暖かい冬・前編 (2007.2.23〜4.25/寺院時代) |
今年の冬は何だか、とても暖かい。 何かが狂ったように、真冬であるはずなのに暖かい。 いつもならまだ咲かない蝋梅が早々と咲いて、梅が節分より前に花開いて…今、目の前で桜が咲いている。 でも、まだ春節が終わったばかりだ。 桜は一番先に咲く種類の花だけれど、早くても来月になったらだ。 「……なんか…やだ…」 冬とは思えない青い空と温かな陽差しと綺麗に咲いた桜。 ねえ…一体何が起ころうとしているの? 聴こえる大地の聲は苦しそうで、その聲を聴いているとだんだん不安になってくる。 「…怖い……よ…」 裏山のいつもの場所で悟空は動けなくなった。
風がざわついている。 その上、大地の愛し子である悟空の様子がおかしい。 「…一体、何だって言うんだ?!」 その聲が三蔵の不安を煽るお陰で山のように堪った忙しい仕事もロクに手に付かない。 「………うるせぇ…」 吐き出した紫煙に、声なき聲に向かってついた三蔵の悪態が重なった。
動けなくなってどれくらいそうしていたのか、不意に躯にまとわりついた風に悟空は顔を上げた。 「…な、に?」 その空の色を見た瞬間、悟空の背中を寒気が走り抜けた。 「!!」 その悪寒に引っ張られるように振り返った悟空が見たのは巨大な光のカーテンだった。 「…ぁ……」 その光景に息をすることも出来ずに、思わず悟空は後ずさった。 「ぇ…っ?」 振動を感じた足許を見たその時、突き上げるような振動と爆発音が聞こえた。 「…ッ…一体、何が…?!」 痛む躯を起こして、立ち上がった悟空は土の津波に呑み込まれる寺院の姿を見たのだった。
がたがたと窓を揺らす風が、突然、窓ガラスを打ち破った。 「三蔵様、何が…!?」 部屋の入り口で笙玄が立ち竦むのが見えた。 「…ッぁ!」 その衝撃と痛みに一瞬、意識が遠のき、三蔵は思わず膝を付いた。 「三蔵様!」 笙玄が慌てて駆け寄って来る気配に顔を上げたその時、また、激痛が三蔵を襲った。 「三蔵様!大丈夫で……」 笙玄の言葉は最後まで続かなかった。
一瞬、夢かと、悟空は思った。 「…ぁ、さんぞ…」 未だ揺れる大地に足を取られながらよく見える場所まで移動した悟空はその目の前に広がった光景に息が止まった。 「さ……ぞ…」 膝が笑って立っていられない。 「ぁ…や…んぞ…」 近くの木に縋って、でも足は前へ動く。 「さんぞ…さんぞ…ぅ…三蔵──っ!!」 名前を呼ぶしか出来なくて。
走った。 崩れ落ちた山を振り返れば、赤茶けた地肌が見えて、薙ぎ倒された木々が根を空に向けている。 息が苦しくて、でも立ち止まることが出来なくて、悟空は走った。 崩れた塀を飛び越え、瓦礫となった寺の建物をよじ登って、踏み越えて悟空は三蔵の仕事部屋を目指した。 「三蔵!」 静まりかえった寺院を悟空は三蔵の名前を呼びながら走った。
三蔵がいるはずの建物に辿り着いた悟空が見たのは、流れてきた土砂で建物が壊れ、半分以上土に埋もれた姿だった。 「三蔵…三蔵!」 そのあまりに無惨な様子に立ち竦むしかなくて、三蔵の名前を呼ぶしかできなくて、何をどうしたらいいのかもわからなくて。 「…三蔵!三蔵─っ!」 震える膝が、霞んで行く目の前が、何も聞こえない耳が、痛くて溜まらない躯が、何もかもが三蔵を呼んでいた。 「ッ…どうしてっ!」 かくんと折れた膝はもう立てなくて、悟空は溢れる涙と嗚咽を抱きしめてその場に蹲った。 「……?」 地面に手を思わず付いたその時、また、突き上げるような振動と爆発音を聞いた。 大地の揺れに悟空は翻弄されて、何度も地面に躯をぶつけた。 「…痛っ…」 よろよろと立ち上がって、三蔵の居た建物を振り返れば、そこはもう崩れて土にまみれた瓦礫の山のような状態になっていた。 