君にこの聲が届きますように (1) |
前日の昼から降り出した雨は、日が明けても止むことはなく、降り続いていた。 暗く重たい雨に閉ざされた世界は、ひっそりと生業を顰めて、雨が通り過ぎるのを待っているようだった。 雨脚は真夜中を過ぎて強くなり、止む気配を見せなかった。 人通りの途絶えた住宅街の外れ、か細い街灯が小さな光で雨を映し出す。 どこをどうして歩いて来たのかも覚えていない。 身体を打つ冷たい雨に体温は容赦なく奪われてゆく。 と、何かに呼ばれた気がして、うつむいた顔を上げた。 凍えて動きにくい身体を捻るように、聲のした気のする方を向いた。 あの場所を逃げ出してから飲まず食わずで走り続け、歩き続けた身体は冷たい雨も手伝って酷く消耗していた。座り込んでしまえば、もう立ち上がる気力が欠片も湧かない。 激しい雨に打たれ続けた身体は、感覚がない程に凍り付いているくせに、身体の中は熱く脈打ち、零れる吐息は熱かった。 そして、酷く眠かった。 逃げなければならない。 わかっていても、指一本動かせなかった。 今はただ眠い。 少年は鉄柵から張り出したピラカンサスに凍えた頬を擦りつけるようにして、目を閉じた。 雨は降りしきる。
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暖かな温もりにくるまれて、優しい手のひらで撫でられた。 まだ何も知らなかった。 その優しい手が遠くなったあの日から、世界は変わった。
植物の震える聲や風の透明な聲が、ごく当たり前に生まれて物心が着く頃には既に聴こえていた。 理由は知らない。 人の言うことが当たり前にわかるように、普通に人と会話するように聴こえて、話せた。
日々はゆっくりと優しい時間を重ねてゆく。 それはいつまでも続くものだと思っていた。
たくさん外で遊んで家に帰り着いた悟空が見たのは、家の前に止まった黒い車の列と大勢の黒ずくめの男達に囲まれた金蝉の姿だった。 「こ、んぜん…?」 リビングの入り口で立ち竦む悟空がかけた言葉に、その場にいた全員が振り向いた。 一瞬の沈黙。 「逃げろ!悟空!」 滅多にない金蝉の怒鳴り声に、悟空は怯えたように身体を竦ませる。 「外へ行くんだ!」 その剣幕に悟空は弾かれたように外へ向かって走り出した。 「金蝉!」 幼い声が叫んだ瞬間、家の中にあった鉢植えの植物たちが一斉にその手を伸ばした。 「…ぁっやだぁあ」 抱きかかえられたことで我に返った悟空が暴れる。 「金蝉──っ!!」 小さな身体を懸命に捩って助けを求める悟空の姿を認めた金蝉は、悟空を助けようと悟空を抱えた男に駆け寄ろうとした。 「悟空を離…せ…」 悟空と男にその手が触れる寸前、金蝉の身体は一瞬仰け反ったあと崩れ落ちた。 「…っぁ…いぁ…やぁぁあああ───っ!!」 ざわりと、植物たちの手が悟空を抱え、銃を構えた男に一斉に向いた。 「金蝉!金蝉!こ、んぜ…」 最後に上がった悟空の悲鳴は、荒れ狂う植物たちに飲み込まれてしまった。
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家中に響き渡った悲鳴に三蔵は作りかけの氷枕を放り出して二階に駈け上がり、来客用の寝室に駆け込んだ。 「どうし…」 ドアを開けて飛び込んだ三蔵は目の前の様子に、室内に一歩入った状態で固まった。 家の柵の前でピラカンサスに守られるように倒れていた少年。 開けたドアの向こう、来客用の寝室はポトスの鬱蒼たる茂みと化していた。 「な、何だ…?!」 片足を入れたまま部屋に入るに入れず、三蔵は部屋中を埋め尽くしたポトスを見つめるばかりだった。 が、はたと、思い出す。 部屋には拾った少年が眠っているはずだ。 三蔵は慌てて、目の前のポトスの葉に触れ、小声で何事か呟いた。 途端、聴こえる喧しい聲。 それに三蔵は苦笑を漏らした。 「…わかった、わかったから静かにしろ」 三蔵は宥めるように聲の主に声をかけると、ベットへ近づいた。 「大丈夫か?」 途端、少年の身体が大きく揺れた。 「おい?」 少年の様子に三蔵は異常を感じ、肩に手をかけた瞬間、その手を凄まじい力で振り払われた。
金眼…?!
細く痛々しい程痩せた身体をこれ以上ないほどに小さく縮め、顔の殆どを締めるような大きな蜂蜜色の濡れた瞳が、三蔵を見返していた。
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