僕は、ここにいていいの?

…本当…に…?




Accession 〜君の居場所〜




暗闇を歩いていた。
射し込む光も、漏れる光もない真っ暗な闇。
自分の足下すら見えない。
何も聞こえない。
誰もいない。
どれくらいこの暗闇を歩いているのだろう。
時間も距離も判らない。
押しつぶされそうな暗闇。

「・・・もう・・やだぁ・・」

洸はその場に踞った。
大きな鳶色の瞳から透明な滴が溢れる。
泣いたって何が変わる訳じゃないけれど、今は泣くことしか出来ない。

「・・うっ・・えっえっ・・」

涙がしみた。
しみたところを涙に濡れた瞳ですかように見ると、ケガをしていた。

「ふぇっ・・何で・・・?」

よくよく見れば、体中にケガをしている。

「・・・・ふぇっ・・えっ・・・」

小さな子供のように泣きじゃくる。
ケガをした理由がわからない。
自分がここにいる理由もわからない。

「怖いよう・・・」

そう言った途端、何か大きな手に掬い上げられるような浮遊感の後、光の中に立っていた。

「!!」

暗闇になれた目が、明るさになれるころ、目の前に碧の髪の夢のようにきれいな少年が立っていることに気が付いた。






「見つけた」

少年が、洸にそう言って笑いかけた。
少年の美しさが、作り物に見える。
花が咲いたような優しい笑顔。

「誰・・・?」

その笑顔も怯えた洸の心には届かない。
まがい物に見える。

「君を助けに来たんだ」

少年の言葉に洸は後ずさる。

「僕を・・・?」

少年の言葉に怯えた洸の表情に困惑が彩られる。
優しい笑顔を湛えて、少年が近づいてくる。
困惑が敵意に変わる。
何かされる。
怯えて手負いの動物のようになった洸には、優しい言葉を掛けながら近づいてくる少年も自分に害をなす存在にしか映らない。
自然に敵意が、剥き出しになる。
さっきまで暗闇の中で泣きじゃくっていたとは思えない。

