ながら笙玄は仕上がった書類を机の上から取ると、大急ぎで執務室を出て行った。
その間にも、抱きついた悟空を引きはがそうと、三蔵が怒鳴っている。
だが、そんなことに慣れっこな悟空は、ぎゅっと三蔵にしがみつく腕の力は緩めない。

「離せ、サル!」
「やだっ!」
「離せ!」
「やだもん!」

二人の騒ぐ声を背中に聞きながら、笙玄は込み上げてくる笑いに肩を震わせたのだった。












なんとか悟空を引きはがした三蔵は、椅子に座り込むと煙草に火を付けた。
その時、握っていた手紙を机に投げ出す。
悟空は、しわくちゃになった手紙を見て、その瞳を僅かに翳らせた。

「…なんだよぉ…手紙、読んでくれてねえの?」

寂しそうな色を滲ませた声音で訊いてくる。
その問いには答えず、三蔵は黙って煙草を吸っていた。

「なあ、さんぞぉ…」

椅子に座る三蔵の僧衣を引っ張って、自分に注意を向けようと伸ばした手が、不意に掴まれた。

「えっ…?」

あっと言う間に三蔵の腕に抱き込まれる。

「…さんぞ?」

上げ掛けた顔を押さえられ、どうしたものかともぞもぞと動いていた悟空だったが、どうも離してもらえそうにないと、三蔵の腕に入った力から判断したのか、動きを止めた。

三蔵は悟空の日向と汗の匂いのする身体を抱き込んで、どんな風に手紙の事を切り出そうかと考えていた。



初めてもらった思いのこもった手紙。
差出人は、愛しい小猿。
拙い文字を精一杯丁寧に、たった一言に万感の思いを込めてしたためられた手紙。

ありがとう、なんて陳腐すぎる。
嬉しい、では足りない。
幸せ、なんて当たり前。
愛している、では告げられない。
この胸に灯った優しく暖かな気持ち。



悟空を抱きしめる腕に力を込めてもう一度抱きしめ直すと、三蔵は悟空を離した。

「はぁ…苦しかった…」

息を吐く悟空を三蔵は黙って見つめていた。
その視線に気付いた悟空が、小首を傾げる。

「何?さっきから変だよ、さんぞ」
「な、何が…」
「なんか、顔、赤いし…あ、熱でもある?カゼ引いた?」

心配だと三蔵の額に手を伸ばしてくる。

「喧しい!」

その手を思わず払いのけた三蔵は、内心、しまったと、思う。
目の前の悟空の顔がみるみる曇って、うつむいてしまったから。
悟空にもらった手紙が嬉しくて、でも恥ずかしくてうまく礼が言えない三蔵の照れが、悟空に暗い顔をさせてしまう。

三蔵は悟空を拾った頃から、悟空の泣き顔や暗い顔には弱い。
酷く気持ちが落ち着かなくなって、つい、悟空の機嫌を取る行動に出てしまう。
当然、今回も。




払われた手を握って、悟空はさっきまで感じていた幸せな気持ちが萎んでいくのを感じた。

三蔵は手紙を読んでくれたらしいことはわかった。
でも、手紙に込めた自分の思いが伝わらなかったのだ。

たくさんの言葉を最初は書き連ねた。
だが、どんな言葉を書いてもこの胸に宿る思いが三蔵に伝わらないような気がして、そうやって思い至った一言。
その言葉が三蔵に伝わらなかったのなら、もう自分には伝える言葉が何もない。
後は、三蔵の名前を呼ぶことだけ。

「…さんぞ…」

うつむいたまま、小さく名を呼ばれ、三蔵は子供じみた行為に出た自分を後悔した。
そして、

「…手紙の返事は、明日やる」

悟空にもようやく聞き取れるような声で。
その声に悟空は、弾かれたように顔を上げた。

「うん!」

片手で顔を隠した三蔵に、満面の笑顔を向けた。











翌朝、悟空に届けられた手紙は、薄い黄色の便箋に流麗な文字でたった一行、綴られていた。

その手紙は、悟空の宝物になった。




end




リクエスト:素直じゃない三蔵さまの三空で甘甘なお話
23939 Hit ありがとうございました。
謹んで、乱太郎様に捧げます。
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