青く澄んだ空に、柔らかな雲が寄り添うように浮かんでいる。
悟空の頬を撫でる風は、間もなく訪れる雨の季節の吐息を伝えるように、微かに湿り気を帯びていた。

窓に頬杖を付いて悟空はぼんやりと、明るい初夏の空を眺めていた。




触れぬ指先




笙玄はここ最近、様子がおかしい悟空のことが心配でならなかった。

どうしたのかと、問いかけても、何でもないと酷く儚げに笑って暗黙の内に、聞くなと拒否をしてくる。
三蔵との間に何かあったのかとも思うのだが、そういう訳でもなく二人の関係は変わりなくそこにあった。
それでも、仕事の間に垣間見る悟空の姿は、いつも物思いにふけっている。
その憂いを早く取り除いてやりたいと思うが、その術が見つからずにやきもきしている笙玄であった。






そんなある日、少し前にとある事件で知り合った八戒と悟浄が悟空と三蔵を訪ねてやってきたのだった。

寝所の掃除を終え、回廊を掃いている笙玄と八戒達は出逢った。

「よう、笙玄」
「こんにちは、笙玄さん」
「あ、いらっしゃいませ」

声をかけられた笙玄は掃除の手を止めて、二人に丁寧に頭を下げた。

「今日はどうなさったのですか?」

二人を寝所へ案内しながら笙玄が訪ねる。

「美味しいハッサクミカンを頂いたので、お裾分けを口実に悟空の顔を見に」

と言いながら八戒が、手に提げた袋を上げて見せる。

「それは丁度ようございました」

ほっと肩の力が抜けたように笙玄は、八戒と悟浄に笑いかけた。
その笑顔を怪訝な顔で二人は見返し、お互いの顔を見合わせた。

「何が?」
「笙玄さん?」

二人の怪訝な様子に構わず、笙玄は寝所の扉の前で立ち止まって、

「そっと、見て下さい」

と。寝所の扉を音を立てないように開け、中を見るように二人を促した。
八戒と悟浄は怪訝な顔のまま笙玄に促され、寝所の中を覗いた。

そこには酷く儚げな空気を纏った悟空が、窓辺に座ってぼんやりと空を眺めていた。

しばらく声もなくその姿を見つめた二人は、そっと扉から離れて笙玄の顔を見やった。

「何かあったのですか?」
「どうしちまったんだ、サルは?」
「…それが…よくわからないんですよ。これといった思い当たる節もなくて…」

八戒と悟浄の問いに笙玄は困惑顔で答える。
それに二人はため息を吐く。

「三蔵は何て言ってるんですか?」
「何も…気にしすぎだと……」
「ってぇことは、さんぞー様は気付いてないわけね」
「た、たぶん…」
「へぇ、珍しいこともあるもんだ」

悟浄が信じられないと言いたげに、八戒の顔を見た。

「そうですよねぇ、三蔵が気が付かないなんて」
「だよなぁ…」

ちょっと、考えたあと、八戒がぽんと手を叩いた。

「直接聞いてみましょう」
「えっ?で、でも…」
「いいねえ、小猿ちゃんの悩みをおにーさんが聞いてあげるって言うのは」

悟浄が嬉しそうに言えば、

「悟浄は黙っててくださいね」

にっこりと八戒が言えば、その笑顔に何を感じたのか悟浄は黙って頷いた。

「笙玄さんは悟空にこのハッサクでジュースを作ってあげてくださいますか?」
「でも…」
「お願いしますね」

差し出された袋を笙玄は受け取り、有無を言わさない八戒の綺麗な笑顔に頷くほか無かった。

「では、行きましょうか」

八戒は悟浄と笙玄を従えて、寝所の扉を大きく開けた。




















三蔵と最後に身体を重ねてからどれ程経っただろう。

お互いの気持ちを知って認め合ったその先に待っていた行為は、何も考えられないほどの幸せと三蔵の深い思いをその身体に刻みつけた。
神々しい金糸も、奥深い紫暗も、心に染みいる声も、体温も香りも何もかもが悟空を至福の時へと導いてくれた。
耳元で囁かれた言葉も・・・・・。

