旅の途中 (20) |
見上げた男の顔は、悟空の傍らで眠って居るはずの男の顔で、僅かな光に浮かぶ表情は獲物をいたぶる悦びに歪んでいた。 「お前は…」 それ以上言葉が続かない。 「びっくりなさいましたか」 くつくつと喉を鳴らすと、男は驚愕で身動きできない三蔵に馬乗りになった。 「てめぇ…崔岳」 にっと嗤った顔めがけて構えた銃は、三蔵の腕ごと地面に押し付けられた。 「良い機会ですから、少うし昔話をしましょう」 何とか崔岳の下から抜け出そうと身を捩る三蔵の顔を見下ろしたまま、崔岳は話を続ける。 「東勝神州は傲来国、そこにそびえる花果山の山頂、その精髄たる仙岩から望月の綺麗な日、幼子が生まれました。幼子は大地母神がその愛情を一心に注いだこの世で唯一無二の存在。凶暴で純粋、残酷で綺麗な存在でした」 三蔵の瞳が見開かれる。 「幼子の誕生は天界で予測できなかった現象であり、その存在は予想外のモノでした。あまりに透明で綺麗で純粋。それは混沌の象徴と天界には映りました。けれど、幼子の力は強く、また、大地が、自然が愛し子を守り続けていました」 崔岳は三蔵の表情に楽しそうに瞳を細め、三蔵の顔を覗き込む。 「──綺麗だったんです。名前もなく、ただそこに愛されて存在した。誰のことかもうお気づきですよね」 崔岳の言葉に三蔵は彼の楽しそうな顔を睨みつける。 綺麗だった? 今は虚ろな心しかない子供が? 何もかも諦めた光彩の黄金が? そうさせたのは誰だ? 俺が見つけた子供ではない。 「何の関係がある!」 三蔵は僅かに動く左手に土を掴むと、それを崔岳の顔めがけて放った。 「──!!」 大した量ではなかったが、それは崔岳の目と口に入った。 「…おのれ」 蹴り飛ばされ、地面を崔岳は不様に転がった。 「本性を出すか?」 三蔵が嘲る。 「本性?何です?それは」 言うなり、三蔵の銃が火を噴く。 「我は我。大地母神が愛し子であり、咎人の子供を天界から預かった者」 まるで蜥蜴かクモのように手足を付いて、崔岳は四足歩行動物のように弾丸を避ける。 「抜かせ!」 走る崔岳の姿を三蔵の放つ銃弾が追う。 「我はあの子供が可愛いんですよ。罪に汚れて、血に濡れたあの子がね」 地を蹴って崔岳の身体が宙を舞い、三蔵の肩先を掠めて着地する。 「岩牢を許可無く抜け出した罰」 くつくつと喉を鳴らし、崔岳は長い舌で唇を舐め、にたりと笑った。
バラバラと弾倉の空薬莢が落ちる。 風が、微かな風が三蔵の頬を撫でた。 隠れていた木の陰から三蔵は前へ倒れ込むように転がり出た。 「息が上がってきましたねぇ」 地面に刺さった手刀を引き抜き、崔岳は大きく腕を振る。 「そろそろ限界ですか?」 にいっと、吊り上がった紅い口元に三蔵はぎりぎりと奥歯を噛みしめた。 「早くあなたを仕留めて、あの子を頂いて帰って、始末を付けなければ」 ついと焚き火の傍で眠る悟空を崔岳は指さした。 そして、気付いた。 あれほどの戦いを繰り広げている最中、一度も目を覚まさないことに。 「…てめぇ、何をした?」 渇いた音を立てて三蔵の銃が崔岳の額に定まる。 「ようやく、お気づきで。いえね、起きてあなたがどうにかなるのを見ていてもらっても良いんですが、そうすると色々ややこしい事になりそうで。それに、あなたも戦いづらいかとちょっと細工をさせて頂いたんですよ。なに、決着が付けば解けますからご心配には及びません」 にたりと、今頃気付いたのか、と言わんばかりに嘲りの色を載せて崔岳は笑った。 「危ないですねえ。髪、焦げちゃったじゃないですか」 確かに撃ち抜いたと見えた弾丸は寸での所でかわされたのだ。 「そろそろ決着を付けましょうか」 流れて口元に来た血をべろりと舐め、崔岳はすっと身体を落とした。 「決着を付ける前にもう一度、お伺いします」 崔岳の変化に合わせて三蔵も身構える。 「何を訊きたい?」 じりっと、隙を窺うように崔岳の身体が地面とほぼ並行に平たくなる。 「あなたにとってあの子供はどんな存在なんでしょう?」 銃口は崔岳の眉間を狙ったまま動かない。 「大罪を犯し、血まみれの手をした子供ですよ?」 崔岳の瞳が眇められる。 「罰を受けて岩牢に入れられていたんですよ?」 三蔵の言葉に崔岳の口元が僅かに歪む。 「災いしかあなたにもたらさないのに?」 三蔵の口元が楽しそうに綻ぶ。 「それに、アイツといると退屈しねえんだよ」 言葉と同時に引き金が引かれた。 「惜しいですねぇ。眉間はここですよ」 くつくつと自分の眉間を指さして崔岳が笑う。 「そして、意地をはることはないんです。あなたにとってあの子は邪魔なだけでしょう?」 忌々しそうに舌打つと、三蔵は深く息を吐いた。 「では、どうあっても我にくださいませんので?」 お互いの言葉が終わらない内に、崔岳が走り、三蔵の銃が長い銃声の尾を引いた。
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