…お前はあのチビの太陽でいられるか?



愛しき君へ (1)
蓮の花の咲く池を巡る回廊。
朱塗りの柱、手すり、窓。
散ることのない満開の桜と朧な青空。

退屈な毎日。
変化のない日々。

ただぼんやりと何も考えずに生きていた。
そう、生きる楽しみも、喜びも、怒りすら知らず、気にも留めず。
永遠に終わらない生の時間を生きていた。
ただ、生きていたのだ。











夜明け前の薄ぼんやりとした明るさの中、三蔵は目が覚めた。
最近、よく見るようになった夢。
目が覚めれば内容など忘れてしまうのに、胸にはうら寂しさだけが残る。
それが、今朝は内容を覚えていた。
というより、知っている感覚。
何よりの現実感。

「何なんだ…一体…」

夜明けの最初の光が、傍らで眠る愛し子の顔を照らす。
その寝顔を見下ろせば、不意に湧き上がる懐かしさと切ないほどの愛しさ。

「大きくなったんだな…悟空」

無意識に零れた言葉に三蔵は己が目を見張った。

「俺は…」

湧き上がる訳の分からない想いに押し潰されそうになって、三蔵は両手で顔を覆い息を詰め、身動きができなかった。











広間の床に枷と鎖に繋がれた悟空が座らされていた。
まろい頬を膨らませて怒っている。

「何か喰わせてくれるって言ったじゃんか」



コイツは昔も今も食い物で簡単に釣れやがる。



苦笑を漏らしていると、悟空が三蔵の傍らへ近づいてきた。

「あんた綺麗だ。きらきら光って太陽みたいだ」

そう言って幸せそうに悟空は笑った。
髪に触れる幼い手。



こうしてお前と出会ったんだ。



退屈な日々が鮮明な色に塗り変わった瞬間だった。



誰の記憶だ…?













「…ぞ、…んぞ、三蔵ってば!」
「……ぁ…」

肩を掴まれて三蔵は目が覚めた。
いつの間にか眠っていたらしい。
はっきりしない寝起きの瞳で肩を掴んでいる人間を見上げた。

「ご、くう?」
「もう、ちゃんと起きろよ」
「あ?」
「三蔵、大丈夫か?」

何処か上の空の三蔵の様子に悟空は眉を顰め、三蔵の顔を覗き込んだ。

「大丈夫だ。どうした?」

頷いて、しゃんとした瞳を向ければ悟空の顔に安堵の色が広がる。
その顔から視線を外して周囲を見渡せば、八戒と悟浄が身構えているのが見て取れた。

「敵が来るから…」

悟空の返事に頷いてもう一度見やった悟空の顔が、一瞬、夢の中の幼い悟空の姿と重なった。
見開かれる紫暗に、悟空は眉根を寄せた。

「さんぞ?」

小首を傾げていつもと何処か様子の違う三蔵を伺えば、不意に三蔵の手が頬に触れた。

「おい!二人の世界は後回しだ」
「来ます!」
「おう!」

悟浄と八戒の緊迫した声音に悟空の身体が震え、するりと悟空が三蔵の手の中からすり抜けた。
そして、音になるはずだった三蔵の言葉が喉の奥で消えた。




















「何で…」

泣きそうに顔を歪めて、悟空はジープの後部座席に横たわる三蔵を見下ろしていた。

いつもの襲撃で、手強い敵などいなかった。
数に任せた襲撃など何でもない。
けれどそんな闘いでも時折生まれるエアポケットのような隙。
その隙をつかれた悟空を三蔵が庇ったのだ。
庇うのも、庇われるのも嫌いな三蔵が、だ。

だが、あの時、悟空を庇った三蔵の行動は無意識だったのだ。
いつもなら銃で撃ち抜くはずの敵の前に身を投げ出した。
敵の刃を受けて倒れ込む時、三蔵の顔は驚きに彩られていた。

「何で、あんなこと…」

八戒が施した治療で傷は粗方塞ぐことが出来たが、予想以上に出血が多かったのか、意識が戻らない。
悟空の膝に載せた三蔵の顔色は、血の気の失せた白い色をしていた。

三蔵が治療中に気を失う寸前、

「無事…か?」

と、笑った。

「無事だけど…だけど…」

そう言って青ざめる悟空の頬に触れて三蔵は「よかった…」ともう一度、笑って気を失った。
その笑顔に悟空は、このまま三蔵が逝ってしまうのではないかと、治療をする八戒と肩を抱いて今にも倒れそうな悟空を支える悟浄の顔を縋るように見つめた。

「大丈夫ですよ。傷は全て塞ぎましたので、安心して下さい」
「八戒…」
「三蔵はしぶといんだから、死なねぇよ」
「悟浄…」
「さ、早く次の街へ行きましょう。そして三蔵を休ませてあげましょうね」
「…うん」

震える身体を叱咤して三蔵を運んだ。
それから・・・・。

「死んだら許さないかんな…」

ぐっと、唇を引き結んで悟空はこぼれ落ちそうになる涙を堪えた。











「金蝉!金蝉!!」

薄れていく意識の向こうで、幼子が泣き叫ぶ姿が見える。

「…無事に…」

伸ばした手が触れた頬は濡れて温かかった。

「やだ!やだっ!」

小さな手が血塗れた金蝉の手を握りしめる。

「な、泣くな…サル」
「金蝉!」
「…泣かずに、行…け」
「金蝉も一緒に」
「ああ…そうだな。後から行くから……頼む」

濡れた黄金に笑いかけ、友人に頷く。

「さあ…悟空」
「でも、でも…」

傍に居たいと動かない背中を押されて、覚束ない足取りで部屋を出てゆく。
振り返り、振り返り、ともすれば戻ろうとするその姿に笑顔を浮かべた。




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