生日足日




◇◇3◇◇

現在、最高僧が異様に不機嫌だ。

口に其れとは出さないものの、吹かす煙草の量が尋常では無い。
眉間の皺も何時もの倍に見える。

朝から是れと言って変わった出来事は何も起きてはいない。
唯一つ、何時もと違う事と言えば────今、この場に悟空が居ない事、だけ。



「分かり易いですよねぇ・・」

呟いた八戒を一瞬睨み付けるが、分が悪いと思うのか、三蔵は直ぐにまた視線を手元の新聞へと落とす。

そんな様子に自分等に当たらないで欲しいものだ、と密かに嘆息しながらも八戒は、僅かでも局面を打開すべく三蔵へ助言を試みる。



────無駄だとは百も承知の上で。



「悟空なら街に居ると思いますよ?先刻そう言って飛び出して行きましたから。」
「だからどうした。」
「いえ。別に。一応報告したまで、です。」

やはり一向に動こうとはしない。
それでも、居場所が分かっただけ幾分か勝であろうと八戒もそれなり口出しするのを止めた。









「何よ。これは一体どうしちゃった訳?」

遊翫より帰還した悟浄が部屋の有様を見、開口一番そう言った。
部屋の中は煙草の煙で充満し、テーブルの上の灰皿には山と詰まれた吸殻。

「見ての通り、ですよ。悟空が居ないんです。」

三蔵の機嫌の下降を促さぬ様に、と八戒は耳打ちで悟浄へと伝える。

「まだ帰ってねーのか?猿は。」
「ええ。あれから一度も。」

悟空は悟浄が出掛ける遥か前に出掛けて行った。
そして今───既にもう日は落ち、辺りは夕闇に包まれ始めている。



「そろそろ夕飯の時間だって言うのに、帰らないなんておかしいですよね。」
「大方新しい遊びでも見付けたんだろ。腹減りゃ帰って来るって。先に飯にしてようぜ、飯。」

誰にとも無く呟いた八戒へ悟浄が返す。

「と、悟浄はこう言ってますけど・・」
「勝手にしろ。」

一応三蔵へ伺いを立て了承を得ると、八戒は宿の厨房を借り作り上げた食事をテーブルへと並べる。
そうして三人のみで先に卓へと着いた。




その食事の内容は三蔵の誕生日を祝おうと八戒が腕を振るった物であったが、特にそれに触れる事無く三人は黙々と食事を済ませたのだった。




食事を済ませた後の三人は其々思い思いのまま、就寝迄の時間を過ごしていたが、やがて日付が変わらんとする頃───耐え兼ねた八戒が切り出す。

「三蔵。煙草、買いに行きますよね?」

空になった煙草のパッケージを握り潰す三蔵の手元を指し、疑問符は付けたものの、ほぼ断定的な物言いで有無を言わさず次の言葉を吐いた。

「ついでに、悟空を迎えに行って来てくれませんか?」
「てめえで行きゃ良いだろうが。」
「どうせ外に出るんですから、ついでに行って来てくれても良いじゃないですか。」

ついで、が強調されているのは恐らく気の所為では無いだろう。

「お願いします。悟空戻って来ないと食事片付かなくて困りますし。」

優に三人前以上は残っている食事を指して懇願の形を取る。
食卓を片すのは他でもない、八戒なのだ。

舌打ちし三蔵は席を立つと、乱暴に扉を開け夜の街へと出掛けて行った。

「ホント、素直じゃねーのな。」
「三蔵が素直だと恐いですけどね。」
「確かに。」









流石に日付が変わる頃ともなると、どの店も営業を終えており、街の明かりは殆ど消えている。
行き交う人間もそう居ない。
そんな夜の闇の中で悟空を見付け出すのは容易い事だった。



