その翼に包まれていたい。 温かな懐に抱かれる喜び。
under your wing
「なあ、三蔵見なかった?」 笙玄の仕事部屋の扉から顔だけ出して、悟空が声をかけた。 「今日は朝から僧正様方と会議室にお籠もりですよ」 笙玄の言葉に悟空はしゅんと、うなだれる。
最近、悟空は三蔵の居場所がわからないと、酷く心許ない顔をし、怯えるようなそぶりをするようになった。 外へ遊びに行く時、今までなら「行ってきます」の一言に行き先だけを告げて遊びに行っていたのが、今は、「行ってもいいか?」と三蔵に伺いに来る。 一体、何があったというのだろう。 二人の関係に微妙な傷ができていることに、笙玄は言い知れぬ不安を抱く。
さも書類に目を通して、話を聞いている振りをしながら、三蔵は最近の悟空の様子を思い出していた。 あの強い意志の輝きはすっかり陰を潜め、いつもすがるような瞳を自分に向けてくる。 何がきっかけであんな風になったのか。 自分の態度に何かの変化を見つけたのか。 想いは日を重ねるごとに深まり、時間を追うごとに大きくなる。
何がお前をそんなに不安にさせている……
悟空の抱える不安の原因に思い至らない三蔵は、悔しさにぎゅっと法衣の袖の中で手を握り締めた。
「三蔵様はもうご存じでございますか?」 一人の僧正が会議の終了を告げた勒按の言葉尻を奪うように、席を立ちかけた三蔵に声をかけた。 「三蔵様がお育てになっている御子が、近々養子にもらわれていくというお話です」 その言葉に三蔵は足を止め、ゆっくりと振り返った。 「…なんだと?」 怒りを孕んだ声で問えば、僧正は青い顔をして頷いた。 「ご、ご存じなかったのですか?なんでも絃廻大僧正様がお決めになったと伺ったのですが、三蔵様にはまだ、お話をされてはいなかったのですか。何でも両景の街の富豪だと聞いておりますが…」 三蔵はそれだけを聞くと、険しい表情で会議室を後にしたのだった。
悟空は寝室にいた。
あの話は、本当だろうか。
一月ほど前に大僧正と名乗る僧侶から聞かされた話。 「お前は、今まで三蔵様の大きな慈悲の心によってこの寺院で育てられてきた。その間に三蔵様にお掛けしたご迷惑は計り知れぬ。だが、それも三蔵様の深い慈愛によって庇われてきた。だが、お前ももう十三。自分の身の振り方を考えても良いのではないか」 そう言われた。 「まずは、お前の気持ちだ。すぐにとは言わぬが、考えてみることだ。三蔵様のためには何が一番いいのかをな」 狡いと、悟空は思った。 三蔵の傍を離れるなんてことが、できるわけがない。 そう、三蔵が傍にないと一人で立っていられないほどに。 それなのに、三蔵と自分を離そうとする。 この話が三蔵の耳に入ったら? 三蔵が頷くはずは無いと判っていてもどす黒い不安が頭をもたげてくる。 三蔵に迷惑をかけなかったら、この話は消える? 悟空の心は決まった。 あれから一月が経とうとしていたが、三蔵から養子の話はでない。 父親になる人間。 会ってみても何の感慨も湧かなかった。 そう、自分に過去の記憶がない。 でも、暖かさをくれたのは三蔵。 望んで、望んで、手に入らないと諦めていた世界をくれた。 悟空にとって三蔵は父であり、母であり、兄弟であった。 三蔵以外いらないのだと、この時悟空は自覚した。 悟空は髪を撫でるように吹きすぎる夕風に、淡い笑顔を向けて深い深いため息を吐いた。
三蔵は絃廻の自室を訪れ、悟空の養子の話がでっち上げだと知った。 寺院の評判を、三蔵法師の偉功に傷が付くことを良しとしない考えが、胸くその悪い行為に走らせた。 「空気の良い所で、世俗の憂さを忘れ、静かにお過ごし下さい」 と。
