月に還れ (寺院時代)
見上げれば満月を二日程過ぎた月が東の空にあった。
時刻はもう真夜中を過ぎただろうか。
見上げる月は、微かに掛かった雲をその光で照らして、窓辺に座る悟空を見下ろしていた。

三蔵は昨日から仕事で出掛けていない。
帰る予定は明後日と、言い置いていた。
出掛ける前、酷く悟空のことを傍から離したくなさそうにしていた。

秋は大地が悟空を呼ぶ季節だ。
還ってこいと優しい声で囁き、抗いがたい甘い誘いで悟空を誘う。
特に、三蔵の居ないこうした夜は、その誘いが強くなる。
淋しさに揺れる悟空の心を揺さぶってくる。
そのことを三蔵は知っているから、何度も連れて行かれそうになっているから、三蔵は心配なのだ。

「還らないって言ってるのに…」

心配性だと、悟空は苦笑を浮かべた。
そんな悟空の頭をぽんぽんと叩き、三蔵は心配そうな気配を残して出掛けて行った。

それが、昨日のことだった。

「大丈夫なのにね」

窓辺を照らす月光に笑えば、きらきらと悟空の周囲で光が弾け、夜風に髪を撫でられ、悟空はくすぐったそうに笑った。
こんな風な悟空と大地や自然との接触が、三蔵を不安にさせるのだと言うことを、悟空は気付かない。
それは、悟空にとって三蔵と触れ合うこと以上に、自然で、当たり前なことだったから。
だから、還ってこいと、誘われることとは別のことだというのに。

「三蔵の傍にずうっといるって、決めてるのに…信用して欲しいよな」

くすくすと笑い、ふと、悟空は何事かを思い出して、頷いた。

「まるでかぐや姫に出てくるじいちゃんとばあちゃんみたいだ」

自分で言ったことが面白かったのか、悟空はけらけらと笑う。
何が面白いのかと、夜風が悟空の身体にまとわりつくように吹きすぎ、月光が弾けた。

「何の話って?──俺さ、かぐや姫っていう昔話の本を読んだんだ。そのお姫様ってさ、竹から生まれて、あっという間に大人になったんだ。んで、そのお姫様が凄く綺麗で、賢いからお婿さん候補がたくさん来て、結婚を申し込まれるんだ。でも、そのお姫様、めちゃくちゃな難問っていうのを出して、全部断ってしまうんだぜ」

窓枠に頬杖を付いて、悟空は楽しそうに話す。

「で、その理由を訊いたら、月の住人だから地上の人とは結婚できないし、次の満月には月から迎えが来るって泣くんだ。そんで…じいちゃんは国の偉い人に何とか止めてくれっていううんだけど、結局止められないで、お姫様は帰ってちゃうんだ」

そう言って、悟空は一つため息を吐いた。

「大好きな人と離れちゃうなんて、俺ならぜってぇ帰らないけど…な。何で帰らないといけないんだろうな…」

見上げる月に問いかけるように、悟空は首を傾げた。
その様子に月光が笑うように悟空の周囲で弾け、夜風が宥めるように纏い付く。

「…何だよ…もうっ」

夜風と月光のそれに悟空はまろい頬を膨らませて、

「俺はね、大好きな人と無理矢理別れてまで還りたくないの。大好きな人とはずぅっと、一緒にいたいの。だから還らないんだ」

と、胸を張って見せた。
そして、

「…でもさ……いつか…、いつか三蔵と離れることになったら…別れることになったら………その時考えるからさ、それまでは、かぐや姫みたいに迎えに来なくていいからな」

と言って、笑った。
その言葉とその笑顔に、月光と夜風が笑い弾けた。

何時か訪れる日までは─────

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