two sides




片手に学生鞄にしているリュック、片手に食パン、スニーカーを突っかけて、少年が広い玄関先を走ってゆく。
その少年に、玄関を掃除している年若い男達が、「おはようございます」と頭を下げる。

「おはよう」

少年は、食べながらも律儀に笑顔まで付けて返事を返す。
その少年の後を紅い髪の青年が、リュックからこぼれ落ちたのであろう教科書や弁当を拾いながら追いかけ、ようやく門の手前で少年を捕まえた。

「何?」

振り返って青年が指さす方を見れば、リュックの口が下を向いていることに気が付いた。

「あちゃ〜っ」

顔を顰めて呼び止めた青年を見上げ、もう一度顔を顰めた。

「お前ねぇ、鞄の口ぐらいちゃんと締めとけってぇの」

そう言って、拾い集めたものを差し出す。
少年は、ばつの悪そうな笑顔を浮かべると、持っていた食パンを口にくわえて、青年が差し出したものを今度は落ちないようにきちんとリュックに詰め直す。

「ありがと、悟浄」
「気を付けろよ、悟空」
「わかってるって」

悟空と呼ばれた少年は悟浄に頷きながらリュックを背負い、食パンの最後の欠片を口に放り込む。

「いってきまぁす」
「おお、行ってこい」

片手を上げて見送る悟浄に明るく笑って、悟空は駆け出して行った。
身体の割に大きなリュックを背中で揺らしながら走ってゆく後ろ姿を楽しそうに見送って、悟浄は踵を返した。

「走って行っちゃいましたねぇ」

玄関で出逢った翠の瞳の青年が、戻ってくる悟浄に柔らかな笑顔を向ける。

「元気だよ、ウチの若様は」
「でないと、組内みんなが暗くなります」
「だな」

くすくすと笑いながら悟浄は長い髪をかき上げた。

ここは傘下の組員を含めると二万人はくだらない構成員を持つ日本有数の暴力団昇竜会竜王組の総本部兼総長の自宅。
現総長は、金蝉。
金髪に紫暗の瞳の美丈夫で、その手腕は警察からも一目置かれるほどの存在である。
そして、金蝉には亡き妻との間に一粒種の息子、悟空がいた。

この悟空、今年十七になる高校生で、自宅から電車で二駅先の高校に通っている。
大きな金色の瞳と幼さの色濃く残る容、くるくるとよく変わる表情と人なつっこい性格は、やさぐれ、荒んだ人間達の集団である組の救いであった。
何より、むさ苦しい男達のアイドルであり、宝だった。

今日も今日とて、寝起きの悪い悟空はひとしきり騒いで、登校していった。
















朝のラッシュに賑わう電車のホームの喫煙コーナーで、三蔵は愛飲する煙草をくゆらせて、流れる人並みを見つめていた。
と、紺色のブレザーにエンジ色のネクタイの制服を着た少年が、顔を紅潮させて走ってくるのが見えた。
三蔵は口角を僅かに上げて笑うと、吸っていた煙草をもみ消した。

「三蔵、おっはよう!」

軽く息を切らせて、悟空が笑った。

「ああ」

ぽんと、悟空の頭を軽く叩くと、ホームに滑り込んでくる電車に乗るべく、三蔵は歩き出した。
その後を悟空も追う。
電車のドアが開き、スロットルマシーンから吐き出される金貨のように人間が吐き出され、その後を掃除機に吸い込まれるようにホームにいた人間が吸い込まれてゆく。
三蔵と悟空もその人波に乗って、電車に飲み込まれて行った。

入り口の片隅に三蔵に守られるようにして悟空はいた。

「なあ、今日は待っててもいいの?」
「あ?」
「だぁから、こないだの約束」
「あ、ああ、今日は定時に出られるからかまわん」
「やりぃ!」

悟空が嬉しそうな声を上げて、ガッツポーズをとる。
その様子に、三蔵は小さくため息を吐いた。




悟空と知り合って、かれこれ二年になる。
知り合った当初、三蔵はそれなりにやさぐれていた。
大きすぎる父親の影に、それを許容できない自分に苛立って、おもねるように近づいてくる人間に辟易していた。
そう、自分を取りまく全てが鬱陶しかった。
その憂さを晴らすように夜の繁華街をうろつき、些細なことで喧嘩し、人を傷つけたりしていた。




