誰よりもあなたのことが大好き

誰よりも綺麗なあなたに思いを込めて

色とりどりの花束を───



花束を君に (7)
その人は突然、目の前に現れた。

流れ落ちる光のような金糸、夜明け前の一瞬の輝きを宿した紫暗の瞳。
白磁の肌と額に深紅の星。
穏やかなまろい声と洗練された仕草。

纏う衣がその美しさを引き立て、耶斗は一目で虜になった。

金蝉と名乗ったその人は、枯れて朽ちかけた森にもう一度命を与えた。
耶斗は森の守人。
樹齢千年を越えるブナの木の精霊。

金蝉は森の外れに屋敷を構えた。
大きくはないけれど贅をこらした瀟洒な屋敷。
そこに使える者も無くたった一人、金蝉は住むようになった。
耶斗は、花が咲いたと金蝉の元を訪れ、実がなったとそんな金蝉に届けた。
金蝉は柔らかく微笑みながら耶斗の話を聞き、時には耶斗と共に森へ散歩に出掛けた。

耶斗が話すたわいもない話を金蝉は、柔らかな笑みを浮かべて聞いてくれた。
大好きで、どうしようもないくらいに大好きで、好きすぎて金蝉の前に立つと緊張した。
心臓はどきどきと破裂しそうに慌ただしく打って、耶斗のまろい頬は紅に染まった。
それでも側に居たくて、離れたくなかった。
















「なあ、抱っこってさ、どうやってするんだ?」

散歩に出た金蝉は、悟空の不意の問いかけに、その紫暗を見開いた。

「抱っこ?」

聞き返せば、歩く金蝉の前に回り込んで、悟空は訴えるように答えを返した。
その真剣な表情に、金蝉はどうしたのかと悟空を見下ろす。

「…昨日、男の人に俺と同じくらいの子供が”抱っこ”って言って、その人が荷物をたくさん持ってるからダメだって…だから…」

城の外で見た光景を話す悟空の瞳にうっすらと膜が張ってくる。
そんな様子に金蝉は、小さくため息を吐くと、悟空の頭を掻き混ぜた。

「こ、んぜん…?」
「帰ったら教えてやるから、待ってろ」

金蝉の言葉に悟空の顔が華やぐ。

「ホントに?」
「ああ」
「やったぁ!」

万歳をして飛び上がる悟空の姿に金蝉はその紫暗を眇め、喜ぶ悟空に腕を引かれて歩みを早くした。











「耶斗、抱っこしてあげましょうか?」

金蝉の突然の言葉に、びっくりした耶斗の顔が見てる間に真っ赤に染まる。
その姿に金蝉は楽しそうに笑うと、耶斗の両脇に手を差し入れ、耶斗の返事も待たずにその腕に耶斗を抱き上げてしまった。

「こここ、金蝉!」

軽いパニックに陥った耶斗に、金蝉は喉を鳴らして笑う。

「耶斗は、可愛いね」

その言葉に耶斗は顔を上げていられず、ぎゅっと金蝉の首に抱きついた。
小刻みに震える耶斗の様子に、金蝉は幸せそうな笑顔を見せるのだった。











シロツメクサの咲く原っぱで、金蝉が微睡む。
その傍らで、金眼の子供がたどたどしい手つきで花輪を作っていた。

柔らかな常春の陽ざし。
芳しい風に吹かれながら、静かに時間は過ぎてゆく。

ふと、花の香りに金蝉がその紫暗を開いた。
それに気付いた金眼の子供が嬉しそうに笑う。

「金蝉、似合う」

指さす方を見れば、シロツメクサの花輪が首にかけられていた。

「…お前が作ったのか?」
「うん!」

首にかけられた花輪と嬉しそうに頷く悟空の笑顔を交互に見ながら、金蝉は口元をほころばせた。

「うまくできたじゃねぇか」

そう言って金蝉は、悟空の柔らかな髪をわしゃわしゃと掻き混ぜた。
そのくすぐったさに、悟空は首をすくめたが、なんとも幸せな笑顔は輝いていた。











金蝉の綺麗な指先が、シロツメクサを輪に編んでゆく。
その手先を耶斗は不思議な魔法でも見ているように、その瞳を輝かせて見入っていた。

「ほら、こうして止めれば花冠が出来たよ」

にこりと笑って耶斗の頭に、金蝉は編み上がったばかりのシロツメクサの冠を載せてやる。
途端、耶斗の頬がバラ色に染まった。

「あ、あああ、ありがと…こん…ぜん」

どぎまぎとうつむいて、耶斗は恥ずかしそうに礼を言った。
そんな耶斗の頭を軽く撫でると、金蝉は次は一緒に作ろうと耶斗を自分の膝の間に座らせた。

耶斗は金蝉に背中を預けるように座るのが嬉しい反面、どんな顔をしていいのか分からない。
高鳴る心臓は、このまま行けば張り裂けるのではないかと思うほどに動機が激しい。
出来るなら少し自分を離して欲しいと思う。
そうすればこれほどに息苦しくはならないだろうし、少しは余裕も生まれるだろうと思うのに、金蝉は一緒にいる時、耶斗を傍から離そうとはしなかった。

