三匹の子ダヌキ・前編 (2002.11.8〜12.15/寺院時代) |
「おい、いつからここは託児所になった?」 執務室から疲れて戻ってきた三蔵は、扉の前でげんなりした顔で傍らの笙玄に告げた。 「たぶん…ついさきほどからだと、思いますが…」 答える笙玄も寝所の居間のあまりな惨状に、声が虚ろだった。 食べ散らかしたお菓子の残骸、飲み残しのジュースが零れた水たまり、読みかけ放っておかれたままの絵本の山、零したり手を拭いたであろう痕跡の色濃く残ったタオル、Tシャツ。 「…笙玄…」 笙玄を呼ぶ三蔵の声が震え、今にも爆発しそうなマグマを孕んでいる。 「はい」 そう言う三蔵の低い声に、脳天気な声が被さった。 「お帰り〜」 ぱたぱたと暴れる子供を避けて、洗面所から出てきた悟空が三蔵に近づいた。 「──…ってぇ〜!」 頭を抱えて悟空はその場に踞った。 「てめぇ、このバカザル──っ!今すぐ死にやがれ!」 三蔵の怒鳴り声に、悟空は涙で潤んだ瞳で三蔵を睨み返した。 「喧しい!何だってんだ、あのガキ共は!!」 三蔵の言葉に悟空は、きょとんと三蔵を見返した。 「ああ、あのガキ共だよ!」 指さす方を見れば、悟空より幾分幼い年頃の子供が三人、固まって座り込んでいた。 「お前ら…人間だったんだぁ!」 悟空の言葉に、今度は三蔵がきょとんとする番だった。 「人間だった、だと?」 嬉しそうに悟空は床に固まって座り込む子供達の顔を覗き込んだ。 三蔵は錯覚でない頭痛を感じた。 目の前にいる三人の子供が、実は狸、それも白い狸の化けた姿だというのか。 「笙玄、お前はどう思う?」 掠れた声で聞いてきた三蔵に、笙玄は底の知れない笑顔を浮かべて、 「可愛いじゃないですか。私、初めて狸の妖怪を見ましたが、本当に可愛いものなんですねえ、三蔵様」 と、返事をしてきた。 「おい…」 目の前の現実をなかなか受け入れようとしない三蔵に、笙玄はもう一度笑顔を向けると、また騒ぎ出した子供達に声を掛けた。 「悟空、その子達は何というお名前なんですか?」 優しい笑顔で聞かれた子供達は、端から花、茅、凪と元気よく名乗った。 「…だそうです」 三蔵を振り返って、笙玄が頷く。 「山で罠に掛かって死んでた母狸の側で、ぴーぴー鳴いてたんだ。んで、白い狸って珍しいじゃん、もし見つかったらみんな殺されて皮剥がれるか、見せ物小屋ってのに入れられると思ってさ。母狸は埋めて子供だけ抱えて戻ってきたんだ。そんで、汚れてたから風呂で洗って、ついでに俺もシャワー浴びて、風呂汚れたから掃除してた。そこに三蔵が帰って来たんだよ」 と、可愛く小首なんぞ傾げてみる。 「狸の妖怪だって気が付かなかったのか?」 と。 「しばらく一緒にいたい」 などとねだってきた。 その予想通りの一声に、目の前が真っ暗になる三蔵だった。 見る影もなく疲れ切った三蔵を長椅子に残し、笙玄は悟空と子供達を上手にあしらいながら、寝所を片づけ始めた。 「悟空、洗濯物は洗面所に持っていって下さい。花ちゃんはお菓子を集めてこの入れ物に入れて下さいね。茅ちゃんと凪ちゃんは、ゴミを拾ってこの袋に入れてくださいね」 にっこりと、有無を言わさない笙玄の笑顔に子供達は素直に従った。
三蔵は笙玄と子供達が片づける様を見るともなしに見ていた。 「三蔵様、お立ち下さいませ」 笙玄が声をかける。 「何だ?」 答えれば、 「先程、お座りになる際に…」 言いにくそうな笙玄の言葉に、長椅子に座る時、尻の下で何かが潰れる感触がしたことを思い出す。 「どうした?」 何となく気になった三蔵が問いかければ、笙玄は困り果てたというように息を吐くと答えた。 「アケビが潰れています」 三蔵は笙玄の落胆ぶりに、居心地の悪さを感じて「着替えてくる」と言うなり、寝室に入って行った。
ぱたぱたと振っているしっぽが座っている椅子の背もたれから見える気がした。 「さんぞ、これ」 差し出すタオルを怪訝な顔で見れば、 「風呂、準備ができたからさ、先に入ってくれば?」 と、悟空が笑う。 「そうか」 と、タオルを受け取ろうとして、三蔵は痛い視線を感じて顔を上げた。
───一人でこの子達にご飯を食べさせろと仰るのですか?
