貴方だけと信じていた。
貴方しか居ないと信じていた。

信じていたのに─────



空に刺さった月
目が覚めると悟空は、金蝉のぬくもりに包まれていた。

昨夜、悟空は金蝉に抱かれた。
無理矢理でもなく、合意でもなく、それは成り行きに他ならなかったが、お互いにお互いが欲しかったのも事実で、悟空に後悔はなかった。

「…起きたのか?」

甘い声で問われて悟空は小さく頷くと、身体を起こした。
見下ろす胸に咲く、薄紅の花。

「金蝉…俺……」
「いい。何も言うな。ひと夜限りの夢だと…思え」

朝日に透ける金瞳を見返す、柔らかな紫暗。
流れ落ちる金糸が朝日に透けて、透明な光を放つ。
白皙の優しい容。
朝日に輝く姿にしばし悟空は言葉もなく見惚れた。

「どうした?」

じっと自分を見つめて動かない悟空に金蝉は怪訝な顔を向け、柔らかく色付いた桜色の頬に触れる。

「綺麗だなって…」
「誰が?」
「…金蝉が…」
「バカ…」
「うん…」

はんなりと悟空は笑った。
その儚げな笑顔に、金蝉も笑顔を返す。

「時間…だから…」
「ああ」

離れがたいとお互いの瞳が訴える。
だが、容赦なく逢瀬の時間は終わりを告げる。
悟空は、床に落ちたシャツを拾い、ベットから降りた。

「シャワー借りるね」

金蝉に背を向けたままシャツを羽織り、脱ぎ散らかした自分の服を持つと、悟空は寝室を出た。

金蝉はその姿を見送ってから、身体を起こした。
乱れた髪を掻き上げ、朝日に染まる窓を見やった。
微かにシャワーを使う音が、聞こえ始めた。

金蝉は小さくため息を吐いた。
悟空をこの手に抱いたことを後悔はしていない。
無理矢理でもないが、合意の上でもなかった。
ただ、悟空が欲しかった。
その思いのままに悟空を抱き寄せれば、華奢な身体は素直に身を委ねてきた。

「…いいよ…」

吐息のような声と共に回された細いかいな。
後は、お互いの甘い吐息に酔った。
まるで、それはお互いの半身に出逢ったようだった。

だが、悟空には恋人が居た。

玄奘三蔵。
悟空より五つ年上の幼なじみ。

いつも不機嫌で、ぶっきらぼうで、わかりにくい愛情表現しかしない。
言葉もくれない悟空の恋人。
そのくせ独占欲は強く、悟空が自分から離れて行かないと信じている自分勝手な恋人。

悟空の淋しさなど知らず、三蔵は仕事で海外へ赴任している。
遠距離恋愛も極まれりの状態で、電話もろくにない。
三蔵からの連絡を待つか細い背中に何度、もう待つのは止めろと、言いそうになったか。
だが、忘れた頃にかかってくる三蔵からの国際電話に頬を染め、幸せそうに笑う姿に金蝉は何も言うことは出来なかった。

いつだったか、薄情で自分勝手な三蔵などとは縁を切ってしまえと、友達に言われている場面を偶然目撃した。
悟空のために三蔵への怒りを顕わにする友人に、

「それでも好きだから、離れたくない」

そう言って笑った悟空の笑顔が、今にも壊れそうに見えた。
その笑顔を見た時、金蝉の胸の内に微かな痛みが生まれた。

自分ならこんな寂しい想いはさせない。
自分ならこんな儚い笑顔などさせない。

逢うたびに想いは募り、胸の痛みは大きくなった。
その痛みに名前が付くことに気が付いたのはいつだったか。
はっきりと、自覚したのはそう遠くはない過去。
それでも口に出しては、三蔵を信じていろと言う、己に吐き気がした。

「ありがとう…金蝉」

欠片も三蔵を信じろとは思っていない金蝉の言葉に、悟空はいつも小さく頷いて笑った。
その笑顔が堪らなく悲しく見えた時、気持ちのたがが外れた。
そして、欲しいと思った。
この綺麗で一途な存在を欲しいと、思ったのだ。











