太陽のあたる場所




     Side,悟空

 ――その日も、いつもと変わらない、ただの一日が始まるはずだった。



ただ太陽が昇り、沈んでいくだけの何も無い一日。
その時間の流れを、いつもと同じように漂うだけの自分。

・・・だから、人の形を取って現れたその変化は急激過ぎて、まるで夢の中での出来事のようだった。



誰も訪れる筈の無い場所に、突然現れた人物。
陽の光を受けて輝いていた髪は、そのまま太陽の色を移したようだった。
白い法衣と、それ以上に白い肌の色。

――何よりその眼の色と輝きの強さに、息が止まりそうになった。

明け方と、夕暮れのひと時だけに現れる空の色――今までも一番好きな色だったけど、自分だけに向けられたこの瞬間からは、特別な意味で大好きな色になった。
白くて綺麗な手が差し伸べられて、その手を掴んだ時、澱んでいたような時の流れが、一気に流れ始めるのが見えるようだった。



そして、自分をこの岩牢に繋ぎ止めていた戒めが弾け飛んだのだ。



   その手に引かれるままに立ち上がって――俺は歩き始めた。



       ただ、見ている事しか出来なかった、太陽が昇っていく処へ・・・。






 何年かぶりに、歩く、感触。

地面の変化が直接足の裏に伝わって、新鮮な気持ちを味わえた。

ちょっと楽しくなって笑いかけた時、ふいに手を引いて前を歩いていた“その人”が振り返った。
びっくりして立ち止まった俺の足元を、なにやら苦々しげに見つめて舌打ちする。

「チッ、仕方ねーなー」
不本意で仕方ない、と言いたげな口調でそう言ったと思ったら、山道の脇にあった岩に腰掛けるように肩を押された。

・・・座って、何をするのかとぼんやり見上げると、着ていた白い法衣の肩袖の内側を破くのが見えた。
更にそれを細い布切れになるように、裂いていく。
そのまま見つめていると、右足をあげさせられて――ようやく裸足のままの足を包もうとしている事に気がついた。

 ・・・・・・驚いた。

思わず足を引っ込めようとしたら、

「大人しくしてろ!」

・・・と、怒鳴られた。



そのままグルグルと布を巻きつけられて、その手の動きに見惚れていると、思い出したように聞かれた。



「聞き忘れたが、お前、名前は?」
「・・・悟空。」



 「悟空?」



 ――その声を聞いた途端、体の中に熱い塊みたいなものが生まれた。





名前を呼ばれた、それだけなのに、震えるほど興奮している。長い間、誰にも呼ばれたことの無い名前だった。
それを、自分以外の誰かが呼ぶ。

  ・・・知らなかった。

こんなに嬉しい事だったなんて!!

湧き上がるようなその熱に押されるように、記憶の中に仕舞い込まれていた言葉が溢れ出した。



「あのさ、あのさ! 空(そら)って言う字の“空”でね、こーゆー字の“悟”を書くんだって!」
嬉しくて、なんだかワクワクして声が弾んだ。
空を指差しながら、覚えていた唯一の字の形をなぞってみる。

こうして、自分以外の誰かと言葉を交わす事だって、もうずっと、ずっと忘れかけていた行為だった。

その指の動きを確認したその人は、感心したように

「――結構、頭の良い奴が付けたんだな。」

・・・と言って、足を包む布の端を縛り終えた。

「?」

誉められたんだろうか?
もう一度呼んで欲しかったけど、すでに興味を失ったようで、こっちを見てもくれない。

「あんたは?」
もっと話をして欲しくて、立ち上がろうとするその手を、思わず引いた。

「・・・・・・俺、か?」

妙な間があった。
何か考えるようにして、覚えられるか?――と、疑わし気に呟いてから、

「唐亜玄奘三蔵法師、だ。」

    ――そう、言った。



何、それ?と思った。

長すぎる。・・・そもそも、名前らしくない気がする。

黙り込んだ俺を見て、「やっぱりな・・・。」と、溜息まじりに一人で納得している。



「三蔵、で、良い。」
「さんぞー・・・?」
そうだ、と言って腕を取られたまま立ち上がった。
「そうだ。・・・町に下りたら、ちゃんと靴も見つけてやる。それでしばらく我慢しろ。」
そう云って、俺の腕を取って立ち上がった。