「そう、怖かったね。でも、もう大丈夫だよ」

洸の敵意など気にする風もなく少年が近づいてくる。
洸の抱える不安 を知っている口振りに肌が泡立つ。

「やだっ!」











記憶のフラッシュバック。
優しげな微笑みを浮かべる黒ずくめのあいつ。








「そう言って、また何かするんだ」







大切な幼なじみが、血に染まる姿が甦る。








「何もしないよ」

少年がなおも近づいてくる。

「やだっ!来るな」

少年から少しでも離れようと後ずさる洸の身体から蒼い光が一瞬迸る。
近づいていた少年が、その光に弾き飛ばされる。

「大丈夫、もう何も怖くない・・・大丈夫」

少年は立ち上がって、洸に手をさしのべる。
傷付いてもほほえみを消さない。
まるで、きれいなだけの人形。

「お前もあいつらと同じなんだ。僕からまた大事なものを取るんだ」








火柱が上がる。
その後に残る巨大なクレーター。






───いってらしゃい



優しい母親の笑顔が甦る。











「そんなことしないよ」

少年の声は、優しい。
それは洸には届かない。
優しい言葉も優しい微笑みもただの飾りとしか映らない。

「嘘だ!」

洸に近づく少年の周りに風が巻き起こり、少年を切り裂く。

「大丈夫、安心して、誰も君を傷つけないから・・・」

切り裂かれた傷など気にせず、少年は洸に声を掛ける。

「嘘だ!嘘だ!嘘だ!!」

再び、風が少年を切り裂く。
血が、赤い霧となって飛ぶ。
呼びかける少年を見ない。
握った拳が震える。

「大丈夫、誰も壊れないから安心して・・・」

すぐ身近に少年の気配を感じて、うつむいていた顔を上げる。

「あっ・・・」

上げた視線の先に、夢のようにきれいな少年が傷だらけで、それでも優しい笑顔を洸に向けて立っていた。

「こんにちは、君を迎えに来たんだ」

頬笑む少年が、片手を差し出した。
洸は、優しい微笑みのままに手を差し出す少年を目を見開いて見つめたまま、身動きが出来なかった。

















しばらくして、

「・・・ぼ・・く・・が、した・・・の?」

それだけをようやっとの思いで、掠れた声で呟く。
その言葉に少年は首を横に振ると、

「違うよ。僕が無理にここへ来たからだよ」

と、笑う。
少年の優しさがようやく心に届いた。
少年の負った傷は、洸が自身の力で付けた。
間違いないはずなのに、目の前の少年は「違う」と笑う。
洸の瞳から涙が溢れた。

「大丈夫だよ、安心して」

少年は、ゆっくり差し出した片手にもう片方の手も差し出す。

「とても怖かったね。とても辛かったね。とても悲しかったね。奴らがとても憎かったんだね」

ぼろぼろと洸の大きな鳶色の瞳から涙がこぼれ落ちる。
少年は両手を差し出したまま、洸に近づいてくる。

「大丈夫・・・怖くても、辛くても、悲しくても、憎くてもいいんだよ。君の所為じゃないんだから・・・」

洸は、座り込んでしまった。
涙は止まらない。

「・・・どうして・・・」
「もう大丈夫だよ」

少年は、座り込んでしまった洸の側にひざまづいた。

「大丈夫、君を傷つけたりしない」

そっと、洸の震える身体に両手が回された。
少年の微かなぬくもりに洸は、肩を揺らす。

「大丈夫、何もしない」

洸の震えを取るように、涙を流す洸をなだめるように、少年の声は静かで優しい。
触れるか触れないか判らないほどの包容。
洸の意志に反して身体は小刻みに震えて、止まらない。
怯えているのか?
怖いのか?
それすらも判らないほどに洸は震えている。

「怖がらなくても大丈夫」
「・・・あ・・ああ・・」








父親が、溶け崩れる。






あいつの顔が、笑っている。











「側にいてあげるから、泣いてもいいよ。大声で叫んでもいいよ。我慢しなくていいから・・・」








青い水の星、命の溢れる星、大切な・・・・。








「・・・やっ・・・だ・・・・やっ・・」

少年が腕に力を込める。







赤い光、白い光・・・青い星が消える。








「大丈夫だから、安心・・・・・」
「・・やだ─っ!!」







あいつが、心を鷲掴みにする。








渾身の力を込めて洸は、少年を弾き飛ばした。
風に舞う木の葉のように少年は舞い上がり、叩き付けられるその姿を洸は憎悪に彩られた瞳で睨み据えた。

「また壊しに来たんだ」
「・・・違う・・・信じて・・・」

悲しげな瞳で少年が洸を見返す。

「嘘だ!」

言下に否定する。








あいつが嬉しそうに青い星を指さしている。








「な・・何もしない・・・・」

身体の痛みをこらえるようにして、少年が立ち上がる。

「嘘だ!そうやって僕の心の中に入って来て、また壊すんだ!!」








あいつが血まみれの幼なじみを指さして笑う。

あいつの唇が言葉を紡いでいる。











憎悪に彩られた蒼い力が吹き上がる。
少年はその力に碧の瞳を見開いて立ちすくんでいる。

「だから今度は僕が、壊してやる!」









あいつを壊してやる。










「ダメだ!!その力に身をゆだねちゃダメ・・・」

憎悪と破壊衝動によって解放された洸の蒼い力は、膨れ上がってゆく。
それと呼応するように少年の周囲に碧の穏やかな力が立ち上がってくる。
まるで洸の暴走しようとする力を包み込むように広がってゆく。

「うるさい!うるさい!!」

振り払うように洸が叫ぶ。

「落ち着いて・・・大丈夫だから」
「うるさい!!」

洸の蒼い力が刃となって少年を襲う。
少年が防御壁をとっさに張る。
蒼い力と碧の力がぶつかった。
その途端、巨大な光の渦が生まれた。
渦は二人を飲み込み、全てを白く変える。