そして、時間はほんの一時、止まった。











「…んぜん、金蝉」

自分を呼ぶ声にはっとすれば、柔らかな金眼が覗き込んでいた。

「…悟空」
「どうかした?」
「いや…」

いつの間にか己の考えに嵌り込んでいたらしい。
何でもないと、笑顔を向ければ、悟空も笑顔を返してきた。

「行くのか?」

目の前の悟空の出で立ちに金蝉が問えば、小さく頷いて、

「…学校、行かないと、さ」
「そうか」
「うん、じゃ…」
「ああ」

ベットの中から玄関へ向かう悟空の背中を見送って───

「…悟空」

金蝉は寝室から飛び出した。

「悟空!」

自分を呼ぶ金蝉の声に、悟空は大きく肩を震わせた。
それでもドアを開ける動きは止まらない。

今、振り返ればもう三蔵の元へ戻れないことが解っていたから。
今、あの温かな腕に抱かれれば、想いは溢れてしまうから。

悟空は金蝉の声を振り切るようにドアを開けた。
だが、一筋空いたドアはそれ以上開かず、悟空の身体は背後から金蝉に抱き留められていた。

「…金蝉」

吐息の声で名を呼んでしまえば、もう、想いは激流となって全てを押し流してゆく。
愛して、待ちこがれて、逢いたくて、声が聞きたくて、触れて欲しくて、待つことに疲れ切った心が押し流されて行く。

「悟空…」

悟空を包む金蝉の温もりに、悟空は大粒の涙を零した。

「金蝉、金蝉…」

身体を反転させ、金蝉の身体に縋りついて、悟空は堰を切ったように泣き出したのだった。

























自宅ドアの前に、その人は立っていた。
足下に散った吸い殻の数が、そこにいた時間の長さを悟空に知らせる。

「遅い」
「…あ…ご、ごめん」

三蔵の姿に瞳を見開いて、立ちつくす悟空に三蔵は声を掛けた。
その声に悟空は我に返ると、慌てて鍵を取り出し、ドアを開けた。

「三蔵、なん……っ」

ドアを開けながら振り返れば、背後に立った三蔵に言葉を呑み込まれた。
口付けをかわしたまま、二人は部屋に入り、そのまま行為に嵌り込んで行く。
悟空は久しぶりに触れる三蔵の熱に翻弄された。

あれほど逢いたくて、触れて欲しくて、待ちこがれた三蔵。
寂しくて、悲しくて、忘れてしまいたいと何度も思った。
両手では足りないほどの時間、一人でいた。
それでも大好きで、どうしようもないほど傍に居たくて、居て欲しくて泣いた。

久しぶりに触れる三蔵は、最後に逢った日のまま、熱く激しく、傍若無人で、悟空の全てを奪い去って行く。
泣き濡れた心も、待ちくたびれて枯れ果てた気持ちも、何もかもを強引に。

誰よりも愛して、何よりも求めた三蔵。
そして、どんなものよりも残酷な人。

悟空は三蔵の求めるまま、身体を開き、声を上げ続け、やがて意識を失うように眠りに落ちた。
意識が眠りに引き込まれる寸前、三蔵が何かを囁いた気がしたが、その言葉は悟空に届くことなく熱い寝室の空気に溶けた。






目が覚めて身体を起こせば、三蔵がベランダで煙草を吸っていた。
外はすっかり日が暮れ、夜の帷に包まれていた。
常夜灯に照らされる三蔵の背中が酷く遠く感じて、悟空は唇を噛んだ。

いつものように大学に出掛け、アルバイトをこなして戻った自宅の前に居た三蔵。
あれほど焦がれたその姿に何の感慨も湧かなくて、ただ「何故?」と言う疑問と「どうして?」と言う驚きがあっただけだった。

