その翼に包まれていたい。

温かな懐に抱かれる喜び。




under your wing




「なあ、三蔵見なかった?」

笙玄の仕事部屋の扉から顔だけ出して、悟空が声をかけた。
仕事の手を止めて笙玄は仕事机から顔を上げると、悟空の問いに答えた。

「今日は朝から僧正様方と会議室にお籠もりですよ」
「そっか…」

笙玄の言葉に悟空はしゅんと、うなだれる。
そんな悟空の何処か怯えを含んで落胆した姿に、吐きそうになったため息を笙玄は飲み込んだ。




最近、悟空は三蔵の居場所がわからないと、酷く心許ない顔をし、怯えるようなそぶりをするようになった。
いや、何でも三蔵に伺うようになったと言う方が良い。

外へ遊びに行く時、今までなら「行ってきます」の一言に行き先だけを告げて遊びに行っていたのが、今は、「行ってもいいか?」と三蔵に伺いに来る。
また、食事の時も三蔵が居ないと口を付けようとしない。
以前なら、待ちきれずに食べていたというのにだ。
その為に食事が不規則になり、ただでさえ華奢な身体が、より細くなったように見受けられた。
何より、意志の強さが影を潜め、三蔵の言うことに何も逆らうこともなく、従順に従っているのだ。
それは酷く頼りなげで、危うげな様子で。

一体、何があったというのだろう。

二人の関係に微妙な傷ができていることに、笙玄は言い知れぬ不安を抱く。
願わくば二人が幸せであってほしいと,祈らずにはおれなかった。





















さも書類に目を通して、話を聞いている振りをしながら、三蔵は最近の悟空の様子を思い出していた。

あの強い意志の輝きはすっかり陰を潜め、いつもすがるような瞳を自分に向けてくる。
三蔵が居ないと日も夜も明けないといった具合にだ。

何がきっかけであんな風になったのか。

自分の態度に何かの変化を見つけたのか。
そんなはずはない。
あの猿を拾ってから今まで、気持ちの変化はあったものの、基本的に接する態度は変わっていないはずだ。
身体を重ねるようになった今でさえ。

想いは日を重ねるごとに深まり、時間を追うごとに大きくなる。
お互いが居なければどうしようもないほどに。



何がお前をそんなに不安にさせている……



悟空の抱える不安の原因に思い至らない三蔵は、悔しさにぎゅっと法衣の袖の中で手を握り締めた。




「三蔵様はもうご存じでございますか?」

一人の僧正が会議の終了を告げた勒按の言葉尻を奪うように、席を立ちかけた三蔵に声をかけた。
それを無視してそのまま会議室を出て行こうとする三蔵に、もう一度その僧正は声をかけた。

「三蔵様がお育てになっている御子が、近々養子にもらわれていくというお話です」

その言葉に三蔵は足を止め、ゆっくりと振り返った。

「…なんだと?」

怒りを孕んだ声で問えば、僧正は青い顔をして頷いた。

「ご、ご存じなかったのですか?なんでも絃廻大僧正様がお決めになったと伺ったのですが、三蔵様にはまだ、お話をされてはいなかったのですか。何でも両景の街の富豪だと聞いておりますが…」

三蔵はそれだけを聞くと、険しい表情で会議室を後にしたのだった。





















悟空は寝室にいた。
開け放った窓に頬杖をついて、半ば暮れかけた空を揺れる瞳で見つめていた。



あの話は、本当だろうか。



一月ほど前に大僧正と名乗る僧侶から聞かされた話。
妖怪である悟空を養子に欲しいと望む人間がいるという。
この長安から二日ほどの距離にある両景という街に住む人間の夫婦。
何処で、自分のことを知ったのか、いつ、自分と会ったのかわからないと言うのに。

「お前は、今まで三蔵様の大きな慈悲の心によってこの寺院で育てられてきた。その間に三蔵様にお掛けしたご迷惑は計り知れぬ。だが、それも三蔵様の深い慈愛によって庇われてきた。だが、お前ももう十三。自分の身の振り方を考えても良いのではないか」

そう言われた。
その言葉に、悟空は返す言葉を見つけられなかった。
だが、三蔵には話をまだ通していないと言う。

「まずは、お前の気持ちだ。すぐにとは言わぬが、考えてみることだ。三蔵様のためには何が一番いいのかをな」

狡いと、悟空は思った。
自分がどれ程三蔵のことを思っているか、どれ程三蔵の存在が自分にとって大きな存在か、知っていてその気持ちに傷を付けてくる。

三蔵の傍を離れるなんてことが、できるわけがない。
何があっても、どんなことになっても側を離れないと誓ったのは、つい先頃のことだ。
この溢れるほどの想いを三蔵が受けとめてくれた。
三蔵と一つになれた。

そう、三蔵が傍にないと一人で立っていられないほどに。

それなのに、三蔵と自分を離そうとする。
見も知らぬ土地へ追いやろうとする。

この話が三蔵の耳に入ったら?
離されてしまう?

