心のイタミ、小さなトゲ
怪我が治るまでの数日間はよかった。
三蔵は嫌そうな顔をしながらも、傍について面倒を見てくれた。
けれど、その分仕事はたまってしまったらしく、ここ数日はあまり顔をあわせていない。
寂しくて仕方ないけれど、悟空にはどうしようもない。
チクチクと何かが刺さったように痛む胸。
どうせ今日も三蔵は遅いのだろう、やるせない痛みを抱えながら、悟空は扉に手をかけた。
「あれ。さんぞ!」
今はまだ、日の落ちかけた夕暮れ時。
扉を開けば、そこには三蔵の姿があった。
いつもなら、まだ机に向かっているはずの時間。
「今日は仕事早く終わったの?」
この分なら、今日は一緒に夕食が取れる。
心の奥がやわらかくふくらんでいく。
「………終わってねえよ」
喜び勇んで駆け寄ろうとした悟空に、そんな声が返ってきた。
「え?じゃあ………」
もしかしたら、自分と一緒に三蔵も食べたかったのだろうか?一瞬、悟空の顔がぱっと輝いた。
だが、
「祐賢のヤツが、たまにはてめえと飯を食えと煩せえんだよ」
返ってきた言葉はただそれだけだった。
あの人に言われたから………そ、っか………
ああ、また。
まただ。
胸の奥が、きりきりして、おかしい。
「……………よ」
「あ?」
「いいよ、そんなの………さんぞ、仕事……忙しいの、俺、知ってるし」
「おい、」
「無理して、俺と食べること無いよ」
「そうか……」
三蔵は席を立った。
カタン、という扉の閉じる音が、たまらなく悲しかった。
+++++
変わることなく過ぎてゆく日々。
今日も三蔵は忙しいらしい。
廊下のふちに腰掛けて、取りとめもなく空を眺めていた。
ふと、廊下の端を眺めれば、三蔵と祐賢の姿が見えた。
二人でなにごとかを交わして、祐賢が深々と三蔵に対し礼をした。
また、二人。
やだよ……
うつむいた。
金の瞳を閉じた。
こぶしを握り締めた。
唇をかみ締めた。
三蔵………
ゆるく肩を叩かれる感覚に、はっと意識が浮上した。
振り向けば、そこに。
祐賢がいた。
「……な、に?」
声は、震えていなかっただろうか。
「なんか、よう?」
目は、潤んでいなかっただろうか。
すっと、差し出された彼の右手。
どこで手に入れてきたのか、悟空の大好物の肉まん。
「………いらない」
うつむいたままの小さな呟きは、彼に届いたろうか。
それでも、差し出される。
彼の、手。
「いらないって、云ってるだろッ!!」
パシリと手を跳ね飛ばした拍子に、ころり、と地面に転げ落ちた肉まん。
「あんたなんか、嫌いだ!!いっつも三蔵と一緒にいられて、三蔵に役に立つって思われて!」
言い出した言葉は止まらなかった。
キッ、と目の前の祐賢を見据えて言った言葉は、悟空の心にすら、いくつものナイフとなって突き刺さる。
一瞬、見えた。
彼の、傷ついたようなまなざし。
「俺、役に立たないって知ってるけど………でもっ、やだ!俺から、三蔵盗っちゃやだ!!」
見開かれた、彼の瞳。
悟空は、その場から逃げ出した。
痛くて、苦しくて、どうしようもなかった。
****
「祐賢が何かてめえにしたか?」
その日、三蔵が部屋に帰ってきて、最初の言葉はそれだった。
ギリ、とどこかが軋む。
悟空は首を横に振った。
彼が、何かをしたわけではない。
「なら、アイツに謝って来い」
「………っ」
「俺が何を云っているか、わからんほどバカか」
あの人のこと、ばっかり………
噛み締めた唇が痛い。
眼が、熱い。
握り締めた手が震える。
吐息が、嗚咽に変わる。
「ゥ、ック………」
こぼれ始めた雫。
聞こえた三蔵のため息。
「ッ……や、だぁ」
「悟空、いい加減にしろ」
声が、怒りの色を帯びる。
「さ、さんぞッ……が、アイツ、のことばっか、言うッ………やだぁっ」
一瞬、三蔵の紫暗の瞳が見開かれた。
「さんぞっ、いっつも、アイツと一緒だし………俺、がっ…わかんないように話し、っするし……」
それに気づかぬ子供は、震える手で云うことを聞かない涙腺をせきとめようと、何度も金の瞳を拭う。
その手の上すらもいくつもの涙の筋が伝った。
「くだんねえこと、ほざくな」
三蔵の手が、不意に子供の背を引き寄せた。
「そ、れに………お、おれ、ぜんぜ……さんぞの、やく…ッ…たたなっ」
「………バカザルが」
抱き寄せた小さな背中は三蔵の言葉に小刻みに震えた。
呆れたような声の中に、僅かににじんだ穏やかな響き。
「んなこと、はなから分かってんだ。いまさらどうこういう問題じゃねえよ」
子供の背を抱きながら、三蔵は小さく口元を歪める。
「さん、ぞう?……」
抱き寄せた子供を宥めるように軽く背を叩く手だけが、静かな部屋に小さなリズムを刻む。
子供の嗚咽が止まるまで。
できる限りのやさしさで。
その日、三蔵が悟空の願いを聞き届け、久しぶりに、二人で同じ掛布にくるまった。
やさしくあやしてくれる手に甘え三蔵の胸に頬をよせ、うつらうつらまどろみ始めた矢先のこと。
