三匹の仔ダヌキ・後編 (2002.12.21〜2003.2.7/寺院時代)
朝、三蔵は腰の辺りが冷たいことに気が付いて、目が覚めた。

「何だ…?」

腕の中の悟空は安らかな寝息をたてて眠っている。
起こさないように後ろで眠っている茅に気を付けながら身体を起こす。
そっと掛布をめくれば、敷き布団に立派な地図が描かれていた。

「誰がやった?」

むっとしながら夜着の濡れ具合を確かめれば、仔ダヌキ三人の仕業とわかった。 

「…ったく」

がしがしと頭をかくと、三蔵は寝台から降りた。
そして、悟空を起こす。 

「おい、悟空…」

耳元で名前を呼べば、悟空は何度かむにゃむにゃ言って目を開けた。
間近に見えた三蔵の顔にほやんとした笑顔を浮かべた。 

「お、はよう…さんぞ」
「ああ」

返事をしながら悟空の身体を引っ張り起こした。

「ん…何?」

寝台に手をついた悟空が、慌てて三蔵の顔を見やった。

「お、俺?」
「違ぇーよ。ガキどもだ」

見れば三人の夜着もしっかり濡れている。

「さんぞ…」

申し訳ない顔で三蔵を見上げる悟空の頭をくしゃっと掻き混ぜると、

「起きてさっさと着替えろ」
「チビたちは?」
「後だ」

三蔵にひっぱり起こされ立たされた悟空は、寝台から降りると着替え始めた。
それを見届けて、三蔵も着替え始める。
二人は着替え終わると、子供達のおしっこで汚れた夜着を持って寝室を後にした。






寝室から夜着を抱えて出てきた三蔵と悟空の姿を笙玄が、見咎めた。

「おはようございます。三蔵様」

にっこりと声をかけられて、二人は一瞬顔を見合わせる。

「如何なさいました?」 

食事の支度の手を止めて、笙玄が二人に近づいてきた。
そして、

「洗濯物でしたら受け取りますが…」

差し出した手を思わず、悟空が叩いた。

「えっ?」
「あ、ああ…あの、あの…」
「……バカ」

三蔵はどうしようもないとため息を吐くと、悟空の持っていた夜着と一緒に自分の分も笙玄に渡した。

「チビ共が寝小便をたれやがった。お陰で俺たちまで濡れた。あいつらを起こして始末してやれ」

ふんと、顰め面をすると、悟空の頭を小突いた。

「てめえも自分がしたんじゃねえんだから、狼狽えるな」
「ご、ごめん…」

笙玄は三蔵の言葉に黙って頷き、うなだれた悟空に、

「びっくりさせてしまったんですね。ごめんなさい、悟空」

と、謝った。

「そ、そんなの…俺もごめんな」

顔を上げてほっとした笑顔を笙玄に向ける悟空に頷き返すと、笙玄は子供達を起こすべく、寝室へ向かった。






笙玄に起こされ、自分達がしでかしたおねしょにびっくりして、三人は怒られもしない内から泣き出してしまった。
それをなだめすかしながら、笙玄はシャワーを浴びせ、着替えさせてやった。
その様子を悟空は、はらはらと落ちつかなく見ていたが、三蔵が手を出すなと厳命していたため、手を出すことができなかった。

一通り着替えも終わって、五人はようやく朝食の机に付いた。
昨日のこともあり、三人は三蔵の不機嫌な顔を伺うようにして、大人しく食事を終えた。
きちんと食べ終えて、ごちそうさまを笙玄に告げると、

「やればできるんじゃねえか」

そう三蔵が言った。
その言葉に三人はきょとんとしていると、横から悟空が、

「よかったな。三蔵が誉めてくれたぞ」

と、三蔵の態度の解説をしてくれた。
その言葉でようやく三人は、嬉しそうな笑顔を浮かべたのだった。
















その頃、子ダヌキ達の父親が、行方不明になっている妻と子供達を探して、山の中を奔走し、丁寧に埋められた妻の遺体と壊された罠を見つけた。 
そして、怒りの咆哮を上げると、子供の臭いを辿って、寺院へと暴走を始めた。
