そんなある夜、三蔵は悟空と出逢った。




大地色の髪に印象的な大きな金の瞳、少女と見紛うような容、華奢な身体。
最初、三蔵は悟空を女の子だと思った。
酔っぱらいに絡まれ、逃げ出せずに路地の隅に追いつめられていたからだ。

「なあ、姉ちゃん、幾ら出したらおじさんと付き合ってくれる?」

酒臭い息を吹きかけながら下卑た笑いを浮かべた顔を近づけてくる。
悟空は精一杯顔を背けて、逃げ出すタイミングを計っていた。

「今、援交ってぇの流行ってんだろ。なあ…」

酔っぱらいの手が無遠慮に悟空の腰の辺りをなで回し始めた。
その感触に鳥肌立った悟空は、タイミングも何も力一杯酔っぱらいの腹に、膝をめり込ませていた。
酔っぱらいは妙な声を一声上げて、その場に伸びてしまった。
肩で息をしながら悟空は後ろの壁に寄りかかって、伸びた酔っぱらいを見下ろしていた。
そこへ、愉しそうな笑い声が聞こえて、振り返った悟空はその金色に一瞬で、虜になった。
だが、自分を見つめる瞳が、人を小馬鹿にしたように笑っている事に気が付くと、悟空はその金色の人間を睨み返した。

「何だよ、何が可笑しいん…!」

言いかけた言葉は、塞がれた唇に呑まれた。
半開きの歯列を割って、ぬるりとなま暖かいモノが侵入してくる。
その感触に悟空は身体を引きつらせる。
構わず男の舌は、悟空の口腔を思う様蹂躙し続け、悟空の膝から力が抜けるまで続いた。
抗うことも忘れ、男の唇が離れてようやく我に返った。

「何すんだよ!」

言い様に悟空の平手打ちが、目の前の金色の男の頬に飛んだ。
澄んだ音が路地に響く。

「気に入った。お前は今から俺の女だ」

かっと、男のあまりな言葉に悟空の身体は反射的に回し蹴りを繰り出していた。
だが、それは難なくかわされ、反対に悟空の身体が力一杯、ビルの壁に叩き付けられた。
したたかにぶつけた背中の痛みに、悟空は呻く。

「二度はねえよ」

愉しそうに笑う金色の男を悟空は睨み上げると、怒鳴った。

「そうかよ。でもな、俺は男なんだよ」
「な、に…?」

悟空の言葉に、男の腕の力が緩んだ。
それを逃さず、悟空は男の腕をすり抜ける。
その腕を掴もうとした三蔵のこめかみに、冷たい固まりが押し当てられた。

「それ以上、ウチの悟空に何かしたらその綺麗な頭が、風通し良くなりますよ」
「八戒、悟浄…」

嬉しそうに声を上げると悟空は三蔵に銃を向けている黒髪の男と悟空の方に歩み寄ってくる紅い髪の男に嬉しそうに笑いかけた。

「ったく、一人でこんな所うろうろすんなって、いつも言ってるだろーが」

ぽこんと、紅い髪の男が悟空の頭を軽く叩く。

「ご、ごめん…」
「よし」

しゅんとうなだれる悟空を悟浄は抱き上げると、八戒に目で合図を送った。

「では、一緒に来て頂きましょうね」

穏やかな口調と裏腹に、こめかみに押しつけられた銃には力がこもっていた。
三蔵は軽く両手を上げて黙って、この男達に従うことにした。

連れて来られた場所は、ビルの裏の空き地で、そこには十人ほどの黒い背広を着た男達が待っていた。

「そこへ」

銃で示された場所に立つと、四方から車のヘッドライトが三蔵に向かって当てられた。
その光に金糸が豪奢な光を放つ。
光に浮かんだ予想外に美しい三蔵の美貌に、周囲から感嘆の口笛や歓声が漏れた。

