refuge (2)

「日が暮れる…」

西の空を見やって三蔵は忌々しげに呟いた。




仕事の区切りがついた夕刻間近、、養い子と約束していた夕餉を取ろうと寝所に戻ってみれば、側仕えの僧侶がうろうろと落ち着かない様子でいた。
それに、いつもなら寝所に入るなり三蔵に飛びついてくる養い子の姿がない。
そんないつもと違う様子に、三蔵は軽く瞳を眇め、

「何だ?」

と、問えば、寝所に帰って来た三蔵に気付いた僧侶が縋るような視線を向けてきた。

「笙玄?!」

その何時にない様子に怪訝な顔を向けて理由を話せと促す三蔵の言葉に、笙玄は不安げな色を顔に張りつかせたまま、頷いて話し出した。

最近、寺院の裏山に続く山道と街道で妖怪の野盗が出没するようになったという話を街へ出掛けた修行僧から聞いたという。
その話では、妖怪の野盗達は裏山を根城にしているフシがあると、街の警邏が言っていたというのだ。
けれど、裏山は三蔵が守護する寺院の地所であり、その寺院も桃源郷で一二を争う大きな寺院であるので、寺院を野盗の妖怪が襲うような大事には至らないだろうとも聞かされた。

だからといって、寺院の敷地である裏山に妖怪の野盗の根城があるかも知れないと聞かされれば、彼らが寺院近くに出没しないとは、言えないではないか。
何より裏山は、三蔵の養い子にとって、大事な遊び場である山なのだから。
何も知らずに出掛けて、危険な目に遭ってからでは遅いではないか。

だから、話を聞いてすぐ、危険だから裏山へ行く時は十分気を付けるようにと、悟空に告げる前に、悟空は笙玄が呼び止める間もあらばこそ遊びに飛び出して行った。
それも、今日は裏山へ遊びに行くと、引き留める笙玄に言い置いて出掛けたのだ。

「もういつもならとっくに戻っている時間なのです。でも、まだ戻って来なくて…それに裏山には野盗がでるので気を付けるようにと言う前に飛び出して行ったので…」

心配だと。
遊びに夢中になっている間に、野盗のテリトリーに入り込んでしまってはいないかと。
野盗に見つかって、襲われているのではないかと。

「……笙玄…」

あまりな笙玄の心配のしように、三蔵はどこの過保護の母親かと、目眩を感じた。
けれど、確かに最近の世間の不穏な動きに妖怪が関わっていることは、隠しようもない事実だ。
人間を襲っているということも現実。
だから、笙玄がする心配は間違ってはいない。
しかし、妖怪に襲われたぐらいで悟空がどうかなるとは、思いはしないが。

「三蔵様、探しに行かせて下さい」

笙玄の切羽詰まった言葉に三蔵は沈みかけた思考から顔を上げた。

「悟空が強いのはわかっています。でも……」

それでも万が一ということだってあるかもしれない。
だから、三蔵が戻ってきたら許しを貰って、自分が裏山へ悟空を捜しに行くのだと、

「──お願いいたします、三蔵様」

その笙玄の言葉に、三蔵は大きなため息を吐いた。
これでは自分が行くしかないではないか。
もし、笙玄が想像している状態であれば、戦闘力などないに斉しい笙玄が行っても足手まといになるのは目に見えている。
だから、三蔵が動くしかなかった。

「いい、俺が行く。お前は飯の支度をして待ってろ」
「でも…」
「笙玄、お前がいたら足手まといだ」

三蔵の言葉に、笙玄は固まった。

「お前はお前の出来ることで悟空を待ってればいい。それで十分だ」
「……はい」

そうだ。
自分は体術は苦手だ。
まして、殺気立った妖怪と戦うなど、きっと怖じ気づいて何も出来はしない。
返って、三蔵を危険にさらすだけだ。
ならば、今、自分が出来ることを精一杯しなければならない。
三蔵の言葉に頷きながら、笙玄は拳を握りしめた。

「行ってくる」
「はい、お気を付けて」

ようやく落ち着いた様子を見せた笙玄に告げて、三蔵は出掛けてきたのだった。

裏山へ向かう道すがら、頭に響く悟空の声なき聲は、何も三蔵に危機を告げてはいない。
静かに三蔵の中で微睡んでいた、はずだった。

それが、裏山に入って暫くしてから、三蔵をはっきりと呼ぶようになった。
山全体がどこか緊張を孕んで、ざわついて。
そして、風が三蔵の身体に纏い付き、何かを知らせてきた。

「笙玄の心配は的中らしい…」

忌々しげに舌打ち、三蔵は悟空の姿を求めて歩みを急がせた。




三蔵がそこへ辿り着いた時には、悟空に倒された妖怪の骸が転がっていた。
その数の多さに三蔵の眉間の皺が深くなる。

「数が…多すぎる…」

見渡す骸の数に、三蔵はどれ程の間悟空は一人で戦っていたのかと思う。

それほどの数。

それは徒党を組む妖怪達の数が、噂以上であった証拠だ。
そんな戦いの中でも悟空は三蔵を呼ばなかった。
いや、ぎりぎりの状態になるまで呼ばなかったのだ。
だから、山がざわつき、風が三蔵を急かした。
その風に押されるように辿り着いたそこに、悟空の姿はなかった。

日が暮れる。
夕風が微かな悟空の気配を運んできた。
聲は三蔵を呼んで、止むことはなかった。

「どこにいやがる…」

いつもなら簡単に見つかる悟空の姿が、ざわつ大地の気配に紛れて見つけられない。
大地が、自然がこれほどざわつくのは、悟空の身があまり良い状態でないことを示す。
怪我をしたのか、動けなくなったのか。

「あのアホウ…面倒かけやがって」

三蔵は落ち着かない気持ちを静めようとタバコを取り出してくわえ、一息吐く。

「…悟空」

愛し子の名前を呟いて三蔵はタバコに火を付け、深く吸い込んだ。
苦いタバコの味が、どこか余裕を失っていたらしい気持ちを落ち着かせてくれた。
そして、もう一度自分の周囲を見回す。
と、夕闇に覆われる山の気配の中に、ようやくはっきりと悟空の気配を三蔵は感じた。

「見つけた」

確かに悟空の気配を掴んだ三蔵は、もう一度タバコを深く吸い込んで煙を吐き出し、悟空の姿を求めて歩き始めた。
その三蔵の背中を夕風が夜風に変わって急かす。
ざわめく気配がこちらだと、三蔵を誘う。

「…うぜぇ」

大地の三蔵を急かすざわめきを鬱陶しそうに舌打ち、三蔵は悟空が辿った道を知らず辿っていた。
そして、悟空が滑り落ちた場所に出た。
日が暮れて、昇った月が照らすその向こうは急な斜面になっていた。

「こっち…か…」

ひらりと身を翻し、三蔵は斜面を迂回する道を下へ下って行った。
芽吹き始めた下草と枯れ葉の道を月光だけを頼りに降りて行く。
悟空の気配だけを目指して。

そうして辿り着いたそこには桜の古木がひっそりと月光を受けて佇んでいた。
薄桃色の花は今を盛りと花開いている。
その木の根元に探していた姿を三蔵は見つけたのだった。




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