sight line (1)

咄嗟に悟空が伸ばした腕を三蔵は掴んだ。
が、それが落下を止めることにはならなかった。
何かを掴もうとお互いに空いた手を伸ばしたが、それは空を掴んだだけで、結局二人揃って崖下へ落ちることとなった。
空中へ投げ出される二人の姿を捉えた八戒の叫び声と、その声で振り返った悟浄の姿を視界の端に捉えたのが最後だった。






最初に気が付いたのは悟空だった。

落ちた時、咄嗟に三蔵の躯が自分の上になるように庇った。
そのお陰か、傍らに倒れている三蔵に目立った怪我はないようだった。
悟空は軋む躯を起こして、もう一度、三蔵の姿を確かめ、ほっと息を吐いた。
その時、胸に走った痛みに自分が怪我をしたことに気付いたが、無視することに決めた。

なぜなら、三蔵に気付かれればどやされる上にハリセンの嵐を貰うからだ。
そして何よりいらぬ心配を三蔵にかけることになるからだった。

三蔵は自分が庇われることを良しとしない。

特に悟空が三蔵を庇うことを厭う。
その本当の理由を悟空は知らない。
知らないけれども、悟空なりに理解していた。
三蔵が悟空に限らず、他のどんな人間でも自分を庇った人間の怪我は自分の責任だと、誰よりも優しいその心を傷付けてその責任を背負ってしまうということを。

だから悟空は、己の怪我をなかったことと決めた。

もう一度、悟空は大きく息を吐いて、痛みが我慢できる範囲であることを確認すると、小さく頷いた。

そして、改めて上を見上げ、悟空はへらりと笑った。
見上げた崖の先は高くて、死んでいても可笑しくないはずだと感じたからだ。

「…強運ぇ…」

あはは…と、可笑しくもないのに込み上げてくる笑いに肩を震わせていると、三蔵が小さく呻いて意識を取り戻した。

「気が付いた?」

悟空の声に、はっきりしない意識を振り払うように何度か頭を振って、三蔵は躯を起こした。

「大丈夫?」

と、訊けば、煙ったような紫暗を何度かまばたいて、

「ああ…」

と、答えた。

「良かった」

と、頷けば、三蔵はしっかりと躯を起こし、悟空の傍らに座った。

「結局…落ちたのか?」
「うん」

お互いの汚れ具合と躯の痛み、周囲の様子、気を失う前の状態を思い出して、三蔵が確認するように問うた。
それに悟空は頷く。

「結構さ、高かったみたいだけど、何とか生きてるよ、俺たち」
「…らしいな」

悟空の言葉に背後を見上げ、三蔵はその高さに思わず顔を顰めた。

「へへ…頑丈だな、俺たち」
「ふん」

へらりと笑う悟空に三蔵は鼻に皺を寄せることで答え、じっと泥と擦り傷に汚れた悟空の顔を見つめた。

「さんぞ?何?」
「いや…怪我は?」
「あちこちぶつけて痛てぇぐらいかな」

自分の躯を見回して、大丈夫だと悟空は三蔵を見返す。

「そうか?」
「うん、大丈夫だって。あ、三蔵は?怪我とかしてねえ?」
「いや…大丈夫だ」
「そっかぁ…よかったぁ」

三蔵の答えに悟空は安心したように息を吐き、嬉しそうに笑った。

「何がよかっただ。運がよかっただけだろうが」
「そうかもな。でも、俺たち運もいいけどマジ頑丈だよな」
「俺はお前みたいに頑丈じゃねえ」
「頑丈じゃん。あそこから落ちて俺と一緒で怪我してない」
「喧しい」

益々鼻に皺を寄せる三蔵に笑いながら「頑丈、頑丈」と頷く悟空の様子をしばらく見つめたあと、三蔵は小さくため息を吐いた。

「何?」

その呆れたようなため息に悟空が思わず三蔵の顔を覗き込んだ瞬間、三蔵は悟空を地面に組み伏せた。

「さ、さんぞ!?」

驚いて金瞳を見開く悟空の顔を睨みつけた三蔵の声は、先程とは打って代わり、怒気を孕んで地を這っていた。

「てめぇ、何、怪我してやがる」
「へっ?!」

三蔵の言葉に悟空は、きょとんとする。

「悟空」

怒りを抑えた声音で名前を呼ばれても、悟空は不思議そうな表情を自分を見下ろす三蔵へ向けるばかりで、三蔵が問いかけている意味に気付きもしていなければ、理解もしていない。

「け、怪我って…俺、どこも何ともねえ…けど?何で?どっか変か?」

三蔵はその訳がわからないと訴える悟空の顔をまるで隠し事を暴くようにしばらくじっと見つめた後、諦めたように肩を落とすと、組み敷いた悟空を解放した。

「何だったんだよぉ…」

抑えられていた腕をこきこきと動かしながら起きあがり、悟空は唇を尖らせて三蔵の行動が理解できないと、三蔵を見やった。

「何でもねえよ、サル」
「訳わかんねえって…」

疲れたような、半ば呆れたような三蔵の答えに悟空は益々むくれる。
三蔵はそんな悟空の頭を軽く叩くと、立ち上がった。

「三蔵?」

叩かれた頭を押さえながら悟空は三蔵の態度に訝しげに眉根を寄せた。

「行くぞ」
「あ…うん」

悟空は腑に落ちない顔付きのまま、歩き出した三蔵の後を追った。




 

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