「ねえ、悟空、お見合いしませんか?」 珍しく一緒に夕食を食べられたと喜んでいた悟空に、光明の爆弾が落ちた。
思わず口に運びかけていたデザートの桃のプリンが、スプーンから滑り落ちてテーブルとランデブーする。
「お、お見合いって…?ええっ?!」
びっくりして立ち上がる悟空に、光明は優しい笑顔を浮かべて楽しそうに告げる。
「ええ、素敵なお嬢さんを可愛い悟空に、是非、紹介したいと仰る方がいらっしゃるのです。どうです?お会いしてみませんか?」
金眼を零れんばかりに見開いて悟空は、固まってしまった。
そんな悟空を気にした風もなく、今度は一緒に食事をしている悟空のボディーガード、三蔵に話を振り、あまつさえ、同意を求めたりしている。
「会長がお決めになったのでしたら、私に異存はございません」
「それはよかった。あとは悟空の気持ちですね」
「はい」
三蔵の返事に気を良くした光明は、
「悟空、三蔵も賛成だそうですから、お見合い、して下さいね」
逆らえない笑顔を悟空に向ける。
「お、おじいさま…お、俺は…」
何とかしろ、と三蔵を見れば、
「諦めろ、サル」
と、悟空にだけ聞こえる声で返された。
その言葉に悟空は瞬時に頬を赤く染め、三蔵を睨みつけた。
「悟空?」
怪訝な視線を向ける光明に、
「わかりました。おじいさまの良いようにして下さい」
桜色に染めた顔で、悟空は嫣然と笑った。
悟空は自室のベットの上に枕を抱えて寝転がっていた。
天井を見つめる黄金は、怒りに染まって炎のように輝いている。
「バーカ、ハゲ、あほうにマヌケ…役立たず」
何で十八やそこらで見合いをしなきゃなんないんだ?
そりゃあ、立場上、結婚に自分の意志が反映されるとは思ってもいないが、いないけれども心の準備というモノは必要だろう。
事前にそれとなくそう言う話を振っておいてくれるとか、好きな子はいるのかとか、付き合ってる子はどうなんだとか・・・・・。
突然そんなことを言われてどうしろというのだろう。
以前から聞かされていたからと言って、どうもできはしないような気もするのだが、せめて自分の気持ちを聞いてからにして欲しかった。
「…おじいさまは何でも突然だし、仕方ないけど、けど…!」
そう、けど”でも”なのだ。
自分を恋愛対象と少なからずそう見ている三蔵の態度が、”でも”なのだ。
止めなかった。
まだ早いとか、突然すぎるとか、何とか言って止めるとばかり思っていたのに、
───諦めろ、サル
だと。
言うに事欠いて、あんな事を言うなんて。
「ぜってー許さねえ」
悟空は抱えていた枕を床に投げつけると、布団を被って眠ってしまった。
悟空がふて寝してしまった同じ頃、三蔵は光明に呼び出され、彼の居室を訪れていた。
部屋着に着替えた光明が、にこやかに三蔵を出迎えた。
「そこへお座りなさい」
叩頭して戸口に佇む三蔵に、部屋に設えてあるソファを進めた。
三蔵は小さく返事を返して、示されたソファに座ると、光明も三蔵の向かいに腰を下ろした。
「三蔵、悟空を守って下さいね」
「この身に変えて、必ず」
「それは頼もしい」
ほっと、安心するように息を吐くと、光明はとっておきの秘密を打ち明ける子供ような楽しげな笑顔を浮かべ、三蔵を自室に呼んだ理由を話し出した。
「ちょっと最近煩いので、少しお掃除をしようと思っていたんですよ。そこへね、悟空のお見合いのお話を頂きましたので、早速それを使わせてもらってしまおうという訳なんですよ」
「はあ…」
人差し指を立てて、「ねっ」などと、語尾にハートマークが付きそうな程、楽しそうだ。
その姿に、三蔵は頭痛を覚えた。
一体何を考えているんだ、この人は…
「どうせならお一人より、大勢の方がいらした方が悟空も楽しいでしょうし、選び甲斐もあるってもんでしょ」
光明の言葉に三蔵は、嫌な予感を覚えつつ質問をしてみた。
「一体、何人の方を悟空様のお相手としてお呼びになるおつもりなんですか?」
「そうですねぇ…親類縁者、会社関係、友人知人、ざっと五十人前後のつもりですよ」
「ご、五十人、ですか」
予想通りの答えに、三蔵は目眩さえ覚える。
着飾った娘達の相手を否応なくさせられる悟空を思って、三蔵は反対すれば良かったと、内心後悔した。
