暖かい冬・後編 (2007.2.23〜4.25/寺院時代)
なだれ落ちた土の山を乗り越え、崩れた回廊の残骸を跨いで、寺院の裏手に回った時、また大地が揺れた。

「三蔵!笙玄!」
「三蔵様!」
「笙玄!」

その時、丁度、三蔵が先に回廊の残骸を跨ぎ越し、そのすぐ後を笙玄が続いて跨ぎ越した所だった。
三蔵と笙玄の頭上には傾いた回廊の柱が崩れかけた壁にもたれるようにして止まっていた。
その不安定に寄りかかって止まっていた回廊の柱が大地の振動に動いて、もたれていた壁と一緒に崩れた。
ガラガラと凄まじい音を立てて二人の上に瓦礫が振る。
揺れの激しさと上から降ってくる瓦礫の雨に驚いて笙玄は立ち止まって上を見上げ、三蔵は一瞬振り仰いだだけで、そこから瓦礫の雨を避けるように前へ進もうとして倒れ込んでくる柱の存在に気付いていなかった。

「三蔵様!」

三蔵の上に倒れてくる柱に気付いた笙玄が三蔵を突き飛ばす。

「何を…!」

突き飛ばされた三蔵が後ろを振り返った。
そのままその上に笙玄が折り重なるように倒れる。

「!!」

二人は抱き合ったような形で石くれだらけの回廊に叩き付けられ、転がった。
その後を追うように回廊の柱が倒れ落ちて。
顔を上げた二人の目に、瓦礫に潰されるように倒れる悟空の姿が見えたのだった。

本当なら三蔵と笙玄は為す術もなく倒れ込んできた回廊の柱の下敷きになるはずだった。
それを悟空はそこから三蔵を突き飛ばすように体当たりした笙玄の躯も一緒に突き飛ばしたのだ。

「悟空!!」

三蔵と笙玄の叫び声が瓦礫の崩れる轟音の中で聞こえた気がした。
それっきり、悟空の意識は閉ざされたのだった。











気付いて見上げたたそこは見慣れない模様が描かれた天井だった。
自分がおかれた状況がよく理解できなくて、悟空はぐるりと自分のいる周囲を見回した。
けれどそこは薄暗くて、寒くて、人の気配がしない場所だった。
躯を起こそうとして動かした途端、全身に走った痛みに悟空は一瞬、息を詰めた。
そろりと腕を動かし、頭を上げようと動かしてみたが、その都度痛みが躯を走る。
その痛みに起き上がることを諦めて、悟空は再び元のように躯を戻した。

変わらず、人の気配がしない。
その静けさに悟空の金瞳に不安の影が差す。
息を潜めて感覚を研ぎ澄ませば、微かに感じるのは、寺院の慣れた気配。
その僅かな気配に、ようやく安心したようにほうっと息を吐くと、悟空は目を閉じた。
置き去りにされた訳ではないと何となくだが理解できたから。
やがて、そのまま悟空は寝入ってしまったのだった。




次ぎに見知った人の気配に悟空は目を覚ました。
そこは最初に目覚めた場所だったが、最初程の暗さはなく、仄かな暖かさも感じて、悟空は息をついた。

「……ここ…」

どこ?と、聞こうとした悟空の言葉は目の前に現れた三蔵の顔を見た途端、途切れてしまった。
見上げる三蔵の顔はどこか悲しそうで、どこか怒ってるみたいで、悟空はどうしたのかと躯を起こそうとした。
その途端、また、躯を痛みが走り抜けた。