三蔵が頷くはずは無いと判っていてもどす黒い不安が頭をもたげてくる。

三蔵に迷惑をかけなかったら、この話は消える?
傍に居られる?

悟空の心は決まった。

あれから一月が経とうとしていたが、三蔵から養子の話はでない。
あの大僧正は、嘘を言ったのだろうか。
だが、二週間ほど前、養い親になりたいと申し出ている件の人間に会った。

父親になる人間。
母親になる人間。

会ってみても何の感慨も湧かなかった。

そう、自分に過去の記憶がない。
当然、親の存在も覚えていない。
以前、三蔵が自分は、大地のオーラが集まった仙岩から生まれたと教えてくれた。
大地に望まれて生まれた大地母神が愛し子だと。
お前の母親は大地で、父親は自然なのだと。
だから、自然と大地が生んだ自分に温かな親の記憶がなくても悲観するなと。
お前の両親は、常にお前をそのかいなで包んでいるのだから安心しろと。

でも、暖かさをくれたのは三蔵。
愛される幸せをくれたのは三蔵。

望んで、望んで、手に入らないと諦めていた世界をくれた。
太陽よりも眩しい世界をくれた。

悟空にとって三蔵は父であり、母であり、兄弟であった。
恋人であり、生きる支えであった。
三蔵は世界の全て。

三蔵以外いらないのだと、この時悟空は自覚した。
だからこそ、不安がこの胸に渦を巻き、怯えが全身を支配していた。

悟空は髪を撫でるように吹きすぎる夕風に、淡い笑顔を向けて深い深いため息を吐いた。





















三蔵は絃廻の自室を訪れ、悟空の養子の話がでっち上げだと知った。

寺院の評判を、三蔵法師の偉功に傷が付くことを良しとしない考えが、胸くその悪い行為に走らせた。
怒りに我を忘れそうになったが、騒ぎを聞きつけて姿を見せた笙玄に宥められて、銃を抜くことは何とか我慢した。
だが、ただでさえ不安と背中合わせにここで暮らす悟空を傷つけた事は許せるはずもなく、大僧正に引導を渡した。

「空気の良い所で、世俗の憂さを忘れ、静かにお過ごし下さい」

と。
人も通わぬ田舎の寺へ送ってやると、言外に告げて三蔵は大僧正の自室を後にした。






「笙玄」

寝所へ向かう回廊で、後ろを歩く笙玄を三蔵は呼んだ。

「はい」
「今日はもういい。部屋へ帰れ」
「は、はい…?」

三蔵の言葉に、笙玄はきょとんとする。

「明日の朝、サルの好きなモノを山ほど作ってやれ。いいな」
「…あ、ああ…はい、はい、三蔵様。腕によりをかけて」

三蔵の意図することを読みとったのか、笙玄は嬉しそうに笑うと、胸を叩いた。
そして、

「大扉は閉めておきます。悟空を…悟空をお願い致します」
「ふん…」

そう告げる笙玄に、三蔵は鼻に皺を寄せて返事をすると、足早に寝所に向かって行った。












寝所の居間を抜け、三蔵はまっすぐ悟空の居る寝室に入った。

悟空はゆらゆらとその不安が見えるほどの空気を纏って、寝台に座って窓の外を見ていた。
その様子に、また、おさまっていた怒りが頭をもたげる。

これほどに悟空を不安にさせて。
これほどに怯えさせて。

あの黄金の瞳から輝くような命と意志の光を奪って。
三蔵に縋りついていなければ一人で立っていられないほどに追いつめて。

何をするのにも三蔵の顔色を窺い、何を言っても黙って従順に従っていた。

それは、三蔵の傍から離されないために。
遠くへ追いやられないために。
傍に、傍らに居たい、だたそれだけの願いのために、幼い心が選んだ道。

寝室の入り口で、三蔵は唇を噛みしめた。

悟空の不安に気付きながら何もしなかった自分。
優しい言葉の一つもかけてやれない己の性格。
何よりも悟空のことならわからないことなど何もないと奢っていた傲慢な自分に、憎しみに似た怒りを覚えた。

