花束を君に (4)

気を失った悟空の身体を抱き上げると、金蝉はその部屋を出て行った。
屋敷の廊下を渡り、階段を下り、ドアを抜ける。
そのたびに金蝉の豪奢な黄金の髪は色を変え、アメジストの瞳は色を無くしてゆく。
榛色の衣も色あせ、灰青色の衣装へと変わった。

そこにいるのは耶斗が愛する金蝉ではなく、悟空が焦がれる金蝉でもなかった。

金蝉は屋敷の地下に降りると、悟空を石の寝台に寝かせた。
すると、寝台の表面が波打ち、ゆっくりと悟空の身体を飲み込み始めた。

「大地の御子の力は私がもらい受けるよ。その力であいつらを見返してやる」

金蝉は灰色の瞳を眇めて悟空を見つめると、高らかに笑った。






その頃、大地は愛し子の異変を知った。

ざわざわと木々は梢を揺らし、草花はその身を震わせる。
大地に住むもの達は皆、怯えた鳴き声を上げ、風は愛し子を探して吹きすさんだ。
雲は空を覆い、太陽はその影に隠れ、大地は愛し子を呼んだ。

だが、愛し子の答えは無かった。




三蔵は空気が変わったことに気が付いた。

大地が、自然が、ざわめいている。
聴こえなくなった悟空の声なき声の代わりに、大地と自然が悟空を探す声が聴こえてくる。
その声に三蔵は歩んでいた足を止め、辺りを見回した。

不意に立ち止まり、辺りを見回す背後の三蔵の気配に、耶斗もその歩みを止めた。
その途端、胸に湧き上がる不安。
大切な何かが失われてゆくそんな漠然とした不安。
無意識に掴んだ胸の辺りが痛かった。

三蔵は小さく舌打つと、前に立ち不安げな瞳を辺りに向けている耶斗に声を掛けた。
その声を彩る苛つきに、耶斗は大きく肩を揺らす。

「おい、何なんだ、これは?」

何とは言わないが、耶斗には三蔵の言わんとしている事が理解できた。
だが、その原因には思い至らない。

「…わかりません。でも…急がないといけないみたいです」

困惑で色濃く染まった耶斗の声に、三蔵はもう一度周囲を見回すと、走り出した。
その後を耶斗も慌てて走り出す。

大地のざわめきはいよいよ大きく、走る二人を包んでいった。





















金蝉は、寝台に飲み込まれてゆく悟空の顔に口付けた。



愛しい子。



天界も魔界も冥府でさえも、自分を拒んだ。
地上に居場所を求めて来てみても、そこに居場所はなかった。

地上に住むモノは、綺麗で暖かいモノを好んだ。
その代表が大地母神が愛し子。

自分は天界の汚泥の中で生まれた。
生まれ落ちたその時から、この胸に怨嗟を抱いた。
誰に受け入れられることなく、誰に顧みられることなく、愛されることも、ぬくもりも知らず大きくなった。
生まれて三日で幼児になり、七日で子供になった。
ひと月で少年になり、三ヶ月で大人になった。
急激に成長する身体の痛みに、流れ込んでくる知識と感情の奔流に曝されてのたうち回った。
そうしてできあがったのが、自分。
名前すら無く、その存在すら知られていない自分。

彼を見たのはいつだったか。

淀んだ退廃の泥の中から垣間見たあの神。
輝く金糸、深い紫暗の瞳、雪石膏の肌、秀麗な美貌、真っ白で綺麗な心。
己が求めて止まぬ姿が、そこにあった。
そして、その傍らにいた小さな命。
それは大地のエネルギーに溢れ、無垢で獰猛な獣。

その二人に嫉妬と憎悪を覚えたとて、誰が攻められようか。

自分にもあの神のような金色があれば、紫暗の宝石をその瞳に宿せば、綺麗な心が手にはいるのだろうか。
そん傍らで笑う幼子の様な存在が手にはいるのだろうか。

叶わぬ望みを持ったとて、誰に笑われようか。

淀んだ闇の中から金色の神の姿を追い、大地の子供を願った。
そして、見てしまった。
求めて止まぬ金色の神の白い衣が赤く染まる様を。
大地の子が獰猛な獣の牙を剥く様を。
その姿に言い知れぬ喜悦が心を満たし、歓喜がその唇から溢れた。