そう訴えていた。 「さんぞ?」 悟空が後を付いてくる。 「飯食ったら入る」 そう言いながら、椅子に座った。
子供達は、箸を使うどころか手づかみで食べ始め、その食べっぷりに三蔵はもとより、悟空も笙玄でさえ目を見張った。 「おい、こいつら一体何日、飯を食ってないんだ?」 食べることも忘れて、三人の食べる姿を眺める三蔵が悟空に訊いた。 「わかんねぇ。でもずいぶん汚かったから結構長いんじゃない…かな」 がつがつと食べる姿に圧倒されたのか、悟空も呆然と見ている。 「大丈夫ですか?」 咳き込む幼い背中をさすってやる。 「にゃぁ!」 途端に上がる声に、悟空が声を上げる。 「三蔵!」 その悟空にもハリセンを見舞うと、三蔵はハリセンを握りしめて怒鳴った。 「汚ねぇ食べ方すんじゃねえ。ちゃんと箸を使え、箸を!」 机に置かれた箸を指さして怒鳴る三蔵の剣幕に、子供達はびっくりした顔をしている。 「腹が減ってるのはよーくわかった。だが、そんな食べ方は許さねえ。ちゃんと人間らしく飯を食え、いいな!」 パンっと、机をハリセンで叩く。 なかなか泣きやまない子供達に、三蔵が折れた。 「笙玄、フォークとスプーンを持ってきてやれ」 言われて、笙玄が慌てて厨に取りに走る。 「泣くなよ。三蔵はちゃんと行儀良く食べろっていってるだけだかんな」 いつも自分が三蔵に言われていることを悟空は、子供達にお兄さんぶって言い聞かせている。 「持って参りました」 新聞から顔も上げずそう告げる三蔵を子供達は怯えた眼差しで見つめていた。 「はい、これならちゃんと食べられますよ」 差し出されたスプーンとフォークをそれぞれ受け取ると、食事を再開した。
誰が…風呂に入れる…
そこまで考えて、三蔵は一段と疲労が増した気がした。
こいつらを山に返したら覚えとけ、サル
こんな面倒を持ってきた悟空にどうやって償わせるかを考える三蔵だった。
食事の後片付けを笙玄がしている間に、三蔵は風呂に入ろうと席を立った。 だが、三蔵の考えは砂糖にハチミツをかけた程に甘かった。 三蔵が、悟空が渡してくれたタオルを持って湯殿へ向かうその後ろを、子供達が興味深そうについてゆくのだ。
三蔵は後ろを付いてくる子供の気配を無視して、湯殿に入った。 「…!!」 その姿に三蔵は声もなく立ちすくむ。 「しゃんぞ、これで花のことしゃーってして」 つんつんと手に持ったタオルを花が引っ張って舌足らずな口調でねだってきた。
「あっ、花ずるいぃ〜。俺もさんぞーにしゃーってして欲しい!」 花の言葉を聞きつけた茅が、ぷうっと膨れる。 「花がさきなの」 シャワーヘッドを取り合う二人の子供特有の高い声が、風呂場に反響する。 「─…痛ったーいィ…」 二人は同時に頭を押さえ、洗い場に踞った。 「喧しい!」 凪が今にも泣きそうに顔を歪めて、ハリセンを握りしめる三蔵を見上げた。 「ああ、もう…わかったから、そこに並びやがれ」 三蔵が示す場所に三人がちんまりと並ぶと、床に落ちたシャワーヘッドを取り上げて、コックを捻った。 「きゃあ…」 それぞれが気持ちよさそうな声を上げて湯に掛かる。
悟空は三蔵がお風呂に入りに行くのを笙玄手伝いをしながら見ていた。 「何で…?」 湯殿の入り口に悟空は立ちすくんでしまった。