無事、朝食も終わり、三蔵は笙玄と仕事に、悟空は子供達と寝所で遊ぶことにしたが、元気と好奇心旺盛な子供達は、悟空の言うことなど聞かず、三蔵から堅く止められていた大扉から出てしまった。

「ダメだって!三蔵にこっぴどく怒られるから」
「何で?」
「こっちには何があゆの?」
「面白いものあゆんでしょ?」
「何もねぇって…おい!」

バタバタと回廊を声を上げながら走る四人を修行僧の一団が見つけた。
見れば悟空が幼子と走って居るではないか。
こんな奥まった所に何処の何とも知れない幼子を連れ込んで遊ぶなど、言語同断とばかりに、僧侶達は悟空と子供達を取り囲んだ。

「おい、きさまここを何処だと思ってるんだ!」
「神聖なそれも三蔵様のお膝元で何と言うことをしてくれる!」

気が付いた時には悟空達は逃げ場を失っていた。

「三蔵が良いって言ったんだから、あんた達には関係ないだろ」

悟空は子供達を庇って、周囲を取り囲む僧侶達を睨みつける。

「関係在るさ。ここは俺たちの大事な修行の場なんだよ」

そう言うなり、僧侶は持っていた本で悟空の顔を殴り飛ばした。

「悟空!」

子供達が殴られた勢いで倒れ込む悟空にしがみつく。

「だ、大丈夫だから離れてんだぞ」

痛みをこらえて悟空は三人に笑いかけると、その身体を離した。
さすがに僧侶達も花や茅、凪の三人の幼子には手は出さなかったが、その分抵抗しない悟空をいいように散々殴りつけ、

「とっとと、その子らを親元へ帰してこい!」

と、捨て台詞を残して立ち去って行った。




僧侶達の姿が見えなくなって、ようやく三人はおずおずと傷だらけになって回廊に寝ころぶ悟空の傍に近寄った。

「悟空、大丈夫…?」
「悟空、痛い?」
「悟空…にいちゃ…ぁ」

一番泣き虫な凪が、涙を溢れさせて悟空の服を掴んだ。

「へ、いきだって…」

痛む身体を起こして、三人に笑いかけた。
切れた口の端が、ぴりぴりと痛む。

「血…でてゆ…」

花が服の袖で悟空の切れた口元を拭いてくれた。

「サンキュ」

悟空は花の頭を撫でると、立ち上がった。

「部屋に戻って遊ぼうな」

そう言って三人の手を取った悟空に、風が不穏な気配を連れて来たのだった。




寝所に戻りかけた悟空の足が止まった。
吹き渡る風に、不穏な気配を感じて寺院の裏山の方を見つめる。

「悟空、どうしたの?」

茅が繋いだ悟空の手を引っ張って、訊いてきた。

「…何でもない。部屋に戻ろうな」

悟空は何でもないと、茅に笑いかけ、寝所に戻った。










三人が遊びだした頃を見計らって悟空はそっと寝所を抜け出し、裏山へ向かった。
いつもの抜け道を通って裏山へ。
寺院の囲いを抜けたその時、悟空の身体を鋭い風がかすめた。
無意識に避けた悟空の身体の後に、大地色の髪の切れ端が舞う。

「…何?」

周囲を見やれば、正面の木陰から殺気立った男が、長いかぎ爪を構えて姿を見せた。

「誰だ?」

問えば、

「子供を返せ…」

と、地を這う声音が返ってきた。

「子供…?」

一瞬、きょとんとする悟空に構わず、男は悟空に襲いかかった。
薙ぎ払うように繰り出されるかぎ爪を悟空は紙一重でかわしながら、男の言葉の意味を考える。
だが、戦いの最中に他の事に気を取られてはならなかった。
ほんの一瞬、気がそがれ、悟空は足下の小石の上に乗ってしまい、バランスを崩した。
その隙を見逃すはずもなく、男は悟空の身体を引き裂くべくかぎ爪を振り下ろした。

