存在した時間が降り堕ちる
食事を持ってくると言ったのは、もしかして気休めだったのだろうか。 誰の存在も感じられない広い空間。 明けようとしない夜は、今でもこの部屋に光を差すことはなく、ただ孤独と恐怖を投げ続ける。 闇と光、その二つを考えると、もう駄目だった。 そんな時、空けていたはずの窓から微でもあった光が消え、遂に俺の周りは何も見えなくなる。 制服に皺をつくりながら身を縮め、震え始める自分の身体を知っても、もうどうすることも出来ない。 何も存在しなかった空間に、突然錠の擦れる音が響き渡る。 「悟空さん?ここを開けて下さい」 聞き覚えのある声が襖を隔てた向こう側から聞こえてくる。 「どうかしたのですか」 と襖をこじ開けようとする相手の声は、酷く甲高い。 「ここを開けて下さい」 開けてはいけない気がして、俺は声も上げず首を左右に振り続けた。 「どうして、食事を。持って来てはくれないのでしょう」 相手側から落胆の声が上がる。 「悟空さん。私めはちゃんとお持ちしておりました。何度も何度もこちらへ参ったのです。その度にお声もお掛けしたのです」 何度も? 俺は体中から力が抜け落ちるのを感じ、その場に蹲る。 「手紙を受け取った日から、もう半月が経とうとしております。その間、悟空さんは何も口にしてはいなのですよ。ああ、どうか目をお覚まし下さい。彼方はあの日から時を刻んでいないのです」 俺は瞼を閉じ、胸の痛みに耐えようと額を地へと擦りつける。 俺も縛られていたのだ。 あの桜に縛り上げられ、まやかしを見せられ続けていた。 「ああ、若様。やはりもっと早くお教えすれば良かった。こうなる前に、お教えすれば良かった」 襖からずるずると流れるように全てが崩れ落ちる。 「お前は下がれ」 有無を言わせまいとする、低い声が彼を制した。 雪が紅く染まり始める。 すっと襖が開けられ、久しく感じることの無かった人の気配を実感し、俺は目を開けて顔を持ち上げた。 腕を掴まれ脱力しきった身体を引き寄せられると、暖かい胸へと押し込まれる。 視線が絡み合い、俺は確かに紫瞳を捕らえた途端、すっと唇を親指でなぞられる。 「名を」 と相手は呟く。 名を呼べば、歯止めが利かなくなる。 「若様」 そう言ったものの、相手は目を細めるだけで接吻を止める気配はない。 「俺の名は、それじゃねぇ」 頼むから、名を呼べよ、と相手は呟く。 「三蔵」 と俺は甲を取り、躊躇いもなく口にする。 「三蔵、三蔵・・・」 噛み付かれるように口を塞がれながら、俺は知らず知らず祈った。 「もし、後世に生まれ変わる事が出来るのなら、俺は、また必ず三蔵を求めるよ」 頬に、冷たく雫が降り落ちる。 本当にその愛以外に何もいらないと思える程、俺は三蔵を愛していた。
Epilogue
垂れる汗を拭いながら人ごみを掻き分けるように進み、炎天下にしている犯人である太陽を見上げて、俺は無意味になる愚痴を零した。 明日は例年通りに初夏の陽気に戻る筈らしいが、そんな事が信じられそうにもないくらいに、今日の気温は異常な程外に出かける人たちをだらけさせていた。 日陰を意識しては逆方向に進む人達をやり過ごしていると、ふと、目の前に一片の花弁が見えた気がして、俺は無意識に立ち止まり、後ろから携帯に向かって喋り続けている人にぶつかったが、小さく謝ってすぐさま後ろへと振り返る。
声が在り歌が在り言葉が会ったのは、偶然ではない。
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2006/5.27
ここまでの長旅のお付き合い、ありがとうございました。
そして何よりもリクエストして頂きました michikoさま。
まさかこんな流れになってしまうとは、きっと想像もしていなかったと思います。
ももも申し訳ないです・・・。
それ以上に感謝の気持ちでもいっぱいです。
本当にありがとうございます。
最上級の愛を込めて。
<露 湖 様 作>
露湖さまのサイト「derashine」で募集されていたキリ番17777Hitに立候補して、書いて頂きました。
リクエストは「お互いがお互いを追っかけあって、最後にはちゃんと出逢うお話」というものでした。
簡単なようで難しい(書く人のみになって考えれば、偉く難しいと気付いた私)私の我が儘に、こんな素晴らしい長編で答えて下さいました。
大正時代のちょっと怠惰ででも厳格なくせに開放的で内包するエネルギーの激しい時代の三蔵と悟空です。
文章がとても文学的で、どうやって二人はお互いを見つけたのか、どうやって出逢うのか、とてもどきどきして続きを待ちました。
こうして出逢った二人、お互いに家を背負い、身分の差もあって、前途多難ではありますが、
きっと周囲を巻き込んで納得させながら、それでも密やかで熱い愛情を深めて行くのでしょう。
未来、声が聞こえて、また、二人は出逢い、恋に落ちるのでしょうか?
巡り会いは必然、出逢いも必然、恋は運命なんでしょうね。
もっと、もっとこの二人のお話が読みたいと思いながらも、満足感の味わえるお話でした。
露湖さま、本当に素晴らしいお話をありがとうございました。
幸せですvv