春も盛りを迎えるその日、一人の子供を拾った。
春も爛漫なその日、かけがえのない存在を知った。
夏の顔が見える頃、愛しい存在になった。

巡る季節、重ねる春。
再びの季節、過ぎる春。

また、新に迎えるその日、子供が幸せでありますように───



Wish your well
このところの寒気の戻りで、開き始めていた桜に待ったがかかった。
今年は暖冬で、桜は例年より早く咲くと予報が告げていたにもかかわらず、冷え込み、雪まで降った日にちを数えれば、満開を迎えるのは、いつもの年と変わらぬ時期であるようだった。

三蔵に岩牢から連れ出してもらった悟空は、寺院の生活にも慣れ、新たな側係となった笙玄にも少し慣れた。

季節はあれから三度目の春を迎えようとしていた。






「おはよう」

開け放った窓辺に止まる小鳥たちに挨拶をして、悟空は寝台の上で大きく体を伸ばした。
傍らの寝台に目をやれば、三蔵の姿は既に無い。

「早いなぁ…」

ぱたんと伸ばした腕を掛布の上に落として、悟空は小さなため息をもらした。
と、柔らかな扉を叩く音のあと、笙玄が寝室に顔を見せた。

「悟空、起きていますか?」
「うん」

悟空の返事に笙玄は穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。

「おはようございます」
「お、おはよ…」
「ご飯の支度が出来ていますので、着替えて下さいね」
「わかった」

ご飯と聞いてぱっと顔を輝かす悟空に、笙玄は笑顔を返して寝室の扉を閉めた。











「行ってきます」
「はい、気を付けて」
「うん!」

元気いっぱい頷いて、悟空は遊びに出掛けた。
お腹一杯朝ご飯を食べ、既に仕事を始めている三蔵へ朝の挨拶をして、悟空は裏山へと遊びに向かった。

空は春特有の霞がかかったようなどこかぼんやりした青空で、太陽は温かく、柔らかな色で輝いていた。
先月の寒さが嘘のように、連日暖かい日が続き、開花を戸惑っていた桜の花も先を競うように薄桃色の花弁を開いていた。

「もうすぐ満開になるんだ」

裏山へ続く奥の院の庭に植えられた桜の木々を見上げて、悟空は嬉しそうにその黄金を綻ばせた。

「満開になったら三蔵と見に来るな」

悟空は桜の木々に笑いかけると、裏山へ駆けて行った。






お気に入りの場所へ行くと、見知らぬ少女が悟空を迎えた。
最近見つけた桜の巨木。
周囲の桜たちよりも幾分濃い紅色の花弁を持つ。
その木の根元に、その少女は立っていた。

「こんにちは」

にこりと頬笑んで、挨拶をする。
その姿に、悟空は見惚れた。

柔らかな金茶の髪に、桜色のチャイナドレス。
綺麗な薄緑の瞳とまろい頬。
綻ぶ桜唇、鈴を転がすような声。

「…こん、にちは」

頬を染めて、悟空は挨拶を返した。
すると、少女は悟空の返事に嬉しそうに笑った。

「悟空、いつもありがとう」
「えっ…?」

少女の言葉に、悟空の金眼が見開かれる。
そんな悟空の驚きに構わず、少女はふわりと、立ちつくす悟空に抱きついた。
途端に薫る甘い匂い。
その薫りと柔らかな抱擁に、悟空は顔を真っ赤に染めた。

「いつも優しくしてくれて、愛してくれてありがとう」
「…あ、えっ?」

訳が分からない悟空は、自分に抱きつく少女の身体を引き離すことも忘れている。
少女はそんな悟空から少し身体を離すと、困惑に彩られた金眼を覗いて、またふうわりと笑った。
そして、悟空の赤く染まった頬に唇を寄せた。

「大好き」

少女は悟空から離れる時、そう幸せそうに告げた。

「…な、に…?」

悟空が聞き返す間もなく、少女は悟空の前から駆け去って行ってしまった。
その姿を追いかけようとした悟空の目の前に、たわわに花の着いた桜の枝が落ちてきた。
思わず飛び退く悟空の耳に、大地の声が聴こえた。

