月 食 (旅の途中)
妖怪達の襲撃を退けて辿り着いた渓谷。
音もなく流れる川とそれを取り巻く岩の壁。
張り出した木々の黒い影。
満月の光に浮かぶそこは、虫の音一つ、鳥や動物の気配すらしない静寂に包まれていた。

「静か…ですね…」

周囲を見渡してぽつりと八戒が呟く。
その呟きに悟浄は肩を竦め、三蔵は夜闇と月光に沈む渓谷を見下ろしていた。

「ちょっと、辺りを見てきます───悟浄…」

三蔵に言葉をかけ、八戒は悟浄と共に、周囲を見聞しに出掛けた。
三蔵は煙草に火を付け、いやに静かな悟空へ視線を投げれば、悟空はじっと空を見上げていた。
その視線を辿って空を見上げた三蔵は、月が欠けていることに気が付いた。
ほぼ満月の月の端が黒く欠けている。

「なあ…月が、欠けてる…」
「ああ」

同じように空を見上げたまま頷けば、

「………なんで?」

そう言って、三蔵を振り返った。
それに空から視線を悟空に移せば、酷く危うい揺らめいた色が金瞳に浮かんでいた。

「月食…だからだろ」

軽く眉を寄せて答えれば、

「ふうん…」

何処か虚ろな声で返事をして、悟空は視線を三蔵から空へ戻した。

「月食……蝕の、日…なんだ…」

三蔵の言葉を繰り返すうつろな表情に、三蔵は眉間の皺を深くした。

「悟空…?」

呼んだ三蔵の声が夜闇に溶けた。











八戒と悟浄が三蔵と悟空の元へ戻ってきた時、三蔵が銃を構え悟空と対峙していた。

「三蔵?悟空?!」

張りつめ、緊張を孕んだ二人の様子に八戒と悟浄の表情が訝しげに翳る。

「どうしたんだ?おめえら」

二人に近づきかけた悟浄の足が止まった。

「誰だ?てめえ…」

悟空の纏う気配に悟浄の気がざわりと沸き立つ。
その悟浄の様子に八戒が警戒した。

「久しいな、沙悟浄」
「お前っ…!」
「まさか…」
「そのまさか、だよ、猪八戒」

いつもの悟空の舌足らずな口調ではなく、大人びた幾分低い声音の返事に構えた二人の目の前に悟空はふわりと地を蹴って降り立ち、楽しそうに笑った。

「蝕の日だからな、今夜は。なあ…玄奘三蔵」

くすくすと楽しげに笑いながら空を指差し、三蔵を振り返った。
それに釣られて悟浄と八戒は三蔵の顔を見て、空を見上げた。

「蝕って…月食!」

そこには赤い月が昏い光を夜空に投げかけていた。

「どういうことですか?」

月から視線を悟空に戻す。
それに三蔵は舌打つと、構えていた銃を懐にしまった。

「三蔵?!」
「撃てぬ銃を構えていても仕方ないか」
「喧しい」

くつくつと喉を鳴らして笑い、悟空は空を見上げた。
満点の星空に浮かぶ赤い月。
昏い翳りを纏った十三夜の月。
その月の光に照らされた悟空は、悟空であって悟空ではなかった。

見た目はいつもの金鈷を嵌めた悟空であるのに、その纏う気配は禍々しくも荘厳で、妖(あやかし)。
それはもう一つの悟空。
彼、であった。

「月食の時にだけ、こうして悟空の意識があっても表面に出られるのさ。神が与えた金鈷があってもこうして意識を保っていられる。月食の間だけな」
「月食の間だけ?」

悟空は薄く笑い、八戒の言葉に頷いた。

「ああ、大地母神の意志か、自然の理か、生まれた時に何かあったのか…我は理由を知らぬ。が、こうして意識を持って、お前達と話す機会があるのは、我には面白いし、気に入っている」

悟空の楽しそうな物言いに、三蔵の瞳が不機嫌に眇められる。

「玄奘三蔵、心配せずとも悟空はちゃんとここにいて、我とお前達との会話を聞いているよ」
「それはまた、えらいサービスだが、それも月食の間だけかよ?」
「そう言うことだ、沙悟浄。が、悟空を哀しませれば、限りではないがな」

そうだろう?と、三蔵の顔を見やって、普段、悟空が絶対に浮かべないであろう昏い愉悦の顔をする。

「そんなことさせませんよ」

悟空の言葉に反論するように八戒が言えば、

「嘘をつく」
「嘘なんか…」
「嘘だよ。猪八戒、お前ではダメだ。玄奘三蔵、お前次第だろ?」

三蔵の表情を伺うように視線を投げて、楽しげにひとしきり笑った後、悟空はすっと、表情を消した。

「あれは脆い。それはお前も知っているだろう?傷付けることは許さない」

ふわりと三蔵の傍らに寄ると、肩に手を置き、その耳元で告げる。

「我はお前が嫌いだ」
「俺もだよ」
「重畳」

ふわりと悟空は満足げな笑顔を浮かべたかと思う間もなく、三蔵の腕の中に落ちてきた。
咄嗟に受け止めた身体はいつもと変わりなく、三蔵の腕の中に収まり、健やかな寝息が聞こえた。

「三蔵?」
「おい?」
「戻った…」

心配げに悟空を見つめる二人の問いかけに答えながら空を見上げれば、明るい満月が見えた。

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