旅の途中 (21)

長く尾を引く銃声が夜闇に融ける。

「……負け、ましたよ…玄奘三蔵法師様」

眉間に空いた穴から幾筋も赤い雫が流れる。
三蔵はまだ銃を構えたまま、腹這いにくずおれた崔岳を見つめていた。
崔岳は俯せた顔を上げ、三蔵を見上げた。
その顔がすっとずれる。

「あなたの決心は揺るぎないようで…我は……」

最後まで言葉を紡ぎきるまでに、まるで積み重なった紙が崩れて散るように、砂が崩れるように崔岳の身体が夜闇に崩れ散った。

「…我はお役ご免の様で。お後はあなたの意のままに…」

吹き散る風の中から聞こえた声に、三蔵は全身の力が抜けた。
そのままへたんと、その場に座り込む。

「……御子を……み………す…」

最期の声と共に三蔵の膝元に一枚の札が舞い落ちた。

「…これは…」

拾い上げた札の中心に焦げた丸い穴が空いていた。

「あいつの正体?!」

まじまじと見つめる穴の空いた札には、悟空が封じられていたあの岩牢に張り巡らされた札と同じ呪が書かれていた。
本当に今、手に持つ札が崔岳の正体なら、三蔵が今まで戦ってきた相手は誰かの式だったと言うことになる。
では、一体誰がこんな手の込んだことを企んだというのか。



…まさか……



思い当たった存在に三蔵の瞳が見開かれる。

何のためにこんなことをする?

永遠とも思えるような永い時間をあんな岩牢で、ただ独り繋がれて。
訪れる者もなく、交わす言葉も、呼ぶ名前すらなく、ただ独り。
神殺しがどれ程の大罪かなど知るよしもないが、記憶を封じられ、全てを諦めさせられて。
何が大罪人だ。
咎人だ。
ただの何も知らない子供ではないか。
たわいもないことに一喜一憂する幼い子供だ。
独りを怖がり、暗闇を怖がる普通の子供だ。
幼い、ただ幼い稚い子供。

見え隠れする意志。
天の配剤。



胸くそわりぃ…



どこまでも罪人扱いがしたいのか。
子供が生きている限り許されないとでも言いたげな意志。



そして───



「その脆弱な身体と心で、あの子供を受け止めると?」

そう言われた。

自分はどう答えた?

頷いた。
戸惑いも躊躇もなく、ごく当たり前に。

何故、あんなことを?
まるで確認をとるみたいに。



……そう言うことなのか…?



すとんと、三蔵の胸の内に落ちた。
その落ちた思いに、見えた確信に三蔵は口元を楽しそうに綻ばせた。



面白れぇ…



「ちゃんと最後まで引き受けてやるよ」

三蔵はうっすらと明け始めた空に向かって一発銃を撃った。
静まりかえった空気を裂いて銃声は真っ直ぐな三蔵の意志のように自分達を見下ろし、見つめて居るであろうそれに向かって響き渡った。





















「…ん…」

夜が明けてすぐ、悟空は誰かに呼ばれた気がして目が覚めた。
まだ、半ば眠った悟空の意識の琴線に微かに触れるそれに、悟空は仄かに笑って、幸せそうに頷いた。

「………うん」

そして、また、引き込まれるように眠りの淵へ堕ちてゆく。
音のない言葉が吐息と一緒に悟空の唇からこぼれ落ちた。
遠い記憶のその先の温かな───





















いつもより少し寝過ごして三蔵は目覚めた。
酷く疲れた身体を起こして周囲を見れば、昨夜の戦闘が夢ではなかったことを告げていた。
細い煙を上げて消えている焚き火をに、悟空の周囲に張られていた結界が解けている事を知る。
三蔵は僅かに燃え残った燠火に新たな薪を足して火を熾した。

「…気持ちよさそうに寝こけやがって」

ころんと丸まって眠る悟空の稚い寝顔に腹立たしさを覚えた三蔵は手に持っていた薪の枯れ枝で悟空のまろい頬を軽くつついた。
それに悟空はくすぐったそうに頬を擦るだけで目覚める気配はない。
三蔵は小さく舌打つと、枯れ枝を燃えだした焚き火に投げ入れると、寝ころんだ。

