Chase (3) |
すっかり夜の帷が降りた街は、悟空に見知らぬ顔を見せる。 焔と入った瀟洒なレストランで夕食を食べ、繁華街へ繰り出した。 目に映る全てが初めて見る物に等しく、悟空はその金眼を好奇心に輝かせていた。 「なあ、焔、ネオンてぇの?綺麗だな」 ビルの屋上や看板を彩る電飾の輝きに悟空はしばらく見とれた後、酷く無邪気な顔で告げる。 「そうか?派手なだけで綺麗だとは思わんが…」 半ば呆れたように告げる焔に悟空はくすくすと喉を鳴らして笑う。
遊園地の最後の乗り物、観覧車。 そのケージに乗り込んでしばらくは、はしゃいでいたのが、いつの間にかじっと窓の外を見つめて動かなくなった。 それは何かを思い詰めたような、悲しげな表情。 一体、何を憂いているのか、何が悲しいのか。 どことなく沈んだまま観覧車を降りて、出口に向かう。 悟空が三蔵と呼んだ男は、その言動から悟空を探していたと受け取れた。 惜しげもない黄金に輝く髪、アメジストを思わせる紫暗の瞳、整った容、しなやかな体躯。 悟空と二人、この上もない入る余地のないツーショットに、焔は嫉妬しながらも羨ましかったのかも知れなかった。
「なあ、ゲーセンってのに行ってみたいんだけどさ、焔は行ったことある?」 物思いに沈んでいた焔のシャツを引っ張って悟空は、焔を現実に引き戻した。 「あ?ゲーセン?」 焔の言葉に嬉しそうに万歳すると、悟空は焔の腕に抱きついた。
「もう一度やり直しですか」 報告書をテーブルに置きながら、光明は残念だとため息を吐いた。 「ですが、屋敷の方が悟空様をお守りするのにはより安全だと思いますが…」 そう言いながら、秘書の天蓬が白いティーカップに入れた香りの良いハーブティーを差し出した。 「今回は、逃げ出した悟空の一人勝ちですか…悔しいですね」 光明の言葉に天蓬は、呆れたため息を吐く。 「リベンジ、頼みますよ。計画の名前は…<悟空の大冒険>で」 語尾にハートマークを付けて光明は、天蓬にウィンクした。 「悟空様と三蔵に同情しますよ、私は…」 肩を落として天蓬は、光明の居室を辞したのだった。
シューティングゲームやUFOキャッチャー、格闘ゲームなどを物珍しげに物色し、時には挑戦しながら悟空は焔との延長デートを楽しんでいた。 微かに感じる三蔵の気配が、もうすぐ自分を見つけるだろう事を思いながら。 対戦ゲームで悟空は、挑戦してきたどう見てもヤクザな兄ちゃん達に勝ってしまった。 それが火種となった。 相手は人数を頼んで、焔と悟空を店の裏の暗い路地裏に連れ出した。 「なあ、焔」 言うなり、焔は目の前の男の顔に体重の乗ったストレートを見舞った。 悟空は小柄な身体を生かして相手の懐に飛び込むと、鳩尾を狙った。 「悟空!」 回し蹴りで、飛びかかってきた男を沈めると、悟空に向かって走った。 「あっ…」 二人を囲んでいた男達の輪が割れた。 周囲の雰囲気が変わって顔を上げた悟空は、そこに三蔵の姿を認めて、破顔した。 「遊園地の次は、ケンカたぁ良い根性してるじゃねぇか」 てめぇ、いい加減にしやがれと、嬉しそうに笑う悟空を睨み据える。 「とっとと片づけるから、手伝え」 そう吐き捨てた。 「やっちまえーっ!」 黒い獣が二匹、しなやかにネオンのジャングルに踊った。 美しい獣。 焔は、慣れた動きで刃物を振り回す男達を叩きのめしてゆく。 三蔵は、最小限の動きで同じように獲物を持つ男達を沈めてゆく。 悟空のボディーガード。 悟空は隅によって二人をいや、三蔵に見とれていて自分の周囲に気を配っていなかった。 「悟空!」 二人の叫び声に見とれていた悟空は、我に返った。 「…あっ…」 シャツが裂け、鮮血が吹き出す。 「悟空!」 三蔵は胸ぐらを掴んでいた男の匕首を奪うと、悟空にもう一度斬りかかろうとした男に向かってそれを投げた。 「悟空!」 駆け寄った三蔵は悟空の裂けたシャツを引きちぎると、ネクタイでそれを押さえ、力一杯締め上げる。 「おい!」 止める間もあらばこそ、焔は運転手に行き先を告げると、携帯電話を出して何処かへ連絡を入れた。 「おい、大丈夫か?」 真っ青な顔で悟空は、笑った。