「……あ…」

その声に悟空は周囲を見渡し、きゅっと眉を眇めると、唇を噛んで俯いてしまった。
そして、小さな声で、

「ごめん…でも、嬉しい……ありがと…」

と、答えた。
やがて、俯いた顔を上げ、悟空ははんなりとした笑みを浮かべると、目の前に落ちてきた桜の枝を拾い上げた。
そして、深々と頭を下げ、踵を返したのだった。











「ただいま…」
「お帰りなさい」

夕食を食卓に並べていた笙玄が、昼も食べずにいた悟空を笑顔で迎えた。
そして、悟空の抱えた桜の枝に目を見張る。

「どう…したんですか?その桜…」

笙玄の問いに、悟空は

「貰った…」

とだけ答え、枝を笙玄に渡すと湯殿へ走って行ってしまった。
それと入れ違いに、三蔵が寝所へ戻ってきた。
そして、悟空を見た時の笙玄と同じように、桜の枝を抱えた笙玄を見て、三蔵も目を見張った。

「桜…か?」
「はい。悟空が持って帰ってきたんです」
「サルが?」
「はい。どなたかに貰ったと言ってました」
「そうか…」

三蔵は笙玄の言葉に、どこか納得したように頷いた。

「悟空の目につきやすい場所へ生けてやれ。但し、一切ハサミを入れずに、そのままでな」
「は、はい…」

三蔵の指示に頷きながら、笙玄は首を傾げた。
だが、その理由を三蔵に問うことが憚れる気がして、笙玄はそのまま何も訊かず、三蔵が着替えのために寝室に入ったのを見届けると、桜を生けに洗面所へ向かった。











幾分すっきりした気分で、湯殿から居間に戻った悟空は、そこに三蔵の姿を見つけて思わず駆け寄った。
そして、抱きつく。
それを予想していたのか、三蔵は驚いた風もなく、悟空の小さな身体を受けとめた。

「…おかえり」
「ああ…」

返事を返せば、腰に回された悟空の腕に力が入る。

「………桜、もらった…」
「そうか」
「うん…おめでとうって……」
「良かったじゃねぇか」
「…そ、だけど…だけど……」

ぎゅっと、三蔵の部屋着を掴む悟空の手に力がまたこもる。

「悟空…?」
「嬉しいけど…還ってあげられないから、還れないから…」

そう言って三蔵を見上げた悟空の顔は、涙に濡れていた。
三蔵はその額に、瞼に、頬に、目尻に唇で触れ、悟空の瞳を覗き込む。

「知ってるだろ?」
「…ぇ…?」
「あいつらはお前が還らないことは知ってるだろう?違うか?」
「な、んで…?」

涙で潤んだ金眼が、不思議そうな光を宿す。
それに三蔵は、微かに口角を上げて笑った。

「お前がいつも言ってるからだろ?」
「…何、を?」
「俺の傍に居るって、な」
「あ…」

三蔵の言葉に悟空は、一瞬呆けたようになり、すぐ、顔に朱を登らせた。
そして、漸く笑顔を浮かべる。

「うん、うん…俺、三蔵の傍に居るから、居たい」
「なら、気に病むな」
「…うん」

朱に染まった悟空が頷く。
その顔を柔らかく綻んだ紫暗が見下ろしていた。




───俺が還さねぇよ…サル




それは出逢って三年目の桜の季節の小さな祝福─────




end




三空幕府 悟空聖誕祭 参加作品 (2004年)

ということで、悟空誕生日記念のお話でございます。
男らしく、時に可愛く、時に脆く、大地の愛し子悟空の誕生日を
皆さまとお祝いできて嬉しいです。
今年はちょっと切ない感じのお話になりましたが、
最後は甘くなったはず(?)と、思いつつお許し頂ければ幸せです。
何はともあれ、悟空、お誕生日おめでとう!
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