貪るように抱かれて、その熱に溺れても何処か冷めていた自分。
触れて欲しくて涙した三蔵の掌が、指先が辿る全てに快感は感じても心が冷めて行くのを止められなかった。

悟空はベットから降りると、三蔵の背後に立った。

「…さ、んぞ」
「起きたのか」

手すりに煙草を押しつけ消すと、階下へ投げ捨て、三蔵は振り返った。
その仕草に悟空の瞳が揺れる。
悟空の揺らぎに、三蔵は微かに眉を顰めた。

仕事にかこつけて連絡もしなかった。
幼い頃から肉親との縁の薄い悟空が、どれ程寂しい想いをしているか分かっていた。
当然だ。
悟空が生まれた時から見てきたのだ。

悟空の母親が病で死んだ時、悟空は小学校一年生だった。
悟空の父親が事故で死んだ時、悟空は中学の卒業式を翌日に控えていた。
悟空の両親に親類縁者はなく、悟空は文字通り天涯孤独の身の上になった。

そこにつけ込んだのは自分だ。
寄る辺ない身の上の悟空の弱くなった心に、鎖を掛けた。
三蔵無しでは居られないように。
三蔵しかいらないように。

素直に愛情を表せない己のプライドが邪魔をして辛く当たった。
それでも悟空はその綺麗な瞳と一途な気持ちを向けていてくれていた。
が、それも己の思いこみでしかなかったのだろうか。
悟空の身体を久しぶりに抱いて感じる違和感に、三蔵は胸の内がざわめくのを止められなかった。

「…さ、んぞ…いつ、いつ戻ってきたの?」
「一週間前だ」
「そ、なんだ…」
「ああ…」

三蔵の返事に悟空は、唇を噛む。
その姿に三蔵は予感を抱いた。

考えたくもない予感。

「ど、して、連絡くれなかったのさ」
「忙しかったんだよ」

三蔵の返事に、悟空はやはりと、思う。
自分の存在なんて、三蔵にとってはその程度なのかも知れないと、冷めた気持ちが結論付ける。

「…な、んで、ここへ?」
「お前に会うためだろう」
「…うん」
「それに、伝えなきゃならんこともあるしな」

三蔵の言葉に悟空は、小さく肩を揺らした。
見返す金眼が、微かに潤んでいる。

「な…に?」
「向こうで永住することになったんだよ」
「……ぇっ?!」

一瞬、悟空の思考は、真っ白になった。
無意識に見開かれる金眼。
三蔵は思わず悟空の身体を抱きしめようと手を伸ばした。
その手は、悟空が後ろへ下がることで拒絶された。

「悟空?」

困惑する三蔵の声に悟空はゆるゆると頭を振って、立ちすくむ。

「お前も一緒に連れて行く。手続きも終わったしな」
「何の?」
「お前の移住申請と退学手続き。それと引っ越しの手配だ。出発は一週間後だ」

三蔵の一方的な物言いに、悟空はぎゅっと拳を握り締め、大きく息を吐いた。
そして、

「行かない!」

叫んだ。
小刻みに身体を振るわせて、黄金を潤ませて悟空は、拒絶の言葉を叫んだ。
それが、溜め込んでいた激情の引き金を引いた。

「俺、行かない!三蔵と一緒に行かない!」
「何言って…」

悟空の強い拒絶に、三蔵の顔が驚愕に染まる。

「何でも勝手に決めて、俺の気持ちなんて考えもしないで。もう俺を好き勝手にしないでよ!」

ぽろりと、悟空の瞳から透明な雫がこぼれ落ちた。

「どんなに好きでも、どんなに傍にいたくても三蔵は、俺のこと考えてもくれない。何しても俺が三蔵から離れて行かないと思ってる」
「…悟空?」

三蔵の腕が、悟空の身体に再び伸びる。
溢れてくる気持ちを抑えられない悟空を宥めようと、三蔵は腕を伸ばす。
だが、その腕は手酷い拒絶に振り払われた。

「もう、俺に触らないで!」

悟空の拒絶に三蔵の紫暗が、これ以上ないほどに見開かれた。

「俺、三蔵が世界で一番好きだった。何よりも大切だった。でも、三蔵はそうじゃなかった」
「…違う」
「何が?何が違うんだよ!」
「悟空」
「だったら何で連絡をくれないのさ。ほんの一言で良かったんだ。おやすみでも、ただいまでも、名前呼んでくれるだけでも良かったんだ。でも、三蔵はそれすらくれなかった」