今更、どうやってあれほど傷付いた悟空の気持ちを癒せるのか。
もとのように屈託のない笑顔を浮かべてくれるのか。
あの輝く黄金が戻ってくるのか。

三蔵は、目の前で不安と怯えに染まった愛し子にかける言葉が何もなかった。











どれほどそうしていただろう。
不意に、悟空が振り向いた。
宵闇に紛れるようにして立つ三蔵の姿を見つけて、瞳を見開く。

薄暮に染まる部屋の中は、自分の輪郭さえおぼろげに見せる。
その中で、悟空の瞳は金色の柔らかな光を放ち、三蔵の金糸は残り少ない光を反射してその存在を知らしめている。
いつも眩しい程に光を放つ、悟空の太陽。
いつも見惚れずにはおかない、三蔵の宝石。

「……さんぞ…」
「…悟空……」

お互いに呟いた声は、吐息となって口から零れた。

ゆっくりと三蔵が悟空に向かって歩き出した。
悟空も窓から離れ、寝台を降りようと動き出す。
悟空の足が床に着く前に、三蔵が悟空を抱きしめていた。

「…さんぞ…?」

その力強い抱擁に、悟空は胸が痛くなる。

離れたくない。
側に居たい。

悟空も三蔵の身体に腕を回し、力を込めた。
この腕を失いたくない。

「さんぞ…っさ…」

三蔵に顔を向けば、全てを奪うような口付けが降ってきた。
心の内を押し開くような、何もかもをはぎ取るような口付け。
その荒々しさに、悟空は呼吸もままならない。
息苦しさに三蔵の背中を叩けば、はっとしたように身体が離された。

荒い息を吐いて三蔵を見上げれば、紫暗の瞳が揺れていた。

「さ、んぞ…?」

悟空の胸の内で何かが、硬質な音を立てて壊れた。
無意識に言葉が唇から零れ出る。

「決まったの?俺…いつあっちへ行けばいいの?」



行きたくないよ。



「…ご、くう……」
「荷物の整理しなくちゃいけないね。さんぞも…手伝ってよね」



離さないでよ。



「悟、空…」
「でも…い、いいや。三蔵に買ってもらったものは置いて…置いてく。だって…」



傍に居たいよ



「悟空…」
「だって、三蔵のこと思い出して、会いたくなるじゃん」



やだよ。



「悟空」
「俺のと、父さん、母さんになる人には会ってくれたんだよな。優しそうな……」



三蔵!



「悟空!」

三蔵の声に悟空は肩を大きく揺らし、三蔵から顔を背けた。
途端、掛布に透明な雫が落ちる。

「……だ。…やだ…やだ、やだ、やだっ!三蔵と一緒に居たい、居たいよう!どこにも行きたくないよう!」

薄い肩を震わせて悟空は三蔵に縋りついた。
今までため込んでいた不安と怯えが、感情が溢れ出す。

「どこにも行かない!行かせないで!何でも言うこと聞くから、俺を一人にしないで!」
「悟空」
「三蔵の傍に居たいよぉ──っ!!ふぇ…ぁぁうわぁあぁ…」

声を上げて泣き出した。
と同時に頭の中の”声”も、悲痛な叫びを上げて三蔵を内から揺さぶる。

「悟空!悟空!!」

三蔵は泣きじゃくる悟空の身体を力一杯抱きしめ、その愛しい名前を呼ぶことしかできず、ただただ、悟空の泣き声を聞いていた。




やがてしゃくり上げて、落ち着きを取り戻した悟空をその腕に抱き込んだまま、三蔵は小さな声で話し出した。

「もう泣くな。お前はここに居れば良いんだよ。俺の傍で笑ってりゃいいんだよ」

小さいけれど静かな声は、悟空の心の奥に届く。

「お前を拾ってお前を側に置くと決めたのは俺だ。お前は俺が信じられねぇのか」
「…そんなことない…」
「だったら、クソ坊主の言うことなんざ信じるな」
「でも…」

顔を上げようとする悟空の頭を三蔵は抱き込む。

「いいから、聞け。最初で最後だ。二度はないと思え」
「な、何が…さん…」

言いかけた悟空の言葉は、三蔵が悟空の耳元に唇を寄せて囁いた言葉に遮られた。

「…うそ…」
「嘘じゃねえよ、バカザル」
「ホントに?」
「二度はねえ」
「うん…うん……」

涙がまた溢れた。
今度は幸せに染まった涙だった。
また泣き出した悟空をもう一度、抱きしめなおして、三蔵は柔らかい悟空の髪に顔を埋めた。

不安は常につきまとう。
怯えは常にその心の奥底に住まう。

だが、それを消そうとは思わない。
受け入れて、消化して、全てがお前なのだから。
全てが自分なのだから。

共に、この翼のちぎれるまで、お互いを暖めあい、そのぬくもりに包まれていよう。






─────愛している…。




end




リクエスト:三蔵に依存している悟空。
1393 Hit ありがとうございました。
謹んで、由美香さまに捧げます。
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