Chase (3)

すっかり夜の帷が降りた街は、悟空に見知らぬ顔を見せる。
焔と入った瀟洒なレストランで夕食を食べ、繁華街へ繰り出した。

目に映る全てが初めて見る物に等しく、悟空はその金眼を好奇心に輝かせていた。

「なあ、焔、ネオンてぇの?綺麗だな」

ビルの屋上や看板を彩る電飾の輝きに悟空はしばらく見とれた後、酷く無邪気な顔で告げる。

「そうか?派手なだけで綺麗だとは思わんが…」
「ううん、綺麗だよ。宝石みたいにさ」
「変な奴」
「そっかな?」
「そうだよ」

半ば呆れたように告げる焔に悟空はくすくすと喉を鳴らして笑う。
その酷く楽しげな様子に、遊園地で見せた思い詰めた様な表情が、かえって鮮やかに焔の胸の内に甦った。






遊園地の最後の乗り物、観覧車。

そのケージに乗り込んでしばらくは、はしゃいでいたのが、いつの間にかじっと窓の外を見つめて動かなくなった。
薄暗くなった外の為に、悟空の表情がくっきりとケージの窓に映っていた。

それは何かを思い詰めたような、悲しげな表情。

一体、何を憂いているのか、何が悲しいのか。
今までの言動からは露ほども感じられなかった悟空の影の部分を、焔は垣間見てしまったらしかった。
自分に背を向けるようにして座り、時たま震える細い肩を見るにつけ、己の庇護欲を掻き立てられてしまう。
細い肩をこの手に抱きしめて、大丈夫だと、俺が側に居てやるからと、柄にもないことを言ってしまいそうだった。
それほどに悟空の背中は、肩は、写った表情は焔の心をざわつかせた。

どことなく沈んだまま観覧車を降りて、出口に向かう。
そこで、三蔵と出逢った。
途端、今までの憂いなど無かったように元気になる。
それだけで、悟空の気持ちが知れる。

悟空が三蔵と呼んだ男は、その言動から悟空を探していたと受け取れた。
肩に担ぎ上げられ、手足をばたつかせる悟空と怒りながらもほっとしている三蔵の姿に、疎外感を覚えたのか、言葉は当然のごとく紡いでいた。
自分の言葉に一瞬、射殺しそうな瞳で三蔵は焔を睨んだ。
それだけで、三蔵の気持ちが知れる。

惜しげもない黄金に輝く髪、アメジストを思わせる紫暗の瞳、整った容、しなやかな体躯。
自分とは正反対の男。

悟空と二人、この上もない入る余地のないツーショットに、焔は嫉妬しながらも羨ましかったのかも知れなかった。
ほんの今日知り合ったばかりのこの二人に、すっかり魅せられた焔だった。






「なあ、ゲーセンってのに行ってみたいんだけどさ、焔は行ったことある?」

物思いに沈んでいた焔のシャツを引っ張って悟空は、焔を現実に引き戻した。

「あ?ゲーセン?」
「うん、行ったことある?」
「あるが、行きたいのか?」
「うん」
「こんな所でうろうろしてても仕方ないからな。行くか」
「やったぁ!」

焔の言葉に嬉しそうに万歳すると、悟空は焔の腕に抱きついた。
小さな子供のようにはしゃぐ悟空をオッドアイを細めながら見つめる焔だった。





















「もう一度やり直しですか」

報告書をテーブルに置きながら、光明は残念だとため息を吐いた。

「ですが、屋敷の方が悟空様をお守りするのにはより安全だと思いますが…」

そう言いながら、秘書の天蓬が白いティーカップに入れた香りの良いハーブティーを差し出した。

「今回は、逃げ出した悟空の一人勝ちですか…悔しいですね」
「それでも会の方は盛況だったと伺っています」
「でも、綺麗所がいらっしゃいませんでした」
「会長…また…」

光明の言葉に天蓬は、呆れたため息を吐く。

「リベンジ、頼みますよ。計画の名前は…<悟空の大冒険>で」

語尾にハートマークを付けて光明は、天蓬にウィンクした。

「悟空様と三蔵に同情しますよ、私は…」

肩を落として天蓬は、光明の居室を辞したのだった。





















シューティングゲームやUFOキャッチャー、格闘ゲームなどを物珍しげに物色し、時には挑戦しながら悟空は焔との延長デートを楽しんでいた。

微かに感じる三蔵の気配が、もうすぐ自分を見つけるだろう事を思いながら。

対戦ゲームで悟空は、挑戦してきたどう見てもヤクザな兄ちゃん達に勝ってしまった。
彼らは場違いな様子の悟空を絶好のカモと目を付けて、ゲームに誘ったようだった。
だが、対戦してみれば反射神経に優れた悟空の相手ではなく、傍らで見守る焔が感心するほどに、一方的な結果となった。