「祐賢は耳が聞こえん」
「え?……」
突然の言葉に、意識は否応なく覚醒を促された。
「だから、俺は必ずあいつに寄って話をした、簡単な手話や筆談でな。それだけのことだ」
「あ………」
祐賢の声を聞いたことがなかったことに、悟空はいまさらながらに気づく。
「あいつは耳は聞こえんが唇を読めるからな、お前がなにをあいつに言ったのかぐらいわかっている。自分の云った言葉があいつを傷つけたと思うなら、とっとと謝ることだな」
「………おれ、ひどいこと云っちゃった………」
うなだれた様子で、小さく声が返る。
「馬鹿だな、てめえは」
グイ、と三蔵の方に抱き寄せられた。
「さん、っ………」
「あいつに嫉妬するほど寂しかったか」
一瞬の口づけののちに告げられた言葉に、耳まで赤く染まる。
「あ、……う」
「明日からは仕事も減る。飯ぐらい一緒に食えるだろうよ」
するりと伸ばされた手が、すっかり細くなってしまった小猿のわき腹をたどる。
「……ひゃぁっ!」
「だいたい、こんなに細くなるまで、食わねえ奴があるか。元の燃費が悪いんだ、無理やり詰め込まれたくねえなら、自分で食え」
背を撫でてくれる手があたたかい。
心配、しててくれたんだ…
「三蔵……」
「なんだ」
「心配してくれて、ありがと」
三蔵の胸に、すり、と頬を寄せた。
「してねえよ………とっとと寝ろ、バカザル」
ポン、と頭を叩かれた。
「うん、おやすみ」
悟空は改めて三蔵の胸に頬をよせ、今度こそまどろみの中に落ちていく。
心の奥に凝った塊が、静かに溶け出していった。
翌朝、三蔵との朝食を久しぶりに取った。
何の変哲もないご飯が美味しくて美味しくて、何杯食べたかさっぱり覚えていない。
そして、すぐにあの僧、祐賢を探して部屋を飛び出した。
彼の僧衣に手をかけて呼びとめ、振り向いた彼に、飛び切り大きな声でごめんなさいと、告げた。
す、と悟空の上にかざされた手。
叩かれるのかと一瞬身を縮めた悟空を裏切り、それはやさしい手つきで大地色の髪を撫でてくれた。
彼は懐から紙を取り出し、持ち歩いているらしい筆記具で、『気にしないで欲しい』そう書いて渡してくれた。
とたん花の咲いたように笑う子供を目にし、彼はまたも懐を探ると今度はいくつかの飴を悟空に差し出した。
「ありがとう!」
まるで仲直りの印のようなそれを二人で分け合ってほおばった。
以来、二人はそれは仲良くなった。
定時に起きない三蔵を、結託して揺り起こし、説法をサボる三蔵を見つけ出しては連れ戻した。
「てめえら、いい加減にしろよ」
「だって、三蔵がサボろうとばっかするから悪いんじゃん。なぁ、祐賢」
頷く祐賢に三蔵は渋い顔をする。
すっかり懐いた小猿が祐賢は可愛くて仕方ないらしい。
小猿を見ては目を細めている様子は、癪に触る。
甘やかすな、という三蔵の隙を見ては、菓子を与え子供の遊びに付き合ってやっている姿を見つける。
そもそも、三蔵の側係になってからというもの、彼はしきりに悟空の事を聞きたがった。
好物はなんなのか、何をして遊ぶのが好きなのか。
菓子が好きだと知れば、時折僧に配分される寺への供物の菓子を食べずに、子供へと言付けることもあった。
三蔵に構って欲しくて仕方のない悟空の様子を見ては仕事を切り上げるよう勧めたり、夕食なりとも一緒にとってはどうかと勧めたりした。
だから、件の悟空が寂しさから祐賢に当たった時の彼の嘆きようは見ていて面白いほどだった。
「祐賢、これでいい?」
自分が執務をする横で、祐賢に習字を習う養い子を見ながら、三蔵の気は落ち着かない。
さて、どういうことか、と自問するも、うまく言葉が沸いてこない。
イライラついでに最近タバコの量が増えた。
何が楽しいのか、二人で笑みを交わす様に心の中で舌打ちながら、三蔵は新しいタバコに手を伸ばした。
「あーっ!三蔵、またタバコ吸ってる。少し減らすって昨日約束しただろーっ」
ピキッ
スッパーンッ
爽快なハリセンの音が響く。
「ってーっ!なにすんだよ」
「黙れ、文句があるなら出て行け」
「祐賢、三蔵が、いじめる!!」
涙目で縋っていっては祐賢に撫でてもらっている。
「チッ………」
悟空が悩まされた、あのモヤモヤが三蔵を襲うのも、もうまもなくであった。
END
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1200HIT当サイトで申告していただいた初めてのキリリクです。
しかも踏んでくださったのは憧れのAQUAのmichiko様!
「悟空の嫉妬話」というリクを頂きまして、話を書かせていただきました。
無駄に長くてスイマセン……稚拙な話ではございますが、捧げさせていただきます。
お受け取りくださいませv(返品もちろん受け付けますのでお気軽に……/汗)
1200HITありがとうございましたvv