タクシーが着いた場所は、悟空の家とはライバルにあたる会社の系列の救急病院だった。 ここでようやく、三蔵は焔に言わなければならないことを思い出した。 「助かった、礼を言う」 ぶっきらぼうな礼の言葉に、焔は薄く笑い、 「恋人として、当然のことだ」 と、返してやった。 「治療が終われば、連れて帰る。世話になった」 肩を竦めて受ければ、三蔵はあからさまに顔を顰めて見せた。 程なくして、悟空が看護婦に付き添われて処置室から現れた。 「出血の割には傷はそれほど深くはありません。が、十五針ほどは縫いました。今晩は痛みで熱が出るかも知れませんので、痛み止めの薬と化膿止めの薬をお渡ししておきます。傷の消毒には毎日通って頂かないといけないのですが、お住まいはどちらでしょう?」 そう聞かれて三蔵は、屋敷の住所を告げた。 「ここからはずいぶんと遠いですね。お近くに病院はありますか?」 医師はそう言うと処置室へ戻って行った。 「…三蔵…ごめん」 それまで黙っていた悟空が、小さな声で三蔵に謝った。 「いい。俺も悪い。気にするな」 うなだれる悟空の頭を三蔵はくしゃっと掻き混ぜてやると、悟空は顔を上げた。 「焔もごめんな。迷惑かけて」 と、謝った。 「かまわん。恋人が恋人を守るのは当たり前だ。気にするな」 焔を見上げる悟空と視線を合わせてそんなことを言う。 「ほ、焔…」 きょとんとする間も無く、悟空は焔に口づけられていた。 「何すんだ!」 顔を真っ赤に染めて、悟空は潤んだ瞳で焔を睨み返す。 「おお恐いね」 と言って、降参と両手を上げる。 「どうかしたんですか?」 何でもないと焔が答えると、医師はそうですかと頷き、三蔵に紹介状を差し出した。 「明日お近くの病院に行かれる時には、これを持っていって、病院に提出してください。では、お大事に」 礼を言う三蔵に軽く会釈すると、医師は再び、処置室に戻っていった。 「じゃあ、俺たちも帰るか」 伸びをする焔の言葉に三蔵は、険悪な視線を向ける。 「何もしないって。ご褒美はもらったし。悟空、またな」 ひらひらと手を振って焔は、三蔵と悟空を残し帰って行った。
屋敷に帰った悟空と三蔵は、春爛漫な気分に浮かれた光明の出迎えを受けた。 悟空のケガを心配しながらも、楽しそうに悟空が逃げていた間に経験した話を無理矢理悟空から聞き出す。 「良い経験をしましたね。でも一つ残念なのは、悟空がちゃんとケンカをしてこなかったことでしょうか。今度は、ちゃんとケンカしてきなさいね」 そう言って、楽しそうに笑ったのだった。 「そんな体験をしたのなら、疲れたでしょう。もうお休みなさいね。私ももう休みます」 と、大きなあくびをして自室に引き上げて行った。 「おやすみなさい」 と挨拶をし、悟空と三蔵は引き上げた。
悟空は自分の部屋に入るなり、三蔵に抱きついた。 「悟空…?」 悟空の突然の行為に、三蔵が戸惑った声を上げる。 「ちょっとだけ、こうしてて…」 三蔵の胸に顔を埋めてそう言うと、動かなくなった。
「…ごく…」 儚げな笑顔を浮かべると、三蔵から離れた。 「…側に、居てね……さんぞ」 と。
二人の距離が、微かに縮んだ日。
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