「しゃんぞ、これイイ匂い」 ポフポフと花がボディーソープを含ませたスポンジを握って笑う。 「てめえ、じっとしてろ!」 三蔵は喜ぶ花を無視して、暴れる茅の頭を洗っていた。 「しゃんぞ、洗えない…」 泣きそうな顔でスポンジを差し出す凪に、ため息を吐くと、スポンジを奪って体を洗ってやった。
───さんぞ、なあ、これ風呂っていうんだろ?気持ちいいなぁ…俺、大好き
とろけるように幸せな笑顔を向けた悟空のことを凪の身体を洗ってやりながら、思い出す三蔵だった。
花を洗い、茅を洗い、凪を洗い終わって、三蔵はようやく一息吐いた。 「何しやがる」 怒る三蔵ににぱっと、三人は笑いかけ、 「しゃんぞの身体、花が洗ったえる」 後退りする三蔵を囲むようにそれぞれがスポンジを持って、立った。 「や、止め…」 三蔵が叫ぶより早く、三人は三蔵の身体を洗い出した。
その一部始終を脱衣所で聞いていた悟空は、目に涙が浮かぶのをどうしようもなかった。 あんなに他人に触れられるのを嫌がってたくせに。 悟空はぎゅっと三蔵の着替えを抱きしめたまま、動く事が出来なかった。
三蔵の抵抗をモノともせず、三人は三蔵の背中を腕を足を洗い上げた。 「しゃんぞって、きれい…」 そんなことを呟く三人に気が付かず、三蔵は湯船に身体を沈めた。 「…うぜぇ」 そう口では言いながら三蔵は、子供達を振り払う事はしなかった。
ほどよく暖まって、三蔵は湯船から出た。 「てめえら、そのタオルで身体を拭いて、そこにある服を着ろ」 それぞれが返事をして、用意されたタオルで身体を拭き、大人しく三蔵の言いつけに従った。
口々に三蔵と風呂に入った事を報告する三人の話を悟空は、何とも言えない表情で聞いていたが、三蔵の気配を感じると、ぱっと笑顔に代わり三人の話を楽しそうに聞いていた。 「えーっ、俺、さっき入ったからもーいい」 不機嫌な声でそう答えると、長椅子に座って読みかけていた新聞を広げた。 「…わかった」 うつむいて答える悟空の姿に、茅がそっとその手を掴む。 「悟空、どーした?」 心配そうな声に悟空は、何でもないと笑い、 「寝ようか」 と、声をかけた。 「何しやが…」 言いかけた三蔵の言葉に、花の泣き声が重なった。 「しゃんぞと、寝たいのにぃ…ふぇぇ…」 三蔵が固まり、悟空の胸が小さく痛んだ。 泣き出した花を悟空は起こすと、三蔵を睨んだ。 「可哀想じゃんか。せっかく三蔵と寝たいって言ってんのに」 三蔵と悟空の言い合いに花が益々泣き出し、茅も凪も目が潤んで今にも泣きそうに顔を歪めている。 いつまで経っても、三蔵は悟空の泣き顔を見るのが辛い。 今回も結局、三蔵が折れたのだった。
あんのぉ野郎…
三蔵の脳裏に柔和な笑顔を浮かべる笙玄の顔が浮かんだ。 「さんぞ…?」 その不安げな声に我に返ると、寝台に花を下ろし、茅と凪を寝台の上に上げた。 「おら、さっさと布団に入れ」 花の涙を拭って、悟空も三人と一緒に寝台に潜り込んだ。 「さんぞも、早くぅ」 茅が、悟空の傍で三蔵を呼ぶ。 「…ったく…」 煩そうに髪を掻き上げ、三蔵は悟空の横に身体を滑り込ませた。 「さ、さんぞ?」 驚く悟空に三蔵は鼻を鳴らして、その身体を抱き込んでやる。 「おやすみ」 口々に挨拶をすると、すぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。
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