笙玄にはお父さん、お母さんがいない。
小さい時に別れちゃって、お寺で育てられたんだって。
それ、三蔵と一緒だって気が付いた。

笙玄を育ててくれた和尚さんは結構年取ったお爺さんで、その人も最近病気で死んじゃって、もういないんだって。
これも、三蔵と一緒。

そんな話をおやつを食べながら笙玄としてたら、三蔵のことを育ててくれた人ってどんな人か気になりだした。

「光明三蔵法師様と仰るそれは穏やかで、お優しいお方だったと伺っています」

そう、笙玄も言ってたから。




visage




ぽっかりと仕事の空いた珍しい休日、悟空は三蔵に、かねてから疑問に思っていたいたことを訊いてみることにした。

「なあ、さんぞ」
「……ん…」
「お茶持ってきた」
「…ああ」

日の当たる床にクッションを敷いて座り込み、三蔵は本を読んでいた。
その傍らに盆に載せた湯飲みを置いて、悟空も座り込んだ。

「あのな、さんぞ、俺な…」

話しかけた言葉を止めると、悟空は三蔵と本の間に身体をねじ込むようにして、三蔵の膝に座った。
途端、むっとして苛ついた声が返る。

「何しやがる、サル」

膝に座ってにこにこ笑う悟空の顔を三蔵は、睨みつけた。

「いいの。俺、三蔵に訊きたいことがあるから」
「何だと…」

三蔵の興味が本から自分に移ったことを知って、悟空の笑みが一段と深くなる。
その笑顔を不機嫌この上ない顔で睨みながら、結局、このサルの言う通りにさせてしまう自分の甘さを三蔵は呪わずにはいられなかった。

三蔵は本を床に置くと、これ見よがしにため息を吐く。
そして、

「何が訊きてぇんだ」

と。
その言葉に悟空は、小首を傾げるようにして疑問を口にした。

「三蔵を育ててくれた光明三蔵法師って、どんな人だったのさ?」

どうせたわいもない事だと思っていた三蔵は、悟空の問いに瞳を大きく見開いた。
その顔に「何故だ」とでも書かれていたのか、三蔵が訊く前に悟空は答えた。

「この間さ、笙玄のお父さんやお母さん、それにえっと、お師匠様って言う人のことを話してて、じゃあ、三蔵のお師匠様って?どんな人?って気になったから。それに笙玄が、三蔵のお師匠様は、穏やかで優しいって言ってたから」
「そうか…」