「…あなたは、玄奘三蔵」
「何だと?」

八戒の声に三蔵はそちらの方を見るが、ライトの逆光でそのシルエットしか見えない。

「玄奘って、あの玄奘か?」

悟空を抱いた悟浄が八戒を見やる。

「そうです。その跡継ぎがこんな所でいたいけな少年を襲うなんて…僕達だってしませんよ、こんなこと」

呆れたように告げれる言葉に、悟浄は小さく笑って同意を示す。

「てめぇらは何なんだよ?」
「この界隈の顔役ってところでしょうか」

にっこり笑う八戒と呼ばれた青年の翠の瞳は、欠片も笑ってはいない。
悟空は悟浄の腕の中で、ライトに照らされた三蔵に綺麗な姿に見惚れていた。




あれから、二年。
悟空は今、三蔵の傍に恋人としている。

方や学生でヤクザの跡取り、方やサラリーマンだが、巨大コンツェルンの御曹司。
身分も社会的立場も全く相容れない二人だったが、お互いを思う気持ちは純粋なモノだった。

悟空が降りる駅に電車が着く。

「じゃあ、夕方」

悟空がきゅっと、三蔵に抱きついてドアに向かう。
その腕を取って、三蔵は素早くかすめ取るように口付けた。
途端、熟れたトマトみたいに顔を赤く染めて悟空は、

「…バカ」

と、小さく抗議の声を上げ、車外へ吐き出される人並みに飲み込まれて行った。





















夕暮れ、いつもより早めに退社した三蔵は、目の前で拉致される悟空の姿を見るはめになった。

鞄を投げ出し、黒塗りの乗用車に押し込められる悟空を取り戻そうと駆け寄った三蔵は、後頭部をしたたかに殴られて気を失った。
意識が闇に呑まれる寸前、泣きそうな顔で三蔵の名前を呼んでいた悟空の姿を見た気がした。




ズキズキとした痛みに、三蔵の意識は引きずられるようにして目覚めた。
ぼうっとした視界がハッキリした時、目に映った天井は見知らぬモノだった。

「…どこだ…?」

呟けば、

「気が付きました?」

と、見知った顔が覗き込んできた。

「八戒…?」
「はい。頭、痛みます?」
「割れそうだ」

答えて、気が付いた。
そうだ、悟空が攫われたのだ。
がばっと、突然身体を起こした三蔵に、傍に居た八戒はびっくりした。

「おい、悟空が…」

皆まで言わせず、八戒が目で話すなと、止めてきた。
その表情に怪訝な顔を向けると、僅かに顎で自分の背後を示した。
それにつられるように視線を向ければ、そこに組の最上層の幹部が揃っていた。
その中心に悟空の父親、金蝉の姿があった。



竜王組総長、金蝉。

三蔵とよく似た容姿の男。
だが、金蝉は頭の先までどっぷりと裏の世界に染まった人間。
三蔵は裏の世界を一瞬、覗いただけの一般人。

その二人を繋ぐのは、悟空。
愛しい小猿だ。



三蔵は寝かされていた布団の上に座り直して、金蝉を見つめた。

「総長、奴らは何を言ってきたんです?」

貸し元頭の天蓬が送られてきた強迫状を見つめる金蝉に、問いかける。
金蝉は何も言わずにその脅迫状を天蓬に差し出すと、顔を上げた。
その視線の先に、三蔵がいた。



玄奘三蔵。

金蝉とよく似た容姿の男。
悟空の思い人。
いや、可愛い息子の恋人。

何を血迷って男に惚れたのか、金蝉には理解できなかったが、悟空が望むのならと目を瞑っている。
だが、悟空は望むと望まざるとに関わらず、いずれは自分と同じ裏の世界にその身を染めて行かねばならない。
三蔵は無条件に光の中を歩く将来が待っている。
お互いに背負うモノは同じだろうが、その重さ、危険の度合いは自ずと違ってくる。
いずれ、一緒にいられないと気付いてくれることを密かに願っている金蝉だった。



