心を込めて貴方のために

誰よりも大切な貴方のために



悟空のチョコレート
以外にこの時期、公務が暇な三蔵は、最近日暮れと共に仕事を切り上げていた。

休める時に休んでおかないと、忙しい間の体調維持が難しくなる。
それに、もうすぐ節句の行事もあれば、釈迦の誕生日も控えている。
月が変われば、馬車馬のように働かさせるのだ。
わかっているからこそ、三蔵は早々に仕事を切り上げては、悟空を構ってやっていた。
忙しくなれば寂しい想いをさせるとわかっているから。

今日もいつも通り日暮れと共に寝所へ戻ってきた三蔵を、目眩を覚えるほどの甘い匂いが出迎えた。
思わず三蔵は袖で口と鼻を覆うと、窓を全開にした。
途端、冷たい空気が暖かな部屋の空気と入れ替わり、瞬く間に甘い匂いが運び去られる。
それでも微かに残る匂いに、顔を顰めていると、悟空が白い花びらの形をした器を持って、厨から出てきた。

「あ、さんぞ、おかえりー」

窓辺に立つ三蔵を見つけて、悟空は嬉しい声を上げた。
そして三蔵に近づくと、手に持った器を嬉しそうに差し出した。

「これ、俺が一人で作ったんだ」

目の前に差し出された器の中を三蔵は、恐る恐る見やった。
そこにはチョコレート・・・多分、部屋に充満していた臭いから察するにチョコレートを作ったのだろうことは理解できたが、差し出された器の中身は、どう贔屓目に見ても泥団子にしか見えなかった。
まじまじと、返事もせずに器を見つめる三蔵に、悟空は訝しげな視線を投げた。

「どうかした?」

などと、小首を傾げて訊いてみる。
途端、三蔵の肩が大きく揺れ、器を見つめていた三蔵の視線が悟空に移った。

「…おい、これは…何だ?」

聞きたくないが、聞かずにはいられないとでも言うような声音で、三蔵が悟空に訊く。
訊きながら、三蔵は自分の顔が今、青ざめてないことを切に祈った。

「チョコレート。んでぇ…トリフって言うんだぜ」

よくぞ訊いてくれましたと、悟空が胸を張る。
その様子に、以前、お吸い物と称するドロドロしたゲル状の物体を食べたことを三蔵は、思い出した。
あの時は、確かしばらく何も食べ物を受け付けなくなって、何キロか痩せて、酷い目にあった。
だから、今回、その同じ鉄は踏みたくない。
より慎重に、より穏便に、できれば食べずにすませたい。

「そ、そうか。で、何でチョコレートなんぞ作ったんだ?」

無意識に後退りながら、三蔵は身体を支えるべく窓枠に手をかけた。
三蔵の心の内など知るよしもなく無邪気に笑うと、聞きかじりであろう知識を悟空は話し始めた。

「えっと、今日は好きな人にチョコレートをあげる日なんだって。何であげるかって言うと、自分の気持ちを知ってもらう為なんだって。そんで、俺の好きな人って三蔵と笙玄だけど、笙玄は本当に好きな人に想いを込めてあげるんですよって、教えてくれたから…えっと…」

器を抱き込むようにして考える。
その姿が酷く幼くて、無邪気で、三蔵は知らずに愛しげに目元をほころばせた。

「…あ、そうそう、俺の一番好きなのは三蔵だから、三蔵にチョコもらって欲しかったんだ。でも、俺、チョコを買うお金なんてねえからどうしようかって、笙玄に相談したらお菓子の材料のチョコを出してくれて、作り方を教えてくれたんだ。そんで、いっぱい練習して、今日は一人で作ったんだ」

と。
だから、絶対三蔵に食べて欲しいと、輝くような笑顔を浮かべた。
三蔵は悟空の言葉に一瞬、天を仰いだが、ここ最近の笙玄の様子がおかしかった理由にようやく納得する。
自分を犠牲にして、悟空を鍛えてくれていたらしい。



すまん、笙玄…



三蔵はそっと、今日は気分がどうしても優れないと朝から休んでいる笙玄に、心の内で手を合わす。



お前の尊い犠牲は、無駄にはしない。



などと、青ざめた笙玄の今朝の顔を思い出して、語りかける三蔵だった。






「…大丈夫なんだろうな」

それでも胸の内にくすぶる不安のために思わず口をついて出た三蔵の言葉に、悟空はぷうっと頬を膨らませた。

「ひっでぇ…ちゃんと、美味しくできてる。笙玄も美味しいって、言ってくれたもん」
「どうだか…」
「じ、自分でも味見したもん。ちゃんと美味しかった!」

むうっと、口を尖らせて三蔵を睨み上げる黄金の円らに、透明な山が盛り上がってくる。
今にも泣きそうな悟空の顔に、三蔵は諦めきったため息をそっと、吐いた。

そう、こうなった悟空に自分は逆らえない。
お強請りモード全開の悟空よりも泣き顔の悟空の方が、質が悪い。
三蔵の罪悪感を直撃してくるのだ。
例え、悟空自身が悪くても、当然三蔵が悪くても、最後には必ず三蔵が悪者になっている。
と言うか、悟空の機嫌をとっているのだ。



何で俺が…



などと、悪態を吐きながらもだ。
自分らしくないと、自覚していてもどうにもならないことだった。
だから、当然、今回も三蔵は悟空の機嫌を取る行動を取ってしまうのだった。






ほら、気持ちとは正反対に、手が悟空の抱える器に伸びる。






そして、見るからに泥団子のチョコレートをつまむと、えいやあっと、口に三蔵は入れた。






途端、甘い味が口の中一杯に広がった。
それは、見た目を完全に裏切る味だった。

「うめえじゃねえか」

食べきって、三蔵はそう言いながら悟空の頭を掻き混ぜた。

「……ホント、に?」
「ああ…」
「よかった…さんぞ」

ほうっと、息を吐き、幸せそうな笑顔を悟空は浮かべた。
その笑顔に、三蔵は薄く口元をほころばすと、悟空の頬に口付けた。
瞬間、真っ赤に悟空の顔がゆであがる。

「さ、さ、さ、さんぞ…?」

わたわたと狼狽える悟空に小さな笑い声を上げながら、三蔵はチョコレートの入った器ごと悟空を緩く抱きしめると、今度はその唇にそっと、口付けた。






甘い甘いチョコレートの香りを腕に抱いて。




end

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