そは生まれ出し
大地母神が愛し子

大地が生み
風が歌い
水が育み
申し子達が慈しむ

そは大地母神が愛し子
天地無二の魂

花果山が山頂にて育まれし仙石

日月の気を浴び
大地のオーラに包まれ
大気の慈しみに抱かれし永き時
幾星霜
その満月の夜───
その幼子は生まれた

父なる自然は歓喜に打ち震えた
母なる大地は至福に涙した

大地がオーラを一身に浴び、幼子は育つ

申し子達の慈しみを受けて、汚れ無き魂が育つ

大地の恵みを
生命の輝きを───



金色の幼子 (1)
素肌に感じる風に子供は、起こされた。

幼い小さな手で目をこする。
朝の穏やかな風が、子供の身体を優しく、愛しげに吹きすぎてゆく。
子供は、ぺたんと眠っていた岩の頂に座り、大きく伸びをした。
陽の光が、暖かさを子供に与える。
鳥達が、糧を子供に運んでくる。
子供は嬉しそうに笑って、鳥達から糧を受け取った。

糧──木の実や果物──森の恵みを口に運びながら、子供は周囲を見渡した。


そこから見える世界、それは───


何処までも青い空、
果てない緑の絨毯、
輝きと生命に満ちあふれた世界。
その全てが、子供を慈しみ、育んでいた。











その男は、谷間の川辺で仕事の合間の休息をとっていた。

季節は、もうすぐ夏を迎えようとしていた。

川風の涼しさにほっと息を吐く。
山は、男の仕事場だった。
山菜を採り、木の実や薬草を集め、獲物に会えば狩りをする。
そうして得た山の恵みを麓の村で幾ばくかの生活の糧に換えていた。
今日は、なかなかの収穫を朝の内に得られた。

──早めに切り上げて村の酒場でのんびりするか

そんなことを考えながら男が腰の水筒から水を飲みかけたその時、腰を下ろしている石のすぐ横の茂みが不意に音を立てて揺れた。
とっさに男は身構える。

「狐か狸か・・・それとも?!」

思った時、素っ裸の幼子が飛び出して来た。

「な、何だ?」

身構えていた男の身体から力が抜ける。

「何だ、ガキか。脅かしやがって・・」

男は舌打ちすると、石に座り直し、飲みかけの水を飲み始めた。




子供は生まれて初めて、人間を見た。

自分よりも大きな生き物。
見たこともない物を躯に巻いている。
手にしている棒は何?
側の大きな篭の中身は、知っている。
この山の物だ。

子供は好奇心のままに恐れる様子もなく男に近づいて行った。




男は、自分を珍しい物のように見つめる好奇心いっぱいの子供の視線に居心地の悪さを覚えた。
かといって、いくら初夏とはいえこんな山奥で素っ裸のままの何処の何ともしれない子供と関わりになるのはごめんだった。
男はそのまま子供を無視し、水を飲み終えると、傍らに置いてあった篭を背負った。
子供はじっと、大きな金色の瞳で男の一挙一動を見逃すまいと見つめている。
歩き出しかけた男は、子供の視線に振り返ろうとして、首を振ると村への道をたどり始めた。


男の後ろ姿がだんだん遠ざかることに子供は、不思議そうに小首を傾げると、男の後を追い始めた。


その足下の草花が、子供の足を止めようとする。
周囲の木々がざわざわと、”行くな”と騒ぐ。
風が、子供の周囲で引き留めようとまとわりつく。
申し子達が、子供の前に走り出てくる。
子供はそんな森や大地や申し子達を安心させるようにはんなりと頬笑むと、前を行く男の後を付いて行ってしまった。













村に入った男は、行き交う人々と言葉を交わす。
子供は男の後ろを付いて、そのまま村へ入ってしまった。




初めて触れる人の営み。

森で出会った男以外の人間。
性別、年齢、体格、声、顔かたち、纏う着物の色形。
音、匂い、光、色。

子供は、目を見張って立ち止まってしまった。
圧倒される全てに、子供は産まれて初めて”怖い”という感情を抱いた。
先を行く男を目で追い、距離が開いていることに慌てて男を追う。
追いつくなり子供は、男にしがみついた。
男は、不意に腰の辺りに衝撃を感じて、よろめいた。

「な、何だ?」

男が見ると、山で会った子供が自分の腰にしがみついていた。

「何でお前、こんなとこにいるんだ?」

子供を腰から引き剥がす。
子供は怯えた顔で男を見返していた。
大きな金色の瞳が潤んでいる。
男は、その大きな瞳に一瞬、見とれた。
子供は男の手を振り払うと、また、しがみつく。
男は困って通りの真ん中に立ちつくしてしまった。
そんな男の様子に見かねて、すぐ側の店の女将が男に声をかけた。

「今、帰りかい?祥」
「えっ?」

声の方を振り返ると、馴染みの女将が立っていた。

「どうしたんだい、その子は?」

女将は、祥にしがみついている子供を覗き込んだ。

「坊や、どうしたい?」

そっと声をかけながら、裸の背中を撫でた。
子供は肩を震わせて、背中を撫でる女将を見上げた。

「まあ、なんて可愛い子だろうね」

見上げる潤んだ零れ落ちそうな大きな金の瞳、大地色の腰まで伸びた柔らかな髪、小さな華奢な躯。

「大丈夫、何もしないよ。おいで」

女将は撫でていた手を止めて、両手を子供に向かって差し出した。
子供は女将のする事を戸惑ったように見つめていたが、にっこり笑った女将の人の良い笑顔におずおずと小さな手を差し出した。