それが火種となった。

相手は人数を頼んで、焔と悟空を店の裏の暗い路地裏に連れ出した。

「なあ、焔」
「何だ?」
「アンタってさ、ケンカ強い?」
「それなりにな。お前は?」
「したことねえからわかんねぇ」
「なら試してみろ」

言うなり、焔は目の前の男の顔に体重の乗ったストレートを見舞った。
それが合図。
乱闘が始まった。

悟空は小柄な身体を生かして相手の懐に飛び込むと、鳩尾を狙った。
だが、ケンカ慣れした男達はそうそう悟空の思う通りには動いてはくれない。
人間を本気で殴ったことなど全くない悟空は、殴れるタイミングで一瞬、戸惑う。
その戸惑いは悟空に隙を作る。

「悟空!」

回し蹴りで、飛びかかってきた男を沈めると、悟空に向かって走った。
が、間に合わない。
両腕で顔を庇った悟空に男の拳が───男が壁に叩き付けられていた。

「あっ…」

二人を囲んでいた男達の輪が割れた。
そこにネオンに金糸を閃かせた三蔵が、不機嫌全開の顔で立っていた。
足下には、のしたのであろう男が二、三人倒れている。

周囲の雰囲気が変わって顔を上げた悟空は、そこに三蔵の姿を認めて、破顔した。

「遊園地の次は、ケンカたぁ良い根性してるじゃねぇか」

てめぇ、いい加減にしやがれと、嬉しそうに笑う悟空を睨み据える。
そして、悟空の少し手前に立つ焔に一瞥を投げると、

「とっとと片づけるから、手伝え」

そう吐き捨てた。
この言葉に、三蔵の突然の出現で動きの止まっていた男達が一斉に殺気だった。
三蔵は悟空を引っ張り起こすと、自分の背後に押しやる。
悟空も素直に三蔵の背後に、邪魔にならない距離を取って立った。

「やっちまえーっ!」

黒い獣が二匹、しなやかにネオンのジャングルに踊った。
三蔵と焔の戦いは、悟空にはそう見えた。

美しい獣。

焔は、慣れた動きで刃物を振り回す男達を叩きのめしてゆく。
流れる腕が、踊る足が楽しそうにすら見える。

三蔵は、最小限の動きで同じように獲物を持つ男達を沈めてゆく。
動くたびに金糸が光り、無駄のない動きがこの上もなく美しい。

悟空のボディーガード。
その洗練され、訓練された動きは、悟空を守るためにのみ発揮される。
この美しい危険な獣は、悟空一人のために用意された。
悟空ただ一人を守るために。

悟空は隅によって二人をいや、三蔵に見とれていて自分の周囲に気を配っていなかった。
三蔵達に挑んでいた男達の一人が、敵わないと見て取ったのか、隅にいる悟空めがけて獲物を振り下ろした。
それに気付いたのはどちらか。
声を上げたのは。
だが、全ては一瞬遅かった。

「悟空!」
「な、何?」

二人の叫び声に見とれていた悟空は、我に返った。
そして、襲ってきた男に対して反射的に庇った右腕は、焼け付くような痛みに襲われた。

「…あっ…」

シャツが裂け、鮮血が吹き出す。

「悟空!」

三蔵は胸ぐらを掴んでいた男の匕首を奪うと、悟空にもう一度斬りかかろうとした男に向かってそれを投げた。
匕首は見事に男の右腕に刺さり、男は悲鳴を上げた。
その悲鳴に皆、戦意をそがれたのか、お決まりの捨て台詞を残して逃げ散って行った。

「悟空!」

駆け寄った三蔵は悟空の裂けたシャツを引きちぎると、ネクタイでそれを押さえ、力一杯締め上げる。
そして、抱き上げると表通りへ走り出した。
その後を焔は何も言わず付き従い、止めたタクシーに有無を言わさず乗り込んできた。

「おい!」

止める間もあらばこそ、焔は運転手に行き先を告げると、携帯電話を出して何処かへ連絡を入れた。
不信も顕わに焔を睨みつける三蔵を無視して、焔は悟空の顔を覗き込んだ。

「おい、大丈夫か?」
「へーき。ズキズキするけど、大丈夫」

真っ青な顔で悟空は、笑った。
斬りつけられた腕を抱えるようにして、三蔵の腕の中で悟空は安堵のため息を吐く。
焔は、そんな二人を面白そうに眺めていた。






タクシーが着いた場所は、悟空の家とはライバルにあたる会社の系列の救急病院だった。
だが、そんなことを言っている暇はなく、三蔵は悟空を抱きかかえて処置室に入った。
治療が終わるまで、外で待つように言われた二人は、待合室のベンチに座ることとなった。