「こんな所で何してやがる。」

或る一軒の店の軒先で蹲っている悟空の前迄足を運び、見下ろし声を掛ける。
恐らく雨宿りでもしていたのだろう。

しかし、何時もならば悟空は雨に濡れる事や汚れる事も厭わず、食事の時間となると宿には必ず戻って来る。
この様な遅い時間迄戻って来ないという事は今迄に無かった。

何故今日に限って大人しく雨宿り等をしているのかが三蔵には解せない。



「三蔵!?」

聞き慣れた声で呼ばれた事に驚き、悟空は咄嗟に顔を上げる。

「ダメじゃん!三蔵が迎えに来ちゃ!」

次の言葉には三蔵が虚を突かれた。

そして言葉の意味を理解するなり、得も言われぬ憤りを感じる。
三蔵にしてみればなかなか帰らぬ悟空を夜更けにわざわざ傘迄差して迎えに来てやった、という所。

それを自分の迎えでは駄目だ、と言われては、憤りを感じるのは当然であろう。

更に───三蔵は殊、お世辞にも気が長いとは言えない性質だ。



「俺で悪かったな。」
「うわっ!違うってば。そう言う意味じゃねーよ!」

言い捨て、そのまま悟空を置いて踵を返す三蔵を悟空は慌てて追う。

雨に濡れるのも構わず着いて来る所を見ると、やはり雨に濡れるのを嫌い雨宿りをしていた訳では無さそうだ。
溜息を吐きつつ傘を僅か───傍らを歩く悟空の方へ傾け三蔵は歩き出した。



「そう言う意味じゃなくって。三蔵は今日一日ゆっくり過ごさなきゃ駄目なんだよ。」
「────何?」
「三蔵、今日は楽しかった?」

いきなり問われた突拍子も無い内容に一瞬戸惑ってしまう。
一体何が聞きたいと言うのか────。



そもそも、今日は楽しかったかと問われ一日を振り返ってみれば、日がな一日紫煙を燻らせ紙面と向かい合っていたのみで、是と言った事は無い。
むしろ消費する煙草の量からいって、その逆であろうが、それは当の本人には自覚は無いのかもしれない。



「煩ぇのが居ない分、静かには過ごせたがな。」
「そっか。それなら良かった!」
「・・日本語を話せ。」

嬉しそうに言う悟空が今は妙に癪に障り、平素よりも不機嫌な様相を声色に滲ませてしまう。

「それが俺からのプレゼントだからさ。」
「解る様に話せ、と言っている。」
「今日、三蔵の誕生日だったじゃん。三蔵は何も要らない、って言ったけど───八戒も悟浄もプレゼントあげたのにさ、俺だけ何も出来ないの嫌だったし。」

三蔵にも段々悟空の意図する所が見えて来た。

「だから、悟浄に俺は何したら良いかな、って相談したんだ。そしたら『おまえ居ないのが、静かで一番だろ。』って言うからさ。」
「それで一日中街で時間潰していたのか。」
「うん。そう。────でも、丁度街で俺と同い年位のヤツに会ってさ。一緒に遊んでたから退屈しなくて済んだんだ。」

尚も嬉しそうに言い募る悟空とは裏腹に、三蔵には一層苛立ちが募って行く。

「誰がそんな物を望んでいる、と言った?」
「でも、静かに過ごせたって・・三蔵・・」
「静かに過ごす事を何よりも望むんなら、端からてめえを側になんぞ置いちゃいねえ。」
「それって・・」
「おまえは以前、自分の誕生日に言ったな?『一緒に遊べるだけで良い』と。」
「うん。言った。」



以前寺院で二人暮らしていた頃───偶々機嫌の良かった三蔵に誕生日には何が欲しいか、と一度だけ問われた事があった。
その時悟空は迷いもせず『三蔵と一緒に遊べれば、それだけで良い。』と言い切ったのだった。



「何故それが逆の立場でも同じ事だ、と考えない?」

三蔵の言わんとする事が完全に理解出来た悟空は、この上も無く嬉しそうに三蔵の腕にしがみ付く。

「まだ間に合うかな?」
「さぁな。」
「三蔵、誕生日おめでとう。」
「ったく・・遅ぇんだよ。」
「ごめん。」

この時漸く、三蔵を取り巻く空気がこの日初めて────和らいだ。






─────そして。

三蔵が、宿へ着くなり悟浄へ容赦無く発砲した事は言うまでも無い。




end




<知 実 様作>

このお話もサイトを閉じられる時に頂いたお話です。
三蔵の誕生日、贈るものが思い付かず、静かな時間を三蔵にあげようとする悟空が、とても健気です。
そして、素直じゃない三蔵を適当におもちゃ(?)にしながら、お祝いする八戒と悟浄がステキです。
ちょっと切なくて、愛しいお話しの世界をご覧下さいませ。
知実様、ありがとうございました。

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