  嬉しくなってコクコク頷いていると、何故だか――また溜息を吐かれた。









   Side,三蔵

 ・・・意識する前に、溜息が出た。
第一印象は正しかったのかもしれない。

「間抜け面」とは言ったが、どうやら――そのまま定着しそうだ。

強請られて教えた名前も、やはり覚え切れなかったらしく、困惑もあらわな様子で見つめてきた。・・・特に何かを期待したわけでは無かったが、この先が思いやられる――そんな予感がした。

「何処行くの?」
山の麓に着いた頃、そう聞いてきた。
「宿屋だ。荷物を預けたままだからな。」
事実だか、そのままの意味でもない。

――何しろ、この子供の格好ときたら、ホコリまみれでヨレヨレだし、どう見ても尋常じゃない。

このまま町を連れて歩きでもしたら、それこそ怪しい人物として役場に引っ張られるだろう。ヘタをすれば、誘拐の犯人扱いされるかもしれない。
それで無くとも「三蔵」としての、自分の姿は目立つのだ。

・・・これ以上の揉め事は願い下げだ。
幸い、五行山に登る前に立ち寄った、町外れの一軒宿の主人夫婦は物静かな性質らしく、余計な詮索はしないと思われた。そこで何とか体裁を取り繕えば、寺への道中も少しは快適なものになるだろう。





禁足地と呼ばれた、五行山の麓に人目を避けるようにしてその宿はあった。

・・・もともと、宿屋として泊まる客を当てにしている訳ではないらしい。自家の空いている部屋を、旅人に貸しているというだけの道楽にも似た、商売ッ気の無い所が気に入っていた。

この日も他に泊まりの客はいないらしく、主人夫婦も自家の畑の手入れをして、一日を終えようとしていた。
寺院が「禁足地」だとして登ることを止めている山に、たった一人、供も連れずに分け入った年若い、僧侶らしからぬ風貌の三蔵を、気遣わしげに見送ったのは、まだ暗い早朝の事だった。

それが、今度は子供連れで戻ってきた。

・・・その意味に、気が付かなかった訳でも無いだろうに、二人は三蔵を見て、安堵したように微笑んだ。





「無事で良うございましたな。」
「・・・悪いが、今夜も世話になる。」
「構いませんとも。」
いそいそと近寄ってきた婦人は、三蔵の影に隠れるようにして二人を見つめていた子供に、ひどく懐かしいものを見るような瞳で笑い掛けた。

「いらっしゃい。お名前は?」
「・・・・・・悟空。」
三蔵の袖を握り締めたまま、今日出会った三人目を見た。

そして、あっという間に警戒心を解いたらしい。優しく撫でられた頭の感触を、嬉しそうに楽しんでいる。



「何か食べたい? 好きな物、作ってあげましょうね。」
「!」
そう声を掛けられて、子供は目を丸くした。

それを見て、嫌な予感に襲われた三蔵が何かを言う前に、婦人に抱きついていた。
・・・どうやら、好意を伝えたかったようだが――。
抱きつかれて、さぞ驚いただろうに・・・嫌な顔もせず、食べ物に懐柔された子供を見る眼は、やはりどこか痛々しかった。



    ――愛しそうに触れるその手が、少しだけ震えていた。





「先に、風呂を使わせて貰いたいのだが・・・」
そう云うと、主人がすぐに用意に走ってくれた。薪を使った釜戸式で、わりに大きな浴槽で助かった。
一緒に入るつもりは無かったが、何が何だか理解できていないらしい子供が、何をしでかすか不安だった所為で、法衣を脱ぎ、ズボンの裾を折り上げて、怯える子供を強引に風呂場へ押し込んだ。



  (こんな姿を寺の連中が見たら、卒倒するかもな。)

 ・・・我ながら、慣れない事への戸惑いに溜息が零れた。









   Side,悟空

 山から下りると、程なく三蔵が言っていた「ヤドヤ」らしき建物が見えてきた。

・・・庭に続く畑で、何かをしていた人物は二人。(何年かぶりに見た人間が、新たに記憶に加わった。)

