two sides
片手に学生鞄にしているリュック、片手に食パン、スニーカーを突っかけて、少年が広い玄関先を走ってゆく。 「おはよう」 少年は、食べながらも律儀に笑顔まで付けて返事を返す。 「何?」 振り返って青年が指さす方を見れば、リュックの口が下を向いていることに気が付いた。 「あちゃ〜っ」 顔を顰めて呼び止めた青年を見上げ、もう一度顔を顰めた。 「お前ねぇ、鞄の口ぐらいちゃんと締めとけってぇの」 そう言って、拾い集めたものを差し出す。 「ありがと、悟浄」 悟空と呼ばれた少年は悟浄に頷きながらリュックを背負い、食パンの最後の欠片を口に放り込む。 「いってきまぁす」 片手を上げて見送る悟浄に明るく笑って、悟空は駆け出して行った。 「走って行っちゃいましたねぇ」 玄関で出逢った翠の瞳の青年が、戻ってくる悟浄に柔らかな笑顔を向ける。 「元気だよ、ウチの若様は」 くすくすと笑いながら悟浄は長い髪をかき上げた。 ここは傘下の組員を含めると二万人はくだらない構成員を持つ日本有数の暴力団昇竜会竜王組の総本部兼総長の自宅。 この悟空、今年十七になる高校生で、自宅から電車で二駅先の高校に通っている。 今日も今日とて、寝起きの悪い悟空はひとしきり騒いで、登校していった。
朝のラッシュに賑わう電車のホームの喫煙コーナーで、三蔵は愛飲する煙草をくゆらせて、流れる人並みを見つめていた。 「三蔵、おっはよう!」 軽く息を切らせて、悟空が笑った。 「ああ」 ぽんと、悟空の頭を軽く叩くと、ホームに滑り込んでくる電車に乗るべく、三蔵は歩き出した。 入り口の片隅に三蔵に守られるようにして悟空はいた。 「なあ、今日は待っててもいいの?」 悟空が嬉しそうな声を上げて、ガッツポーズをとる。
悟空と知り合って、かれこれ二年になる。
そんなある夜、三蔵は悟空と出逢った。
大地色の髪に印象的な大きな金の瞳、少女と見紛うような容、華奢な身体。 「なあ、姉ちゃん、幾ら出したらおじさんと付き合ってくれる?」 酒臭い息を吹きかけながら下卑た笑いを浮かべた顔を近づけてくる。 「今、援交ってぇの流行ってんだろ。なあ…」 酔っぱらいの手が無遠慮に悟空の腰の辺りをなで回し始めた。 「何だよ、何が可笑しいん…!」 言いかけた言葉は、塞がれた唇に呑まれた。 「何すんだよ!」 言い様に悟空の平手打ちが、目の前の金色の男の頬に飛んだ。 「気に入った。お前は今から俺の女だ」 かっと、男のあまりな言葉に悟空の身体は反射的に回し蹴りを繰り出していた。 「二度はねえよ」 愉しそうに笑う金色の男を悟空は睨み上げると、怒鳴った。 「そうかよ。でもな、俺は男なんだよ」 悟空の言葉に、男の腕の力が緩んだ。 「それ以上、ウチの悟空に何かしたらその綺麗な頭が、風通し良くなりますよ」 嬉しそうに声を上げると悟空は三蔵に銃を向けている黒髪の男と悟空の方に歩み寄ってくる紅い髪の男に嬉しそうに笑いかけた。 「ったく、一人でこんな所うろうろすんなって、いつも言ってるだろーが」 ぽこんと、紅い髪の男が悟空の頭を軽く叩く。 「ご、ごめん…」 しゅんとうなだれる悟空を悟浄は抱き上げると、八戒に目で合図を送った。 「では、一緒に来て頂きましょうね」 穏やかな口調と裏腹に、こめかみに押しつけられた銃には力がこもっていた。 連れて来られた場所は、ビルの裏の空き地で、そこには十人ほどの黒い背広を着た男達が待っていた。 「そこへ」 銃で示された場所に立つと、四方から車のヘッドライトが三蔵に向かって当てられた。 「…あなたは、玄奘三蔵」 八戒の声に三蔵はそちらの方を見るが、ライトの逆光でそのシルエットしか見えない。 「玄奘って、あの玄奘か?」 悟空を抱いた悟浄が八戒を見やる。 「そうです。その跡継ぎがこんな所でいたいけな少年を襲うなんて…僕達だってしませんよ、こんなこと」 呆れたように告げれる言葉に、悟浄は小さく笑って同意を示す。 「てめぇらは何なんだよ?」 にっこり笑う八戒と呼ばれた青年の翠の瞳は、欠片も笑ってはいない。