「おい、三蔵、悟空を連れ去ったバカ共に見覚えは?」

不意に自分に向けられた言葉に、三蔵はその紫暗を見開く。

「頭を殴られて、忘れてしまったか?」

答えない三蔵に、金蝉が苛ついた声音をぶつける。

「…うるせぇ。顔は忘れてねぇが、見覚えはねぇよ」
「わかった」

三蔵の不遜な態度に金蝉は、口角を軽く上げて笑うと、

「悟空が攫われたのは、お前の責任だ」
「総長!」
「な、に?」

金蝉の言葉に傍にいた天蓬が、声を上げる。
三蔵は地を這うような声音を返す。

「責任、とれ」
「何を仰っているんですか。三蔵は堅気なんですよ」

金蝉の言葉に色をなす天蓬に、金蝉は楽しそうな笑顔を向ける。

「俺の身代わりだ。フォローは頼むぞ」

その場にいた全員があっけにとられた。
確かに、三蔵と金蝉は似ている。
だが、似ているのはその容姿で、背格好ではない。
そう、金蝉は三蔵より十センチ近く背が高いのだ。

「総長…」
「恋人が助けに行った方が悟空も嬉しいだろう?」

幹部達の困惑をよそに金蝉は楽しそうな笑い声を上げながら、冷えた瞳で、自分を睨みつけている三蔵を見つめていた。





















悟空が攫われて二日後、三蔵を金蝉に見立てた一行が、取引場所である港の外れの倉庫街へ車を止めた。

時間通り、相手は悟空を伴って現れた。
リムジンの車内から悟空の側に立つにやけた男を見て、三蔵は瞳を眇めた。

「おい、アイツは…」
「ええ、三蔵の会社の常務、李塔天ですよ」

三蔵の言葉に護衛役で付き従っている八戒が、解説する。

「彼は、表向きは三蔵の会社の常務ですが、本来はうちと勢力を二分する組織の人間です。で、今、李塔天の組織は跡目争いでもめてるんですよ。正妻の息子焔と愛人の息子那托がね。力も人望も焔の方が格段に勝っているのですが、焔をよく思っていない輩もいるんです。その筆頭が李塔天です」
「それが何で、悟空を攫うことと関係がある?てめぇの家の中のごたごただぞ」
「うちの悟空は総長の宝物。いえ、昇竜会二万の構成員の宝なんです。その悟空を人質に勢力拡大を狙って来てるんですよ。丁度、うちと李塔天の組とでシマ争いをしていますんで、そこを譲れと、そして総長が引き取りに来いと、ふざけたことを言ってきたんですよ」

三蔵は八戒の説明を聞きながら、窓から縛り上げられた悟空を見つめていた。

「…で、俺は金蝉の振りをして立ってれば良いんだな?」
「はい。総長の容姿は有名ですが、背格好までは組内ではない人間は知りませんよ」
「わかった」

三蔵は大きく深呼吸すると、リムジンのドアを開けるように合図を送った。










悟空は縛り上げられたまま、目の前で繰り広げられる取引を言葉もなく見つめていた。

そう、今、目の前で李塔天との取引に来ているのは、父親の金蝉ではない。
大切な、大切な三蔵なのだ。

三蔵は堅気だ。
こんなことに巻き込んでは絶対にいけない人間ではないか。
それが、父親の替え玉になりすまして今、目の前にいる。
冗談ではなかった。
だが、今ここで三蔵の名前を呼べば、三蔵の命は危険に曝される。
悟空はその緊張に、目眩を覚えた。

