旅の途中 (21) |
長く尾を引く銃声が夜闇に融ける。 「……負け、ましたよ…玄奘三蔵法師様」 眉間に空いた穴から幾筋も赤い雫が流れる。 「あなたの決心は揺るぎないようで…我は……」 最後まで言葉を紡ぎきるまでに、まるで積み重なった紙が崩れて散るように、砂が崩れるように崔岳の身体が夜闇に崩れ散った。 「…我はお役ご免の様で。お後はあなたの意のままに…」 吹き散る風の中から聞こえた声に、三蔵は全身の力が抜けた。 「……御子を……み………す…」 最期の声と共に三蔵の膝元に一枚の札が舞い落ちた。 「…これは…」 拾い上げた札の中心に焦げた丸い穴が空いていた。 「あいつの正体?!」 まじまじと見つめる穴の空いた札には、悟空が封じられていたあの岩牢に張り巡らされた札と同じ呪が書かれていた。
…まさか……
思い当たった存在に三蔵の瞳が見開かれる。 何のためにこんなことをする? 永遠とも思えるような永い時間をあんな岩牢で、ただ独り繋がれて。 見え隠れする意志。
胸くそわりぃ…
どこまでも罪人扱いがしたいのか。
そして───
「その脆弱な身体と心で、あの子供を受け止めると?」 そう言われた。 自分はどう答えた? 頷いた。 何故、あんなことを?
……そう言うことなのか…?
すとんと、三蔵の胸の内に落ちた。
面白れぇ…
「ちゃんと最後まで引き受けてやるよ」 三蔵はうっすらと明け始めた空に向かって一発銃を撃った。
「…ん…」 夜が明けてすぐ、悟空は誰かに呼ばれた気がして目が覚めた。 「………うん」 そして、また、引き込まれるように眠りの淵へ堕ちてゆく。
いつもより少し寝過ごして三蔵は目覚めた。 「…気持ちよさそうに寝こけやがって」 ころんと丸まって眠る悟空の稚い寝顔に腹立たしさを覚えた三蔵は手に持っていた薪の枯れ枝で悟空のまろい頬を軽くつついた。 「お前…傍に居ろよ…」 そう呟いた三蔵は小さなあくびをひとつ零して、眠ってしまった。
二人が起きだして最後の旅路についたのは日も高く昇った時刻だった。 「あっれ?崔岳のおっちゃんは?」 きょろきょろと見回し、三蔵を見上げる。 「あいつなら先に行っちまった。お前が起きないし、急ぐってな」 しゅんと項垂れたと思う間もなく、 「だったら起こしてくれたらいいじゃんか」 むくれて、まろい頬を膨らませる。 「ぬかせ。何度起こしても起きなかったのはお前だ」 三蔵の言葉に舌打ちして、足許の石を蹴飛ばして、悟空はしばらくぶつぶつと文句を言っていた。 「いいや。長安?うんと…三蔵と暮らす家に遊びに来てくれるって約束したし…な、さんぞ」 そう言って三蔵を見上げた悟空の顔は、屈託のない笑顔に染まっていた。
夕方、長安に着いた二人は寺院近くで宿を取った。 宿へ入っても悟空は三蔵の傍を片時も離れず、法衣の袂を握って離さなかった。 「お前なあ…」 部屋へ通されて、呆れた風に悟空を見れば、今にも泣きそうな顔で三蔵を見上げていた。 「…悟空」 名前を呼べば、 「だって…人…たくさんで…怖かった…」 ぎゅっと、唇を噛んで俯いてしまう。 「ここは桃源郷でも一二を争う大きな街だ。人も多い。だがな怖がるほどじゃねえよ」 三蔵の言うことに頷いて顔を上げれば、ぽんっと、頭を叩かれた。 「…そっか」 叩かれた頭を押さえて頷けば、穏やかな紫暗が見つめ返していた。
久しぶりの宿でゆっくりと身体を伸ばし、気持ちよく腹を満たした二人は、それぞれの寝台に向かい合って座っていた。 綺麗な綺麗な太陽を映した金色の髪と夜明けの空のように澄んで、夜のように深い紫暗の瞳。 岩牢から見て、焦がれていた眩しい世界よりももっと世界は広くて眩しく、明るかった。 明日から、この人と一緒に暮らす。 それは無意識に三蔵の夜着を掴み、言葉となって悟空からこぼれ落ちた。 「なあ、俺、ちゃんとできるかな?」 不安そうに三蔵の顔を伺う悟空に、三蔵は小さく笑った。 「何?」 むうっと頬をふくらませて「俺は真剣なのに…」と、三蔵を睨む。 「…いや、お前はそのままでいい。そのまま取り繕うことなんかしなくていいんだよ。お前がお前のままであれば大丈夫だよ」 ぽんぽんと頭を叩く三蔵の顔を疑わしげにみやった。 「ああ」 頷けば、 「一緒に居ても?」 まだ、信用も納得も出来ないらしく、再度問いかけてくる。 「かまわねえよ」 金鈷を指で弾いて三蔵は横になった。 「うん…」 弾かれた金鈷に触れて悟空は何とも言えない表情で頷く。
翌朝、宿を出た二人を抜けるような蒼天が迎えた。 少年と子供の行く先の光を願う。
今、新しい世界が始まる。
end |
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