sight line (12)

のそりと躯を起こした悟空は胸に走った痛みに顔を顰めながら周囲を見渡した。

「………あれ…?」

明るいか暗いかしかわからなかった視界がはっきりしていた。

「…ぇ?」

悟空は信じられないように何度もまばたき、自分の手を見つめた後、三蔵を振り返った。

「…さんぞ?」

自分を振り返った悟空の顔付きと、自分を見返す瞳の強さに三蔵は悟空に視力が戻っていることを知った。

「戻ったのか?」

と、確認するように問えば、

「うん…見える」

と、悟空は頷いた。
そして、

「あいつは?」

立ち上がりながら自分に近づいてくる三蔵に問えば、軽く顎をしゃくられた。
示された方を見れば、傷だらけになった蛾月が灌木を支えに立ち上がった所だった。

「…くっそ」

悪態をついて顔を上げた蛾月の表情は怒りに染まっていた。

「おのれ…三蔵法師!」

蛾月の怒声に呼応するように突風が起こり、すぐに治まった。
その後には本性を現した蛾月が長槍を構えて立っていた。

「ち、蝶の、化け物!?」

蛾月の本性───それは背中に蝶の羽を背負った異形の姿だった。
その姿に思わず悟空の背後に立った三蔵を悟空は振り返った。

「さ、三蔵…」
「情けねえ声出すな、サル」

軽く悟空の頭を小突き、三蔵は銃を構えた。

「だって気色悪ぃじゃんか」
「言ってろ──来るぞ」

三蔵の言葉が終わらぬうちに、蛾月の長槍が三蔵目がけて繰り出された。
その繰り出される勢いを利用して三蔵こそが野に舞う蝶の如くひらりひらりと切っ先を交わす。

「よくも邪魔をしてくれた!切り刻んでも物足りぬ!」

悟空を置き去りに蛾月と三蔵の戦いが、悟空の目の前で繰り広げられた。
その二人の戦いを悟空は手も出せずに見つめていた。

「テメエには渡さねえと言ったはずだ」
「煩い!!」

銃身で切っ先をいなし、空いた左手で槍の柄を掴み、槍を押さえるようにして蛾月の躯に銃弾を撃ち込む。

「このぉ!」

けれど、大したダメージは与えられなかったのか、蛾月は堪えた様子もなく嘲るような笑いを浮かべ、槍を掴んだ三蔵の手を振り払った。
その拍子に三蔵の躯は宙を飛び、灌木に打ち付けられる。

「三蔵!!」

灌木で背中を擦るようにして三蔵の躯がくずおれた。
駆け寄って三蔵の様子を窺った悟空が蛾月を振り返る。
その蛾月を睨む悟空の金瞳に炎が宿った。

「よくも三蔵を…」

その強い視線を受けた蛾月の瞳が眇められた。

「…孫悟空」

欲しかった悟空の視線が自分に向けられていた。
けれどそれは信頼でなく、怒りに染まったものであった。

悟空は如意棒を今一度召喚すると蛾月と対峙した。
その腕を横合いから掴まれ、悟空はまた、三蔵を振り返った。

「手を出すな。そいつは俺の獲物だ」
「三蔵」

悟空の腕を掴んで立ち上がった三蔵を心配げに見つめたが、悟空は何も言わず如意棒を引いた。
その無条件に信頼し合う二人の様子に蛾月は怒りと嫉妬で我を忘れた。

欲しくて欲しかった悟空の信頼と自信に満ちた視線が、永遠に手に入らないと知った瞬間だった。

我を忘れた攻撃が三蔵に通用するはずもなく、蛾月は頭や躯に強かに銃弾を浴びて倒れた。
千切れた羽から鱗粉が舞い、周囲を虹色に染めた。




「さんぞ、大丈夫か?」

悟空の心配そうな問いかけに大丈夫だと、頷いてやる。
その返事にほっと息を吐いて安心した笑顔を悟空は浮かべた。

そして、周囲を舞う鱗粉に視線を向けた。

「これ…これの所為だったんだよな、俺が目、見えなくなったのは、さ」

悟空の呟きに三蔵はようやく合点がいった。
経文を発動させた時、悟空の躯から吹き上がった虹色の粉。
あれがそうだったのだ。悟空が洞窟で浴びせられた粉の正体に納得して三蔵は薄く笑った。

「三蔵?」

三蔵の様子に怪訝な顔をする悟空に三蔵は説明してやった。

「お前が浴びた鱗粉に似た粉はそいつの呪の媒体だったんだよ」
「媒体?呪!?」
「ああ」

三蔵の言葉に悟空は小首を傾げる。

「そいつの力をお前に伝えるためのもんだ」
「へぇ…ただの目つぶしじゃなかったんだ」
「ったりめぇだ、バカ」

悟空のしきりに感心した頷きに三蔵は軽い頭痛を感じる。

「バカって言うな」
「バカにバカと言って何が悪い」
「むぅ」

三蔵の「バカ」という言葉に反論する悟空のむくれた顔に、三蔵は言いようのない脱力感を感じた。
けれど、明るい悟空の表情に三蔵は我知らず大きく息を吐いたのだった。

「三蔵、あれ!」

くいっと、三蔵の腕を引っ張る悟空を見やると、

「あっち、あっちだよ」

と、指差して西日の当たる木の向こうだと言う。
言われるまま視線を投げれば、八戒と悟浄の姿が小さく見えた。

「お──いっ!八戒──っ!悟浄──ぉ!」

悟空は両手を上げて二人を呼ぶ。
その姿を瞳を眇めて見ながら、三蔵はようやく心から安心した笑顔を口元に浮かべたのだった。




end

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