「では、悟空をこちらに」
「譲渡書と同時交換だ」

天蓬に化けた八戒が、シマの譲渡書を持って李塔天に近づく。
李塔天も悟空を引きずるようにして、歩みを進めた。
李塔天と八戒が対峙した。

「悟空の拘束を解いて頂きましょうか」

有無を言わせぬ声音の八戒を睨みつけながら、李塔天は悟空の拘束を解いた。

「天蓬!」

悟空は李塔天を振り切るように八戒の元へ走った。
その腕を李塔天が捕まえる。

「悟空!」
「離せ!」

悟空の声と八戒の声が重なる。

「若様は、総長と引き替えなんだよ」
「何ですって?」

ぎりっと、悟空の腕を後ろ手に捻り上げて李塔天が笑う。
そして、李塔天の部下達がリムジンの側に立つ三蔵と捲簾に化けた悟浄を取り囲んだ。

「やっぱり、そう出ますか」

八戒は、天蓬の読みが正しかったのを知る。
だが、この事態も計算の内だと、小さく笑うと悟空に言った。

「悟空、お許しが出ています。存分に暴れてください」

李塔天に腕を捻られて身動きできないはずの悟空が、嬉しそうに笑った。
そして、

「やりぃ」

言うなり、身体を捻って李塔天の腕の中から逃れた。
間髪入れず、李塔天が叫ぶ。

「殺せ!」

銃口が三蔵を狙った。
引き金が引かれるその一瞬、悟浄が動いた。
逸れる弾道と上がる悲鳴。

乱闘が始まった。

三蔵を庇いながら悟浄が動く。
八戒は一直線に李塔天に挑む。
悟空は殴りかかってくる奴らを蹴倒しながら、三蔵の元へ走った。
三蔵は、悟浄に庇われながらもしなやかな動きで掴みかかってくる奴らの手を逃れていた。




金蝉は、悟空達の乱闘を少し離れた倉庫の影から見つめていた。

それなりに片が付きそうな気配に、傍らの天蓬と捲簾に合図を送った。
一斉にそこここに潜んでいた手勢が動き出す。
それを見届けて、金蝉も動いた。




李塔天は八戒の手をかいくぐり、三蔵が背にして立つリムジンの傍に来ていた。
振り返れば三蔵が化けた金蝉が一人になっている。
懐の銃を取り出すと、李塔天は乱闘に気を取られている三蔵の背後に回り込み、三蔵を押さえ込むことに成功した。

それにまず、悟空が気が付いた。
ついで、八戒と悟浄。
動き出していた天蓬と捲簾。
そして、金蝉。

一瞬、全ての動きが止まった。

「総長!」

八戒が叫ぶ。

「動くなよ。動けば総長の命(タマ)はねぇ」
「…李塔天」

ぎりっと、唇を噛みしめる悟空に、李塔天は勝ち誇ったような笑い顔を向けると、

「悟空、こっちへきな。他の奴らは銃(チャカ)捨てるんだよ」

ぐりぐりと三蔵のこめかみに銃口を押しつける。
動こうとする悟浄を目で止めて、悟空は李塔天と三蔵の元へ向かって歩き始めた。
それに連れて、竜王組の銃が投げられる。

「良い子だ。両手を上げてこっちへきな」

そろそろと悟空は三蔵と李塔天の方へ近づく。
その金眼は、三蔵の顔に注がれていた。
まっすぐな視線。
受けとめる三蔵の紫暗もまた、近づいてくる悟空に注がれていた。

と、影が動いた。

本の一瞬、李塔天の注意が逸れた。
それで十分だった。

三蔵は李塔天の銃を持った腕にしがみつくと、身体ごと覆い被さった。
同時に上がる李塔天の罵声とくぐもった銃声。

「三蔵──っ!」

悟空が走った。
李塔天は覆い被さった三蔵の身体を払いのけると、逃げ出した。
それに構わず、悟空は三蔵の元へ駆け寄り、崩れ折れた三蔵を抱き起こした。

「三蔵、三蔵!」
「…う、うるせぇ…」

抱える悟空の腕を払いのけて、三蔵は身体を自ら起こした。
白いスーツの腕が、赤く染まっていた。

「三蔵、さんぞ…」
「大丈夫だよ、泣くな…」

痛みに顔を顰めながらも、泣きそうに顔を歪めている悟空に三蔵は笑って見せる。
そんな三蔵に悟空は、言葉もなく抱きつくのだった。






李塔天は、誰も追ってこないことを振り返って確認すると、走る足を止めた。
膝に手を突いて、上がった息を整えていると、不意に影が差した。
驚いて顔を上げれば、そこに竜王組の幹部が総長の金蝉を中心に立っていた。

「なっ…」

あまりのことに固まる李塔天に、

「ウチの可愛い息子が世話になった。それと、焔からの伝言だ。跡目は自分が継いだ。那托は足を洗ったとついさっき連絡が来た。お前の処遇もこちらに一任された。覚悟、しろよ」