洸は緑の美しい星を白く染められた中に見た。

輝く緑、明るい空、穏やかな風、優しい人たち。






少年は青い美しい星を白い世界に見た。

明るい大地、高い空、光る海、賑わう街。







───きれ・・・








『逃げるのです。早く!』
『母さま!』
『彼らの手に落ちてはなりません。必ず生きて、逃げ延びて・・・・』
『母さま!母さま!!』
『生きて、強く・・・』






───だ・・れ・・






緑の大地に赤い雨が降る。






───ど・・・・・し・・て・・







青い水の星が白く光った。

『これであなたは私たちのもの。これですべてが手に入る』

黒髪の闇のような生き物が笑う。

『・・・やっ!!』

少女が少年を弾き飛ばす。





───っつ!!






身体に痛みが走る。







『大丈夫、何もしない』
『解放したら君が壊れる!』






───あの子、死んじゃう?!







『きゃ──っ!!!』

少女が凄まじい悲鳴を上げた。





───だめ──っ!!






風が少年の身体を引き裂いてゆく。

『大丈夫!』






───大丈夫!






潤が、引き裂かれて宙を舞う。

『言ってみろよ、聞いてやるからさ。ほれ』






───潤・・・






『今日は早く帰って来なさいよ』
『明日は試合だからな遅れるなよ』






───みんな・・・






溶け崩れる父親。

赤く染まる星。






───・・・も・・う・・・・やめ・・・て







洸の意識が闇に飲まれた。


























「もう大丈夫、もう安心していいよ」

少年の声に洸の瞳がゆっくりと開いた。
傷だらけの少年が、優しい瞳で洸を見下ろしている。
自分を見下ろしている少年をしばらく見つめた。
傷だらけの身体、少し青ざめた顔色、碧の優しい光を湛えた瞳。



───あれはこの・・・・



ゆっくりと少年の腕から起き上がった洸は、少年の身体に手をさしのべた。
それが当然のように。

「もう大丈夫、君は大丈夫・・・」

何も言葉を発しない洸を安心させるように、なだめるようにまるで呪文のように「もう大丈夫」と何度もささやく少年の暖かさが洸の胸の中にぬくもりを呼び起こす。
そっと、少年の背中に腕を回す。

「・・・・ありがとう・・・・」

洸を包み込むような微笑みを少年は零す。

「ごめんなさい・・・・」

洸の言葉に少年はゆるゆると首を振ると、自分に回された洸の腕を離し、その手を取って立ち上がった。

「君はあの光の中に居ていいんだ」

少年が指さした方に穏やかな光が見えた。

「あそこは誰も君を傷つける者はいない。安心して一緒に行こう」

少年はそう言って、光に向かって歩き出した。
洸は、されるがまま少年に手を引かれて行く。
光に近づくほどに穏やかな気持ちが満ちてくる。
洸は少年に引かれた手から伝わる穏やかで暖かく優しいぬくもりが心地いい。
そして、その身体と心の中に息づいている力の鼓動を感じていた。



───大丈夫、もう逃げたりしない。大丈夫。






声が聞こえた。






「戻っておいでよ」






そのまま洸の意識は、光にとけていった。


































気が付いて最初に目に入ったのは、見慣れない天井だった。
しばらくぼうっとその天井を見ていたが、身体を起こした。
そして、自分がベットに寝ていることに気付く。
ベットに座って、周囲を見渡した。
そこは簡素なさして広くはない部屋だった。
自分のいるベットが部屋の入り口であろうドアを挟んで右に、反対には申し訳程度の応接セット、ドアと反対の位置にもう一つのドア。
応接セットの側、ベットの真向かいにブラインドを下ろした窓があった。
一通り見渡して納得したのか、洸は自分の手に視線を落とした。