だが、既に賛成してしまっている手前、今更反対するわけにもいかない。
三蔵は小さくため息を吐くと、光明の顔を見やった。
「ええ、きっと皆さんとても綺麗ですよ」
「会長…」
楽しそうな光明は、ぐったりと疲れた三蔵を更に疲れさせる内容の話を上乗せした。
「三蔵はね、悟空を誘惑しようとするお嬢様方のお相手を頼みますね。怪しい人が紛れ込んでいるのに気が付いても知らない顔して、ただ、悟空の貞操を死守して下さいね」
「…貞操、ですか」
「はい」
恐ろしいことを言いながら無邪気に頬笑まれた三蔵は、オリジナルの苦労を思った。
悟空を庇って死んだオリジナルは、本当はこういうこの人の相手に疲れ果てた上での過労死のだったのではないかと、疑ってしまう。
「三蔵、あなたは悟空の傍らを何があっても離れないで下さいね。煩い人のお掃除の為の大切な目印なんですから」
心底楽しそうに告げる光明をげんなりした思いで見つめながら、夕食の時、怒っていた悟空を思い出していた。
光明がお見合いを勧めた本当の訳を知ったら悟空は一体、どんな顔をするだろう。
嫌がっていただけに、目も当てられないほど荒れるかも知れない。
見かけに寄らず、結構プライドの高い悟空のこと、宥めるのに酷く骨を折ることは間違いなかった。
宥めるこっちの身にもなって欲しい
抱えたい頭を無理に上げて、光明の立てた計画の詳細を聞く三蔵の苦行の時間は、まだ当分は終わりそうになかった。
お見合い当日。
悟空のお見合いは光明が悟空に告げた日より二週間ほど経った晴れた日曜の午後と決まった。
悟空は散々三蔵に当たり散らし、お見合いの前日まで、三蔵とほぼ二週間、口を利くことはなかった。
そんな二人をよそに準備は着々と進み、あっという間に当日を迎えた。
朝から屋敷の中は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
悟空のお見合いのための園遊会の準備で、使用人達は忙しく立ち働いている。
各界の著名人、親戚などと一緒にその息女達が、悟空の妻の座を目指して一同に集う。
日向の園遊会。
何より青空と太陽の似合う悟空のために。
偽りを許さない陽の光のもとで、娘達は悟空の気持ちを勝ち取るために集い、競い合うのだ。
悟空の気持ちを射止めれば、世界有数のコングロマリットの総帥夫人という地位が約束される。
娘達のいや、親たちの欲望と悟空は対峙しなければならなかった。
本人の希望とはかけ離れたところで、準備は進んでゆくのだった。
そんな中で、悟空が姿を消した。
朝、三蔵が起こしに行った時、酷く不機嫌だったが、素直に言うことを聞いて起きた。
食事に降りてこないので様子を見に行けば、三蔵を睨みつけるだけで返事はもらえなかったが、確かに部屋にいた。
そして、そろそろ園遊会のために着替えるように、新しく作られたスーツを持って三蔵が悟空の部屋を訪れた時には、もうその姿はなかった。
居ない、だと?
主の居なくなった部屋は、開け放たれた窓から入る風にカーテンが揺らめいているだけだった。
三蔵は舌打ちすると、寝室の扉を開けてしばらく動けなかった。
悟空のベットのシーツ一杯に、緑のペンキで、”三蔵のバーカ”と描かれ、そこら中に残ったペンキをぶちまけてあったからだ。
あんのくそガキ…
三蔵は踵を返すと、凄まじい形相で屋敷中を探し回った。
悟空を探す三蔵を見かけたモノは、ある者は持っていた物を落とし、ある者は悲鳴をかみ殺して壁に張り付き、ある者は気配を感じただけで逃げ出す。
それほどに三蔵の怒りのオーラを周囲にまき散らして、悟空を探して広い屋敷の中、庭を探し回った。
だが、悟空の姿はどこにも無かった。
どこに…
玄関ホールで立ち止まった三蔵に、この家の執事がそろっと声をかけた。
「三蔵、悟空様なら守衛が外へお出になるのをお見かけしたと、つい今し方報告してきたよ。お前、お側を離れて、こんな所にいてもいいのかい?」
執事の言葉に三蔵は、思わず彼の胸ぐらを掴んでいた。
「本当か?嘘じゃねぇな」
「ああ、なんなら守衛に確かめたらいい」
苦しげに言葉を継ぐ執事の二郎神に、「すまん」と言って手を離すと、三蔵は門に向かって走り出した。
外に出た…だと?
