通り雨

西への旅の途中、立ち寄った街でふらりと散歩に出た三蔵と悟空は、その帰り道、急に降り出したにわか雨に、道に覆い被さるように枝を張った椎の木の下へ避難した。

「あぁ…もうちょっとだったのに…」
「お前がぐずぐずしてるからだろうが」
「だって、久しぶりだったからさ…いいじゃんか」
「何が、いいか…」
「ケチっ」
「喧しい」

ぺしんと三蔵は、仄かに濡れた悟空の頭を叩く。

「んだよ…」
「甘えてんじゃねぇよ」
「ちぇっ…」

悟空は木の根元にしゃがんで、そぼ降る雨と道を挟んだその先に見える公園の木々を見つめた。

秋の深まりと共に、静かに色付き始めた木々。
高く遠くなる空。
空気が澄んで、一雨事に衣を着替えて行く季節。

細かな雨粒に濡れる枯れ葉の色に、悟空は柔らかな笑顔の青年を思い出した。

「なあ、笙玄どうしてるかな…」

悟空の突然の呟きに、幹にもたれて煙草を吸いながらぼんやりしていた三蔵の紫暗が見開かれた。
何を突然と、視線を向ければ、悟空は三蔵の返事など期待していないのか、そのまま言葉を紡いで行く。

「…今日って、確か…十月の最後の日だよな。それって笙玄の誕生日じゃん」

秋の一番深くなる時に生まれた人。
優しい色を湛えた鳶色の瞳。
いつの間にか剃髪をしなくなって伸びていた灰色がかった明るい茶色の髪。
何よりその優しい気持ちが大好きだった人。




「笙玄ってさ、秋に生まれたからこんなに優しいんだ」
「いいえ、悟空が私に優しくしてくれるから、私も優しい気持ちで居られるんですよ」
「そっか…な?」
「そうなんですよ」




そう言って笑った顔が本当に嬉しそうで、明るかった。
旅立つことがまだ分からなかった前の年、笙玄の誕生日だとはしゃいで三蔵に怒られた時、笙玄が困ったような、泣きそうな顔をしていたのを思い出す。

どうしてそんな顔をしたのか、その理由を訊きそびれてしまった。
何故か、訊いてはいけない事のようにあの時は思えたのだ。

考えてみればあれほど三蔵と悟空の傍に居た笙玄のことについて、悟空が知っている事はその両手で足りた。

親兄弟が居ないこと。
寺院で大きくなったこと。
きれい好きなこと。
作ってくれるご飯やお菓子が美味しかったこと。
いつでもどんな時も三蔵と悟空の味方だということ。
体術が苦手なこと。
怒ったら恐いこと。

でも、こうして離れてみて思い出すのは笙玄の優しかった事とあの柔らかな笑顔ばかりで。
悟空の口元が自然にほころんでゆく。

「…誕生日、誰かにお祝いして貰ってるかな?…して貰ってると良いな」

見上げた空は、雲が切れて日が差し始めていた。
雨は細い銀糸となってまだ、辺りを濡らしていた。




三蔵もまた悟空のぽつりぽつりと話す、笙玄のことにその顔を思い出して、口元をほころばせた。

紫煙がゆっくりと椎の梢に消えて行く。

勤勉なくせに手抜きを知っていて、真面目なくせにどこか脱線していて、何より真摯に三蔵と悟空に向き合ってくれていた。
いつの間にか、気持ちの中に住みついた八戒や悟浄とは違う人間。

堅苦しい寺院を出て長安から離れ、ひっそりと暮らすことを知らせてきた手紙に、何故か安堵した。
この旅が終わって、無事に帰り着けたら悟空を伴って、あの呆けた顔を見にゆくのも悪くはないと、思ったのはいつだったか。

三蔵はくわえていた煙草を落として踏み消すと、傍らに座り込んでいる悟空の頭を掻き混ぜた。

「…な、何?」

びっくりして振り返った金眼が、差し始めた陽差しに飴色に光る。

「手紙…書いてやれ。きっと喜ぶ」
「えっ…いいの?」
「ああ、待ってるだろうさ」
「うん…ありがと」

三蔵の予期せぬ言葉に悟空は驚き、やがて花ほころぶ笑顔を浮かべた。
その笑顔に三蔵は、微かに口角を上げると、木陰から出た。

「行くぞ」
「うん」

跳ねるように悟空も木陰から飛び出すと、先を歩き始めた三蔵の後を追った。




end

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