誰よりもあなたのことが大好き 誰よりも綺麗なあなたに思いを込めて 色とりどりの花束を───
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花束を君に (7) |
その人は突然、目の前に現れた。 流れ落ちる光のような金糸、夜明け前の一瞬の輝きを宿した紫暗の瞳。 纏う衣がその美しさを引き立て、耶斗は一目で虜になった。 金蝉と名乗ったその人は、枯れて朽ちかけた森にもう一度命を与えた。 金蝉は森の外れに屋敷を構えた。 耶斗が話すたわいもない話を金蝉は、柔らかな笑みを浮かべて聞いてくれた。
「なあ、抱っこってさ、どうやってするんだ?」 散歩に出た金蝉は、悟空の不意の問いかけに、その紫暗を見開いた。 「抱っこ?」 聞き返せば、歩く金蝉の前に回り込んで、悟空は訴えるように答えを返した。 「…昨日、男の人に俺と同じくらいの子供が”抱っこ”って言って、その人が荷物をたくさん持ってるからダメだって…だから…」 城の外で見た光景を話す悟空の瞳にうっすらと膜が張ってくる。 「こ、んぜん…?」 金蝉の言葉に悟空の顔が華やぐ。 「ホントに?」 万歳をして飛び上がる悟空の姿に金蝉はその紫暗を眇め、喜ぶ悟空に腕を引かれて歩みを早くした。
「耶斗、抱っこしてあげましょうか?」 金蝉の突然の言葉に、びっくりした耶斗の顔が見てる間に真っ赤に染まる。 「こここ、金蝉!」 軽いパニックに陥った耶斗に、金蝉は喉を鳴らして笑う。 「耶斗は、可愛いね」 その言葉に耶斗は顔を上げていられず、ぎゅっと金蝉の首に抱きついた。
シロツメクサの咲く原っぱで、金蝉が微睡む。 柔らかな常春の陽ざし。 ふと、花の香りに金蝉がその紫暗を開いた。 「金蝉、似合う」 指さす方を見れば、シロツメクサの花輪が首にかけられていた。 「…お前が作ったのか?」 首にかけられた花輪と嬉しそうに頷く悟空の笑顔を交互に見ながら、金蝉は口元をほころばせた。 「うまくできたじゃねぇか」 そう言って金蝉は、悟空の柔らかな髪をわしゃわしゃと掻き混ぜた。
金蝉の綺麗な指先が、シロツメクサを輪に編んでゆく。 「ほら、こうして止めれば花冠が出来たよ」 にこりと笑って耶斗の頭に、金蝉は編み上がったばかりのシロツメクサの冠を載せてやる。 「あ、あああ、ありがと…こん…ぜん」 どぎまぎとうつむいて、耶斗は恥ずかしそうに礼を言った。 耶斗は金蝉に背中を預けるように座るのが嬉しい反面、どんな顔をしていいのか分からない。 「耶斗?どうした?気分でも悪いのかい?」 金蝉の腕の中で耶斗がうつむいたまま顔を上げないことに、金蝉は気遣うに耶斗の背後からその小さな身体を抱きしめる。 「こうしているのは嫌?」 金蝉の吐息が耶斗の項に触れる。 「耶斗は私が嫌い?」 そう言われた途端、耶斗は振り向くなり金蝉の首にしがみついていた。 「耶斗?」 消え入るような声音であったが、耶斗は金蝉に思いを告げた。
そんなある日、金蝉と出逢って一年目の日、何も出来なくて途方に暮れていた時、悟空と出逢った。 「好きな人の特別な日に何かして上げたい気持ちはよく分かるよ」 悟空のその言葉に耶斗は救われ、思いも掛けずクチナシの花束をもらった。 それが嬉しくて金蝉に話したら、金蝉も幸せそうに笑ってくれた。
それが─────
