花束を君に (2) |
「お、お茶入れてきます」 悟空の隣に座った金蝉に耶斗はそう言うと、逃げるように台所へ走って行った。 「悟空は、珍しい瞳をしているのだね」 覗き込む金蝉の紫暗を見つめ返して、悟空は小首を傾げた。 「金色は世の凶兆を表すと言われているのだよ。知らなかったのかい?」 悟空の質問に、今度は金蝉が小首を傾げた。 「それはね、世の中に悪いことが起こる前触れを示すのだよ。でも悟空の瞳はこんなに綺麗で澄んでいるのだから、凶兆より吉兆だね」 そう言って金蝉は、よくわからない顔つきの悟空の頭を軽く撫でた。 「どうしたの?」 見つめられる顔が火照ってくるのを意識しながら悟空は、 「や、や、耶斗、お茶入れたか…み、見てくる」 つっかえながらそれだけ言うと、脱兎のごとく台所へ飛び込んで行った。
台所に飛び込んできた悟空に、耶斗はびっくりして危うく金蝉のために入れたお茶をひっくり返すところだった。 「どうしたの?悟空」 そう言いながら耶斗の足下にへたり込む悟空に、耶斗は幸せな笑顔を浮かべた。 「でしょ、僕も金蝉の前に出るともう、どうして良いかわかんなくなるんだ。でも、金蝉は優しいからそんな僕でも暖かく接してくれるんだよ」 耶斗の誇らしげな言葉を聞く悟空の胸の内に、もやもやしたモノが生まれた。 「お茶、入ったよ」 上から悟空を覗き込む耶斗に、悟空は小さく頷くと立ち上がった。 「お茶…あなたの好きなジャスミン茶にしたけど、よかった?」 金蝉の前に湯飲みを置きながら耶斗が訊ねると、金蝉は構わないよと頷いた。
開け放した窓から夕暮れを告げに風が入ってきて、悟空の髪を揺らした。 「悟空の髪は長いね。でも、綺麗に結ってある。誰にかに結ってもらうの?自分でするの?」 金蝉の言葉に悟空が満面の笑顔を浮かべて頷く。 金蝉と話せて嬉しい。 悟空の奥底に生じたきしみが、やがて亀裂を生む。 風が悟空の帰宅を急かすように窓から強く吹き込んできた。 「あ、帰らなきゃ」 窓から空を見上げて悟空は耶斗に帰宅を告げた。 「もう、帰るの?」 二人の会話を楽しそうに聞いていた金蝉が、帰り支度を始めた悟空に告げた。 「悟空、また、遊びにお出で。ここには子供は耶斗だけだから、お前が来ると耶斗も喜ぶからね」 頷きながら悟空は何かを決心したようにきっと、顔を上げると、金蝉に言った。 「金蝉は?金蝉は俺がまたここに来るのは嬉しい?」 悟空の何処か懇願するような言葉に、金蝉はそれはそれは嬉しそうに笑うと、悟空をやんわりと抱きしめた。 「もちろん。お前と居るのは楽しいよ。だから、私も耶斗と一緒にお前を待っているよ」 金蝉の腕の中で悟空は、安心した笑顔を浮かべた。 「約束に私が入れたお茶を飲んでお帰りね」 悟空は三蔵にさえ見せたことのない穏やかで幸せな笑顔を金蝉に向けて、頷いた。
金蝉が柔らかな香りのお茶を入れて戻ってきた。 「はい、悟空」 悟空の両手を包み込むように渡された湯飲みには、綺麗なオレンジ色のお茶が入っていた。 「…ジャスミン……茶?」 湯気の向こうで金蝉の顔が穏やかにほころぶ。 「美味しかった…ありがと……金…蝉………」 ゆっくりと倒れ込む悟空の身体を金蝉は抱き留めた。
夕方、笙玄は使いの者が来たと門番の僧兵から連絡を受け、僧兵の詰め所のある中門傍の僧庵に姿を見せた。 「どちら様からの使いお方でしょうか?」 僧庵の入り口で問えば、僧兵の一人が待合所へ案内した。 「あの、笙玄さんですか?」 少し戸惑うような少女の問いかけに、笙玄は穏やかな笑顔を浮かべて静かに頷いた。 「はい、私が笙玄ですが、私宛のお使いですか?」 笙玄の言葉に少女は頷く。 「お使いの内容は、伝言ですか?お手紙でしょうか?」 そう言って、少女は懐から手紙を出して、笙玄に示した。 「私への伝言は、どんなモノでしょう?」 促されて、少女は話し出した。 「えっと、耶斗からで『ごめんなさい。本当にごめんなさい。そして、優しくして下さってありがとうございました』です」 聞かされた伝言に、笙玄は怪訝な顔をする。 「それだけですか?」 腑に落ちない、よく理解できないという顔をしている笙玄に、少女は三蔵宛の手紙をどうしたらいいのかと訊ねた。 「あ、そうです。三蔵様宛のお手紙は私がお預かりして、必ずお渡し致します」 笙玄の諭すような声音に少女は少し考えた末、手紙を笙玄に渡した。 「必ず、三蔵さんに渡して下さいね」 何度も何度も念を押しす少女に、笙玄は大丈夫だと何度も頷いた。 もうすぐ、悟空が耶斗の家から・・・・・そこで、気が付いた。 耶斗の伝言は何と言った? 笙玄は総門から走り出ると、今、見送ったはずの少女の姿を捜した。
三仏神に呼び出された三蔵が、斜陽殿から戻ってきたのは、日も暮れた遅い時間だった。 三蔵の帰りを待ちわびていた子供のように笙玄が、寝所からまろび出てきた。 「落ち着け、笙玄」 揺るぎない三蔵の声にはっと、する笙玄を横目に、法衣を脱ぎ捨て、長椅子に腰を下ろした。 「…で、その手紙は?」 差し出された手紙は何の変哲もない白い封筒だった。 「そ、それは悟空の…」 手紙に目を通した三蔵が、笙玄にその手紙を渡して読むように促した。 『大地の御子を我らに返して頂く』 と。 「三蔵様…悟空は、悟空は…」 かたかたと震え出す笙玄に、三蔵は大丈夫だと頷いてやり、茶をくれるように言った。 「…悟空…」 呟きは空気に融ける。
斜陽殿に居る途中から、悟空を拾ってから、いや、その前から常に頭の胸の片隅から聴こえていた悟空の声が、途切れ始めた。
どうした……?
そう三蔵が思ったのを待っていたように、ふっつりと悟空の声が途絶えた。 『三蔵、どうした?』 三蔵の様子に三仏神が怪訝な声音を上げた。 「い、いえ、何でもありません」 気のせいだと、そう告げて三蔵は再び額づいたのだった。
柔らかく聴こえていた声が聴こえない。
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