――identical U
ヒュウッ…と、風が鳴った。 反射的に――その位置から飛び退けたのは、今まで培ってきた戦いの経験と勘によるモノだった。 耳元スレスレで感じた風圧に、一瞬遅れて冷や汗が吹き出た。
寺院の広い庭を渡る為の廊下の途中。 三蔵が飛び退いた先を追うように、低い位置からの攻撃が再び繰り出される。 …が、このままの状態で避け続けるには、限界があった。 廊下の壁を眼にした三蔵は、思い切って踏み切ると――壁にある柱の窪みを脚で蹴って、空中で身体を反転させた。 その僅かな隙を突いて取り出した銃のトリガーに指を掛け――相手の眉間を狙った。
ピタリ――と、狙いをつけた照準の先で。 小柄な子供の姿をした獣が、その動きを止めた。
「チッ――大人しく死んでいれば良かったのに」 普段より低い響きを持つ声が、三蔵が保護下に置いている子供の口から漏れた。 「久しぶりに出てきたと思ったら、…たいした歓迎じゃねーか?」 悟空の姿をしたモノが、敵意を顕わに吐き捨てた。
「?……悟空に、何かあったのか?」 「まったくもって、救いようのない愚かさだな、人間」 冷えた空気が辺りを包み、凶暴な気配が濃くなった。 悟空だけを愛し、守り続ける彼が表に出て来ざるを得ないような――何か。 だが、三蔵が離れに来るまでに見た限り、寺院内で不穏な騒ぎが起こったという気配はなかった・・・筈だ。 「…愚かで結構だ。悟空がどうした?」 「てめぇ…ッ!」 この期に及んで気紛れを起こした相手に、三蔵はトリガーに掛けた指先に力を込めた。
「……撃てもしない癖に」 問答無用で襲われて、相手の機嫌が良いなどとは三蔵も思わない。 「…お前は、言葉が少なすぎる。だから、アレが不安になって、余計な事をしようとする。 侮蔑に誓い声音で囁いた悟空の中にいるもう一人の存在は、口の端をあげて三蔵を嗤った。
「お前が何も云わなくても、その程度の情報はコレの耳にも入ってくる。 無言のまま眉を顰めた三蔵に、少しは溜飲が下がったのか…少しだけ彼の殺気が薄らいだ。 「そんな時だった――ここの檀家の一つで、慶雲院を裏から動かしている――とまで囁かれている、有力者の男と会ったのは。確か、3ヶ月前だ。 「―――っ、会っただけじゃ…ねぇーんだな?」 三蔵は己の声が掠れているのを自覚した。 その三蔵の苦しげに歪められた唇を楽しげに見詰めた子供は、足音もたてずに近づいてきた。
「“三蔵様のお手つきの子供”って云う噂は、意外と男をソソルらしいぞ? 艶かしささえ感じさせる金晴眼が、低い位置から三蔵の紫暗を覗き込んで囁く。
「テメェ…それで、好きにさせたのかッ?!」 子供の襟元を掴んで引き上げると、三蔵はその小さな身体を廊下の壁へと押し付けた。 「お前が何も言わないから、コイツは耳に入ってくる周りの噂で判断するしかない。 「……お前でも――止められなかったのか?」 子供の首筋を閉めていた手を緩めて、三蔵は彼の悔しそうに歪められた小さな唇を見た。
「三蔵」の為になるなら、と。 そう強く信じた悟空は、護ろうと内から手を差し出す存在すら、その心の中から閉め出してしまったのだ。
「…お前を、殺してやりたい」 呪詛のような言葉だった。
この男を殺してやりたい、悟空の心から完全に。 それなのに――。 どうしようもできない悲しい怒りを満たした細い瞳孔が、悟空を縛り付ける存在――三蔵に向けられた。
「それは…簡単に叶えてやる訳にはいかねぇ…な…」 そう言って、酷く傷ついたような瞳をしている彼の頬に触れた。
…3ヶ月前だと、コイツは云っていた。 おそらく、その間もずっと呼ばれて出ていく悟空を止めようとしていたに違いない。 ソレが出来なかった理由を想って、三蔵は苦い溜息を吐いた。
そして、それほどの長い間…気づかないでいた自分を、確かに愚かだと思った。 …だが、実際にはこんな悲しい隠し事ができるくらいに成長してしまっていたのだ。
「それで――“今日”は…お前を呼んだんだな?」 「何をされた?」 正しくは――何も知らずに暢気な顔で帰ってきた三蔵を見て、逆上して襲い掛かってきた――と云うトコロだろう。
「俺は…礼を言っておくべきか?」 頬に触れていた三蔵の手を払うと、子供は三蔵が触れられない距離まで下がった。 「俺から見れば――お前も、…あのジジイも、そう大して違いはない」 そこに嘲るような響きがあるのは、隠された三蔵の“欲”を見通しているからに違いない。 見えないものを視る――この美しい金晴眼には、三蔵の姿はどう映って見えるのか?