呆然と座り込み涙を流し続ける金蝉に、あの綺麗な面影は欠片も残っていなかった。 闇のような黒髪、涙に濡れた瞳は黒く闇に染まって、不思議な榛色の衣は色褪せた灰青色。 そのあまりの変化に耶斗は、かける言葉すら思い浮かばなかった。 「…ねえ、もう泣かないでよ」 聞いた方が悲しくなるような声で、悟空が告げた。 あの金色の姿が酷く懐かしくて、その姿を見ているだけで胸が暖かくなった。 「ねえ、金蝉…お願いだから」 悟空の言葉に、金蝉はゆっくりとその瞳を悟空に向けた。
そして─────
「…耶斗、私の…耶斗…」 急激な変化に心がついて行かない耶斗は、金蝉の呼びかけにその瞳を見開いたまま、立ちつくしていた。
求めて止まぬ金の光。
その願いと共に小さな光を頼りに地上に落ちた。
そこで出逢った小さな命。
自覚する前に大地の御子と出会った。
初めて見つけたあの時より変わらぬその魂の輝きに、思いは溢れた。 耶斗が自分に寄せる思いも、二人で過ごした日々も何もかもが、溢れた思いに押し流された。 その傍にはやはり、あの金色の神がいた。 叶わないと、浄化の光の中で思った。 可愛い耶斗。
私はお前が、大好きだよ…
「……ひゅっ」 笛の鳴るような音を耶斗の喉が立てた。 「…こ、んぜ……ん…?」 吐息のように耶斗が金蝉の名前を呼んだ。 「…ん……ぜ……」 これ以上ないほどに浅黄色の瞳を見開いて、信じられないと何度も首を振って、その口からほとばしり出たのは絶叫だった。 姿形なんて本当はどうでも良かったのかも知れない。 なのに何故、何も言えなかった。 悟空を迎えに来た三蔵と出会って、己の心に立ったさざ波が、金蝉に対する不信だったなんて。 最後に金蝉は何と言った?
───…私の…耶斗…
そう言った。 失くして初めて、気が付く自分のなんと愚かしいことか。 耶斗の絶叫はやがて、嗚咽となり、金蝉が残した衣をその透明な雫で濡らした。
悟空は三蔵に抱かれたまま、天井の抜けた洞窟から外に出た。 泣き濡れる耶斗は、崩れた金蝉の元に置いてきた。 外に出た二人は、金と紫を見開いた。 「…さんぞ…」 すぐ傍らの三蔵の顔を見やる悟空の瞳は、潤んでいた。 「…浄化された魂は、また生まれ変わると、聞いた。あいつもその内、生まれ変わるだろうよ」 俺は信じちゃいねぇが、と、三蔵はため息と共にそう言った。 「そ、だね。きっと、また逢えるよ…」 三蔵の言葉に悟空は、柔らかな笑顔を向けて頷いた。 「俺の大事なものは、三蔵だからな。ちゃんと知ってるからな」 そう言って、三蔵の首に回した腕に力を込めた。 「当たり前だ」 と、悟空を抱く手に力を込めたのだった。
時は誰の上にも平等に降り積もり、傷付いた心をその柔らかな衣で包んでゆく。
悟空が三蔵や悟浄、八戒達と西へ旅立ったその日、枯れたブナの森に小さな命が芽吹いた。 鴉の濡れ羽色の艶やかな黒髪、白磁の肌。 その腕に抱えられた花束は、あの夏の日、耶斗が初めて大切な人に送ったクチナシ。 彼はそっと耶斗の円い頬に触れると、愛しげにその名を呼んだ。 「耶斗…私の耶斗…」 耶斗の沈んだ浅黄色の瞳が、揺れた。 「可愛い耶斗、耶斗…」 彼のまろやかな声に耶斗の感情が揺り起こされる。 もう一度、聞きたかった。 もう一度、逢いたい… ゆっくりと見開かれる瞳に、彼の姿が像を結んだ。 「……こ…んぜ…ん…?」 掠れた声が、耶斗の口から零れた。 「ただいま…耶斗」 耳元で囁かれた言葉に、耶斗は応えた。 「おかえり、金蝉…」 と。
大切な君に両手一杯の花束を────────
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