───どうして、僕はここに居るんだろう・・・



見つめる手が、滲んでくる。



───何でみんな消されちゃったんだろう・・・



透明な滴が、手の上に落ちる。



───僕は、どうすればいいんだろう・・・



握りしめる手に落ちる滴は手から滑り落ちて、上掛けに染み込んでゆく。



───僕だけ生き残ったって、何にもならないのに・・・



洸は、漏れ出る嗚咽をかみ殺すように膝を抱え、顔を埋めて泣いた。



───父さん、母さん・・・潤・・・みんな・・・・






どれくらいそうしていたのだろう、人の気配を感じて洸は顔を上げた。
振り向くと、応接セットの椅子に不機嫌な顔をした銀髪の男が自分の方を見つめて座っていた。

「・・・!!」

自分を見て驚き固まったまま身動き一つせず、今にも零れそうなほどの大きな瞳をさらに見開いたままの洸に男は、呆れたようなため息を吐くと、立ち上がった。
目の前の少年の顔に怯えの色が走る。

「・・・何もしねーよ。お前、名前は?」

男は、ベットの少し手前で足を止めると、怯えた瞳で見つめる洸に名前を問うた。
洸は、男が近づいて来るそのことに一層身体を堅くして、答えることができない。

「俺は、ジエン」

自分を指さす。

「お前の名前は?」

ベットの端ぎりぎりまで近づく。
ますます身を固くする洸の様子に少し眉をひそめる。
そして仕方ないとでも言うように肩を竦めた。

「まあ、そのうち気が向いたら教えろ」

男──ジエンはガシガシ頭をかくと、洸の顔を覗き込んだ。
反射的に後ずさる。

「・・ったく、怯えるな。何もしねぇって」

ぶっきらぼうな口調に苛立ちは感じられても、敵意は感じなかった。
それでも、自分の置かれている状況の判らない洸にしてみれば、自分以外の人間は疑いはしても、信じることは出来ない相談だった。
その上、言葉が理解できない。
自分の生まれた星のどの国の言語とも違う言葉にどうしていいのか判らない。
「ジエン」と名乗った男の言葉は、理解の外にある言語。
ただ、「ジエン」というどうにか聞き取れた言葉と男が自分自身を指さして居た様子から、なんとか「ジエン」が男の名前であると理解した。
あとは理解できない。
たった一人で言葉も判らず、「スフィア」と名乗ったあいつにたぶん追われて逃げなければならないだろう立場になっている自分。



───どうしよう・・・



途方に暮れるしかない。
今、目の前のジエンというこの男が、自分の味方になるのか、あいつと繋がった人間なのか、自分の置かれた立場をはっきり把握出来ていない状態では致し方なかった。
ただ、自分を助けてくれたのだろう事はおぼろげに理解できたのだが。

「そうは言っても、無理か」

ジエンの声に洸は、肩を震わす。
ジエンは怯えきっている洸の様子に少し考えると、天井に向かって呼びかけた。

「おい、ぼうずが起きた」
「はあい」

明るい声が天井から返ってくる。
洸は声のした天井を思わず見るが、どこから声がするのか判らない。

「お前、どっか痛いところはないか?」

ジエンが天井から洸に向き直る。
また、後ずさる。
そんな洸の様子にため息を吐くと、ジエンは応接セットの椅子に腰を下ろした。
怯えて固まったままの洸を見つめる。






栗色の髪、大きな鳶色の瞳。
細い華奢な身体、あいつとあまり変わらないだろう年齢。
誰かの庇護を必要としているような頼りなさといたぶりたいと思わせる儚さをまとっている。
銀河に二人といない力の持ち主。
全てを生み出し、全てを破壊する強大な力。
それをこんな子供が持っている。
使い方もろくに知らず、いいようにスフィアに踊らされ、生まれた星を消された子供。
あいつと似て、異なる者。
あの日から探し求め、やっと巡り会った。
まだ、手にはしていないが、願わくはここに留まり、居着いてくれることを。