「…ッぁ!」

声もなくまた転がれば、

「動くな、バカ」

そう言って三蔵がそっと、悟空の躯を支え、横たえた。

「お、俺…どうしたんだ?」

どうして躯中が痛いのか、訳がわからないと三蔵に問えば、三蔵は驚いた表情を見せ、ついで脱力したようなため息を吐いた。

「さん…ぞ…?」

何故そんな態度になるのか、益々訳がわからないと、困惑した顔をして三蔵を見上げれば、

「益々、バカになったか…」

と言われて、悟空は軽く頭を叩かれた。

「何だよぉ…言ってくれねえとわかんねえ」

叩かれた意味がわからずにむうっと、顔を顰めれば、三蔵は、

「無茶するからだ」

と、悟空を睨んだ。

「…無茶って……──あっ!」

思い出した。
三人で移動していた途中、また大地が大きく揺れて、瓦礫の山が三蔵と笙玄の上に降ってきたのを咄嗟に庇ったのだ。
代わりに悟空が瓦礫の雨を浴びた。
あの時、三蔵と三蔵の後ろにいた笙玄を突き飛ばすのが精一杯で、雨のように降り落ちてくる瓦礫と回廊の柱の残骸を避けることができたかどうかまでは記憶になかった。
しかし、今、ここに三蔵と共に生きているということは、あの瓦礫の雨から逃げることは出来たらしい。
悟空のばつの悪そうな顔を見て、三蔵は小さくため息を吐いた。

「思い出したか?」
「…うん」

頷いて、三蔵の顔を改めて見上げれば、三蔵は仕方ない奴と言わんばかりの顔で悟空を見下ろしていた。

「……ごめん」

謝れば、

「いいさ。お前が俺と笙玄を突き飛ばさなかったら、三人とも下敷きになっていたしな」

そう言って、そっと額に触れた。

「でも…ごめん」

助かっても三蔵に迷惑と心配を掛けたことはわかるから、悟空には謝ることしかできない。
そんな悟空の気持ちをわかっているのか、三蔵は何度も謝る悟空にふわりと笑って見せた。

「もう謝るな」
「うん…」

そう言って三蔵にまた、軽く額を金鈷の上から叩かれて、悟空は仄かに笑った。











三蔵と笙玄の元へ寺院の僧侶達が入れ替わり、立ち替わり姿を見せるようになった。
悟空が気を失っている間に、三蔵と笙玄が避難した僧侶達と連絡が取れたからだ。
三蔵が無事だとわかった途端、寺院の僧侶達は三蔵に指示を仰ごうと、悟空が寝かされている部屋の人出入りは激しくなった。

大地の揺れはまだ続いていて、時々起こる大きな揺れで、何処かが崩れたり、壊れたりする気配がしていた。
悟空は痛む躯を動かせず、三蔵と笙玄が仕事をしている傍らでじっと寝ていた。

僧侶達が入ってくる様子でここが大雄宝殿だと知った。
広い本堂の片隅に暖房用の火鉢を置いた所に悟空は寝かされていた。
時折、笙玄が様子を見に訪れ、三蔵は悟空の視界から外れないような位置で、仕事をしていた。

悟空の痛む背中かから伝わる大地の動きや気配は、最初に感じた程苦しそうではなくなっているようで、悟空は少し安心したのだった。

「…うん…大丈夫だよ?」

悟空が自分達が起こした揺れで傷を負ったのを酷く心配する大地の聲に、悟空は何度も「大丈夫だ」と「平気だ」と、告げていた。
そして、目を瞑って大地の聲に耳を傾ければ、どうしてこんな事になったのか、その原因がようやく知れた。

今年の狂った気候の所為で大地母神の気が乱れ、清浄な気を貯めるべき時期に汚れが混じった為だというのだ。

冬は秋に自然と大地が澱んだ汚れを浄化した気を蓄える季節だ。
冷たく凍てつき、冷えた大気が浄化した気を更に清浄にし、大地の隅々に広げ貯める。
その溜まった気が春の芽吹きを呼び、命の誕生を促すのだ。

その気の浄化が今年は上手く出来なかった。
上手くできなかった歪みが、異常な暖かさと異常な季節の巡りを生む。
異常に暑かった夏、夏から秋を通り越して冬を迎えた。
迎えた暖かい冬、早過ぎる春の到来。
気は澱み、矛盾が生まれ、澱みが生まれる。
朧になった季節の変化が迷いを生んだ。
その中途半端な状態は大地の気を歪め、自然の気を歪め、やがて人にとっての災厄を起こすことになったのだ。

