Chase (2)

悟空が焔と雑踏に姿を消して間もなく、三蔵が公園に姿を見せた。
つい先程まで、悟空が所在なげに座っていたベンチの前で立ち止まる。



向こう…か…



休日の人混みの方を見つめて、しばらく考え込む。

そう、何故か悟空の気配がわかるのだ。
それは、初めて悟空と顔を合わせた日から。
自分を憎らしげに、汚い物でも見るように見つめていたあの頃から。
三蔵の意志とは全く無関係に、半ば強制的とさえ言える強引さで、悟空の気配が流れ込んでくる。

最初は、悟空の態度に憎しみすら感じた。
それが、失えない存在に変わるほど、悟空の気配は濃厚に三蔵を浸食する。
自分を忘れるな、片時も忘れることは許さないと、常に言われているような錯覚さえ起こすほどに。

その伝わる気配とは正反対の態度を悟空は三蔵に取り続ける。

何かを認めたくないように。
何かにすがるように。
何かを忘れたくないように。

揺れる気持ちを押し隠すように、悟空は三蔵に反発する。

その行動の根元にあるのは、オリジナルの存在。
クローンの自分には、逆立ちしても近づけない遠い存在。
悟空の太陽。

ことあるごとに比較される。
ことあるごとにその存在を確認させられる。
悟空の言葉に。
悟空の態度に。
越えたくても越えられないオリジナルの背中。
消したくても消せないオリジナルの影。

それでも悟空の中で何かが変わったのだろうか。
自分に対する態度が幾分和らいできたと、感じ出した矢先にまた。
光明の落とした爆弾。

お見合い。

あの場合、賛成することしか自分にはできはしないと言うのに。
自分を見返した瞳は、反対することを望んでいた。
出来るものなら、何処の馬の骨ともわからない女のものになるのなら、この手で攫ってゆきたい。
だが、悟空を取りまくもの全てを犠牲にしてまで手に入れても、あの子供は自分のものにはなりはしないのだ。
少しずつ手に入れてみせると、心に決めて。
その決心も、悟空の態度に揺らいでしまう。



くそったれ…



三蔵は心の中で、煮え切らない自分に悪態を付くと、悟空の後を追って雑踏の中に入っていった。





















悟空は、焔と遊園地に来ていた。

憧れの場所、遊園地。

幼い頃から一度は、大好きな人たちと遊びに来たかった場所。
父さん、母さんと。
おじいさま、おばあさまと。
何よりも、三蔵と。

夢は叶えられることなく、今日まで来た。
隣にいるのは、ナンパしてきた焔という男。
何処の誰とも知れない、不思議な雰囲気の人間。

案内地図の載ったパンフレットを覗きながら、焔は傍らの子供を視界の端で見つめていた。

大地色の柔らかそうな髪、珍しい黄金の瞳。
あどけない幼さの残る、少女を思わせる容。
年齢の割に小柄で、華奢な身体。
育ちの良さそうな物腰と服装。
何より、世間知らずなところが可愛かった。
当たり前に皆が知っていることを知らなかったり、皆が知らないことを知っていたり、決してバカではない答え。
まさに、今時珍しい、純粋培養された子供のようだった。

「おい、何に乗るんだ?」

と、パンフレットを差し出せば、悟空はきょとんと焔を見返す。

「何って?」
「遊具だよ。ジェットコースターとかパイレーツだとかだけど?」

指さして示してやれば、悟空は興味深そうに眺めやり、ふわっとした笑顔を浮かべた。
そして、焔を振り返るなり、その手を取った。

「手当たり次第、何でも!」
「なにぃ?!」

悟空の言葉に思わず声が上がる。
その声に悟空は小首を傾げて、「ダメ?」などと聞くものだから、その愛らしい仕草に焔は思わず、

「構わんよ」

と、答えていた。

「ありがとう!」

幸せそうな笑顔を焔に向けると、悟空は最初に目に付いた乗り物の方へ焔を引っ張って行った。






長距離、ループ、メリーゴーランドにコーヒーカップ、フリーフォールに急流下り、ミラーハウスや迷路、お化け屋敷、回転ブランコ、回転ロケット、パイレーツ、幼い子供だけしか乗れない乗り物以外、乗れる物全てに悟空と焔は乗った。

「すっげぇ、ほとんどの乗り物、制覇しちゃった」

木陰のベンチで休憩する悟空は、信じられないと傍らでへばっている焔を見やった。

「ああ、俺は疲れた…」

足を投げ出してベンチに座る焔に、迷惑をかけたと思った悟空は、

「冷たい物、買ってこようか?」

と、焔の顔を覗き込んだ。
その腕を不意に掴まれ、かすめるように悟空は口付けをされた。
一瞬、何が起こったか理解できなかったが、唇に残る微かな感触に、悟空は瞬時に頬を染めたかと思うと、思いっきり掴まれた腕を振りほどいて、飛びすさった。