ジエンに見つめられた洸は、蛇に睨まれたカエルよろしく身動きが出来なかった。
怯えきった洸の様子にジエンは、為すすべも掛ける言葉も見いだせず、不機嫌な顔のままソファに座っていた。至って不毛な時間の経過と共に不自然な沈黙と気まづい雰囲気にどちらも耐えられなくなった頃、食事のワゴンを連れてきれいな金髪の男が入って来た。

「やっと起きたんだ。気分はどう?」

そう言いながら入って来た金髪の男は、部屋の雰囲気に眉をひそめた。

「何、睨んでるのさ、ジエン」

ソファに座るジエンに声を掛ける。

「別に何でもねぇよ」

ジエンの答えに男は肩を竦めると、ベットの上で固まったままの洸に向き直った。

「あの人のことは気にしないでいいから」

にっこり笑いかける。

「あ、俺はキア、よろしく」

怯えて緊張している洸の気持ちをほぐそうと、自己紹介をする。
しかし、何とか拾えた音の中で理解できたのは、にこにこと笑う金髪の男の名前だろう「キア」と言うものだけだった。

「気分が悪くなかったら少し食べるといいよ。話はその後でゆっくりしよう。その方が落ち着くでしょう」

そう言って、男──キアの側に浮いているワゴンを洸の前に差し出した。
洸は、目の前に出されたワゴンに目を見開く。

「何?毒なんて入ってないよ。栄養満点の特製スープだから、安心してお食べよ」

ワゴンの上からスプーンを取ると、驚いたままの洸に握らせた。

「さあ、食べて、食べて」

嬉しそうに洸を促す。
何を言ってるのか判らないまま、目の前でにこにこ笑っている金髪の男に促されて、目の前のスープに恐る恐る口を付けた。
口の中に広がる暖かなぬくもりと、懐かしい味に洸の瞳から涙が溢れた。

「ど、どうしたの?」

洸の様子を窺っていたキアが驚く。

「口に合わなかった?」

心配そうに洸の顔を覗き込む。
洸は泣くばかりで、何も答えない。

「ジ、ジエン・・・どうしよう?」

キアがジエンを見やる。
ジエンは呆れた様なため息を吐くと、声を殺して泣く洸に近づき、震える栗色の髪に手を置くと、くしゃっとかき混ぜた。
それはまるで泣きじゃくる子供をあやすような、優しい仕草だった。
頭に乗せられた手のひらの重みに洸は顔を上げた。
目が覚めて初めてまっすぐに自分を見返す鳶色の瞳にジエンは銀灰色の瞳を微かに眇める。
涙に濡れた鳶色の瞳に警戒の色はあっても先程のような怯えの色はほとんどない。
それに変わって縋るような頼りなげな色をはいている。
ジエンは見上げる洸を安心させるようにもう一度頭をなぜると手を離した。
洸の瞳が不安に染まる。

「何も心配するな。ここにはお前に危害を加える奴はいない。安心しろ」

そう言って、笑った。
柔らかな微笑み。
そのジエンの笑顔にキアの顔が引きつった。



───嘘っ!



24時間四六時中不機嫌、何でも気に入らないと言わんばかりの仏頂面をしているジエンが、笑った。
それも超一級の優しい笑顔。
ジエンと出会ってずいぶんとたつが、笑顔と呼べる代物に会ったのは片手で事足りるほどしかない。
その笑顔も口の端をちょっと上げるくらいで、笑顔と呼ぶにはあまりにもおこがましいモノだった。
それが、柔らかな全てを包み込むような優しいと大いに呼べる笑顔を見せたのだ。
それも名前も知らない、突然船に現れた少年に、だ。



───どうしちゃったんだろ??