やがて、大地の子は一人地上に落とされた。
自分もそれを追って、地上に降りた。
大地の子が岩牢から出てきた時、一番最初に逢うために、自分は金色と紫暗に染まった。






そして─────






金蝉は石の寝台にゆるゆると飲み込まれてゆく悟空の髪を愛しげに撫でると、印を結び、小さくタントラを唱え始めた。




















大地は三蔵の存在に気が付いた。

愛し子が傍にいたいと願うこの世で唯一の存在。
遠い昔から定められた魂の在り方に、間違うことなく当てはまる人間。
憎らしくて、邪魔な存在。

だが、その力は強く、今、愛し子を見つけられるのはこの金色の人間しかいない。

大地は総力を挙げて、三蔵を悟空が消えた場所へと導いた。






三蔵は風に引っ張られるように、木々に指さされ、草花に急き立てられて走った。
その後を耶斗も懸命に追う。

程なくして、二人は金蝉の屋敷の前に出た。
その途端、三蔵の顔を打つ禍々しい瘴気。

「…あっ……」

その禍々しさに耶斗は、耐えきれず膝を着いた。
その様子を視界の端に捉えながら、三蔵は目の前にそびえ立つ屋敷を睨み据えた。
そして、

「おい、お前が連れてこようとしたのはここか?」

と、呼吸が荒くなった耶斗に問いかける。
耶斗は、

「…そうです。悟空の大切な人に会いたいからって、そう言って…」

と、答えた。
三蔵は小さく舌打ち、膝を着いて座り込みかけている耶斗の腕を取ると、その身体を引き揚げた。

「悟空の所へ案内しろ」
「は、はい…」

耶斗の返事に三蔵は小さく頷くと、懐から銃を取り出した。
弾丸の装填を確認する三蔵を風が、大地が急かす。
耶斗は、大地のざわめきと屋敷の瘴気に漠然としていた不安が、ハッキリとした形となって胸を刺す事に気が付いた。

金蝉の身に何か起こっている?
悟空の身に何か起こっている?

大切な人と友達の身に災いが起こっているというのだろうか。

耶斗は瘴気によってもたらされる吐き気を飲み込み、歩き出した三蔵の後に続いた。




屋敷の玄関を潜った時、ぐにゃりと何かが歪む感覚が二人を襲った。
平衡感覚が歪むような、地に足が着いていないような浮遊感。
だが、それもすぐに収まり、改めて周囲を見回した二人はその瞳を驚愕に見開いた。

目の前に現れたのは、豪奢な屋敷の内装などでは無く、暗く淀んだ洞窟だった。
天井からは巨大な樹木の根が太い腕を曝し、縦横無尽に絡み合い、走り抜けている。
洞窟の空気は湿り気がそのまま水滴となり、壁を伝って流れ落ちていた。
水滴の伝う壁はぬめぬめと光り、それ自体が淡い燐光を放っている。
足下に目をやれば地面はぬかるみ、水が小さな流れを何本も作っていた。

「さ、三蔵…さま」

耶斗が怯えた声を上げる。
が、三蔵がそれに構うわけもなく、一呼吸置くと、洞窟の奥に向かって歩き始めた。




その同じ頃、耶斗の家のある巨木の森が急速に色あせ、枯れ始めていた。
耶斗の家も崩れ落ち、そこに人など長年住んでいなかった廃屋のように。
見る間に木々は枯れ朽ちて、後には荒涼とした風景が広がってゆく。
そこに大地の息吹は、微塵も感じれらなかった。





















金蝉は洞窟の気の流れに侵入者の存在を知った。

一人は、可愛い耶斗。



もう一人は・・・・・。



大地が憎み、大地が認める金色の神の魂を持った人間。

「そう、彼があの人の生まれ変わり…耶斗、お前は本当に可愛いね」

金蝉はくつくつと喉を鳴らして笑うと、傍らの悟空を見下ろした。
悟空は寝台に身体の半分を飲み込まれている。
だが、一向に目覚める気配もなく、穏やかな寝顔を金蝉に向けていた。

「お前はやがて私の一部となって、私の力の源となるんだよ。楽しいねえ、ねえ、悟空」

金蝉は悟空のまろい頬をひと撫ですると、三蔵達のいる方へ向かって歩き出した。




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