「しまった!」

悟空は顔を庇い、身体を丸めて衝撃に備えた。
だが、来るべき衝撃も痛みも来ない代わりに、一発の銃声が響き渡った。

「…?」

恐る恐る顔を上げれば、男のかぎ爪が根元から折れて地面に転がっていた。

「子供を返せ!」

男は悟空の後ろに立つ銃を構えた白い人間に向かって、うなり声を上げた。
悟空もその声に引かれるように振り向けば、そこに三蔵が銃を構えて立っていたのだった。

「…さんぞ」
「さっさと、立て、サル」
「う、うん」

悟空は慌てて立ち上がり、三蔵の傍らに走った。

「待てぇ、子供を返せぇ!」

三蔵のもとへ走る悟空の背中に男の手が伸びる。
それを遮るようにまた、三蔵が銃を放った。
その瞬間、男の口から凄まじい咆哮が迸り、あたりの空気を揺るがした。
そして、男の身体は変化し始めたのだった。

「……くそったれが…」

その姿を銃を構えたまま見つめる三蔵が、苦々しく言葉を吐き捨てたのだった。






三蔵と悟空の目の前で、妖怪の男はあっという間に変化を遂げた。

「…げっ、狸じゃんか」

男の正体は、白い大狸だった。
見上げるほどの巨体を揺らし、子供を返せと悟空と三蔵に迫る。
振り下ろされる丸太のような腕をかいくぐりながら、悟空は三蔵に話しかけた。

「なあ、こいっつってひょっとしてあいつらの…うわっ!」
「よそ見するな、サル!」
「やべかったぁ…じゃなくて、あいつらの父ちゃんか?」
「決まってる」

返事をしながら、三蔵も軽い身ごなしで、大狸の攻撃を避ける。
三蔵の避けた後にあった木が砕けた。

「三蔵!」
「ちっ…」

僧衣の袂で飛んでくる破片を防ぐ。
その間に、悟空はまた三蔵のすぐ傍に寄っていた。
大狸の妖怪は、うまく三蔵達を捕まえられないのに業を煮やしたのか、手近な木に腕をかけるとそれを力一杯引き倒し始めた。











居間で遊んでいた子供達の動きが、不意に止まった。
丁度おやつを運んできた笙玄が、それに気が付く。

「どうしたんですか?」

それに答えず、子供達は居間の扉に飛びつくようにして開けると、転がるように外へと走り出した。

「あ、ダメです!」

笙玄が後を追って外へ出れば、子供達の姿はもう無かった。

「一体…どこへ…」

心配そうに顔を顰めて立ちつくす笙玄だった。






「茅。父ちゃんだ!」
「うん、父ちゃんだ」
「迎えにきてくえた」
「うん」

三人はまっすぐに悟空と三蔵と父親の戦っている裏山に向かって走っていた。











「三蔵!」

引き倒した木で辺り構わず薙ぎ払う。
その風圧に、三蔵が弾き飛ばされた。
悟空が走り寄る。

「三蔵、大丈夫か?」

助け起こそうとする手を振り払って、三蔵は立ち上がると、悟空の襟首を掴んで引き寄せた。

「な、何?」
「ぶちのめせ」
「で、でも…」
「大人しくしてもらわねえと、ガキ共も危ねえだろうが」
「そっか」
「わかったら行け!」
「うん!」

悟空が弾かれたように三蔵の傍から離れる。

今、目の前で暴れているのがあの三人の父親だと、気が付いてしまったらどうにも手が出せなくて逃げてばかりだった。
たぶん、父親は子供が攫われたと思っているのだ。
そう、あの母親の亡骸を見つけても居たのだと思う。
だから、こんな風に逆上して暴れてもしかたないと。
だが、子供達は無事なのだ。
三人とも元気なのだ。
おしゃまな花、泣き虫の凪、やんちゃな茅、みんな元気なのだ。
落ち着いて話を聞いてくれさえすれば、子供達と逢えるのに。