驚愕から何とか立ち直るとキアは、涙に濡れた瞳でジエンを見つめる少年に声を掛けた。

「大丈夫?」

キアの声に少年は、はっと我に返った。

『あ、あの・・・』

驚いた洸は手に持ったスプーンを取り落とす。

「あ、ごめん。びっくりさせた?」

キアは、洸が取り落としたスプーンを拾うともう一度洸に手渡した。

『・・あり・・がとう・・・』

小さな声で答えた洸の言葉は、ジエン達に届いた。
しかし、意味をなさない。

「おい、キア」

ジエンがキアを呼んだ。

「何?」
「こいつ、今なんて言った?」
「えっ、何って・・・さあ?・・・えっ?!」

ジエンの言わんとしていることに気が付いたキアが、声を上げかけて、手で口を押さえる。
そっと少年を見やるとおずおずとだが、スープを口に運んでいる。

「ひょっとして、この子俺達の言葉がわからないっていうわけ?!」

小声でジエンに確認する。

「らしいな。俺達にもこいつの言葉はわからんからお互い様だろうがな」

ああ、それであんなに怯えて、警戒してたのか。





腑に落ちた。







こちらの言葉が判らなきゃ怯えるし、警戒もするだろう。
この少年が、スフィアによって無理矢理体験させられた事実を考えれば納得できた。
今目の前でキアの作ったスープを食べている少年を見やって、それと判らない程のため息を吐く。
すると少年が、食べていた手を休めて、ジエンを振り返った。
その瞳に不安の色をまだ残しながらもとまどいの色を滲ませている。
その瞳に、大丈夫だと言うようにもう一度頬笑んでやる。
すると少年の瞳が、微かに笑うように眇められ、また、スープの方へ戻される。
ジエンは微かに笑うように眇められた少年の瞳を見て、もっとちゃんとした笑顔が見たいと思った。
きっといい笑顔なのだろう、明るい・・・。






「ってどうして落ち着いてるんだよ」

キアの言葉に現実に引き戻される。

「慌てたってどうにかなるもんじゃねぇだろうが」
「そりゃそうだけど・・・」

納得はしているが、意志の疎通が出来なければこれからの生活に大いに支障を来すだろう事は火を見るより明らかだからだ。
これからの生活──キアはすでにこの少年を船に置くことを前提に考えていることには気が付いていない──に決して気の長い方ではないこの男が、耐えられるのだろうか。
考えるだに恐ろしい事態を想像してしまう。
心をのぞける能力者に協力・・・ここまで考えて、キアは一人の少年の顔を思い出した。
幸い(?)その少年は今、この船にいるではないか。

「ちょっと待ってて」

キアはジエンにそう言い置いて、部屋を出て行った。



























「ねえ、ソルクはいる?」

リビングに駆け込むなり、キアはソルクを捜した。

「何慌ててるの?」

リオが小首を傾げてキアを見やる。

「リオ、ソルクは?」
「寝てるよ。あっちで」

リオの代わりにサルヴァが答える。

「サンキュ」

バタバタと隣室に駆け込んでゆくキアの後ろ姿に、リオとサルヴァは呆れたように顔を見合わせた。






「ソルク!」

叫びださんばかりの勢いでソルクを呼ぶキアに驚いて、ソルクが跳ね起きた。

「何!」
「ちょっと、来て」

言うなり、キアはソルクの腕を掴むと、引きずるようにして洸のいる部屋へ連れて行く。

「キ、キア、手、手が痛いって」

引きずられるように連れて行かれる道すがら、力いっぱい握られた手の痛みをキアに訴えるが、耳に入ってないらしい。
ソルクはため息を吐くと、引っ張られるまま、洸の部屋へ連れて行かれた。






























「ジエン、連れてきた」

入るなり、ジエンに告げるキアの勢いに洸とジエンが振り返る。

「誰を連れてきたって?」

ジエンが訝しげにキアに問いかける。

「ソルク、ソルクだよ」

引っ張り込むように部屋の中へソルクを招き入れる。
ジエンの顔が、苦虫を噛みつぶしたように盛大に歪められる。
洸は、キアの傍らに立つ少年を見た途端、持っていたスプ−ンを取り落とした。
皿に当たって大きな音を立てる。
その音にソルクが洸の方を見やり、ほころぶような笑顔を見せた。



───あの人だ!