「…仕方ないって…人が原因の事もあるし、違うことだって…今年はそういう年なんだよ」

悟空の言葉に大地は微かな聲で答えを返し、その余波で愛しい大地の子供に怪我を負わせたことを、大地は深く憂いていた。
その憂いに悟空は違うから気にするなと笑い、出来るならもうこんな風に大地を揺らしてくれるなと願った。

「…もう…大丈夫なら、お願いだよ…」

ぎゅっと、両手を祈るように合わせ、悟空は真摯に願った。






夜が明けた。
悟空の躯の痛みはずいぶんと治まっていて、少し動けるまでに回復していた。
大地の揺れは結局、朝まで続いてようやく収まりを見せていた。
そのことに悟空はほっと、安堵の息を吐き、躯を起こした。
昨夜、殆ど悟空の元を離れようとしなかった三蔵の姿が無いことに、悟空は微かな不安を感じたが、入り口から入ってきた三蔵の姿を見つけて、笑顔を浮かべた。

どうにも現場へ行かなければ片づかない仕事をようやく終え、本堂に戻ってくれば、悟空が躯を起こしてるのを見つけた。
自分の姿を見つけた悟空が笑顔を浮かべるのを見つけた三蔵が、どこか安心したような、けれど疲れた顔で悟空の傍に来ると、座った。

「さんぞ…」

呼べば、三蔵は何も言わずに悟空の傍らにごろりと寝転がった。

「三蔵?」

寝転がった三蔵の顔を悟空がどうしたのかと、覗き込めば、首を掴まれ、あっという間に三蔵の腕の中に悟空は抱き込まれてしまった。
抱き込まれた三蔵からは埃と土の匂いがした。
それは、三蔵が瓦礫の中で仕事をしてきたということで、それは大変だったということで。
悟空はそろりと三蔵の様子を窺った。

「三蔵…大丈夫か?」

腕の中から問えば、

「……ああ」

と、面倒臭そうで、気怠げで、眠そうな返事が返ってきた。
三蔵に抱き込まれた体勢はちょっと苦しくて、まだ躯の節々が痛んだ。
少しでも痛くない体勢をとろうと、悟空がもぞもぞと動いていたら、それに気付いた三蔵が顔を覗き込んできた。

「どうした?」

問われて、強がることも出来ずに、素直に悟空は自分の状態を告げる。

「…ぁえっと…この体勢だと痛いんだけど…」

その言葉に三蔵は苦笑を漏らして、腕を緩めた。
悟空は躯が痛まずに、居心地の良い姿勢になるように躯を動かし、三蔵の腕の中で丸くなった。

「これで大丈夫」

そう言って笑顔を向ければ、三蔵は薄く笑ってまた、けれど今度は悟空の負担にならないように柔らかく抱きしめた。
そして、

「まだ…痛いか?」

と、悟空の髪に鼻先を埋めるようにして三蔵が問えば、

「う…んと、背中と節々がまだちょっと痛いけど、もうへーき」

そう言って、悟空は笑った。
その答えに、三蔵は

「そうか」

頷いて、そっと悟空の髪に口付けを落とした。
それに悟空は嬉しそうに瞳を眇めて三蔵を見上げれば、疲れて眠そうな紫暗と目が合った。

「寝てないんだ」

と、言えば、

「役立たずが多すぎるからな」

と、噛み殺したあくびと一緒に返事が返った。

「眠い?」

と、訊けば、

「少し寝る。お前も寝ろ」

と、返事が返り、三蔵は瞬く間に眠ってしまった。

起きたらまた、昨夜よりも三蔵は忙しくなる。
災害の事後処理に追われて、寺院の再建にも追われて。
そして、三蔵が無事だって知った僧侶達が騒いでいたのを覚えている。
それはこれからもっと三蔵が大変になる。
きっと三蔵は疲れて、倒れるまで仕事をするだろう。
仕事をさせられるだろう。

そんな三蔵の負担が少しでも軽くなるように、三蔵のために、大地がもう揺れないように祈るから。
頑張るから。

「……守るからね」

疲れきった顔で眠る三蔵の寝顔に悟空はそう、呟いた。
朝日が本堂の窓から眩しい光の手を差し出してくるのを見ながら、やがて悟空も眠ってしまった。

大地に祈りながら─────




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