細めた瞳で、静かに三蔵を見据えた後に。 「――詫びる気があるなら、後の始末はお前がしろ」 疲れたようにそう告げた。
「あぁ、面倒をかけたな」 いつかも聞いた捨て台詞だった。
それでも、言いたい事を言い終えて気が済んだのか。
そして、三蔵は…。 深く閉じられた瞼の下から、彼の大切な黄金が現れるのを祈るような想いで待ち続けた。
◇◇
ゆっくりと開いた瞼の下から。 寝起きの時にする仕草で、何度か大きく瞬きをした悟空は――目の前にいる三蔵を見て、僅かに首を傾げた。 「あれ…さんぞ? なんで?…お仕事終わるの、明日だったんじゃねーの?」 不機嫌な声で予定が早まった理由を口にすると、悟空は微かに笑った。
だが、次の瞬間――。
「…あれ? でも、俺…なんで…こんなトコに」 いるんだろう? 部屋での出来事を思い出したのだろう。 「待て…悟空!」 追い詰められた小動物のような悲鳴が上がった。
「ご、ごめん、なさい…! ごめん、三蔵! 俺…おれ、…っ、失敗した!」 こっちに来い…と、手を伸ばす三蔵から、躯を隠すように夢中で廊下の床に小さく、小さく蹲まる。 「俺、ちゃんと、し、しなきゃって…思ってたのに、…でも、すごく、すっごく…嫌で…っ、我慢できなくて…だから、…っ」 血の気の引いた唇が、ガチガチと歯を鳴らす。 ギリッと、唇を噛み締めた瞬間――嘲るような鋭い金晴眼が脳裏を掠めた。 きっと、あの時の彼も…こんな気持ちでいたに違いない。
「さん…、さんぞ…ぉ…ごめ…な?」 泣き塗れた金瞳が、三蔵が何故そんな事を知っているのだろう…?と言う疑問を浮かべている。 三蔵は濡れた頬を拭いながら、それには応えずに震えの治まらない背中を何度も撫でた。 その僅かな重みと体温に、三蔵はホッと安堵の息を吐いた。
…そして。 「…なぁ…俺は、そんなに頼りないか?」 そう、静かに問うた。
「お前に助けられないと駄目なくらい、俺は…弱く、見えるか?」 悟空の金瞳が、大きく見開いた。
――数ヶ月前。 聖天経文へ辿りつけそうな、信憑性のある情報が手に入り――殆ど毎週、経文探しに駆けずり回っていたのは事実だ。 悟空が『有力者の男が持つ新しい情報』とやらを、身を引き換えにしてでも手に入れてやりたいと思う位には。
「だったら……もう少し、お前は俺を信用しろ。」 力が入りすぎて震える拳を――包むように握り締めて。 「俺は…お前を使ってまで、経文の情報を手に入れたいまでとは…思ってねぇ、から」
すると、そんな三蔵の顔を、ジッ――と凝視していた悟空が、泣きそうな顔で微笑んだ。
「―――うん、ごめんな? 俺さ、勝手に…三蔵が、喜んでくれるんじゃないかなぁって…前みたいに、俺見て…笑ってくれるかもしれないって…思って…、馬鹿だよなぁ…?」 笑顔を形作った瞳から、ポロリ、と新たな涙が頬を伝った。
「――――――ぁ…?」 尚も謝ろうとする悟空の細い身体を、三蔵は強く、強く抱き締めた。 三蔵自身、子供の前で笑っていたと云う意識は殆どない。
「悪かった」 低く呟いて濡れた頬を拭うと、衝動のままに紅くなっている瞼に唇を落とした。 どれだけ疲れて戻ろうと、お帰りなさいと飛びついて来た、子供。 しゃがみこんだまま、腰が抜けたみたいにぺたりと座り込んでしまった子供に、これからはもう、俺以外のヤツに触らせるな・・・と、三蔵は囁いた。
「え…と、……さん、ぞ…?」 言われた言葉の意味がまだよく分かっていないのか――ボンヤリとしている悟空の顎を持ち上げて――ダメ押しのように唇に触れた。 「〜〜…!?」 絶句して、真っ赤になった悟空には――「迷惑料だ」と嘯いた。 実際、これから部屋に残っているエロジジイの文句も聞かされる事だろうし。 そんな風に、執務に戻ったこれから後の事を考えていると――ツンツンと法衣の袖を引っ張られた。 「…?」 口にした途端、もっと恥ずかしくなったのか、紅い頬をコレ以上ないくらい赤くして呟く。 再び身体を硬くした悟空に胸を突かれて…。