中年の、年恰好も良く似た、仲の良さそうな二人だった。その内の一人は、頭を撫でてくれて、暖かい感じがした。
何を食べたいか?と聞いてくれた時には、嬉しさの余り抱きついてしまった。両腕でもまだ回りきらなかったけど、暖かいと思ったままの感触が、堪らなく懐かしかった。
こういう気持ちの時は「ありがとう」って言えば良かったんだと、後になって思い出したが、三蔵も何も言わなかったし、「ま、良いか」って思った。

 家の中に入ると、三蔵が「風呂に入れ」と言った。

何の事か忘れていたので、黙ったまま見上げたら、呆れた様に絶句していた。
連れて行かれた別棟の部屋で、どうしょうかと思っていたら、強引に服を脱がされた。
そして、見るからに熱いお湯が入っている浴槽の前で戸惑っていると、「さっさと入れ」と手桶に汲んだお湯を、頭から掛けられて悲鳴をあげた。

    とてつもなく熱く感じて、このまま煮殺されるんじゃないか?――とまで疑った。









  Side,三蔵

    ・・・眼は口ほどにモノを言う。

 ――が、この子供の場合は、言い過ぎるのだ。



「入れ」と、いった浴槽の前で突っ立っているので、掛け湯をしてやったら物凄い悲鳴をあげられた。
「何だっ!?」
焦ってよく見ると、ガチガチと寒いわけでも無いだろうに、口元を引きつらせた子供が、必死の形相で見上げてきた。

 やめて、お願いぃっっ!

 ・・・と、叫ぶ声が聞こえた気がした。



(一体、俺は何なんだ? まるで、残虐非道な事をしているみたいじゃないか。)

慣れない事を、親切にもしてやっているのに、この態度・・・。
腹を立てるなと言う方が、どうかしている。

  ――ムカついたので、そのリクエストに応えてやろうと、『ひどい事』をしてやった。



荒布でゴシゴシと背中を擦りつけ、目に沁みて痛がるのも無視して髪も洗った。
暴れようが、喚こうが湯にも浸からせた。
熱いかどうか、少し心配だったので手を入れてみたが、何と言う事もなかったので、嫌がるのを頭っから投げ込んだ。

(俺に逆らおうなんて、甘いんだよっ。)
こっちもびしょ濡れになったが、後で入るつもりだったからまぁ、勘弁してやる。

・・・ぼたぼたと、髪から零れる水滴を拭いもせずに、俺は笑った。
奇妙な達成感からだったが――半泣きの顔で体を拭いていた子供が、見惚れたように金瞳を大きく開けて、間抜けな顔をした。









     Side,悟空

 ―――死ぬかと思った。

やっと、岩牢から開放されたのに、結果がソレではあんまりではないか・・・。

必死の抵抗もむなしく、あちこち乱暴に擦られて、お湯の熱さに何とか慣れた頃、漸く平静を取り戻した。
綺麗な顔をしているのにひどい事をするヤツだと、ついて来た事を少し悔やみかけた。
乾いた布でヒリヒリする体を拭きながら、チラッと見上げると、三蔵が笑った。口の端を少し上げただけのものだったけど、あんまり綺麗だったので、目が離せなくなった。

・・・そのまま、ポー―ッとして三蔵の髪から金色の雫が落ちるのを見ていたら、また不機嫌そうな表情になった。けど、何だかもう、どうでも良いような気がしてきた。



目の前に三蔵がいて、笑ったり、怒ったりしてくれる。
 ・・・これ以上、望む事はない気がした。





丁度、体を拭き終わった時に、さっきのおばさんが、「これを着ておきなさい。」と、新しい服を持ってきてくれた。

嬉しかったから、今度こそ!って思って「ありがとう」を言った。

三蔵が、ちょっと目を見開いてこっちを見たけど、「出来たからね。」と言われた食事に気を取られてしまった。

丸い机に並べられた食事をみて、お腹が空いたという感覚を、ハッキリと思い出した。
今まで、どうして我慢できていたのか、と思うくらいだ。
何から食べようかと、ワクワクしていたら目の前に座った三蔵に、コレを使えと棒を二本(箸)差し出された。
ソレの使い方がうろ覚えで、芋が何度か転がったけど、ちゃんと食べられたし、美味しかった。
もっと食べたいなぁ、って思ったけど、三蔵が呆れた顔で睨むので、止めておいた。