あれから、二年。 方や学生でヤクザの跡取り、方やサラリーマンだが、巨大コンツェルンの御曹司。 悟空が降りる駅に電車が着く。 「じゃあ、夕方」 悟空がきゅっと、三蔵に抱きついてドアに向かう。 「…バカ」 と、小さく抗議の声を上げ、車外へ吐き出される人並みに飲み込まれて行った。
夕暮れ、いつもより早めに退社した三蔵は、目の前で拉致される悟空の姿を見るはめになった。 鞄を投げ出し、黒塗りの乗用車に押し込められる悟空を取り戻そうと駆け寄った三蔵は、後頭部をしたたかに殴られて気を失った。
ズキズキとした痛みに、三蔵の意識は引きずられるようにして目覚めた。 「…どこだ…?」 呟けば、 「気が付きました?」 と、見知った顔が覗き込んできた。 「八戒…?」 答えて、気が付いた。 「おい、悟空が…」 皆まで言わせず、八戒が目で話すなと、止めてきた。
竜王組総長、金蝉。 三蔵とよく似た容姿の男。 その二人を繋ぐのは、悟空。
三蔵は寝かされていた布団の上に座り直して、金蝉を見つめた。 「総長、奴らは何を言ってきたんです?」 貸し元頭の天蓬が送られてきた強迫状を見つめる金蝉に、問いかける。
玄奘三蔵。 金蝉とよく似た容姿の男。 何を血迷って男に惚れたのか、金蝉には理解できなかったが、悟空が望むのならと目を瞑っている。
「おい、三蔵、悟空を連れ去ったバカ共に見覚えは?」 不意に自分に向けられた言葉に、三蔵はその紫暗を見開く。 「頭を殴られて、忘れてしまったか?」 答えない三蔵に、金蝉が苛ついた声音をぶつける。 「…うるせぇ。顔は忘れてねぇが、見覚えはねぇよ」 三蔵の不遜な態度に金蝉は、口角を軽く上げて笑うと、 「悟空が攫われたのは、お前の責任だ」 金蝉の言葉に傍にいた天蓬が、声を上げる。 「責任、とれ」 金蝉の言葉に色をなす天蓬に、金蝉は楽しそうな笑顔を向ける。 「俺の身代わりだ。フォローは頼むぞ」 その場にいた全員があっけにとられた。 「総長…」 幹部達の困惑をよそに金蝉は楽しそうな笑い声を上げながら、冷えた瞳で、自分を睨みつけている三蔵を見つめていた。
悟空が攫われて二日後、三蔵を金蝉に見立てた一行が、取引場所である港の外れの倉庫街へ車を止めた。 時間通り、相手は悟空を伴って現れた。 「おい、アイツは…」 三蔵の言葉に護衛役で付き従っている八戒が、解説する。 「彼は、表向きは三蔵の会社の常務ですが、本来はうちと勢力を二分する組織の人間です。で、今、李塔天の組織は跡目争いでもめてるんですよ。正妻の息子焔と愛人の息子那托がね。力も人望も焔の方が格段に勝っているのですが、焔をよく思っていない輩もいるんです。その筆頭が李塔天です」 三蔵は八戒の説明を聞きながら、窓から縛り上げられた悟空を見つめていた。 「…で、俺は金蝉の振りをして立ってれば良いんだな?」 三蔵は大きく深呼吸すると、リムジンのドアを開けるように合図を送った。
悟空は縛り上げられたまま、目の前で繰り広げられる取引を言葉もなく見つめていた。 そう、今、目の前で李塔天との取引に来ているのは、父親の金蝉ではない。 三蔵は堅気だ。 「では、悟空をこちらに」 天蓬に化けた八戒が、シマの譲渡書を持って李塔天に近づく。 「悟空の拘束を解いて頂きましょうか」 有無を言わせぬ声音の八戒を睨みつけながら、李塔天は悟空の拘束を解いた。 「天蓬!」 悟空は李塔天を振り切るように八戒の元へ走った。 「悟空!」 悟空の声と八戒の声が重なる。 「若様は、総長と引き替えなんだよ」 ぎりっと、悟空の腕を後ろ手に捻り上げて李塔天が笑う。 「やっぱり、そう出ますか」 八戒は、天蓬の読みが正しかったのを知る。 「悟空、お許しが出ています。存分に暴れてください」 李塔天に腕を捻られて身動きできないはずの悟空が、嬉しそうに笑った。 「やりぃ」 言うなり、身体を捻って李塔天の腕の中から逃れた。 「殺せ!」 銃口が三蔵を狙った。 乱闘が始まった。 三蔵を庇いながら悟浄が動く。