悟空は如意棒を召還すると、大狸との間合いを詰め、攻撃に転じた。










三人は、奥の院を抜け、裏山に入った。
そこで一端、走るのを止めて、気配を伺う。

「父ちゃん、戦ってる?」
「何で?」
「誰と?」
「まさか…!」

父親が戦う気配の中に、知っている気配を感じて、三人は顔を見合わせるなり、先程よりももっと速く走り始めた。











やがて、悟空と戦う父親の傍に走り出た。

「父ちゃん!」
「兄ちゃん!」

口々に叫んだそれと同時に、悟空の如意棒が大狸の鳩尾に入った。

「ぐぎゃ…ぁ」

大狸が倒れた。

「父ちゃん!」

三人が駆け寄る。

「お、お前ら…」

自分の横をすり抜けて倒れた大狸に駆け寄っていく三つの固まりに気が付いて、悟空は声を上げた。

「来ちまったか…」
「さんぞ…?」

がしがしと頭をかきながら悟空の傍に三蔵が立った。
困ったような訳がわからないという様な顔で三蔵を見上げる悟空に、

「見ろ」

と、三蔵は悟空の視線を狸の親子に向けさせた。

そこには、我に返った父親に抱きしめられる三人の姿があった。





















人の姿に戻った大狸の男───名前を瑶という───は、両手に子供達を抱きしめたまま、寝所の床に座ってすまなそうな顔をして三蔵を見上げていた。

「…で、納得したのか?」

子供達のたどたどしい説明と悟空の要領を得ない説明を受けた瑶に、三蔵は不機嫌な声で聞いた。

「はい…あのぉなんとか」
「なら、そいつらを連れて帰れ」

三蔵は苛立たしげにそう言って、煙草に火を付けた。
悟空は長椅子に座る三蔵の足下に両足を投げ出して座って、事の成り行きを見つめていた。
笙玄は悟空の傷の手当てを終えて、救急箱を片付けながら様子を見守っている。

「…じゃあ、あの…本当にすみませんでした」

瑶は深く頭を下げると、立ち上がった。
そして、子供達に三蔵達に礼を言えと促す。

「悟空、あいがと」

花が悟空にふわりと抱きついた。

「うん、元気でな」
「うん」

頷いて離れると、今度は三蔵に近づき、その膝によじ登る。

「おい…!」

慌ててよじ登ってくる花を支える。

「しゃんぞ、だーいしゅき!あいがと」

支えられた花はそう言って、三蔵の頬にちゅっとキスをした。

「…!」

びっくりする三蔵を尻目に、花は嬉しそうに笑うと膝から滑り降りた。
茅と凪が二人して悟空に抱きつき、

「兄ちゃん、また遊んでね」
「悟空、だーい好き」

と、笑った。

「俺もお前らが大好きだよ。また、遊ぼうな」
「うん!」

悟空の言葉に二人は嬉しそうに頷くと、三蔵の方へ向き直った。
そして、

「さんぞ、ありがと」

と、口を揃えてそう言うと、ぺこりと頭を下げた。

「ああ…」

三蔵は頷くと、二人の頭を軽く撫でてやった。
それに嬉しそうな笑顔を返すと、瑶の傍に戻った。

「ありがとうございました」

瑶は、また深々と頭を下げると、扉を開けて待っている笙玄にも頭を下げて寝所を後にした。
後には、どこか寂しげな空気が残った。











その夜、三蔵の寝台に潜り込んだ悟空は、三蔵に身体をすり寄せるようにして眠った。
悟空は狸のチビ達が可愛かっただの、もっと遊んでやれば良かっただのとちょっと寂しげに、楽しそうに話ながら寝入ってしまった。
三蔵は安らかな寝息を立てる悟空の瞼にそっと口付けをする。
そして、

「寂しいならそう言え…バカザル」

と言って、小さく笑った。






嵐のような二日間。
忘れ得ぬ小さな思い出。




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