「いい子だ」

女将は子供を抱き上げると、祥に

「あんたもおいで」

そう言って、店に戻って行った。
祥はため息を一つ吐くと、女将の後を追って店に入って行った。







「で、この子はどうしたんだい?」

子供を店の縁側に下ろし、女将は祥にも座るように促して、口を開いた。
祥は荷物を下ろして、子供の隣に腰を下ろした。
子供は祥の膝によじ登り、ごそごそと躯を動かして、座り心地のいい位置に落ち着くと、嬉しそうに祥を見上げた。

「山で会ったんだけどよ、付いてきちまったらしい」

自分を見上げる子供に気が付いて、その頭を撫でてやる。
子供は喉を鳴らして笑った。

「山で?」
「ああ、山の川べりさ」

女将は子供に店のリンゴを一つやった。
子供は不思議そうにそれを受け取ると、なめたり、臭いを嗅いだりしていたが、その甘酸っぱい臭いに誘われるように歯を立てた。
途端に口一杯広がる甘さに嬉しそうに笑うと、食べ始めた。

「妖怪の子供かい?」
「だと思うけど、瞳が金晴眼だし、山が花果山だからひょっとしたらこの子は地母神様の御子かもしれない」
「もし、地母神様の御子なら勝手に連れて来ちゃまずいんじゃないかい?」
「勝手って、自分で付いて来ちまったんだから・・・」

不安げにリンゴを囓る子供を見下ろす。

「まあ、連れてきちまったものはしょうがないさね。御子にしろ妖怪の子にしろ、あんたに懐いてるようだから、面倒をみてやらないといけないだろねぇ」
「面倒って・・・親がいるだろ」

女将の言葉に慌てた祥の剣幕に子供は、びっくりしてリンゴを取り落としてしまった。

「ふぇ・・」

今まで嬉しそうに笑っていた顔が、見る見る泣き出しそうに歪む。

「祥!」

声を上げた祥を睨んで黙らせると、

「ほら泣くんじゃないよ」

女将は子供にもう一つリンゴを手渡してやり、宥める。

「ま、日暮れになれば家へ帰るだろうけど、それまではあんたが側に居てやらないといけないよ。それにその格好じゃちょいとまずいね」
「?!」

女将はそう言うと、店の奥に入り、子供の服を持って出てきた。

「うちの坊主のお下がりだけど、この子に着せておやり」

差し出された服を見て、祥はめんどくさそうに顔を眇めたが、どうにも断れないと見て、服を受け取った。

「おい、坊ず、立て」

祥は、リンゴを頬張っている子供を立たせ、服を着せ始めた。
子供はその間もリンゴを離さず、くすぐったそうに笑い声を上げ、リンゴを食べ続けた。
祥は馴れない仕草で子供にやっと服を着せ終えた。

「ちょっと大きいかね」

袖とズボンの裾を折り曲げて、緩い襟元から細い肩をのぞかせた子供がにこにこと笑って立っていた。

「いいんじゃないか」

ぽんと、子供の頭を軽く叩くと、立ち上がった。

「祥?」
「品物を納めてくる。その間、こいつを頼む」
「わかったよ」

子供は着せてもらった服が珍しいのか、撫でたり、引っ張ったりしていた。
そんな様子を祥は、面白そうに眺め、荷物を担ぐと外へ出て行った。
子供は祥の後ろ姿が戸口から見えなくなる頃、祥がいないことに気が付いた。
慌てて、後を追おうとして、女将に止められた。

「すぐ戻って来るよ」

泣きそうな顔で女将を振り向いた子供は、女将の言葉に女将と戸口を交互に眺めやって、落ちつかなげな顔をしていたが、やがて何も言わず黙って祥の去った戸口を不安げに見つめていた。







祥が女将の店に戻った途端、子供は祥にすがりついて泣き出した。
子供はこの時、置いて行かれる”寂しさ”と祥が戻って来ないのではないかという”不安”を初めて感じた。
そして、”安堵”という気持ちを知った。
泣くという行為も子供には初めての体験だった。

「懐かれてるねぇ」

泣きじゃくる子供に狼狽える祥の姿を女将は、笑って見ているだけで手を貸そうとはしなかった。

「何とかしてくれよぉ」

困り果てた顔で助けを求める祥に、女将は笑いながら首を振った。

「その子はあんたがいなくて不安だったんだ。だから、ちゃんと抱いておやり」
「・・・っつたく」

祥は女将に言われるまま、しがみついて泣く子供を引き剥がして抱き上げた。

「もう泣くな」

つっけんどんな口調でそう言うと、子供はしゃくり上げながら顔を上げた。
今にも零れそうな大きな金の瞳が潤んで、光っている。
泣きはらした目元が赤くなって、子供は酷く危うげな印象を祥にもたらした。

「泣くな」

もう一度言う祥の困ったような怒ったような顔に子供は一瞬不思議そうな顔をした後、ほころぶような笑顔を祥に向けた。
祥はその笑顔に顔が赤くなるのがわかった。

「何だよ、なあに赤くなってるんだよ」

そんな祥の様子に女将が呆れた声を上げる。

「えっ・・・あ、い、いや、お、俺は・・・」

どぎまぎと益々赤くなる祥の様子に女将は笑い転げた。
子供は女将が笑う声につられるように、にこにこと笑顔を深くしてゆく。
祥もそのうち困ったような泣いてるような笑顔を浮かべるのだった。




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