「…ぁ…うそっ」 まろぶように近づけば、瓦礫と土の間から見覚えのある白い着物が見えた。 「……!」 悟空は一瞬、息が止まって、心臓がぎゅうっと締め付けられるように痛くなった。 「三蔵!!」 悟空はその着物を力一杯引っ張った。 「三蔵!」 それを頼りに悟空は着物を力一杯引っ張り、動かなくなったら素手で土を掘り返し始めた。 「さんぞ…三蔵…!」 三蔵の名前を呼びながら悟空は土を掘り返し続けた。 掘り返して、掘って、掘り返して…無心に悟空は作業を続けた。 「……三蔵…さ、んぞぉ…」 掠れた声で三蔵を呼びながら、悟空は土をひたすら掘り返した。 「っ…ふぅ…」 泣いてしまいそうになるのを鼻を啜って堪えて、悟空は土を掘った。 「三蔵!」 涙で歪む視界を拳で拭って、悟空は土の中に手を入れて三蔵を思いっきり引っ張った。 ずるりとのし掛かった土を押しのけるようにして、ようやく三蔵は土の下から引っ張り出された。 その手を見てようやく、笙玄のこと思い出した悟空だった。 「……ぁ…しょ、げん…?」 悟空は三蔵を引っ張り出した穴の奥に見える手や見える着ているモノの色で、それが笙玄だと確信する。 「ゴメン…すぐ、すぐ助けるから」 悟空は土を掘り返しながら、笙玄のことを忘れていた自分に腹が立った。 「ゴメン…」 三蔵のことで頭がいっぱいで、笙玄の事を忘れていた。 その後悔と一緒に大地の痛みが悟空の躯を苛んでいた。 大地の苦しみが続いている気配が辺りを覆っていた。 「……巻き込んだ…きっと…」 掘り返す手が痛かった。 その時には、辺りはもう人の顔がはっきり見えない程、暗くなっていた。 悟空は三蔵の躯を抱えて壊れていない回廊の影に運んだ。 「……よかった…」 ほうっと、息を吐いて暮れた空を見上げれば、あの変な色に染まっていた空は夜の色に変わり、光のカーテンはもう消えていた。 と、ふるりと躯が震えた。 日が落ちれば気温が下がる。 「何とかしなくちゃ…」 ぱっと立ち上がったその瞬間、視界が廻った。 「ぇ…っ?」 くらりと周囲が歪んで、 「…う、そ…」 踏ん張ることも出来ずに、悟空の意識は暗転した。
気付いたのは三蔵の膝枕で、目の前には心配そうに悟空の顔を覗き込んでいる笙玄の顔があった。 「…ぇれ…なん、で…?」 寝ぼけた悟空の頭が三蔵によって軽く殴られ、その痛みでようやく悟空は目が覚めた。 「三蔵!笙玄!」 突然飛び起きた悟空が大きな声で二人の名前を呼んだかと思うと、二人に同時に抱きついた。 「お、おい…?!」 悟空の突然の行動に、三蔵と笙玄は顔を見合わせ、自分達にしがみつくように抱きついている悟空を見やった。 「よかった!生きてた!無事だったんだ!怪我してない?何処も痛くない?なあ、三蔵!笙玄!」 そう言って悟空が二人の顔を覗き込めば、泥だらけの三蔵が呆れ返ったため息を吐き、笙玄が困ったように泥だらけの顔を綻ばせた。 「三蔵、笙玄…」 そんな二人の姿を見た途端、悟空は堰を切ったように泣きだしたのだった。 大地が苦しそうな声を上げて、身を捩った。 声を上げて泣く悟空の頭を三蔵が仕方ねえ奴と、ぽんぽんと叩き、笙玄が宥めるように背中をさすった。 「汚ぇ面…」 と、三蔵が呆れた。 「悟空、こっち向いて下さい」 笙玄に呼ばれて笙玄の方を向いた悟空の顔を笙玄は作務衣の汚れていない場所を使って拭いてやった。 「ほら、綺麗になりましたよ」 言われて、三蔵を見れば、 「ま、さっきよりはましだ」 と、三蔵が笑った。 「三蔵…」 その静けさに不安になたらしい悟空が三蔵を見上げれば、大丈夫だと言うように三蔵は悟空の頭を撫でた。 「取りあえず、ここから出て、反対側へ行ってみるか」 そう言って、三蔵は歩き出した。
|
close >> 後編 |