大切な君に両手一杯の花束を 誰よりも幸せに───
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花束を君に (1) |
その少年を笙玄が見かけたのは、珍しく三蔵が悟空を連れて旅立った翌日のことだった。 麓の街へ、買い物に出掛けた帰りの事だ。 「どうしたのですか?」 笙玄は、買い物した荷物を総門の石段に置き、少年に声を掛けた。 「びっくりさせました?ごめんなさいね。でも、こんな時間にここにいるのは良くないですよ。寺院の門ももうすぐ閉まりますからね」 そう言えば、少年は酷く困った顔を笙玄に向けた。 「…あ、じゃ、あの…」 恐る恐る問いかけるその言葉に、笙玄はすぐさま悟空のことだと気が付く。 「悟空なら三蔵様と昨日から遠出をしていて、帰って来るのは明日になりますよ」 笙玄の言葉に少年は、うつむく。 「明日のいつ頃、帰ってくるんですか?」 少年の真摯な瞳に気圧される。 「それは、はっきりとはわかりません。三蔵様のお仕事の都合でどのようにもご予定が変わってしまうので、一緒にいる悟空の自由にはならないのです」 笙玄の答えに少年は肩を落とし、ため息を吐いた。 「戻ってきたら、連絡しましょうか?」 少年は、笙玄に家の場所と名前を教え、両手に抱えていたキキョウを手渡した。 「これを、悟空さんに渡してください」 少年は深々と笙玄に頭を下げると、帰って行った。
予定通り次の日、三蔵と悟空は戻ってきた。 大扉の前で二人を出迎える笙玄に悟空は満面の笑みで「ただいま」と言い、三蔵は黙って頷くのだった。
僧正達への報告も終え、留守の間に溜まった仕事に目を通し、三蔵が寝所へ戻ってきたのは、日付が変わろうとする時間だった。 「どうした?」 笙玄が差し出す熱いお茶を受け取りながら、三蔵は珍しい時間にまだ居る笙玄に訊ねた。 「はい、その…伝言を頼まれまして…よろしければ三蔵様のご判断を仰ぎたく思いましたので、こんな時間までお待ちしておりました」 笙玄の言葉に三蔵はふんと鼻を鳴らすことで許しを与え、まとわりつく悟空をそのままに、窓辺の長椅子に座った。 「俺に会いに来てたの?本当に?」 長椅子に座る三蔵の足下に座った悟空が、不思議そうに訊く。 「そう、悟空に逢いにです.。悟空が戻ったら教えるという約束でしたので、今日の昼過ぎに連絡したら、伝言を預かったのです」 信じられないと見返す悟空に向かって頷く笙玄に悟空は、ゆっくりと輝くような笑顔を見せたと思った途端、悟空は笙玄に飛びつかんばかりで、伝言を頼んだ相手のことを訊きだした。 「誰?そいつ、どんな奴?伝言って何?何?」 その勢いに笙玄が答えられずにいると、横合いから三蔵のハリセンが飛んだ。 「…っつてぇ」 痛さに涙を目尻に滲ませて、悟空が三蔵を振り向く。 「笙玄が何も話せねぇだろうが」 言われて、悟空は笙玄の顔を見上げれば三蔵の言う通り、笙玄が困った顔をしていた。 「あ、ご、ごめん」 三蔵が訝しげな顔で、悟空は間の抜けた顔でそれぞれが、笙玄を見やった。 悟空がこの寺院に来て三年になるが、その間にそんなことを頼んだ人間は誰一人いなかった。 「先程も言いましたように、悟空と同じ年頃の少年で、髪は色素の薄い茶色で、瞳は浅黄色、着ているモノは質素でしたが、きちんとしていました。名前は…耶斗と」 笙玄の説明をわたわたと落ち着かない悟空を押さえて、三蔵は聞いた。 「笙玄、そいつは確かに花の礼だと言ったんだな」 悟空が訳がわからないという顔で小首を傾げた。 「以前、クチナシの花束をもらったんだと言っていましたよ」 顔中にクエスチョンマークを浮かばせながら悟空は考え、ようやくあることを思い出した。 「あ、わかった!わかった、さんぞ」 悟空の言葉に、三蔵も思い出した。 「そんなこと気にしなくても良いのに」 そう言って悟空は顔を曇らせる。 「…どうしようか?行った方が良い?行かない方がいいのかな?」 初めての経験に悟空はどうしたモノかと決めかねていた。 「せっかくだ、行ってこい」 三蔵の言葉にびっくりした顔をする悟空に、三蔵は怪訝な顔をする。 「何だ、行きたくねえのか?」 ようやく納得したのか、悟空は頷いた。 「では、訪問の手土産に、何かお菓子を作りましょうね」 嬉しそうに礼を言う悟空に笑いかけると、笙玄は自室に引き揚げて行った。
