綺麗な夢を見た。

今日会った金蝉とは違う雰囲気を纏った金蝉とよく似た人の夢。

綺麗な太陽のような金糸と夜明け前の深い紫暗の瞳を持った背の高い白い人。
不機嫌そうな顔つきで俺を見てるけど、でも・・・・・。
その瞳は何処までも穏やかで、優しい。
まるで機嫌の凄く良い時の…蔵みたいだ。

その人は俺のことを何も言わないで見つめてるだけだったけど、俺はとても幸せだった。



ねえ、あなた…誰?



花束を君に (3)
三蔵は身体を起こすと、茶を入れて戻ってきた笙玄に、悟空が向かった先の地図を書かせた。

「三蔵様…悟空は大丈夫でしょうか」

茶を入れたり、三蔵の質問に答えたり、地図を書いたりしている内に笙玄は少し気分が落ち着いたのか、しっかりした声音で悟空の安否を三蔵に尋ねた。

「大地が相手なら何も心配することはない」
「そう…ですよね、悟空は大地に望まれて生まれて来たのですから、きっと大丈夫ですよね」

笙玄のまるで自分自身に言い聞かせるような言葉に三蔵は黙って頷くと、立ち上がった。

「三蔵様?」
「寝る…」

そう言うと、三蔵は寝室に入っていった。

「…三蔵様……」

ぱたんと、軽い音を立てて閉まった扉を笙玄は、怪訝な顔で見つめていた。





















「…空、悟空…悟空」

柔らかな声に誘われるように悟空の睫毛が震え、黄金の円らが開いた。

「…っん……」

何度かまばたき、悟空はハッキリしない意識のまま、身体を起こした。

「起きたかい?」

ふわりと触れる感触に悟空はくすぐったそうに顔を眇め、小さく笑った。

「くすぐったい…よ、金蝉」
「おや、そうかい?」

喉を鳴らして笑う悟空の顔に、優しい口付けが触れた。

「…金蝉?」

その行為の意味がわからない悟空は、きょとんとした顔をして金蝉を不思議そうに見上げた。
その無垢な様子に、金蝉は浮かべた笑みを深くすると、悟空の傍に腰を下ろした。
それに寝台が、小さくきしんだ。

悟空が眠っていた寝台は、広い部屋のほぼ真ん中に設えられた天蓋の付いた大きな寝台で、羽布団がふんだんに使われ、真っ白な絹が贅沢に使われたモノだった。
枕元には白いシルクサテンの枕とクッションが所狭しと並べられ、それに囲まれて座る白い寝間着姿の悟空が、小さな宝石のように見るものが居れば、見えたかもしれなかった。

「ねえ、悟空、お願いがあるのだけれど、聞いてくれるかい?」

そっと悟空のまだ小さな手を握って、金蝉は悟空の顔を見つめた。
その穏やかで優しい眼差しに、悟空は心臓の鼓動が早くなるのを押さえることができない。
ドキドキと、収まらない鼓動を意識すればするほど、頬が熱くなる。
金蝉が触れている手が暖かくて、もっと金蝉を感じたいと思う悟空だった。
まるで熱に浮かされたような気分。
悟空は、金蝉の言葉に小さく頷いた。

「ありがとう、悟空は優しい子だね」

そんなことはないと、首を振る悟空に金蝉は笑みを更に深くする。

「お願いって、何?」
「それはね、悟空のここにキスさせて欲しいんだけど?」

そう言って金蝉は、悟空の項を撫でた。
その途端、悟空の身体を感じたことのない感覚が駆け抜ける。

「…!」

その感覚に悟空の顔は瞬時に、赤く染まる。

「ダメ…かい?」

項を撫でながら、金蝉はうつむいた悟空の顔を覗き込んだ。
悟空は項を撫でられるたびに身体をひっきりなしに駆け抜ける感覚に耐えることに精一杯で、金蝉の言葉など耳に入らない。

「悟空?」

金蝉は手を止めて、悟空の顎に手をかけ、仰向かせた。
見下ろす悟空の瞳は艶をはいて、慣れない感覚に戸惑い、その金眼に涙さえ浮かべていた。

「どうしたの?」

知っていて問いかける金蝉の意図などわからない悟空は、何でもないと首を振る。

「…そう?大丈夫?」
「大…丈夫」

金蝉は潤んだ瞳で見上げてくる悟空の瞼に、口付けを落とした。

「…いい?」

囁くように悟空の瞼に唇を当てたまま、金蝉は悟空の承諾を促す。
悟空は金蝉の優しい吐息に、頭の中は真っ白になって、ただ、囁くように告げられる金蝉の言葉に頷くだけだった。

