忘れないよ、きっと…。 この綺麗な景色をきっと、忘れない。
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scenery |
強制的に観世音菩薩によって下界に二人して落とされた。 淡い光に包まれて降り立った下界は、ちょうど青葉の頃。 地上に降り立った二人にまとわりつくように風が、金糸を揺らし、大地色の髪を撫でた。 悟空は傍らに立つ金蝉を見上げてふわりと、笑った。 薫る世界の香り。 金蝉は悟空の嬉しそうな顔から視線を上げて、今、自分が立っている地上の姿に目をやった。 大地が生んだ愛し子。
我が侭を許せ…
心の内で大地に詫びて、金蝉は悟空に声を掛けた。 「で、これから何をするんだ?」
擦れ違う人が皆振り返る。 繊手を握る幼子もまた人の目を惹いた。 「なあ、金蝉、金蝉、あれ」 指さす先に目をやればショーウィンドゥの硝子の向こうで小さなクマの人形達が楽器を演奏しているのが見えた。 「なあ、なあ、これ何て言うんだ?」 小さな値札に書かれた名前を読んで答える金蝉に悟空は不思議そうに小首を傾げて熱心に見入る。 「…う、ん、何だよ?」 邪魔するなと軽く睨みながら悟空が金蝉を振り返る。 「中へ入ってみるか?」 嬉しそうに頷く悟空を促して二人はその店に入った。
中はまるでおもちゃ箱のようだった。 「凄い…」 戸口で二人立ちすくんで動けなくなって居るところへ声が掛けられた。 「いらっしゃいませ」 声の方を見れば、穏やかな微笑みを浮かべた老爺が店の奥から出てきた所だった。 「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」 金蝉に丁寧に礼をして、老爺は店の奥へ戻っていった。 「な、なあ、金蝉」 くいくいっと金蝉のシャツを引っ張り、悟空は小さな陶器の入れ物を指さした。 「これか?」 蓋を開ければ耳に馴染む音楽がぽろりぽろりと流れた。 「気に入ったのか?」 悟空は金蝉の腕に抱きつき、花ほころぶ笑顔を浮かべた。
ぶらり、ぶらりと街の通りを歩き、気になる店を覗いたり冷やかしたり。
初めて訪れた地上は、見るもの聞くもの全てが目新しい。
お前にはここがよく似合う
買い与えた肉まんを美味しそうに頬ばる悟空の姿に口元を綻ばせながら、金蝉は休憩に選んだ公園の木々に視線を移した。 その先に広がる手入れのされた木々。 常春の咲き急ぐ事もない天界の桜の花。 大地の子である養い子にとって相応しくない場所。
我が侭だな…
小さくため息を吐いて、金蝉は座っていたベンチから腰を上げた。 「金蝉?」 悟空がどうしたのかと、見上げてくる。 「夕焼けだ、そろそろ帰る時間だ」 ほんのりと茜色に染まった空を背景に立つ金蝉に悟空は頷いた。 「あのさ、展望台に行ってから帰っちゃダメ?」 少し俯いて悟空は口ごもった。 「悟空?」 つい今の今まではしゃいでいた悟空の変わりように金蝉は戸惑う。 「悟空?どうした?」 膝を付き、悟空と視線を合わす。 「…悟空?」 天界では抱き上げることも叶わない幼い身体は、今だけ重たい枷を外されて軽い。 「…こ、金蝉…?」 ぎゅっと、金蝉の首に抱きつき、悟空は小さく頷いた。 「で、どうした?」 ゆっくりと歩き出した金蝉に抱かれて、悟空は茜に染まった空を見上げた。 青かった空が橙色や赤、紫色に変わってゆく。 朱に染まった雲も少し湿り気を帯びた風も一日の終わりを告げる太陽の色も全てを覚えていたくて。 「楽しかったから…」 頷いて、漸く金蝉の顔を見れば、紫暗が穏やかに頬笑んでいた。 「……こ、んぜ…ん…?」 茜の色をはいた金瞳が見開かれ、次いでその容が朱に染まった。 「時間だ」 額の金鈷に触れて、金蝉は笑い、やがて二人は淡い光に包まれた。
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