「お前…傍に居ろよ…」

そう呟いた三蔵は小さなあくびをひとつ零して、眠ってしまった。





















二人が起きだして最後の旅路についたのは日も高く昇った時刻だった。
野宿の後始末を終え、街道へ戻る道で、漸く悟空は崔岳の姿がないことに気が付いた。

「あっれ?崔岳のおっちゃんは?」

きょろきょろと見回し、三蔵を見上げる。

「あいつなら先に行っちまった。お前が起きないし、急ぐってな」
「ええ!そんなぁ…」

しゅんと項垂れたと思う間もなく、

「だったら起こしてくれたらいいじゃんか」

むくれて、まろい頬を膨らませる。

「ぬかせ。何度起こしても起きなかったのはお前だ」
「ちぇっ…」

三蔵の言葉に舌打ちして、足許の石を蹴飛ばして、悟空はしばらくぶつぶつと文句を言っていた。
やがて、

「いいや。長安?うんと…三蔵と暮らす家に遊びに来てくれるって約束したし…な、さんぞ」

そう言って三蔵を見上げた悟空の顔は、屈託のない笑顔に染まっていた。






夕方、長安に着いた二人は寺院近くで宿を取った。
長旅と度重なる野宿で汚れた身体を洗い、それなりに体裁を整えるために三蔵は、すぐに寺院に帰ることをしなかったのだ。
そして、何より悟空が、旅路の途中で見たどの街よりも大きな長安の街並みに酷く怯えたのが大きな理由だった。

宿へ入っても悟空は三蔵の傍を片時も離れず、法衣の袂を握って離さなかった。

「お前なあ…」

部屋へ通されて、呆れた風に悟空を見れば、今にも泣きそうな顔で三蔵を見上げていた。

「…悟空」

名前を呼べば、

「だって…人…たくさんで…怖かった…」

ぎゅっと、唇を噛んで俯いてしまう。
三蔵は仕方ないと、悟空の大地色の髪を宥めるように撫でた。

「ここは桃源郷でも一二を争う大きな街だ。人も多い。だがな怖がるほどじゃねえよ」
「…だって」
「どこの街だって人は同じだってことだよ」

三蔵の言うことに頷いて顔を上げれば、ぽんっと、頭を叩かれた。

「…そっか」
「そうだよ」

叩かれた頭を押さえて頷けば、穏やかな紫暗が見つめ返していた。




久しぶりの宿でゆっくりと身体を伸ばし、気持ちよく腹を満たした二人は、それぞれの寝台に向かい合って座っていた。
かさりと、三蔵が新聞を繰る渇いた音がする。
悟空は三蔵が入れた緑茶の入った湯呑みを手の中で転がしながら、目の前の三蔵の姿を見るとも無しに見つめていた。

綺麗な綺麗な太陽を映した金色の髪と夜明けの空のように澄んで、夜のように深い紫暗の瞳。
真っ直ぐで透明で、強くて温かく優しい心。

岩牢から見て、焦がれていた眩しい世界よりももっと世界は広くて眩しく、明るかった。
教えてくれたのは目の前の金色の人。

明日から、この人と一緒に暮らす。
それは傍にずっと居るということだと、教えてもらった。
一緒に暮らすことは嬉しい。
でも…と、思う。
この人に迷惑をかけないだろうか。
ちゃんとできるだろうか。
三蔵以外の人が怖くないだろうか。
不安になる。

それは無意識に三蔵の夜着を掴み、言葉となって悟空からこぼれ落ちた。

「なあ、俺、ちゃんとできるかな?」
「何が?」
「う…ん、寺?寺で暮らすの」

不安そうに三蔵の顔を伺う悟空に、三蔵は小さく笑った。

「何?」

むうっと頬をふくらませて「俺は真剣なのに…」と、三蔵を睨む。

「…いや、お前はそのままでいい。そのまま取り繕うことなんかしなくていいんだよ。お前がお前のままであれば大丈夫だよ」
「ホント…に?」

ぽんぽんと頭を叩く三蔵の顔を疑わしげにみやった。

「ああ」

頷けば、

「一緒に居ても?」

まだ、信用も納得も出来ないらしく、再度問いかけてくる。

「かまわねえよ」

金鈷を指で弾いて三蔵は横になった。

「うん…」

弾かれた金鈷に触れて悟空は何とも言えない表情で頷く。
その姿に三蔵は小さく口元を綻ばせた。






翌朝、宿を出た二人を抜けるような蒼天が迎えた。
それは、二人を祝福するように。
向かう先に平穏があるように。

少年と子供の行く先の光を願う。



今、新しい世界が始まる。






end

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