「耶斗?どうした?気分でも悪いのかい?」

金蝉の腕の中で耶斗がうつむいたまま顔を上げないことに、金蝉は気遣うに耶斗の背後からその小さな身体を抱きしめる。
耶斗は答えることすら出来ずに、ただただ首を振るだけで。

「こうしているのは嫌?」

金蝉の吐息が耶斗の項に触れる。

「耶斗は私が嫌い?」

そう言われた途端、耶斗は振り向くなり金蝉の首にしがみついていた。

「耶斗?」
「……大好き…金蝉が大好き…」

消え入るような声音であったが、耶斗は金蝉に思いを告げた。
その綺麗な耶斗の気持ちが嬉しくて、金蝉は華やいだ笑顔を浮かべた。





















そんなある日、金蝉と出逢って一年目の日、何も出来なくて途方に暮れていた時、悟空と出逢った。
大地母神が愛して止まぬ大地の御子。
その悟空が、クチナシの花を抱えている姿があまりに綺麗で、また、泣きそうになった自分に悟空が気が付いた。
そして、話さなくても良いことまで話してしまって後悔をしたが、

「好きな人の特別な日に何かして上げたい気持ちはよく分かるよ」

悟空のその言葉に耶斗は救われ、思いも掛けずクチナシの花束をもらった。

それが嬉しくて金蝉に話したら、金蝉も幸せそうに笑ってくれた。
だから、悟空に何かお礼がしたくて、桔梗の花束と一緒に家に招待した。






それが─────






呆然と座り込み涙を流し続ける金蝉に、あの綺麗な面影は欠片も残っていなかった。

闇のような黒髪、涙に濡れた瞳は黒く闇に染まって、不思議な榛色の衣は色褪せた灰青色。
綺麗だった白磁の肌は光を浴びたことのないモノの白い肌に。

そのあまりの変化に耶斗は、かける言葉すら思い浮かばなかった。
と、息も荒く、三蔵の胸にいた悟空が、金蝉に向かって口を開いた。

「…ねえ、もう泣かないでよ」

聞いた方が悲しくなるような声で、悟空が告げた。
三蔵の腕の中、縋るように立っているそんな状態で、悟空は金蝉が気になって仕方なかった。

あの金色の姿が酷く懐かしくて、その姿を見ているだけで胸が暖かくなった。
その声を聞くだけで、感じたことのない懐かしさと痛みを感じた。
遠く、失った記憶の中にある思い出。
何も思い出すことは出来なかったけれど、この胸に湧き上がる思いは確かなモノで。

「ねえ、金蝉…お願いだから」

悟空の言葉に、金蝉はゆっくりとその瞳を悟空に向けた。
声もなくただ涙を流す、黒い瞳。
白さのない黒一色の瞳が一度まばたき、笑う形になった。






そして─────






「…耶斗、私の…耶斗…」

急激な変化に心がついて行かない耶斗は、金蝉の呼びかけにその瞳を見開いたまま、立ちつくしていた。
金蝉は、耶斗の返事がないことに、酷く悲しげに顔を歪めると、ふらりと立ち上がった。




求めて止まぬ金の光。
この両手に掴んだのなら、あの幸せな風景を壊したもの達に復讐を。
澱みの暗闇に自分を生んだもの達に復讐を。



その願いと共に小さな光を頼りに地上に落ちた。



そこで出逢った小さな命。
寿命の尽きかけたブナの森で、その森を守る守人。
金色ではなかったけれど、穏やかな安らぎをくれた。
焦がれて止まぬ思いのままに、憧れた風景を体験した。
そこに溢れる思いは、初めて手にする思い。



自覚する前に大地の御子と出会った。



初めて見つけたあの時より変わらぬその魂の輝きに、思いは溢れた。

耶斗が自分に寄せる思いも、二人で過ごした日々も何もかもが、溢れた思いに押し流された。
そうして手に入れた大地の愛し子だったけれど。

その傍にはやはり、あの金色の神がいた。
同じ姿で、同じ魂の輝きで、あの時よりもより深い結びつきで。

叶わないと、浄化の光の中で思った。
身体の芯まで浄化の光にさらされた時、何が大切だったのかようやく気が付いた。
あまりにも遅い自覚だったけれど。
泣かせてしまったけれど。
それでも、まだ間に合うのなら。
こんな澱みの中で生まれた自分に手にできるのなら。