「…バカ猿」 小さく呟いてから、柔らかく唇を塞いだ。
「………ぁ」 微かに漏れた声に悟空を見ると――。
「ったく…お前…、コレくらいでそんなに幸せそうな顔してるんじゃねーよ…」 照れ隠しにグリグリと髪を撫でると、漸く悟空らしい笑みがその身体中から溢れてきた。
「――お前がそんなだと…焼餅を妬くヤツが出てくるぞ?」 ますます不思議そうな顔をした悟空には、バレたら殺られるから内緒だ――と釘を刺しておいた。
まぁ――もうすでに…死ぬほど怒っているだろうが。
あの苛烈な光を放つ金晴を思い出して。
コレくらい目を瞑ってろ…と。 ――小さく笑った。
終 |
2007年 3月末日
◆思いがけなく【identical】の続編ができました!
書きたかった出だし部分をチラ見せした所、物凄い勢いで喰い付いて下さったmichikoさんに捧げたいと思います。(大迷惑;)
でも、「読みたい」と言ってもらえなかったら、そのまま、また何年も引き出しに仕舞われていた事でしょう。
切っ掛けを下さって、いつも本当にありがとうございます。
――相変わらず仲の悪い二人ですが;
三蔵をぶっ殺してしまいたいのに出来ないジレンマに苦しんでいる彼を、気に入って下さってありがとう!!
でも、結構人が良いですよね、彼・・・。(^^;)
ちなみに、まだ三蔵・・・悟空には手を出していません。(彼がいる限り、手を出せるのかどうかも怪しいですが。)
まだ青い感じの三蔵をお楽しみ下さい。(苦笑)
長いので、前半と後半を「斉天&三蔵」、「悟空&三蔵」で別けるべきかとも悩みましたが…一本にしてみました。
それぞれをカッコ良く書くって難しいですが、ちょっと楽しくもありました。(^―^*)
最後――
予想外に甘くなりましたが、楽しんでもらえると嬉しいですv
<みつまめ様 作>
みつまめ様から頂きました。
「identical」の続編でございます。
この危険な金鈷をしたまま表面に出てくる斉天を再び読めるなんて、逃すわけにはいきませんでしょう(微笑)
某所で読ませて頂いた時には、もう餓えた何とかのように、がっつり食い付いて離さなかった、私。
ガッツいた私に、優しく、寛いお心を示してくださり、こうして頂いてしまいました。
それも「identical」とセットでv
この悟空が大事でしかたない「彼」は三蔵が邪魔で、邪魔で、殺したい程だったりします。
三蔵は三蔵で「彼」の想いを知っていて、悟空を邪険にしたり、甘やかしたりと好き放題です。
けれど、「悟空」が誰よりも、何よりも三蔵を大事に思っているし、三蔵もまた悟空を大切に思っているので、手が出せない。
だから、三蔵を助けるのは「悟空」のためで、本人にとっては物凄く不本意で、腹の立つことなんですよね。
そんな二人が「悟空」を挟んで何となく共同戦線みたいなものを貼りそうな様子を見せてくれるこのお話。
三蔵なんて死ねばいいと思ってる「彼」にとって三蔵は「悟空」が身体を投げ出してまで役に立ちたいと思うことがどうにも許せない。
三蔵を思うその所為で傷つく「悟空」を庇えても、慰めることが出来ない。
それは悔しいことに三蔵にしかできないことで。
そのジレンマと三蔵への嫉妬で、いつも隙を狙ってる彼が愛おしいです。
みつまめ様、本当に本当にありがとうございました。
私は、幸せですv
一緒に頂いた続編 「identical」は
こちら からどうぞv