悟空のまろい頬を涙が伝い落ちる。
呆然とする三蔵を見上げる金眼は怒りと哀しみに染まって。

「三蔵がそう言うの得意じゃないのも知ってた。でも、言葉は欲しかった。たった一回でも、一言でも。そしたら俺、頑張れたのに…もう…疲れた、よ」

俯く悟空の口元に、苦い笑いが浮かぶ。

「何か言い返しなよ…」

涙に濡れた声に、三蔵の肩が揺れた。

悟空を抱いた時の違和感、そして、胸に咲いた予感。
ここまで自分は悟空を追いつめていたのか。
言われるまで気付かない己の愚鈍さに呆れる。

確かに、何があっても、何をしても悟空が自分の元を離れていかないと思っていた。
いや、信じて───思い込んでいたのだ。
だから、向こうで一緒に暮らすことを悟空も喜ぶと、迷うことなど無かった。

だが、現実はどうだ。

悟空は最早、三蔵と共に在りたいとは思っていない。
当たり前だ。
最後に連絡したのは、年をまたぐほど以前なのだから。
それでも、この綺麗な存在を手放したくなくて、三蔵は今更な言葉を口に上らせた。
だが、それは悟空の泣き濡れた笑顔に遮られた。

「悟空…俺は…」
「…もう、遅いよ、三蔵」

悟空は顔を上げて笑った。
今、三蔵が何を言おうとしたのか、分かってしまったから。
でも、今更その言葉を聞いても、もう気持ちは戻らない。
恋い焦がれ、思い続け、待ち焦がれた気持ちは、擦り切れ、焼き切れてしまったのだから。

「もっと、早くに欲しかったよ…俺…」
「そうか…」
「うん」
「…悟空」
「疲れちゃった…ごめん」
「わかった」

取り乱さない。
喚かない。
詰らない。
手を上げない。

それが、自分に残された道だと、三蔵は思った。
何処までも孤高に立つ唯我独尊の自分のままで、悟空からの別れを受け容れる。

どんなに縋りつきたくても。
どんなに手放したくなくても。

三蔵は震える手を握り締め、深く息を吐いた。
そして、悟空の横をすり抜け、上着を掴むと、玄関に向かった。
擦れ違う悟空に嗅ぎ慣れた三蔵の煙草の匂いが一瞬、纏い付く。

「……三蔵…」

小さく呟けば嗚咽が喉を鳴らす。
玄関で靴を履く気配に続いて、ドアを開ける音が響いた。
その気配に悟空は、三蔵の背中を追いかけたい衝動に駆られて、リビングに飛び出した。
だが、そんな悟空を迎えたのは、ドアの閉まる音だった。

「…さ…んぞ…う…っく」

さようならと、はっきり口に出来なかった。
笑って三蔵を見送ることも出来なかった。
もっと、言いたいことがたくさんあった。
でも、口をついて出たのは三蔵を責める言葉と、自己弁護で。

膝から崩れ折れて、悟空は声を上げて泣いた。


























泣き腫らした顔もそのままに、悟空は金蝉の家の玄関に立っていた。
夜明け前の僅かな時間、悟空が大好きだった紫暗に空が染まる。
悟空は金蝉からもらった鍵を握り締めて、俯いたまま微動だにしなかった。
その姿を昇り始めた太陽の光が染めて行く。

金蝉は徹夜になった仕事が一区切り付いたので、新聞でも読もうと玄関のドアを開け、そのまま暫し、言葉もなく固まった。

「……ご、くう?」

漸く口をついて出た言葉は、目の前に佇む人間の名前だった。
金蝉の少し困惑した声音に、悟空の身体が小さく揺らいだ。

「何かあったのか?」

俯いたまま、顔を上げようともしない悟空の肩に手を触れれば、そのまま悟空の身体は金蝉の腕の中へ倒れ込んできた。

「おい?!」

慌てて受けとめれば、腕の中の悟空からは嗚咽が聞こえてきた。

「おいで」

泣き始めた悟空の肩を抱いて金蝉は、悟空を家の中へ導いた。
そして、居間のソファに座らせ、自分もその横に座る。

「悟空、どうした?」

自分に縋りついて離れようとしない悟空の背中を宥めるように撫でてやる。
それでも悟空の嗚咽は止まらず、金蝉は小さなため息を吐いて、悟空の気持ちが落ち着くのを待つことにした。