身体を重ねるたびごとに、三蔵への想いは深くなる。
求められるままに、求めるままに抱き合って悟空は幸せだった。
行為の激しさに悟空は一度、気を失った。
それも三蔵が自分を求めてくれているからだと、そう思っていた。

だが、その日以来三蔵は悟空に触れてこなくなった。

時折、悟空がまとわりついたり、離れなかったりすると触れるだけの口付けはくれる。
抱きしめてもくれる。
それでも我慢できずにねだれば、深い口付けをくれるがそれだけだった。

最初は、それで満足していた。
そんなモノだと思ってもいた。
けれど、三蔵への想いが深くなるに連れてそれだけでは我慢できなくて。
あの時のように触れて欲しい。
抱いて欲しい。
そう願わずにはいられない。

一度、意を決して口付けのその先を望むようなことをしてみたが、三蔵は宥めるように背中を叩いて悟空から離れていった。

そのことがあってから、悟空は三蔵に触れられなくなってしまった。
三蔵もまた悟空に触れることもなくなって今に至る。

もう嫌われたのだろうか?
あんな浅ましいことを望んだ罰が当たったのだろうか?
もう傍に居てはいけないと言うのだろうか?

こんなに好きなのに。
こんなに側に居たいのに・・・・・。




「…俺、変なのかな…?もっと三蔵に触れて欲しい、触れたいって思うのは……」

ぎゅっと、拳を握って八戒と悟浄を見返した瞳からは、透明な雫が流れ落ちていた。

「三蔵のこと考えるだけで泣くほどに好きなんだな、お前…」

悟浄がぽんぽんと悟空の頭を叩く。

「…えっ?!」

慌てて自分の頬に手をやれば涙が触れた。

「おかしい事じゃないですよ。人を好きになってお互いの気持ちを知って分かち合えば、触れ合いたくなるのはごく自然のことです。何もおかしいことなんてないですよ」
「……でも…三蔵は…」
「三蔵も貴方のことが好きなんですよ。だから、貴方のことを大切に思って居るんです」
「そーそー。お前が大事なんで手が出せないんだよ、三蔵様は」
「ホントに…?」
「ええ、悟空」
「ああ、そうだよ」
「……うん」

八戒と悟浄の言葉にうっすらと頬を染めて、悟空は何とも言えない笑顔を浮かべた。
その笑顔に悟空が、心の底から納得していないことを二人は読みとる。



三蔵の言葉でないと、ダメなんですね。



八戒は悟浄に耳打ちすると、悟空を呼んだ。

「何?」
「悟浄とお買い物に行ってきてくれませんか?」
「いいけど…何を?」

八戒はメモ用紙差し出した。

「今日持ってきたハッサクでお菓子を作ろうと笙玄さんと決めたので、その材料を買ってきて欲しいのです」
「八戒がお菓子作ってくれんの?笙玄と?」
「はい」

にっこりと笑って頷けば、つい今し方までしゅんとしていた顔が、嬉しそうにほころんでくる。

「じゃあ、行ってくんな」
「お願いしますね」
「うん!」
「おら、行くぞ」

悟浄が扉を開けて悟空を呼ぶ。

「あ、待てよ」

ばたばたと悟浄を追いかけて悟空は、寝所を飛び出して行った。
その姿を見送った八戒は、笙玄を呼ぶと悟空にした話を告げた。

「…八戒さん、私も…」
「いいえ、僕が聞き出します。三蔵もいつも側に居る貴方には知られたくはないことのようですから」
「でも…」
「きっと、大丈夫ですよ」
「は…い……」

