refuge (3)

駆け寄る三蔵の足が止まった。

桜の古木。
今を盛りと咲く花のはらりはらりと散り落ちるその花弁を薄く纏って子供は横たわっていた。
青い月の光に浮かぶその姿は現実味を欠いて。
三蔵は近づけば消えてしまいそうに思えて、動くことが出来なかった。

と、動かない三蔵に焦れたのか、風が血の匂いを運んできた。
そして、三蔵の背中を押す。
急げ、と。

「……っ!」

三蔵の身体に纏い付くように強い風が吹き、子供の上に積もっていた花びらを吹き上げる。
煽られる風から顔を庇っていた三蔵は、吹き抜けた風に引っ張られるように一歩を踏み出した。
それを切っ掛けにして、三蔵はようやく桜の根元に横たわる子供の元へ近づいた。

「悟空…」

横たわる悟空の傍らへ近づく程、風が運んできた血の匂いが濃くなる。
その匂いに急いで近づけば、果たして、悟空は血に濡れていた。

「!!」

髪と言わず、顔も着ている服も腕も足も、血に染まっていた。

「悟空っ!」

慌てて抱き起こせば、どこか痛んだのか、むずかるように身体を捩り、小さく唸る。
その動きと声に、三蔵は悟空が生きていることにほっと、安堵の息を吐いた。
そして、血まみれの身体の傷を調べ、もう一度。今度は震える程安堵の色に染まった息を吐いた。

よくぞこれだけの怪我で済んだと。

痛そうに顰められた顔に着いた血を法衣で拭って、そっとその頬を叩いた。

「…悟空、悟空」
「──…ん…」

頬を叩く三蔵の手を煩そうに払う仕草を見せ、やがて悟空は目を覚ました。
焦点の合わない金瞳が朧に煙って。
何度かまばたき、ゆっくりと瞳の焦点が合う。
そこに三蔵の姿をはっきりと映して、

「………さ、ん…ぞ?」

掠れた声が三蔵を呼んだ。
その声に三蔵は震える吐息をつき、

「悟空」

と、名を呼んだ。
名前を呼ばれた悟空は一度瞳を見開いた後、がばりと身体を起こすと三蔵に抱きついてきた。
その勢いのまま三蔵は尻餅をつく。
が、ぎゅうぎゅうと抱きついてくる悟空の力に、何故かいつもの態度は取れなかった。

暫く、悟空の好きなようにさせた後、落ち着いた頃を見計らって自分から引きはがした。

「…落ち着いたか?サル」

言われて、悟空はゆっくりと頷き、長く深い息を吐いた。
そして、

「何で、三蔵がここにいるんだ?」

と、小首を傾げて、不思議そうに訊いてきた。
それに、

「探しに来たんだよ、サル」

と、いつになく素直に答えれば、悟空の瞳が驚きに見開かれた。

「──うそ…」

思わず零れた言葉に、ハリセンが何の予備動作もなく悟空の頭に炸裂した。

「ってぇ──っ!」

あまりの痛さに頭を抱えて蹲れば、

「死ね、くそザル」

と、怒りに彩られた三蔵の声と一緒に今度は蹴られた。

「何すんだよっ!」

痛さに涙目で三蔵を睨めば、

「捨てていく」

と、三蔵は踵を返した。

「…へっ?」

その余りな行動に怒ることも忘れて三蔵の背中を見上げれば、三蔵の白い法衣に血が付いていることに気付いた。
その血にぎょっとして、すぐに自分の手を見、身体を見て、ようやく悟空は気付いた。

「…ぁ」

悟空の上げた声に三蔵の肩が僅かに揺れた。
だから…。

「ゴメン…」

言葉は素直にこぼれ落ちた。

「ゴメン、心配…かけたよな、三蔵…ゴメン」

帰ると言って動かない三蔵の傍に躙り寄り、法衣の裾を掴んだ。

「…なあ…ゴメンって…三蔵」

ぎゅっと、握って引っ張れば三蔵の身体が揺れた。
そして、ゆっくりと三蔵が振り返った。
その動きに法衣を掴んだ手が離れる。
見上げた三蔵の法衣は赤黒く汚れていた。

「ゴメン…」

その汚れの酷さに悟空は一瞬、瞳を見開きすぐに項垂れた。
俯く頭の上で、ため息が聞こえた。
そして、

「アホウ」

声と共にくしゃりと血で強張った頭が掻き混ぜられた。

「──うん」

頷けば、ぽんと頭を叩かれ、

「帰るぞ」

言われて引っ張り上げられ、そのまま悟空は三蔵の肩に担がれた。

「ちょ…さ、三蔵っ!」

いきなりの行為に驚いて暴れれば、尻を叩かれた。

「喧しい。これ以上手間かけさせるな、サル」

言われて、

「だって…」

それでも納得できずに言い募る言葉は、三蔵の言葉に消えた。

「よく頑張った」
「……うん」

頷く悟空の笑顔は誇らしげだった。
三蔵はその気配に口元を綻ばせ、桜を振り返った。
そして、口元を引き締めると、何も言わず頭を下げた。

「さんぞ…?」

身体が傾いたことで、三蔵が何をしたのか気付いた悟空が、呼べば、ぽんと尻を軽く叩かれた。

「帰るぞ」
「う、うん…」

歩き出した三蔵の肩に担がれたまま桜を振り返った悟空が、

「ありがと」

そう言って手を振った。
その声に応えるように、桜が枝を振るわせたのだった。




end

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