悟空の手料理




うららかな昼下がり、久しぶりの暇な時間を三蔵は居間の床に広がった日だまりで、のんびり何すると言うことなく過ごしていた。

三蔵の養い子の悟空は、昼食の後片付けをする笙玄と一緒に、厨に籠もって何やらやっているらしい。
お陰で、まとわりつく小猿が居ない分、静かで穏やかな時間を過ごせる三蔵だった。

温かな陽ざしにうつらうつら仕掛けた時、厨から悟空がお盆に載せた器を持って出てきた。
そうっと、そうっと零さないように床に座る三蔵のもとへ運んでくる。
三蔵はその様子に、微かに口元をほころばせた。






そして───────






目の前に差し出されたドロッとした茶色い物体に、三蔵は固まった。
と言っても、ほんの数秒だったのだが。
ようやく立ち直って、その物体をそれは嬉しそうに差し出している悟空を見やれば、自分を見つめる黄金の円らは、期待に満ちた光に輝いていた。

「おい、これは…何だ?」

意を決して訊ねてみれば、それは幸せな声で、信じられない答えが返ってきた。

「三蔵が飲みたがっていた、お吸い物だよ」
「…な…に……?」

聞き間違いだろうと、繰り返して問えば、

「お吸い物だって、言ってるじゃんかぁ!」

と、拗ねた声が返ってきた。



では、誰が作ったのか・・・・・。



考えたくもないが、でも、確かめずにはいられないのも人間の心理。
三蔵は悟空の答えに確信を持って、その問いを悟空に投げかけた。

「誰が作ったんだ?」

すかさず、よくぞ訊いてくれたと言わんばかりの声と誇らしげな表情をオプションに悟空の答えが返った。
後悔先に立たずとは、昔の人は良く言ったものだ。
三蔵は己の確信を揺るぎないものにする悟空の返事に、訊かなければ良かったと激しく後悔することとなった。

「俺!俺が作ったんだ」

その答えに一瞬、三蔵は奈落の底を垣間見た気がした。
そして、当然その続きに付随してくる言葉を考えただけで、極楽浄土の蓮池が見えた。

「食べてくれよな!なっ!三蔵」

満面の嬉しさに満ちた黄金の瞳と、三蔵が食べてくれるという期待で少し上気した丸い頬。
後ろを見ればパタパタと振られる小猿のしっぽが見える気がして、三蔵は「食べたくない」とも言えず、答えに窮してしばらく黙り込んでしまった。
それを三蔵の拒絶とでも取ったのか、悟空の顔から笑顔が萎むように消えてゆく。
そんなことに気付くことなく、三蔵は目の前に置かれたドロドロした茶色いゲル状の物体を凝視したまま、いかにして悟空の機嫌を損ねることなく食べることをお断りするか、思案に暮れていた。

悟空は三蔵に無理に食べて欲しかった訳でなく、喜んで欲しかったのだ。
それは、つい二、三日前に笙玄に美味しい吸い物が食べたいと話していたのを聞いたので、じゃあ、笙玄に教えてもらいながら自分が作りたいと申し出たのだ。
その約束の日が今日で、三蔵の仕事も休みで、丁度よかったのだ。
昼食後、笙玄の根気の良い指導のもと、何とか作り上げた。
小さな鍋に、三蔵と自分の二人分。
でも、三蔵は喜ぶどころか、眉間の皺を深くして何も答えてくれずに、持ってきたお椀を見つめるばかりで。

悟空は悲しくなって、でも、それを知られたくなくて、三蔵の首に抱きついた。
その軽い衝撃に我に返った三蔵が見やれば、潤んだ黄金と出逢った。

「どうした?」

と、問えば、

「…食べたくない?欲しくない…の?」

と、今にも泣きそうな声音の返事が返ってきた。
その声音に、三蔵は内心、舌打つ。
決断しかねてるうちに、この小猿は入らぬ気を回してしまったのだ。
そんな悟空を見れば、つい許してしまう。
ほとほと、自分はコイツに甘いと、改めて自覚した三蔵だった。
だが、見れば見るほど得体の知れない”お吸い物”と呼ばれるこの茶色いゲル状物体をいくら悟空のお願いでも口にする勇気は、三蔵には持ち合わせがなかった。

そもそも”お吸い物”と呼ばれる料理は、美しい琥珀色の透明な汁に、形、色、味共に厳選された材料の汁の実が入った、かぐわしい香りと豊かな味の料理のハズである。
断じて、ドロドロの茶色いゲル状物体で在るはずがない。
増して、目の前のお椀に入っているこの物体のどこをどうひっくり返そうと、”お吸い物”とは、冗談でも呼べはしなかった。






だが──────






三蔵の苦悩は、計り知れなかった。

「さんぞぉ…ダメ?」

小首を傾げ、瞳を潤ませて完全なお強請りモードに入った悟空に逆らうことのできる人間が居るはずもなく、凶悪なほどの可愛さで三蔵の庇護欲を掻き立ててくる。
三蔵は心の中で、仏教徒にあるまじきことに、十字を切ったのだった。

「わ…わかった。食えばいいんだな、食えば…」
「ホントに?」
「ああ、食ってやるよ」
「うん!」

途端、今、泣きそうになっていたのは見間違いかと思うほどに、嬉しそうな笑顔が花開いた。
三蔵は悟空を引き離すと、床に座り直した。
そして、悟空が差し出す箸を受け取り、「どうぞ死にませんように」と柄にもなく神仏に願いながら、三蔵は”お吸い物”と称される得体の知れないゲル状物体に口を付けた。

滅多にない神妙な顔で自分の作った料理を食べる三蔵の姿を悟空は、食い入るように見つめていた。
その視線が痛くて食べた振りすらできず、本当に、本当に無事の帰還を祈りつつ、一口飲んだのだった。




その食感たるや・・・・・・・・・・




息を止め、「これは薬だ、これは薬だ…」と自分に言い聞かせながら、三蔵は一息に食べてしまった。
何も言わず、一生懸命に自分の作った料理を食べる三蔵の姿に、美味しくないのかと、悟空は心配になったが、何となく言葉をかけ辛くて、結局そのまま、三蔵が食べるのを最後まで見ていた。

ようやく微かな音をさせて、三蔵はお椀と箸を床に置いた。
とにかく食べたという充足感で、お椀の底を見れば、何処かで見たことのある葉が一枚、残っていた。
それにほんの一瞬、目眩を感じたが、深く深く息を吐くことで三蔵はやり過ごした。
そんな三蔵に、悟空は恐る恐る声をかけた。

「さんぞ、美味しかった?」
「………もっと…いや、お前にしちゃまあまあだ……な…」
「よかったぁ…」

三蔵の言葉に悟空は大きく息を吐くと、

「俺も食べてくる!」

そう言って、厨に駆けていった。

悟空の姿が厨に消えた途端、三蔵はクッションの海に伸びた。
味は、見かけよりマシだった。
だが、あの食感だけは、受け付けない。
二度と、願い下げだった。
自分が、ああいう食感が苦手だと、今になって気付く三蔵だった。




ささやかな日常のある日の風景─────




end

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