納得できない笙玄を残して八戒は、執務室に居る三蔵のもとへ向かった。





















手に付かない仕事に見切りを付けた三蔵は、執務室の窓辺で煙草を吸っていた。




悟空を最後にこの手に抱いてからどれ程の時間が経ったのだろう。
まだ、子供だとばかり持っていた悟空が三蔵に対して抱いていた気持ちは、三蔵がずっと己の気持ちの中に押し隠していたモノと同じだった。

お互いの気持ちを確かめ合って、一つに融けた時間はまさに至福。
だが、華奢な身体を掻き抱いて貪るように犯してしまえば、後に残るのは苦い後悔だと知ったのはいつだったか。
腕の中で眠る悟空の涙に濡れ、疲れた寝顔を見るたびに後悔に苛まれる。

このまま行けば、悟空を壊してしまいそうで。
あの屈託のない笑顔が消えてしまいそうで。
荒れ狂う暗い欲望の獣を押さえ込むしかなかったのだ。

例えどんなに悟空が不安がっても。
寂しく思っても。
悟空の透明な心を奪うことに比べれば。
あの明るい笑顔を失うことに比べれば、耐えられるはずだ。
もっと、体が大きくなってからでも、三蔵が己が獣を御する術を手に入れてからでも。

「…もっと、大人になれ……」
「悟空は、貴方が思っているほど子供では在りませんよ」

独り言に返事が返って、三蔵は驚きに瞳を大きく見開いた。
声のした方を見れば、執務室の入り口に八戒が静かに佇んでいた。

「悟空は貴方が触れてくれなくて、不安に震えています。あの子は何より貴方に拒絶されることが恐いのです」
「……知ってる」
「だったら、なぜ、遠ざけるようなまねをするのですか?」

いつも穏やかな八戒からは想像できないほどに、言葉がきつい。




目の前のこの男はわかっているのだろうか。

悟空がどれ程三蔵のことが好きなのか。

あの華奢な身体を精一杯伸ばして、三蔵を求めている。
どんなに自分が望んでも悟空の気持ちは、こちらには向かない。
どんなに悟空の気持ちを支えてもあの子の想いは一直線にこの男の方を向いている。

自分を愛してくれたなら、不安な想いはさせない。
自分の思いに答えてくれたなら、泣かせはしない。
独りになどさせない。

喉まで登ってくる言葉を飲み込んで、煮えくりかえる嫉妬の炎に身を焼かれて、それでも悟空の幸せな笑顔が見たいから。
悟空にはいつでも、どんな時でも笑っていて欲しいと望んでしまうから。
だから、こうして三蔵の気持ちを探り出す。

わかっているのだろうか。

無条件に捧げられる悟空の愛情を。
曇りのない想いを。

だからこそ許せなくなる。

些細な態度や言葉で、悟空を振り回すこの男が。
自覚のないこの男が。




「俺は…」

いつもの穏やかな笑顔を消した八戒の表情に三蔵は、口ごもる。

「貴方の都合で悟空を傷つけるのはいい加減にして欲しいものですね」
「……!」
「睨んでもダメです。何を思って悟空に冷たくしてるのか知りませんが、あの子が不安に怯えている姿は見たくないんです」

八戒の容赦のない言葉に三蔵は奥歯を噛みしめる。

「悟空の想いはまっすぐに貴方に注がれているのに、何を恐れているのですか?体を重ねることですか?貴方のその独占欲で悟空を壊してしまうとでも思っているのですか?」
「…八戒…」
「悟空は貴方にもっと触れたい触れて欲しいと望んでいるのです。それこそ泣くほどに、おかしいのではないかと自分自身を攻めるほどに。これほど思われていて何を戸惑うのですか」

告げられる言葉に三蔵は、その紫暗を見開いて八戒の笑顔の消えた綺麗な顔を見つめる。

「悟空はこれからどんどん変わってゆきます。色々な事を吸収して、様々な体験をして綺麗になってゆくんです。うかうかしてたら誰かに横から持ってかれてしまいますよ。そうなった後で悔やんでも遅いですから」
「…何を…」
「僕が持っていきましょうかって、ことです」

