「俺ね、広い空の下をね、思いっきり走るのが夢なんだ」 そう言って、あいつが笑うから。 「俺が、治してやるよ、お前の病気」 そうして季節は流れ、子供は少年へ、少年は大人へと変わってゆく。 約束の季節が過ぎてゆく。
Keep your vow
病院の中庭にある芝生に座って、悟空は空を見上げた。
悟空は生まれた時から、心臓に欠陥があった。 その白い心を仄かに染めるのは、優しさと薄紫に彩られた金色の光。 いつからだろう、優しいお兄ちゃんが、最愛の人に変わったのは。 空ばかり見つめる悟空のか細い身体をそっと抱きしめ、どこにも行くなと言ってくれた。 その思いが、こうして形を変えて悟空の心を満たす。 でも、今度大きな発作が起きればもう助からないと、昨日両親と主治医の話を聞いてしまった。 「もう…間に合わないよぉ」 悲しくて、寂しくて、声を殺して泣いて、泣いて、やっと諦めた。 三蔵は今、悟空の病気の新しい治療を学ぶために渡米している。 悟空のためだけに、悟空の病気を治すためだけに医者になった三蔵。 国家試験にトップの成績で合格した日、悟空は十三回目の誕生日を迎えた。 三蔵との約束が果たされるまで、決して死にはしないと心に誓って。 だが、壊れた悟空の心臓は、身体の成長にその機能がついていけなくなりつつあった。
後少し、もう少し…
言い聞かせながら、宥めながらここまで来たというのに、残酷な審判は下されたのだ。 「会いたいよぉ…さんぞ…」 悟空は大好きな青空に背を向け、膝を抱えて踞ってしまった。
勤め帰りの父と看病してくれる母と、毎日のように遊びに来てくれる兄たち。
悟空の体調は、今までになく調子がよかった。
楽しい時間の隙間に募る思い。 三蔵に会いたい。
自分のために頑張っている三蔵を思えば、ソレはひどく子供じみた我が侭で。
眠れない夜、消灯時間が過ぎてから悟空は、屋上に上った。 「すっげぇ…」 目の前に広がるのは、病院が建つ山の麓に広がる街の夜景。 「宝石…みたいだ」 ため息を吐いて、視線を夜空に向ければ、少し欠けた月が中天にかかっていた。 「さんぞ、今頃なにしてるかな…アメリカって今、何時頃なんだろ…」 額をフェンスに付けて呟く声音は、微かに揺れていた。 「…発作、起きちゃったら…待てないかも…」 吐息と共に呟く言葉は、普段の悟空を知る者がいれば驚くほどか細く、弱々しい。 生まれて、病気を自覚してから考えない日はない。 いつも死と背中合わせの自分。 一人になれば不安で、恐くて。 このまま眠って目が、覚めなかったら? 不安とストレスは、悟空の心臓にいらぬ負担を掛ける。 「…さんぞ…さんぞぉ…」 はらりと、透明な雫がコンクリートの床に小さな染みを作った。 「相変わらず煩い奴だな、お前は」 呆れた声が聞こえた。 「さ、んぞ…?」 信じられないと首を振る悟空に、三蔵はくわえていた煙草を落として踏み消すと、ゆっくり悟空の側に近づいていった。
渡米する前の晩、華奢な悟空を抱いた。 最初で最後だと覚悟を決めて。 触れれば消えてしまいそうな儚い印象のままに、細い腕で精一杯縋りついて。 「…さんぞ…大好き…」 微睡む中で幸せそうに呟いた。 無くしたくない大切な命。 渡米してる間に学ぶことはたくさんあった。
そして、聞かされた事実。
今度、発作が起きれば悟空は助からない。
身体の成長に、心臓の機能がついていけず、最早限界が来ているのだと。 三蔵は研修期間を終えたその日、日本行きの飛行機に飛び乗っていた。 帰り着くまで、元気でいろ。 一分一秒でも早く顔が見たくて、面会時間も医師の特権で無視して、駆け込んだ病室に求める悟空の姿はなかった。 渡米する前よりも小さくなった背中。
「何してる?」 側によって問いかける三蔵に、悟空は腕を伸ばすと倒れ込むように抱きついた。 「悟空…?」 その声に答えることなく悟空は三蔵に抱きつく腕に一層力を込めた。 抱き返す腕にゆっくり力を込め、今にも壊れそうな痩躯を胸に閉じこめる。 「…さんぞ…さんぞぉ…」 胸の中で悟空は何度も三蔵を呼び、三蔵もまた悟空を呼ぶ。 「…悟空」 そっと身体を離そうとする三蔵に、悟空は嫌だとしがみつく。 「…あっ…さ、ん……」 怯えたように三蔵を見上げた悟空の声は、柔らかな口付けに覆われた。 ついばむように口づけられて、三蔵の口付けは終わった。 「…おかえり」 はにかむ笑顔が、ようやく三蔵の帰還を認めた。
日が決まった。 その日、三蔵は言った。 「俺に任すか?」 何をとは言わない。 「うん」 と、静かに頷き、そして、晴れ晴れとした笑顔を浮かべたのだった。
「行ってきます」 手術室に入る前、心配そうに見つめる家族に悟空は、まるで遊びに行くようにそう告げて笑った。
吹き渡る春の風を胸一杯吸い込んで、悟空は笑った。 一面の草の海。 白いTシャツにブルージーンズ、水色のスニーカー。 「気持ちいーっ!」 大きく伸び上がって、三蔵を振り返った。 「連れて来てくれてありがとな、三蔵」 ほんのりとバラ色に染まった丸い頬。 今までの生活がウソのように、悟空の世界は広がった。 四角い空が、果てのない空になった。 風の匂い、花の色、雨の音、季節の移ろい、全てが輝いて見えた。 悟空は草原に膝をつくと、大地を抱きしめるように倒れ込んだ。 遮るもののない陽ざしが、明るく世界を照らす。
一筋の銀の糸。
はしゃいでいた悟空が、寝ころんで静かになったのを見た三蔵は、ようやく車から離れて、悟空の側へ歩み始めた。
これほどにうまくいくとは正直、三蔵は思ってもみなかった。
開いてみた悟空の心臓は、思った以上に痛んでいた。 二十時間以上に及ぶ手術に、か細い子供は耐えきった。 麻酔から覚めて、最初に悟空は笑った。 「なあ、コレ我慢したら、散歩に付き合ってくれる?」 一進一退を繰り返しながら、悟空は元気になって行った。 「今日は、外泊許可が出たんだ。父さんが、俺の泊まりたいとこに泊まって良いって言ったからさ、三蔵んとこに行ってもいい?」 時間をかけ、たくさんの薬と検査とに向き合いながら、初めての普通の生活のためのリハビリを受けながら。 「退院、決まったの?」 外の世界へ。
寝ころんで目を閉じている悟空を見下ろして、三蔵は薄く頬笑んだ。 約束を交わしたあの季節からどれ程の時が流れただろう。 幼かった二人が、お互いがお互いを必要とするそんな間柄になって。 柔らかな陽ざしの中、眇めた紫暗に空はどこまでも青く広く映っていた。
───いつまでも一緒にいてね。大好きだよ、三蔵…
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リクエスト:パラレルで、医者三蔵と患者悟空のお話 |
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ありがとうございました。 謹んで、そうし様に捧げます。 |
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