何処までも続く砂海原。
照りつける日輪。
乾いた風と蒼天。
崩れ落ちる足下の砂にも似て、気持ちがこぼれ落ちてゆく。

「…痛っ、うぅ……」

噛みしめる口元から漏れ出る声を飲み込んで、悟空は倒れまいと如意棒にしがみつく。
顔を上げれば、倒した妖怪達の屍が砂を赤く染めていた。

「三蔵たちは…?」

周囲を見回すその背後に影が差した。

「!!」

振り返れば、ぎらりと刃が鈍色に光る。
声もなく、反射的に足を振り上げた。
蹴り上げたつま先と一緒に砂が舞い上がり、目つぶしの役割を担う。

交差する影。
繰り出される刃をかわすこともせず、如意棒を相手の身体に突き立てる。
倒れる妖怪に引きずられるように一緒に悟空は倒れた。

「くそったれっ…」

如意棒を引き抜き・・・、結局、そこまでだった。
血塗れた如意棒を支えに起き上がろうとした身体は、言うことをきかなかった。
砂の上に仰向けに寝転がってしまう。
途端、襲ってくる眠気。
ぼやけてくる視界に映る空は雲一つ無い晴天。

「…空、青、い……」

ゆっくりと瞳が隠れる。
身体の下に広がる生命の水を砂が吸い取ってゆく。
風が、危険を知らせに走った。




月ひと夜




冷たい感触に、黄金が開いた。

「気が付いたか」
「…えっ?」

ふわりと、汗に濡れた前髪が払われた。
頬に触れる冷たい濡れた感触。
その冷たさに悟空は、気持ちよさそうな吐息を零した。
三蔵は濡れたタオルでそっと頬を拭い、汗で濡れた首筋を拭いてやった。
そんな三蔵を見つめるはっきりと焦点を結ばない黄金に、三蔵は軽く瞳を眇める。

「…気持ち、いい……」
「そうか」
「んっ…」
「こうしていてやるからもう少し寝てろ」
「あ…うん…」

ゆっくりと息を吐いて、悟空は瞳を閉じた。
冷たいタオルにすり寄るようにして、すぐに柔らかな寝息が聞こえてくる。
その寝息にようやく、三蔵は深い息を吐いたのだった。






闘いが終わってそれぞれが集まってみれば、悟空の姿が見えない。
手分けして探す屍の中にその姿を見つけた時、三蔵は一瞬、息が止まった。
声も上げられず駆け寄れば、砂を赤く染めた悟空はまるで眠っているようだった。
震える手で血の気の失せた白い頬に触れば、仄かに温かい。
微かにその手に触れる吐息が、生きていることを教えてくれていた。

「悟空!」

呼んでも答えはなく、投げ出された四肢が動くこともない。
閉ざされた瞼が黄金の花を咲かせることもなかった。

三蔵は砂にまみれた華奢な身体を抱き上げると、八戒を呼んだ。




「脇腹と背中の傷はなんとか塞ぎましたが、出血量が多いので…」

塞いだ傷口を念入りに消毒し、包帯を巻く。
血だらけの服を着替えさせ、毛布にくるむと、その意識のない身体を三蔵が抱いて、ジープに乗り込んだ。
そして、砂漠の数少ない岩場を見つけ、野営の準備をした。
その間、三蔵は意識のない悟空の身体を膝に抱き、じっと血の気のない幼い寝顔を見つめ続けていた。
その姿に日頃の力強さはなく、失うことをただ恐れる怯えた空気が三蔵を支配していた。

「おい…八戒、大丈夫か?アイツ」

悟浄が岩場にシートで簡易テントを張りながら、三蔵を見やる。

「悟空が気付けば何とかって、感じですかねぇ…」
「まったく、どっちが怪我人かわかりゃしねぇ」
「本当に…でも、悟空が無事で良かったですよ」
「まあ、な…」

八戒は、野営の支度をしながら三蔵に呼ばれた時のことを思う。

白い法衣を朱に染めて、悟空の身体を抱いた三蔵。
自覚がないのだろう、青い顔で悟空を支える手が小刻みに震えていた。

こう言う時、実感する。
三蔵にとっての悟空の存在の重さを。

日頃、サルだ、動物だ、ペットだと邪険に扱っていても、こうやって悟空に何かあるたびに、心配するその態度の端々に悟空を愛しいと思う気持ちが溢れている。
そして、悟空が三蔵を思う以上の気持ちで、三蔵は悟空のことを思っているのだろう。
だから意識のない悟空を看病する姿は、真摯で有りながら何処か痛々しい。