ここでようやく、三蔵は焔に言わなければならないことを思い出した。
甚だ不本意ではあったけれど、悟空を守っていてくれたのは何をどう言っても、彼なのだから。

「助かった、礼を言う」

ぶっきらぼうな礼の言葉に、焔は薄く笑い、

「恋人として、当然のことだ」

と、返してやった。
その途端、三蔵の顔にうっすらと朱が登る。

「治療が終われば、連れて帰る。世話になった」
「どういたしまして」

肩を竦めて受ければ、三蔵はあからさまに顔を顰めて見せた。

程なくして、悟空が看護婦に付き添われて処置室から現れた。
その後を治療した医師が付いてくる。
医師は、ちょっと焔に視線を送った後、三蔵に向き直った。

「出血の割には傷はそれほど深くはありません。が、十五針ほどは縫いました。今晩は痛みで熱が出るかも知れませんので、痛み止めの薬と化膿止めの薬をお渡ししておきます。傷の消毒には毎日通って頂かないといけないのですが、お住まいはどちらでしょう?」

そう聞かれて三蔵は、屋敷の住所を告げた。

「ここからはずいぶんと遠いですね。お近くに病院はありますか?」
「はい」
「ではそちらへ行かれればいいでしょう。紹介状を書きますので、もう少しお待ち下さい」

医師はそう言うと処置室へ戻って行った。
看護婦は三蔵に、痛み止めと化膿止めの薬を渡し、お大事に嫁げて処置室に戻って行った。

「…三蔵…ごめん」

それまで黙っていた悟空が、小さな声で三蔵に謝った。
ケガをしていない左手でジャケットの裾を握っている。

「いい。俺も悪い。気にするな」
「…ありがと、でも…やっぱりごめん」
「ああ…」

うなだれる悟空の頭を三蔵はくしゃっと掻き混ぜてやると、悟空は顔を上げた。
そして、焔の方へ近づき、

「焔もごめんな。迷惑かけて」

と、謝った。
焔は片眉を器用に上げて、悟空を見つめた。

「かまわん。恋人が恋人を守るのは当たり前だ。気にするな」

焔を見上げる悟空と視線を合わせてそんなことを言う。
悟空は顔が赤くなるのをどうしようもなかった。
三蔵が見ているのに。
やっと、側に来てくれたのに。

「ほ、焔…」
「守ったご褒美、もらうぞ」
「えっ?」

きょとんとする間も無く、悟空は焔に口づけられていた。
一瞬、全てが凍り付く。
が、すぐに派手な音が静かな廊下に響き渡った。

「何すんだ!」

顔を真っ赤に染めて、悟空は潤んだ瞳で焔を睨み返す。
その悟空を三蔵は素早く腕の中に絡め取ると、頬を赤く張らした焔を睨みつけた。

「おお恐いね」

と言って、降参と両手を上げる。
そこへ医師が紹介状を持って、処置室から出てきた。
そして、三人の空気に怪訝な顔をする。

「どうかしたんですか?」
「いいえ」

何でもないと焔が答えると、医師はそうですかと頷き、三蔵に紹介状を差し出した。

「明日お近くの病院に行かれる時には、これを持っていって、病院に提出してください。では、お大事に」
「ありがとうございました」

礼を言う三蔵に軽く会釈すると、医師は再び、処置室に戻っていった。

「じゃあ、俺たちも帰るか」

伸びをする焔の言葉に三蔵は、険悪な視線を向ける。

「何もしないって。ご褒美はもらったし。悟空、またな」
「えっ…あ…うん…」

ひらひらと手を振って焔は、三蔵と悟空を残し帰って行った。
その後ろ姿を二人は、何とも言えない表情で見送ることとなった。





















屋敷に帰った悟空と三蔵は、春爛漫な気分に浮かれた光明の出迎えを受けた。

悟空のケガを心配しながらも、楽しそうに悟空が逃げていた間に経験した話を無理矢理悟空から聞き出す。
そして、

「良い経験をしましたね。でも一つ残念なのは、悟空がちゃんとケンカをしてこなかったことでしょうか。今度は、ちゃんとケンカしてきなさいね」

そう言って、楽しそうに笑ったのだった。
その言葉に悟空は、傷が痛み出した気がしたし、三蔵は一日の疲れが何倍にもなった気がして、目の前が一瞬暗くなった。

「そんな体験をしたのなら、疲れたでしょう。もうお休みなさいね。私ももう休みます」

と、大きなあくびをして自室に引き上げて行った。
その背中に、

「おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」

と挨拶をし、悟空と三蔵は引き上げた。






悟空は自分の部屋に入るなり、三蔵に抱きついた。

「悟空…?」

悟空の突然の行為に、三蔵が戸惑った声を上げる。

「ちょっとだけ、こうしてて…」

三蔵の胸に顔を埋めてそう言うと、動かなくなった。
三蔵は小さく息を吐くと、そっと悟空の身体に腕を回した。




どれぐらいそうしていただろう、ゆっくりと悟空は顔を上げると、自分を見下ろす三蔵の紫暗と視線を合わせた。
そして、背伸びをすると、そっとその唇に触れる。

「…ごく…」

儚げな笑顔を浮かべると、三蔵から離れた。
くるりと背中を向け、小さな声で呟いた。

「…側に、居てね……さんぞ」

と。






二人の距離が、微かに縮んだ日。




end

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