可愛い耶斗。
大切な耶斗。



私はお前が、大好きだよ…






「……ひゅっ」

笛の鳴るような音を耶斗の喉が立てた。
金蝉が三蔵の傍らに立つ耶斗に向かって危なっかしい足取りで歩いてくる。
その姿に耶斗の見開いた瞳から涙がこぼれた。
そして、

「…こ、んぜ……ん…?」

吐息のように耶斗が金蝉の名前を呼んだ。
それと同時に、金蝉の身体が崩れた。
軽い音とともに金蝉が纏っていた衣が、地面に落ちる。

「…ん……ぜ……」

これ以上ないほどに浅黄色の瞳を見開いて、信じられないと何度も首を振って、その口からほとばしり出たのは絶叫だった。

姿形なんて本当はどうでも良かったのかも知れない。
あのまろやかな声が、あの優しさが大好きだったのだ。

なのに何故、何も言えなかった。
闇のような姿に嫌悪すら抱いて。
楽しかった日々が、音を立てて崩れてゆく、そんな気さえしたというのに。

悟空を迎えに来た三蔵と出会って、己の心に立ったさざ波が、金蝉に対する不信だったなんて。
あれほど大切だと思えた人に、裏切られたと思ってしまった。

最後に金蝉は何と言った?



───…私の…耶斗…



そう言った。
それと同時に心に届いたあの暖かさは、金蝉の優しさだった。
それなのに自分は動けなかった。
ちゃんと名前すら呼べなかった。

失くして初めて、気が付く自分のなんと愚かしいことか。

耶斗の絶叫はやがて、嗚咽となり、金蝉が残した衣をその透明な雫で濡らした。






悟空は三蔵に抱かれたまま、天井の抜けた洞窟から外に出た。

泣き濡れる耶斗は、崩れた金蝉の元に置いてきた。
大切な人を亡くした耶斗に、どんな言葉もかけ辛く、どんな言葉も届かなかったから。

外に出た二人は、金と紫を見開いた。
そこには数知れない大地の住人達が群れ集い、木々や花達はとりどりの花を咲かせていた。
風が悟空の耳元を過ぎ、三蔵にまとわりつくように通り過ぎていった。
その風に促されるように悟空は、三蔵を呼んだ。

「…さんぞ…」

すぐ傍らの三蔵の顔を見やる悟空の瞳は、潤んでいた。
その瞳の中の悟空の無言の問いかけに、三蔵は静かな声音で答えた。

「…浄化された魂は、また生まれ変わると、聞いた。あいつもその内、生まれ変わるだろうよ」
「耶斗は…?」
「てめぇにとって、何が大事なモノか気が付くのが遅せぇが、お互いが必要なら、いずれは巡り会うだろうよ」

俺は信じちゃいねぇが、と、三蔵はため息と共にそう言った。

「そ、だね。きっと、また逢えるよ…」

三蔵の言葉に悟空は、柔らかな笑顔を向けて頷いた。
そして、

「俺の大事なものは、三蔵だからな。ちゃんと知ってるからな」

そう言って、三蔵の首に回した腕に力を込めた。
頬に感じる柔らかな悟空の髪の感触に、薄い笑顔をうかべた三蔵は、

「当たり前だ」

と、悟空を抱く手に力を込めたのだった。


























時は誰の上にも平等に降り積もり、傷付いた心をその柔らかな衣で包んでゆく。


























悟空が三蔵や悟浄、八戒達と西へ旅立ったその日、枯れたブナの森に小さな命が芽吹いた。
金蝉を失ったその日からどんな感情も失った耶斗は、大地の腕に抱かれてか細くなった命を繋いで生きていた。
その耶斗の元に、彼は訪れた。

鴉の濡れ羽色の艶やかな黒髪、白磁の肌。
深く温かな愛情に満ちた黒曜石の澄んだ瞳。
薄青い幾重にも重ねられた衣を纏った、長身の体躯。

その腕に抱えられた花束は、あの夏の日、耶斗が初めて大切な人に送ったクチナシ。
甘い薫りと白い花と濃い緑の葉に包まれた花束。

彼はそっと耶斗の円い頬に触れると、愛しげにその名を呼んだ。

「耶斗…私の耶斗…」

耶斗の沈んだ浅黄色の瞳が、揺れた。

「可愛い耶斗、耶斗…」

彼のまろやかな声に耶斗の感情が揺り起こされる。

もう一度、聞きたかった。
もう一度、名前を呼んで欲しかった。
もう一度、その手で触れて欲しかった。

もう一度、逢いたい…

ゆっくりと見開かれる瞳に、彼の姿が像を結んだ。

「……こ…んぜ…ん…?」

掠れた声が、耶斗の口から零れた。
その声に彼は、嬉しそうに頬笑むと、抱えた花束と一緒に耶斗の細くなった身体を抱きしめた。
そして、

「ただいま…耶斗」

耳元で囁かれた言葉に、耶斗は応えた。

「おかえり、金蝉…」

と。








大切な君に両手一杯の花束を────────




end

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