悟空と出逢ってかれこれ一年が経つように思う。
出逢ったのは大学の構内だった。
新入生の悟空が広い構内で迷っていたのに偶然行き会わせたのが、そもそもの始まりだった。

大きな蜂蜜色の印象的な黄金の瞳。
幼さの残る小さな容と小柄な身体。
とてもこの春、高校を卒業してきたとは思えない姿に、金蝉の顔は思わず綻んだ。
そんな金蝉に、バカにされたとでも思ったのか、酷く幼い仕草で拗ねたのだ。

「子供だと思ってるんだ」

頬を膨らませてそっぽを向く姿に、金蝉は益々笑いを深めて、酷く悟空を怒らせたのだった。
それから頻繁に逢うようになった。
所属する学部が同じだということも出会う機会が増える要因の一つであっただろう。
だが、そんなことを越えて、金蝉と悟空はよく出逢った。

もともと人なつっこい性格の悟空は、人との付き合いに消極的な金蝉の気持ちを簡単に解かし、周囲の者を驚かせた。
そんな日々の中で、悟空に恋人がいることを知った。
それは金蝉の仕事を手伝っていた時、何となくそう言う流れに話がなって、知った事実だった。
それを知った時、自分でも驚くほどの衝撃を金蝉は受けた。

そして、知る恋人と悟空の関係。

その頃には、もうどうにも悟空を手放す気になれない自分がいて、悟空の全てを欲する強欲な自分がいた。
狂おしいほどの嫉妬と羨望、そして欲望。
それを押し隠し、悟空の切ない相談に耳を傾け、励まして。
想いは溢れた。




居間の閉めたカーテン越しに、朝の陽差しが透けて見えるようになった頃、漸く悟空は、顔を上げた。
その泣き腫らした顔に、金蝉はそっと口付けた。

「落ち着いたか?」

ゆっくりと背中を撫で、悟空の顔を覗き込めば、悟空は小さく頷いた。

「話せるか?」
「………うん」

頷いて、悟空は金蝉の顔を見上げた。

「…三蔵が、戻ってきて…」
「そうか」
「でも、ちっとも嬉しくなくて…抱かれても、気持ちが付いていかなかった」

俯いた項に紅い花を見つけて、金蝉は軽く瞳を眇めた。

「…悟空?」
「…蔵が、向こうに永住することになったって。で、俺も一緒に行くんだって、勝手に移住申請や大学に退学手続きをして、引っ越しの手配まで…」

俯いた顔を再び上げて、悟空は金蝉のシャツを掴んだ。
見上げてくる瞳が、潤んでくる。

「行くんだろ?」

金蝉の言葉に悟空は強く頭を振った。

「行かないのか?」
「行かない。行けないからって…あとはもう、今までの恨み言をぶつけた」
「彼は、何て?」
「…そうかって。それだけ言って、出て行っちゃった」

そう言って、悟空は苦い笑いを浮かべた。

「それからずっと泣いて…昨日の夕方、三蔵から電話があって…元気でいろって……」

涙が溢れた。

「三蔵…行っちゃったんだ。一人で……俺、俺…」

悟空は再び、泣き出した。
その涙に、三蔵をどれ程愛していたかが伺える。
そして、自分から告げた決別を三蔵がすんなり受け容れたことが信じられないのだろう。
あれほどの独占欲と見えにくい愛情で縛ってきた三蔵だから。

金蝉は思う。
それが三蔵なりの決別なのだろう。
プライドの高い、何処か自分と似たところが垣間見える三蔵の優しさなのだろうと。

「悟空…」

金蝉は泣きじゃくる悟空の身体をそっと抱きしめた。











季節は巡り、三蔵との別れが悟空を一つ大人にした。
そして、今、悟空は金蝉と共にある。

恋人と言うにはずいぶんと素っ気ない関係で、友達と言うには濃密な関係。

今はそれでいいとお互いに思っている。
悟空の心に刺さった三蔵という棘が抜けるまで。

その日も近いように感じるのは、自分の欲目だろうか。

そんなことを思わせる愛しい笑顔が、初夏の陽差しに彩られた並木の向こうから手を振った。




end

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