「笙玄」 寝所へ向かう回廊で、後ろを歩く笙玄を三蔵は呼んだ。 「はい」 三蔵の言葉に、笙玄はきょとんとする。 「明日の朝、サルの好きなモノを山ほど作ってやれ。いいな」 三蔵の意図することを読みとったのか、笙玄は嬉しそうに笑うと、胸を叩いた。 「大扉は閉めておきます。悟空を…悟空をお願い致します」 そう告げる笙玄に、三蔵は鼻に皺を寄せて返事をすると、足早に寝所に向かって行った。
寝所の居間を抜け、三蔵はまっすぐ悟空の居る寝室に入った。 悟空はゆらゆらとその不安が見えるほどの空気を纏って、寝台に座って窓の外を見ていた。 これほどに悟空を不安にさせて。 あの黄金の瞳から輝くような命と意志の光を奪って。 何をするのにも三蔵の顔色を窺い、何を言っても黙って従順に従っていた。 それは、三蔵の傍から離されないために。 寝室の入り口で、三蔵は唇を噛みしめた。 悟空の不安に気付きながら何もしなかった自分。 今更、どうやってあれほど傷付いた悟空の気持ちを癒せるのか。 三蔵は、目の前で不安と怯えに染まった愛し子にかける言葉が何もなかった。
どれほどそうしていただろう。 薄暮に染まる部屋の中は、自分の輪郭さえおぼろげに見せる。 「……さんぞ…」 お互いに呟いた声は、吐息となって口から零れた。 ゆっくりと三蔵が悟空に向かって歩き出した。 「…さんぞ…?」 その力強い抱擁に、悟空は胸が痛くなる。 離れたくない。 悟空も三蔵の身体に腕を回し、力を込めた。 「さんぞ…っさ…」 三蔵に顔を向けば、全てを奪うような口付けが降ってきた。 荒い息を吐いて三蔵を見上げれば、紫暗の瞳が揺れていた。 「さ、んぞ…?」 悟空の胸の内で何かが、硬質な音を立てて壊れた。 「決まったの?俺…いつあっちへ行けばいいの?」
行きたくないよ。
「…ご、くう……」
離さないでよ。
「悟、空…」
傍に居たいよ
「悟空…」
やだよ。
「悟空」
三蔵!
「悟空!」 三蔵の声に悟空は肩を大きく揺らし、三蔵から顔を背けた。 「……だ。…やだ…やだ、やだ、やだっ!三蔵と一緒に居たい、居たいよう!どこにも行きたくないよう!」 薄い肩を震わせて悟空は三蔵に縋りついた。 「どこにも行かない!行かせないで!何でも言うこと聞くから、俺を一人にしないで!」 声を上げて泣き出した。 「悟空!悟空!!」 三蔵は泣きじゃくる悟空の身体を力一杯抱きしめ、その愛しい名前を呼ぶことしかできず、ただただ、悟空の泣き声を聞いていた。
やがてしゃくり上げて、落ち着きを取り戻した悟空をその腕に抱き込んだまま、三蔵は小さな声で話し出した。 「もう泣くな。お前はここに居れば良いんだよ。俺の傍で笑ってりゃいいんだよ」 小さいけれど静かな声は、悟空の心の奥に届く。 「お前を拾ってお前を側に置くと決めたのは俺だ。お前は俺が信じられねぇのか」 顔を上げようとする悟空の頭を三蔵は抱き込む。 「いいから、聞け。最初で最後だ。二度はないと思え」 言いかけた悟空の言葉は、三蔵が悟空の耳元に唇を寄せて囁いた言葉に遮られた。 「…うそ…」 涙がまた溢れた。 不安は常につきまとう。 だが、それを消そうとは思わない。 共に、この翼のちぎれるまで、お互いを暖めあい、そのぬくもりに包まれていよう。
─────愛している…。
end |
リクエスト:三蔵に依存している悟空。 |
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ありがとうございました。 謹んで、由美香さまに捧げます。 |
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