そう言って、金蝉は楽しそうに笑った。
李塔天はがっくり膝を着くと、その場に力無く座り込んでしまった。





















三蔵と悟空は、気まずい沈黙の中にいた。

悟空が攫われ、三蔵がケガをした一件以来、二人は顔を合わすことなく日は過ぎ、事件から二週間あまりが過ぎた今日、ようやく二人は顔を合わすこととなった。
だが、先の一件が悟空の中に消えない蟠りを生んでしまっていた。

三蔵は堅気だ。
それが、父親の勝手で巻き込んで、あげくにケガまで負わせたのだ。
わかっていたはずだったことが、実際の所、全く自分には理解できていなかったと言うことだったのだ。
自分はどう逆立ちしても裏の世界からは抜けられない。
だが、三蔵は違う。
関わらなくても生きていける明るい世界の人間なのだ。

恋いこがれて、愛し愛されて幸せすぎて忘れていたのだ。
自分の傍にいれば、危険な目に合うということを。
ここに至って、ようやく悟空は何故、金蝉が三蔵を巻き込んだか、その理由に思い至った。



…ごめんな、三蔵



向かい合って座る三蔵の部屋、初夏の陽ざしがシンプルな三蔵のリビングを明るく照らしている。
そんな外の景色とは裏腹に、悟空の気持ちは暗く、三蔵の気は重たかった。

三蔵の負ったケガは、銃弾がかすっただけで、大したケガではなかった。
あの状況、放っておけば確実に悟空に危害が及んでいた。
そんなことをさせるわけにはいかなかった。
そう思った時には、既に身体は動いていた。

銃弾のかすった焼け付くような痛みを腕に感じながら、自分を見つめ返す悟空の方がケガをしたように見えた。
そして、知る。
悟空の側に居れば、この先、こういう事に何度でも好むと好まざるに関わらず巻き込まれるだろうことに。
だからどうだというのだ。
そんなことは悟空と出逢ったその時から、知っている。
悟空を自分の伴侶だと決めたその時、覚悟も付けた。
今更、逃げ出すような馬鹿なマネはできはしないし、するつもりもなかった。

暗黙に突きつけられた表と裏の二つの世界。
その両端に立つ自分達の立場を。



関係ねぇんだよ



三蔵は吸っていた煙草を灰皿に押しつけると、目の前で良からぬ決心を付けている恋人を見つめた。
そして、わからないようにため息を吐くと、その想いを口にのせた。
最初で、最後だと思いながら。

「悟空、何考えてる?」

びくっと、悟空の肩が微かに震える。

「ふざけた事考えるなよ。いいな」

三蔵の言葉に、悟空ははっとした顔を上げる。

「お前と決めたその時から、覚悟なんざ出来てるんだよ。だから、逃げるなよ」
「でも…」
「お前だから、俺は決めたんだ。お前だから傍に居てやるし、側に置くんだよ。立場も何も関係ねぇ」
「でも、三蔵…」
「必要(いる)なら、いつでもやるよ。お前のためなら惜しかねぇぞ」

その命さえ、悟空のためならいらないと、嫣然と笑って見せる三蔵に、悟空は縋りついた。

「…さんぞ、さんぞぉ…」

首にしがみつく悟空の身体を受けとめ、三蔵は続けた。

「くれてやるから、その命、賭けて守れ。いいな」
「うん…うん…」

最大級の愛の告白。
この命、賭けて、傍に。
この命、尽きても尚、その傍らに。

「逃げない。ぜってー逃げない。俺が、守る。うん、さんぞ…うん」

これが俺の恋人。
この人が俺の大切な人。

三蔵はしがみつく悟空の腕を離すと、泣き濡れた顔に口付けを落とし、やがてそれは唇に重なる。
お互いを確かめるように何度もその唇を重ねた。






二人が表と裏の世界でその名を知らしめるのは、そう遠い未来ではない。
が、それはまた、別の話。




end




リクエスト:パラレルで、ヤクザの跡取り悟空とサラリーマン三蔵のお話
50000 Hit ありがとうございました。
謹んで、そうし様に捧げます。
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