「な、何すんだ!」
「何って、ご褒美」
「な…」

焔の答えに悟空は二の句が継げない。

「男の子でしょ、キスの一つぐらいどうってことないって」

ひらひらと手を振って焔は笑うと、立ち上がった。
反射的に悟空が後ろへ下がる。

「もう、何もしない。あと、何が残ってるんだ?」
「観覧車」

聞かれて思わず答えてしまう。
が、空を見上げた焔が、ため息を吐いた。

「夕焼け、だよ」

言われて見上げた空は、茜色に染まりつつあった。
約束の時間だ。

「そっか、もうそんな時間か…」

寂しげに笑う悟空の様子に、焔はがしがしと頭を掻く。
そして、

「おい、時間延長は何時までOKなんだ?」

と。

「えっ?」

焔の意図が見えない悟空は、きょとんと見返す。

「だから、もう少し付き合ってやるって言ってんだよ」
「…焔…」
「だから、そんな泣きそうな顔すんな」
「…あっ…うん」

ぽんぽんと頭を叩かれて、悟空は何とも言えない顔で頷いた。
それを了解と取った焔は、悟空の手を取ると観覧車の方へ歩き出した。

繋がれた手を見つめたまま、悟空は小さな声で礼を言った。





















三蔵は遊園地の中を悟空の気配を辿って、探し歩いていた。
だが、休日の遊園地の人混みは生半可ではなく、掴めたと思う側から乱され、見失うことが頻繁で、いまだに悟空の姿さえ見ることが叶わなかった。

悟空を探している途中で、何度か光明から連絡が入り、こちらは滞りなく園遊会を開いて楽しんでいるから安心しろ言われ、また、昨夜話した計画は、形を変えてそのまま実行されているから早く悟空を見つけて下さいね、などとハートマーク付きで念を押されてしまった三蔵だった。



何処に…



逸る気持ちを抑えて、悟空の気配を辿り、ようやく悟空と焔が休んだベンチまで辿り着いた。
三蔵はベンチに腰を下ろすと、ネクタイを緩め、一息吐いた。
そして、観覧車を見上げる。
その視線を辿れば、三蔵の瞳は悟空と焔の乗っている観覧車のケージを見つめていた。



観覧車…そういや、前に乗りたいとか何とか言ってたか…



三蔵は以前、遊園地の前で車が信号で止まった時、高いフェンスの向こうに見える観覧車を見つめて呟いていたことを思い出した。




「…乗って、みたかったんだ」

見つめる瞳が酷く寂しそうで、三蔵は思わず窓を見つめる悟空の視界を手で塞いでしまった。
手に触れる温かな濡れた感触。
このまま抱きしめてしまいたい衝動を抑え、三蔵は悟空に言った。

「今度、連れてきてやる」

その言葉に悟空は、微かに笑った。

「…三蔵のくせに…」

そう言って自分の目を覆う三蔵の手に触れると、そっと引きはがした。
現れた景色は、緑の木々が植えられた公園の姿。
観覧車の影はもう何処にもなかった。
悟空は小さなため息を一つ吐くと、三蔵には聞こえないように、

「ありがと…」

と呟いたのだ。
窓に映る悟空の表情を三蔵は視界の端に捉えながら、その時初めて、悟空の中の孤独の影を見た気がした。

裕福に何もかもを吟味され、選りすぐられて与えられて、孤独も痛みも知らずに大きくなったのだと、三蔵は心の何処かで信じていた。
だが、巨大な力を継承するその立場は、想像するよりもずっと孤独なのだと、あの日の悟空を見て三蔵は実感した。

そして思う。

その胸の孤独はこの手で埋めてやりたいと。
側に居てどんなことからも守ってやりたいと。

無意識にさらけ出される悟空の素顔に、また、ひとつ思いを募らせる三蔵だった。





















観覧車を降りた悟空と焔は、観覧車の出口で三蔵と出会った。

「あっ!」

同時に気付く。

「悟空!」
「三蔵!」

状況が飲み込めない焔は、きょとんと二人を見つめている。

「てっめぇ、散々人を引っ張り回しやがって!」
「ふんだっ!三蔵が悪いんだから自業自得!」
「─…っだとぉ」

べぇっと舌を出す悟空に三蔵がキレた。
頬の横でひらひらさせている腕を掴むなり、悟空の身体を有無を言わさず肩に担ぎ上げた。

「ひゅ〜、やるねえ」

暴れる悟空を押さえつけながら、その声にようやく焔の存在に気が付いた。

「誰だ?」

と、問えば、

「悟空の恋人」

と、返ってきた。

「何だと?」

と、睨みつければ、

「俺の彼氏だよ!」

と、肩の上から声がしたかと思うと、目の前に火花が散った。

「…っくぅ…」

思わず膝が折れる。
その隙に、悟空は三蔵の肩から転がるように降りると、焔の腕を取って走り出した。

「お、おい、いいのか?あいつほっといて」
「三蔵だから、いいの」

そう言って楽しそうに笑う悟空に、焔は笑い返すと、自分の手を引いて走る悟空と並んだ。
そして、

「時間延長?」

と、問えば、

「次に、あいつが捕まえるまで」

と、返ってきた。

「じゃあ、張り切って逃げるか?」
「とーぜん」

観覧車の中で思い詰めたような表情を見せたのが嘘のように、快活に笑う悟空に、焔は愛しげな眼差しを向けるのだった。




1 << close >> 3