「ありがとう、悟空」

口角を上げて笑うと、金蝉は悟空の項に口付けた。
ちくりとした痛みが一瞬したが、後はしびれるような快感が悟空の幼い身体を走り抜けた。
その体験したことのない快感に、悟空の神経は簡単に焼き切れる。
気を失った悟空の項から顔を上げた金蝉は、にいっと唇を吊り上げた。
その顔は、耶斗が焦がれて止まぬ美しい姿などではなく、悟空が夢見る優しい姿などではない。
邪悪な影を纏い付かせた男の顔がそこにあった。

「さあ、大地よ、もうすぐお前達の愛し子は、私のものになる」

くつくつと、肩を震わせて金蝉は可笑しくて堪らないと、笑った。





















翌朝、三蔵が起きてこないのを不信に思って、笙玄は寝室の扉を開けた。
そこに、眠っているはずの三蔵の姿はなく、誰も眠った形跡のない寝台が二つ、窓から差し込む朝日に照らされていた。

「…三蔵様…」

笙玄は、はっとして三蔵の後を追うように寝室から飛び出し、寝所の扉に手をかけた所で、思い留まった。

自分が三蔵の後を追って行ったとして、何の役に立つというのだろう。
ろくな法力もなく、武術すらまともに使えない自分は、足手まといになるだけではないか。
ならば、大人しく三蔵が悟空を連れて戻ってくるのをここで待つしかない。
笙玄は、深く深く息を吐くと、朝日の輝く窓の外に視線を投げた。



どうか、二人が無事に戻ってきますように…大地が悟空を返してくれますように…



祈ることしか、願うことしかできない自分が歯がゆい笙玄だった。











三蔵は悟空が向かった耶斗と名乗った少年の家を目指して、山道を歩いていた。
登る朝日が、三蔵の金糸を照らして金色の光を放った。
三叉路で、三蔵は立ち止まった。
悟空がそうしたように。
だが、それも一瞬で、迷うことなく道を再び進み始めた。
が、その歩みは数歩先で止まった。

「俺に何か、用か?」

低い声音で問えば、道の木陰から少年が姿を見せた。
耶斗である。

「貴方を迎えに…来ました」

三蔵の突き刺すような視線に、耶斗は怯えたような仕草を見せた。
三蔵はそんな耶斗をしばらく見つめた後、また、歩み始めた。
何も言わず、視線さえ投げず、三蔵はまっすぐ前を見て歩いてゆく。
目の前を行き過ぎる三蔵の姿に、耶斗はしばし見惚れた。

神々しい金糸の髪、清冽な夜明けの紫暗の瞳、透き通る肌と額に深紅の星。

これが、この人が悟空の大切な人。
あの綺麗な笑顔を向けられていた人。

耶斗は小さくなる三蔵の後ろ姿を見つめていたが、かさりと足下の枯れ葉が鳴る音に我に返った。
そして、慌てて三蔵の後を追い、もう一度声をかけた。

「あの、そちらに悟空はいません」

三蔵の向かう先には、耶斗の澄む家がある。
だが、今そこに悟空はいない。
行っても三蔵は、悟空に会えはしないのだ。
耶斗の言葉に三蔵は、振り返った。

「何だと?」

地を這う声音に、耶斗の顔は青ざめる。
だが、耶斗は三蔵を連れて金蝉のところに戻らねばならなかった。

「悟空の所に僕が、案内します。だから、付いてきて下さい」

三蔵の纏う空気の不穏さに耶斗は、身体が震え出すのを止めようと、両手を握り締める。

「こちらです」

気力を振り絞ってそれだけ言うと、耶斗は三叉路へ戻り始めた。
三蔵は耶斗の後ろ姿を睨め付けるように見ていたが、手がかりがこの前を歩いてゆく少年だけなら、付いて行くしかないと、その背中を追って歩き出した。




背中に三蔵の痛いほどの視線を受けながら、耶斗は進む。

金蝉のことを想いながら。
悟空のことを想いながら。

悟空は大地の御子だと、金蝉は言っていた。
悟空を手に入れれば、この先の平穏は約束されると。
寿命が尽きようとしている森が甦るのだと。
誰よりも大切な人の言葉だから信じた。
誰よりも愛しい人の行為だから手伝った。

だが・・・・・。

後ろを付いてくる悟空の想い人は、自分達に敵意を持っている。
それは何故?
それは悟空を返さなかったからなのだろうか。
それとも、彼にとっても悟空が大切だからだろうか。
もしこれが、金蝉だったらこんな風な自分の気持ちをあからさまに相手にぶつけて、自分を迎えに来てくれるだろうか。

三蔵の視線からかいま見える三蔵の想いに、耶斗は自分の気持ちの表面が小さなさざ波を生んだことにまだ、気が付かなかった。




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