「いってきまぁす」 悟空は笙玄に見送られて、件の少年の家へ出掛けていった。 秋の声がそろそろ聞こえるような晴れ渡った晩夏の青空。 悟空は笙玄から持たされたバスケットを抱えて、何処かわくわくした気持ちで山道を歩いていた。 「えっと…この道かな…」 三叉路でどちらに行っていいかわからなくなった悟空が地図とにらめっこをしていると、声がかけられた。 「…あの…悟空?」 おずおずとかけられた声に振り向けば、そこにはあの少年がいた。 「あっ…!」 お互いにしばし見合って、悟空の顔が不意にほころんだ。 「家、呼んでくれたのお前…耶斗?」 嬉しそうに悟空が頷いた。 「俺、悟空、孫悟空。お前は?」 悟空が差し出す手を耶斗と名乗った少年が、恥ずかしそうに握り返す。 「この間は、本当にありがとう。お陰で大切な人が喜んでくれたんだ。クチナシの花はあの人の大好きな花だったんだって。だから、凄く嬉しいって言ってくれたんだ」 そんな話から、お互いの大切な人の話になったり、自分のことを話したりしながら歩いていた二人は、やがて耶斗の家に着いた。 そこは、周囲を様々な巨木に囲まれた所で、家はその中の特に太くて年経た巨木の根元に寄り添うように建っていた。 悟空は耶斗に促されるままに、家の中に入った。 家の中は以外に広く、明るくて綺麗に片付けられていた。 「こっちきて座って。今、お茶入れるから」 耶斗が誘う場所に座って、悟空は持っていたバスケットを膝に抱えようとして思い出した。 「あ、これ耶斗に。笙玄が焼いたカップケーキ。美味しいから食べてくれよな」 そう言って差し出せば、お茶を入れようと台所へ行きかけた耶斗が戻ってきて、ちょっとびっくりしたような嬉しそうな笑顔で、受け取った。 「ありがと、悟空」 にこっと笑う悟空に耶斗は、そんなことないと、緩く首を振って答えると、お茶の用意をしに台所へ入っていった。
楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。 初対面だった二人の間もぎこちなさが消え、古くからの友達のようにいつの間にかうち解けていた。 二人の時間を邪魔するのを躊躇うように、ほとほとと扉を叩く音が聞こえた。 「誰か来たよ」 耳ざとい悟空が耶斗に告げれば、耶斗は誰だろうと、小首を傾げながら戸口に向かった。 「どなたですか?」 と、扉を開けたまま、固まってしまった。 静かに輝く金糸は水のごとく流れ落ち、薄絹を何枚も重ねたような光沢と色合いを持つ榛色の着物を纏っている長身の痩躯に纏い付く。 「お前のお客を見に来たよ」 耳に心地よい声が悟空を現実に引き戻した。 「こん…にちは…」 ぺこりと、頭を下げる悟空に、美しい人は穏やかな笑顔を向けると、名を名乗った。 「金蝉という。よろしくな、悟空」 金蝉と名乗った目の前の人間を見上げながら、悟空の奥底の何かがきしんだ。 「私も仲間に入れてくれるの?」 優しく心に響く声音で耶斗に訊ねれば、耶斗はぶんぶんと過剰なほどに頷くのだった。 「お前は私の前ではいつもそうなのだね。もう少し普段通りにできないのかい?」 うん?と、潤んだ瞳で金蝉を見上げる耶斗の顔を覗き込む。 「だ、だ、だって…あ、あなたは綺麗すぎて…僕、僕は…」 そう言って、耶斗の頭をくしゃっと掻き混ぜると、悟空が座っていた椅子の隣に音もなく座った。
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