今目の前に立つ少年は、あの時の少年。
自分の身が傷付くことも厭わず、あの暗いドロドロした闇の中から連れ出してくれた少年。
夢のようにきれいな少年。



───夢じゃなかったんだ



自分を見つめる洸に近づき、声を掛けた。

「やっと起きたんだ。もう大丈夫?」

洸は何も答えず、ただ、ただこぼれ落ちんばかりに瞳を見開いてソルクを見つめている。






そんな二人を見ながら、ジエンがキアに小声で問いただした。

「何であいつを連れてきた?」
「何でって、ソルクならほら、精神感応ってやつでさあの子との意志の疎通に一役買ってくれると思って」

一瞬、ジエンは目眩を起こしそうになった。

「・・・あのなぁ」なんて短絡。なんて単純。
「今、俺達にはあの子の名前が必要だろう。それに意志が通じないとあの子が元気なのかどうかもわからないだろう」
「サルヴァでもいいだろうが」
「ダメ。あいつは変化が専門だから感応能力は第六感に毛が生えたくらいなの」

知らなかったのか、と言わんばかりの目でジエンを軽く睨む。
ジエンにしてみれば、少年を助けるためにソルクの力を酷使させ、無数の傷を負わせた。
それがやっと回復したソルクにまた、いらない世話を掛けさせたくない。
かといって、ソルク以外の奴に頼んでもうまくいくようにも思えず、ジエンは錯覚でない頭痛を感じて、こめかみを押さえた。

「ジエン、あの子もソルクとなら怖がらないようだし」

キアがジエンにソルクと少年の様子を見ろと合図する。
見れば、あれほど怯え、警戒ししていた少年がソルクにぎこちなくではあるが笑顔を向けているのだ。

「わかった。お前に任す」

ジエンはため息を吐くと、キアに頷いて見せた。
ジエンの許しをもらったキアは、ソルクの傍らに立った。
自分の側に来たキアを警戒するように少年が肩を震わす。
そのことに気付かない振りをしてキアは、ソルクに声を掛けた。

「ねえ、ソルク、お願いがあるんだけどさ、いいかな?」
「何?」
「この子俺達の言葉がわからないらしいんだ。俺達もこの子の言葉がわからない。で、この子と会話したいから精神感応で通訳して欲しいんだ。でないとこの子はずっと怯えたままだし、俺達もどう扱っていいかわかんないしさ、助けると思ってお願い」

そう言ってキアは、顔の前で手を合わせた。
ソルクがジエンの方を振り返る。
その碧の瞳が「いいのか」と、訊いている。
ジエンはソルクに頷き返して、ベットの上で不安そうにソルクとキアを見つめている少年に視線を移した。
ソルクはジエンの不本意な許可を受けると、少年に向き直った。
ソルクは不安げな少年に笑顔を向けると、話しかけた。

「僕は、ソルク。ソ・ル・ク」

自分を指さして、ゆっくり名乗る。
そして、今度は少年を指さして、

「君は?」

と、訊ねた。

「あ・・き・・・ら」

少年が、名乗った。

「アキラ、君はアキラって言うんだね」

ソルクは少年───洸に確認するように洸の名前を繰り返した。
ソルクの言葉に洸が頷く。
ソルクは固唾をのんで見つめていたジエン達に振り返ると、

「名前は、アキラって言うんだって」

と、笑顔を向ける。
完璧な笑顔。 その笑顔にジエンのこめかみが引きつる。

「判った」

ジエンはソルクの嬉しそうな笑顔の下の棘に気が付いてしまった自分に嫌気がさした。
さっきから感じていた頭痛が、偏頭痛になる。
ソルクはジエンの不機嫌な顔がさらに不機嫌さを増したことに心の中で舌を出した。