悟空の話を聞きながら、三蔵は光明の穏やかな笑顔を思い出していた。




───強くおありなさい、玄奘三蔵。




誰よりも大切だった。




───声が、聴こえたんです。




優しくて、暖かくて、不思議な人。

いつも草庵の縁側で空を見上げていたり、隠れて子供のように煙草を吸っていた。




───人様にお話することなんて、何もないですねえ…




未熟な俺に三蔵法師を譲り、その命を賭けて守ってくれた。

何よりも守りたかった。

雨音と赤い色に染まった部屋───




「…ぞ、さ、んぞ!三蔵ってば!」

物思いにはまりこんでしまった三蔵を悟空は、呼んだ。
目の前の紫暗の霞が晴れて行く。

「…あ、ああ」

軽く首を振って、三蔵は我に返った。

「大丈夫か?俺、なんか変なこと訊いたのか?」

膝に座っていることですぐ目の前にある悟空の金眼が、不安に揺らめいている。
三蔵は何でもないと、軽く悟空の頭を掻き混ぜ、安心させてやった。

「俺を育ててくれたお師匠様…光明三蔵は、お優しい方だった……











いつも穏やかな笑顔を浮かべてお出でだった。
お忙しい中で、寺の中で一番年下で、養い子の俺のことをよく気にかけてくださった。

物心付いて、あの方がとても偉い人だと教えられ、それまでの呼び名を変えさせられた時、酷く残念がってお出でだった。

「もう、お父さんと呼んでくれないのですね…」




川から拾い上げられた日を俺のもう一度生まれた日だと決めて、

「お誕生日おめでとう、江流」

そう言って、手ずから菓子を下さったり、頭を撫でて下さったりした。
俺は、それが嬉しくて、その日は一日何を言われても、何があっても幸せな気分で居られた。




俺は仏門に入る気はさらさら無かったが、寺にいる以上は小坊主共と同じように修行をさせられた。
だが、それもあの方の側に居るためだと思えば、何ほどのこともなかった。

三蔵法師としてのあの方は忙しく、時に何ヶ月も寺を留守にされることもあったから一緒にいられる時間は僅かだったが、俺にはそれで十分満ち足りていた。

時折、

「もっと、甘えてくれないと拗ねちゃいますよ」

と言って、人前で俺を抱きしめたり、抱き上げたりなさって、そういう時のあの方の嬉しそうなお顔と言ったら…











くすくすと思い出しては笑いながら、三蔵は悟空に語るともなしに光明三蔵のことを話した。

その横顔は、いつもの険が取れて嬉しそうで、幸せそうで、悟空の胸は複雑な色に染まった。
そんな顔の三蔵なんて、今まで一度も見たことが無かったから。

自分に向けてくれる三蔵の表情は、柔らかくはあったが、これほどに幸せそうなことはなかった。

思えば、本当に光明三蔵という人は、三蔵にとってかけがえのない大切な人だったのだと。
自分は役立たずで、三蔵に迷惑をかけてばかりで良い所など何一つ思い浮かばない。

三蔵の話を聞きながら次第に落ち込んでしまった悟空は、ふいっと三蔵から視線を逸らして、小さくため息を吐いた。
そして、もう一度三蔵の顔を見ると、紫暗の宝石が自分の顔を見つめていることに気が付いた。

「な、何…?」

そのまっすぐな三蔵の視線に、悟空は何とはなしに落ち着かなくなり、三蔵の膝から降りようと後ずさった。
その腕を掴まれて、悟空の心臓はどきどきと早鐘のように脈打つ。

「さ、さんぞ…あ、あ、あの…」

顔が熱くなるのを止められず、うつむいてしまう。
と、

「よけいなことを考えてんじゃねぇぞ、サル」

三蔵の少し呆れた声が、悟空に投げられた。

「えっ?」

思わず顔を上げれば、いつになく優しい色に染まった紫暗の瞳と、ちょっと呆れたような表情を浮かべた三蔵の顔があった。

「お前はお前。お師匠はお師匠。今、俺の傍に居るのは誰だ?」
「……俺…?」
「だな…」
「さ、んぞ…」
「不服か?」

さっさと答えろと、見返す瞳に悟空は大きく首を横に振った。

「ならいいじゃねえか。無い頭でいらん事考えるな」

そう言うと、掴んでいた悟空の腕を離し、三蔵はお茶のお代わりを入れてこいと命じた。
悟空は三蔵の言葉がまだちゃんと胸に納まらないのか、ギクシャクと頷いた。
その途端、小さな声を上げると、悟空は三蔵の首に飛びついた。

「さんぞ、さんぞ、さんぞぉ…」

ぐりぐりと顔を三蔵の肩にこすりつけ、悟空は顔を上げると、

「お茶入れてくんな!」

そう言って、三蔵から離れると、厨に走って行った。






光明三蔵は、誰よりも大切な人だった。

親に捨てられて、川に流された生きることを否定された自分に、生きることを許してくれた。
知らぬ愛情をほんの少しではあったけれど、教えてくれた。
暖かさと厳しさと優しさを示してくれた。






その全てを失ったあの日。
世界が暗闇に閉ざされた。






その暗闇に閉ざされた世界を拓いたのは──────






今は何よりも手放せない金色の宝石。
そのぬくもりが、あの頃のように幸せに導いてくれる。
その眩しさが、力を与えてくれる。

三蔵は晴れ渡った空を見上げながら、小さく笑った。






思い出すのは幼い日の幸せ。

心に残るのは、幼い日の太陽。

柔らかな微笑みと共に、その手に握る小さな幸せ。




end




リクエスト:寺院時代、三蔵の育ての親(光明様)について悟空が興味を持ち、どんな人だったか聞くお話。
55000 Hit ありがとうございました。
謹んで、みつまめ様に捧げます。
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