金蝉は、悟空達の乱闘を少し離れた倉庫の影から見つめていた。 それなりに片が付きそうな気配に、傍らの天蓬と捲簾に合図を送った。
李塔天は八戒の手をかいくぐり、三蔵が背にして立つリムジンの傍に来ていた。 それにまず、悟空が気が付いた。 一瞬、全ての動きが止まった。 「総長!」 八戒が叫ぶ。 「動くなよ。動けば総長の命(タマ)はねぇ」 ぎりっと、唇を噛みしめる悟空に、李塔天は勝ち誇ったような笑い顔を向けると、 「悟空、こっちへきな。他の奴らは銃(チャカ)捨てるんだよ」 ぐりぐりと三蔵のこめかみに銃口を押しつける。 「良い子だ。両手を上げてこっちへきな」 そろそろと悟空は三蔵と李塔天の方へ近づく。 と、影が動いた。 本の一瞬、李塔天の注意が逸れた。 三蔵は李塔天の銃を持った腕にしがみつくと、身体ごと覆い被さった。 「三蔵──っ!」 悟空が走った。 「三蔵、三蔵!」 抱える悟空の腕を払いのけて、三蔵は身体を自ら起こした。 「三蔵、さんぞ…」 痛みに顔を顰めながらも、泣きそうに顔を歪めている悟空に三蔵は笑って見せる。
李塔天は、誰も追ってこないことを振り返って確認すると、走る足を止めた。 「なっ…」 あまりのことに固まる李塔天に、 「ウチの可愛い息子が世話になった。それと、焔からの伝言だ。跡目は自分が継いだ。那托は足を洗ったとついさっき連絡が来た。お前の処遇もこちらに一任された。覚悟、しろよ」 そう言って、金蝉は楽しそうに笑った。
三蔵と悟空は、気まずい沈黙の中にいた。 悟空が攫われ、三蔵がケガをした一件以来、二人は顔を合わすことなく日は過ぎ、事件から二週間あまりが過ぎた今日、ようやく二人は顔を合わすこととなった。 三蔵は堅気だ。 恋いこがれて、愛し愛されて幸せすぎて忘れていたのだ。
…ごめんな、三蔵
向かい合って座る三蔵の部屋、初夏の陽ざしがシンプルな三蔵のリビングを明るく照らしている。 三蔵の負ったケガは、銃弾がかすっただけで、大したケガではなかった。 銃弾のかすった焼け付くような痛みを腕に感じながら、自分を見つめ返す悟空の方がケガをしたように見えた。 暗黙に突きつけられた表と裏の二つの世界。
関係ねぇんだよ
三蔵は吸っていた煙草を灰皿に押しつけると、目の前で良からぬ決心を付けている恋人を見つめた。 「悟空、何考えてる?」 びくっと、悟空の肩が微かに震える。 「ふざけた事考えるなよ。いいな」 三蔵の言葉に、悟空ははっとした顔を上げる。 「お前と決めたその時から、覚悟なんざ出来てるんだよ。だから、逃げるなよ」 その命さえ、悟空のためならいらないと、嫣然と笑って見せる三蔵に、悟空は縋りついた。 「…さんぞ、さんぞぉ…」 首にしがみつく悟空の身体を受けとめ、三蔵は続けた。 「くれてやるから、その命、賭けて守れ。いいな」 最大級の愛の告白。 「逃げない。ぜってー逃げない。俺が、守る。うん、さんぞ…うん」 これが俺の恋人。 三蔵はしがみつく悟空の腕を離すと、泣き濡れた顔に口付けを落とし、やがてそれは唇に重なる。
二人が表と裏の世界でその名を知らしめるのは、そう遠い未来ではない。
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リクエスト:パラレルで、ヤクザの跡取り悟空とサラリーマン三蔵のお話 |
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ありがとうございました。 謹んで、そうし様に捧げます。 |
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