にっこりと、それは綺麗な完璧な笑顔を八戒は浮かべた。
その笑顔に三蔵は、八戒の本気を感じ取る。

そう、この男は本気で悟空を三蔵のもとから奪うことすら辞さないと考えている。
このまま三蔵が悟空に対して煮え切らなければ。
体を重ねたぐらいが何だというのか。
気持ちが伴わない行為に、何ほどの価値があるというのか。
そんなものは、この自分の愛情で幾らでも教えてやる。
誰にも負けない愛しいこの想いで、悟空を愛し、泣かせはしない。

「ねえ、三蔵」

念を押す言葉に、三蔵は力一杯窓に拳を叩き付けた。
衝撃で窓硝子が砕け散る。

「…好きなことぬかしてんじゃねぇ。あいつは俺のものなんだよ。誰が何て言おうと。あのサルは、俺が見つけて、俺が育てた。俺だけを見ているように」
「だったら、どうして!」
「あいつは自由なんだよ。何をするのも、何を思うのも。それをわかってる俺とがんじがらめに縛り付けて閉じこめてしまいたい俺がいるんだよ。てめえにわかるか?あいつは綺麗すぎるんだよ。このままあいつに触れ続ければいつか壊しちまう。だから…」




「そんなことない!」




三蔵の言葉に悟空の叫び声が、被さった。

戸口に悟浄と立つ悟空の姿を見つけて、三蔵が固まる。
そんなことに構わず悟空は走り寄ると、三蔵に縋りついた。

「そんなことない!俺より三蔵の方が綺麗だ。俺は三蔵に強制されて三蔵の傍に居たいんじゃない。俺の意志で三蔵の傍に居るんだって決めたんだ。三蔵に抱かれることだって俺、嫌じゃない!俺、もっと三蔵に触れたい、三蔵に触れて欲しい。だから、壊すなんて言わないで!言わないでよ!!」

溢れる想いに任せた悟空の言葉に三蔵は、大きく瞳を見開いたまま何も答えることができない。

「なあ、三蔵…もっと、もっと…傍にいて…」

ぎゅっと、法衣を握り締め縋りつくように見上げてくる黄金の瞳に三蔵は、今まで自分が考えてきたことが全て杞憂だと思い知らされた。

「ああ…ああ…傍に居ろ。もっともっと傍に…悟空」
「三蔵…」

掻き抱く華奢な身体に、その心に、日向の香りに、愛しさが募る。
離せない、離さない。
誰にも渡せない、渡さない。
その気持ちのままに三蔵は、力一杯悟空を抱きしめるのだった。










窓辺で人目も憚らず抱き合う二人の姿に、八戒は戸口で何も言わずに立っている悟浄の傍に近づいた。

「早かったんですね」
「いや、行ってねぇんだわ、買い物」
「えっ?」

ぼりぼりと頭をかきながら、悟浄はため息混じりに買い物に行かなかった理由を告げた。

「サルが…悟空がな、三蔵が呼んでるとか言って途中から戻っちまって、しかたねえから俺も戻ってきたのよ。そしたらほれ、三蔵の声が聞こえて、こーなったってわけ」
「……敵わないんですね…」
「何が?」
「三蔵に、です」

ふと、瞳を伏せて八戒は、自嘲するような笑みをこぼす。

「しゃーねえから、優しい悟浄さんが帰りに一杯奢ったげましょ。愚痴聞き役で」

と、伏せた八戒の顔を覗き込む悟浄に、八戒は、

「洒落たところが良いです」

と、笑った。













貴方しかいらない。

貴方にしか触れたくない。

貴方の傍にしか居たくない。

その為なら何だって、どんなことだってできるから。

その綺麗な指先で、どうか私に触れてください。




end




リクエスト:三蔵・悟空←八戒で、内容はお任せ。
6666 Hit ありがとうございました。
謹んで、高草木にあ様に捧げます。
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