   ――食べ物が美味しいって、すっごく幸せだと思った。





これからも三蔵と一緒だったら、ずっとそう思うだろうなって、楽しくてたまらなかった。









    Side,三蔵

「少し大きいかもしれませんが、良かったらどうぞ。」
そう云って手渡された服は、明日にでも町に行って手に入れなければ・・・と、思っていた子供服だった。
きっちり畳まれた、やや大きめのサイズの服からは、虫除けと思われる薬草の香りがした。

 ――大切に仕舞われていた物だったのだろう。

有難かったが、本当に良いのかと不安になって訊くと、「もう着なくなった物ですから。」と、淡い微笑みが返された。
それから、ボタンの留め方が判らないらしく、モタモタと上着と格闘していた悟空を眩しげに見つめる。

 ・・・それを見て、ふと、納得した。

こんな辺鄙な所で、宿をしている事も。
気配も無い子供用の服が、一揃い全部あることも。
何より、初めて悟空を見てからの、二人の態度の変化。

 ・・・ここにも、かけがえの無い大切な者を、失ってしまった寂しい人間がいた、と云う事だ。



長すぎた袖口を折り返してやりながら、「ズボンの裾は後で直しておきますね。」と、夜着まで用意してくれた。
――滅多に無い事だが、心から感謝した。

それを真似た訳ではなさそうだが、悟空が「ありがとう」と言ったので、少し、このサルを見直す気になった。






夕食は隣の畑で採れた野菜が中心の質素なものだったが、家庭的な暖かさが感じられるものだった。

   ・・・・・・それにしても、良く食う。



ぎこちなく箸を動かして、一生懸命食べようとする姿は、微笑ましいと云えない事もないが、・・・迷惑だ。
まるで食べさせてない子供みたいで、恥ずかしい――が、実際、あんな所に繋がれていたのだから、ずっと食べていなかったのは確かだろう。
お替りを頼まれて、嬉しそうにする婦人を見ると、強いて止めろとも言えず、うかうかと四杯目を食べ終えるのを見過ごしてしまった。
まぁ、ここまで幸せそうに食べて貰えたら、作った人間も、食べられる穀物も本望かもしれない。

 ――それだけは感心した。



まだ食べ足りない様子の子供にこれ以上許すのは、一緒の席にいる自分の管理能力に疑いを持たれるかもしれない―――ので、何とか止めさせた。

そして、部屋に戻って、いざ就寝という時になって、又も頭の痛い事をしてくれる。
どうやらベッドが珍しいらしく、なかなか、横になろうとしない。しかも、本当に此処で寝て良いのか?と不安そうな眼を何度も向けてくるのだ。

・・・まぁ、今朝まであんな岩牢で寝ていた事を思えば、仕方ない事かもしれないが、鬱陶しい。

こっちは山登りと、さっきの風呂場の乱闘で、疲れているんだよ。――ったく。
まだ何か云いたげなサルの頭に毛布を被せて押さえ込むと、漸く大人しくなった。

かすかな寝息と、触れあった手が暖かかった。



  ――これで。



          あれほど頭に響いていた、煩い声も――。

            

                  

                      静かになるんだろうか?

       

                            

                                    《続く》




何もかもが懐かしい・・・。(苦笑)
一杯、弄り倒したかったのですが、あえてほんの少しだけにして後は原文(オイ;)のままです。

――2001年、春。

PCを買った私が嬉しがって、ワードの練習用に書き始めたもの。
どうやって二人の事を書けばいいのか全然分からなかったので、まったく別パートに分けてみました。
・・・が、とても成功しているとは思えません。(でも一話にするだけの力はなかった;)
文章にしても、ヘンなのが分かるので、その点に関しては・・・見逃してくださると助かります。

では、もう少し続きます。 ヨロシクv(恥ずかしい・・・。)

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