人の心に踏み込むのは嫌いだ。
知られたくない事は誰にもある。
精神感応の力を使うということは、知りたくもないことまで知ってしまうということだ。
目の前にいる洸というこの少年は、引きこもってしまった己の心の奥底から命がけで自分が連れ戻した。
自分と同じ力を知らずに与えられた人間。
好むと好まざるに関わらず、世界でたった一人にされてしまった人間。
これから彼が歩むであろう道が、険しく辛いモノなのは簡単に想像できてしまう。
自分はリオやジュナンによって救われた。
ジエン達と出会って、リオ達とは違う意味で救われたし、支えられもした。
ならば、この不安に染まった洸の支えに自分はなれるだろうか。
なってあげたいと思う。



ソルクはそっと洸に手を伸ばし、洸の手に自分の手を重ねた。



──僕の声が聞こえたら頷いて



一瞬洸が、目を見開く。
ソルクがそっと重ねた手に力を入れる。



──聞こえる?



頭に直接響く声におずおずと頷く。



──口に出さなくていいから頭で考えて。いいね?



もう一度頷く。



──身体はどう?

──どこも・・・あ・大丈夫です

──よかった。

──あ・・あの、ありがとうございました

──なにが?

──あ・・・



洸を連れ戻したときの光景が、洸の心から溢れ出す。
反射的に心を閉じて、流れ込もうとする洸の記憶や感情を閉め出す。



──わかった。もうその事は考えなくていいよ。僕も大丈夫だから。



洸を安心させるようにソルクは笑った。
その笑顔に洸の身体から力が少し抜ける。



──・・・はい








洸の不安。






これからどうすればいい?
何処へ行けばいい?
あいつらは?
あの力は、何?
この人達は?
味方?
あいつらの仲間?






直接伝わる洸の不安にソルクはゆっくり伝える。



──大丈夫、この人達は味方だよ。安心して一緒にいたらいい

──でも・・・

──彼らは君の力にきっとなってくれる。大丈夫




消えない不安──不信がわだかまる。




──君を大切にしてくれる。君を守ってくれる。必ず。



そう言ってソルクは洸の手を軽く叩く。
そして、ジエンを呼ぶ。
一瞬、手を引こうとする洸の手を力を込めてソルクは握ると、ゆっくりとジエンの手と洸の手を重ねさせた。

「ジエン、あなたの気持ちをアキラに伝えて」
「お、俺の気持ち?!」

重ねた手からジエンのとまどいが流れ込んでくる。

「そう、この子に伝えたい気持ち」
「・・・・伝えたい・・・」

ジエンは、洸の顔を見つめた。
洸が、不安そうにジエンの顔を見返してくる。
手から伝わるのは不安。

「わかった」

ジエンは、洸に頷いて見せた。



──ここに居ろ。何も心配はいらねえ。俺が呼んだんだ。俺が拾ったんだ。面倒は最後までちゃんと見てやる。

──あなたって人は・・・



ソルクの呆れたように笑う心と、ジエンのぶっきらぼうだが、嘘偽りのない心に洸は驚く。



──ね、安心していいでしょ。こんな人だけど信頼して大丈夫。



ソルクの念を押すような言葉に洸の顔が僅かにほころぶ。
そして、改めてジエンを見た。
銀髪に銀灰色の瞳の不機嫌な顔の人。
でも、重ねた手は温かく、伝わる心も温かく優しい。
怯えきり、不信感を募らせた洸の心から完全ではないが、怯えや不信感が消える。
不安はまだ、拭いきれない。
それでも、この人となら安心していられる──そう思えるものをジエンから感じた。
今は、それだけで十分。
判らないことの方が多いが、これから理解し、学んでいけばいい。
きっと、この人が手伝ってくれる。



──よろしく・・・お願いします・・・



おずおずと伝わってくる洸の不安げな心にジエンは頷くと、破顔した。
その笑顔につられるように洸も笑顔を見せる。
柔らかな笑顔。
ジエンは洸の頭に手を置くとくしゃっとかき混ぜた。





今、洸の新しい生活が始まる。




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