悟空、貴方は本当に愛されていますよ



八戒は悟浄が張ったテントに用意された寝床に悟空を横たえる三蔵を見つめながら、静かな笑顔を浮かべたのだった。












砂漠の夜は冷える。
ありったけの毛布で熱のある悟空の身体を包み、その傍らで三蔵は屋根だけの簡易テントからやたらに大きく見える月を見つめていた。

煌々と冴え渡る月光に照らされる悟空の顔は、生きている気配が感じられず、見つめているのが怖くなったのだ。
傷は深手だが、命に別状はない。
だが、傷からくる発熱で野営前に目覚めて以来、悟空の意識は戻らない。
だから、ふと、思ってしまうのだ。

このまま失ってしまうのではないかと。
血の気の失せた白い顔に浮かぶ苦痛の色に、このまま目覚めずに逝ってしまうのではないかと。



目を開けろ…悟空…



見上げる月の姿に悟空の笑顔が重なって、三蔵は小さく舌打ちを漏らした。

悟空の声が聞けない。
聲が聴こえない。
自分を呼んで笑う姿が見えない。
たったそれだけで、こうも自分が弱くなるとは思いもしなかった。

守らなくてもいい存在。
でも、何より守りたい存在。

手にした瞬間から失うことを恐れる臆病な自分。

「…ざまぁねぇ」

喉を鳴らして己を三蔵は嘲笑った。
と、くいっと法衣の裾が引っ張られた。
その反動に顔を上げれば、悟空が泣きそうな顔で三蔵を見上げていた。

「……起きたのか」

眠っている八戒と悟浄を起こさないように悟空の顔を覗き込めば、悟空の両腕が三蔵に伸ばされた。

「ご、くう…?」

伸ばされた両腕に触れれば、悟空の瞳から一滴、透明な宝石がこぼれ落ちた。

「ごめん…怪我して…」

吐息のような声に、三蔵の瞳が見開かれた。

「…さんぞ…ごめんな」
「悟空……」

三蔵はそのまま悟空の身体を抱きしめた。

「謝るくらいなら怪我なんざするな」
「うん…」

小さく悟空が頷き、三蔵の首に腕を回す。
その温かく柔らかな感触に、悟空が生きていることを三蔵は実感した。
声も立てず、悟空は三蔵の胸に顔を埋めて泣いた。
時折くぐもって聞こえる謝罪の言葉が、悟空の不安を三蔵に伝える。

置いて行かないで…

と。
誰が置いて行けるかと、三蔵は抱きしめる腕に力を込めた。






月が中天を過ぎる頃、悟空はようやく顔を上げた。
いつの間にか三蔵の膝に座り、後ろから抱かれていた。
悟空は三蔵の胸に身体を預けて、晴れ渡った夜空を見上げた。
常よりも大きく見える月の姿に、悟空は一瞬見惚れる。
そして、

「…何か…太陽みてぇ…」

眩しそうに黄金を眇めて、悟空は三蔵を振り返った。
その黄金が月光を反射して、柔らかく光る。

「そう…だな」

頷きながら先程から見つめていた月の姿に、自分を見つめる黄金が重なる。
あれほどこの煌々と照る月光が恨めしかったのが嘘のように、今は、眩しいと感じる。
この手の中に、この存在が息づいているからなのだろうか。



げんきんな…



小さく口角を三蔵は引き揚げた。
悟空は、三蔵の返事にはんなりと笑って、また、月を見上げた。
緩やかな夜風が、悟空の大地路の髪を撫で、三蔵の金糸に口付けを落として吹きすぎて行く。

「…もう…怪我しないからな」

ぽつりと、悟空が呟いた。
それに三蔵は答えず、悟空を抱く腕に微かに力を込めた。
自分を抱く三蔵の腕に加わった力に、悟空の口元は一層綻び、深く穏やかな微笑みの花が咲いた。

三蔵はそっと、悟空の肩に額を付けて、

「二度とするな」

と、小さく呟いた。
そして見上げる月は、澄んだ光で二人を包んでいた。




end




リクエスト:砂漠での戦闘で傷ついた悟空と、それを看病する三蔵。そして砂漠で月を見上げる二人のお話
60000Hit ありがとうございました。
謹んで、樋口妻子様に捧げます。
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