正面の庭を走り抜ける三蔵の姿を光明は偶然見咎めて、バルコニーから声をかけた。
「三蔵、どうかしたのですか?」
光明の声に三蔵は足を止めて振り返り、
「逃げました」
とだけ告げると、また、走り出した。
その後ろ姿に、酷く満足そうな笑顔を浮かべると、自分の秘書兼ボディーガードを呼ぶべく、屋敷の中へ姿を消したのだった。
悟空は、屋敷からでたものの、どこへ行こうか、近くの公園のベンチで考えていた。
考えてみて初めて気が付いたことがあった。
こんな時、頼る友達がいないことに。
「俺って、ひょっとして、すっげぇ淋しい奴?」
そう、いつも”三蔵”が側に居た。
学校に居る間以外は、いつも、どんな時も必ず、側に居た。
それが当たり前で、それが自然で。
学校での生活はそれは、それなりに楽しく、充実はしていた。
だが、周囲は皆、悟空よりもずっと年上の人間ばかりで、可愛がってもらったが、対等に付き合ってくれる人間は誰一人いなかった。
だから、なおのこと三蔵の存在は、悟空にとってかけがえのないものだったのだ。
あの日までは・・・・・・・。
あの日は天気が良かった。
今日のように明るい日で、暖かで、何事も起きるはずはなかったのだ。
いつものように、楽しい一日の始まりのはずだった。
それが、忘れられない日になった。
それは、些細なケンカが発端だったように思う。
いつもならすぐに仲直りするはずのケンカに、悟空は意地を張った。
そして、庭に飛び出した。
その途端、足下に炸裂する銃弾。
突然の出来事に立ちすくむ悟空。
その姿を後を追ってきた三蔵が見つけた。
「悟空!」
三蔵の声に振り向く。
「さんぞ?」
三蔵の方へ走り出したその足下にまた、銃弾が炸裂する。
それに止まる悟空の動き。
その一瞬に銃口は、悟空の額を完璧に捉えた。
「悟空──っ!」
三蔵の身体が悟空に向かって跳躍する。
日に煌めく金糸。
しなやかに舞う身体。
差し伸べる悟空の腕を捉えた三蔵の心臓を銃弾は貫いた。
弾は悟空の額を貫くはずだった。
「さ…んぞ…?」
倒れ込んでくる三蔵の身体を受けとめながら、悟空も一緒に地面に倒れた。
触れる手に広がる温かな感触。
「…さん…ぞ…な、に?」
見開かれた黄金に薄い膜が張る。
「無事…」
悟空の安否を確かめようとする言葉を最後に、三蔵は事切れた。
銃声に騒然となった周囲をよそに、三蔵の亡骸を抱いたまま、悟空は地面に寝転がっていた。
「ケンカ…しなかったら、さんぞ、死ななかった?」
行く当てのない心細さが、亡くした人の面影を思い出させる。
優しく常に悟空を包んでくれていたあの温かな腕はもう何処にもないのだ。
亡くした人の代わりにと、連れて来られたあいつは”三蔵”と全く一緒で全く違った。
いつも不機嫌で、横柄で、どっちが主人かわからない。
口が悪くて、手が早くて、臆病な奴。
”三蔵”と一緒で違うもう一人の三蔵。
「なあ、あいつ、怒ってるよな、さんぞ…」
ベンチにもたれて空を見上げ、悟空は何とも言えない気持ちで、ため息を吐いた。
と、不意に日が陰った。
何だ?と、影の方へ目を向ければ、黒髪の青年が面白そうな顔をして悟空を見下ろしていた。
「誰?」
と、問えば、
「君は?」
と、返され、
「悟空」
と、名乗れば、
「焔」
と、返された。
焔と名乗った男の姿を改めて悟空は見つめた。
闇のような黒髪、深い碧と金色のオッドアイ、整った顔、長身の姿にジーンズと黒いTシャツがよく似合っていた。
「何?」
と、問えば、
「ナンパ」
と、返してきた。
「俺を?」
と、返せば、
「可愛いから」
と、頬笑まれた。
「変な奴…」
と、呆れれば、
「付き合うか?」
と、聞かれた。
その時、悟空はこちらに近づいてくる三蔵の気配を感じた。
まだ、三蔵と顔を合わせる気にならない悟空は、ベンチから立ち上がると、焔の腕を取った。
「夕方までなら、いいぜ」
そう言って、笑えば、
「夕方までだ」
と言って、焔も笑った。
見も知らぬ男とのデートが始まった。
三蔵、追いかけっこしようぜ
悟空はちらと振り返り、心の中で追ってきている三蔵にそう告げると、焔と共に街の雑踏に向かった。
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