愛しき君へ (2) |
痛みで目が覚めれば、そこは宿で。 傍らを見れば寝台にうつ伏せて悟空が眠っていた。 出逢った頃から変わらない幼い寝顔。 三蔵は微かに口元を綻ばせて目の前にある大地色の髪に手を伸ばした。 「生きて…無事でいてくれたんだな…」 想いは溢れてくる。 黄色い花の咲く花畑で笑っていた。 あの時、白い法衣を血に染めて、驚愕に身動きできない悟空の腕の中へ倒れ込んだ。 悟空を守りたい。 常日頃思っていても口にも態度にも出したことがない三蔵の想い。 本当に溢れ出たのか? この胸に溢れる程の愛しさと身に覚えのない記憶は自分のものか? 本当に? 夢の中の悟空が呼んでいた「金蝉」という人物と重なる色々な形。 あれは何なのか。 知っているようで知らない。 三蔵は不思議な想いに満たされたまま、窓から見える明け方の空を見上げた。
空を見上げたままぼんやりとしていると、悟空が身じろぎ、目を開けた。 「さん…ぞ?」 眠そうに目を擦りながら身体を起こし、三蔵を見やった。 「何だ?」 頷き笑う瞳から涙が耐えきれずこぼれ落ちた。 「喉、乾いた?何か飲む?」 小さく笑ってするりと悟空の頬を三蔵は撫でた。 「よかった…ホントに。俺、心配したんだかんな」 三蔵の意識が戻って嬉しいのか、悟空は常にない甘えた様子を三蔵に見せる。 「どうか、した?」 慈愛に満ちた表情のまま三蔵は静かな声で愛しそうにそう告げると、ゆっくりとその紫暗を閉じた。
引き戻される記憶。
閉ざされた扉が軋んで、亀裂が走る。
閃く銀の雨。 名前を呼んで。 それでもその姿は確かに知っている人で。 「 」 言われた言葉は耳に届く前に、大気に溶けて。
「うわあああぁぁぁ───っぁああぁ!」
血に染まったあの金色の人と目の前の青ざめた三蔵の姿が重なって。
「なあ、何でこんなの付けてなくちゃいけないんだ?」 子供が差し出す腕に付けられた枷が無機質な音を立てる。 「なあ、何で?俺が地上で生まれたから?俺が金目だから?なあ…金蝉」 執務机を周り、金蝉の傍らに立つと、金蝉の服を掴んで揺する。 「金蝉?なあ、訊いちゃいけないことなのか?」 聡い子供は簡単に金蝉の心境を読んでしまい、まるで自分の方が悪いように俯く。 「こんなこと訊いたら金蝉、やだったんだね」 きゅっと金蝉の服を握った手に力を入れて、それでも笑おうと悟空は顔を上げた。 「…ごめん、もう訊かない…」 そう言って、踵を返し、執務室を走り出ていってしまった。 大地の精髄である仙岩から生まれた大地母神が愛し子。 そんなことをあの子に告げることが出来ようか。 「…慰めで告げられたら…」 俯いた視線の先に悟空が握りしめて出来た服のシワをみつけた。
夜が明けたばかりの空を風が駆け抜けてゆく。 子供達は不安げに空を見上げ、喉を鳴らした。
「どうした、チビ」 回廊の隅で膝を抱えている子供を見つけた観世音菩薩が声を掛けた。 「観音の姉ちゃん」 ぎゅっと菩薩の腰にしがみついて悟空は、その細い肩を揺らした。 「なんだ?何かされたのか?」 くぐもった返事に菩薩は柳眉を顰めた。 「お前が?何をやらかしたんだ?」 菩薩の問いかけに悟空は顔を菩薩の腰に押し付けたまま答えた。 「訊いちゃいけないこと金蝉に訊いて、金蝉を悲しませた…」 そこでがばっと顔を起こすと、悟空は叫んだ。 「そしたら金蝉、すっごい悲しい顔して…そんな顔見たくて訊いたんじゃないのに…ないのに…」 そのまま悟空は泣き出してしまった。 「……?」 泣き濡れた瞳で見上げれば菩薩が笑っていた。 「それはなお前が金蝉と一緒に居るためのまじないなんだよ」 そう菩薩は告げた。 「一緒にいるための、まじない?」 濡れた瞳で菩薩を見返す悟空の視線の真っ直ぐさに菩薩は内心、金蝉のその時の様子を想い浮かべていた。
青いねぇ…
菩薩は見上げてくる悟空の涙を拭い、もう一度その大地色の頭を掻き混ぜた。 「内緒事がばれそうで困ってたんだよ」 頷く悟空の顔は晴れやかな笑顔に彩られていた。
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