愛しき君へ (4)

「友達が出来た?」
「うん!エラソーだけど面白い奴だった」
「良かったじゃねぇか」
「うん!!」

それは嬉しそうに頷いて笑った。
その笑顔に頷きながら、この城の中で悟空と同じ年頃の子供など「あのこ」しかいない。
まさかと考え込んでいると、金蝉は視線を感じた。
振り返れば悟空がじっと、寝台に座る金蝉を見つめていた。

「…何だよ?」

と見やれば、悟空は真っ直ぐに金蝉を見返してきた。

「なぁ…金蝉、俺に名前つけてよ」

一瞬、悟空が何を言ったのか金蝉は聞き逃してしまった。
そんなことも知らず、悟空は答えない金蝉にじれて、今度は寝台に乗り上げて訴える。

「なあ、俺に名前付けてくれよ」

それで漸く、金蝉は悟空が何を望んでいるのか理解した。
だからといって素直に付けてやれない自分が居る。
とうに名前は決めているというのに。

「何を突然───」
「俺…今度あいつに逢った時、名前教えて─んだ!ちゃんと名前で呼ばれたいんだ。だから…」

何処までも真っ直ぐで、純粋で、真っ新で、誰より綺麗なお前。
そんなお前を前に何処までも素直になれない。
だから、

「──その内な」

気持ちと裏腹なことを告げてしまう。
まろい頬を膨らませて悟空が睨むのを無視して金蝉は悟空に背中を向けて横になった。

「やだっ。今がいい!今すぐ!」

きかん気で、

「じゃあ”猿”な。”猿”で決定」

ついからかいたくなる。
面倒臭そうに告げれば、

「金蝉のバ───カ!人がせっかく頼んでんのに!!」

悟空の泣きそうな声と一緒に枕が飛んできた。

「ッてめぇ、調子にのってんじゃ…」

その痛みに思わず怒鳴りかけた金蝉の言葉が途切れた。
身体を起こした金蝉の足許に腰掛け、泣くのをじっと堪えて。
それでも我慢仕切れず、小さく鼻をすすっていた。
その姿に金蝉はからかいが過ぎた事に気が付いた。
そして、ようやく素直になれる自分に呆れた笑いが浮かぶ。

金蝉のどうでも良い口調で告げられたからかい混じりの言葉に、日頃から怒られてばかりの自分は金蝉に名前を付けてもらえるほどには好かれていない。
そのことを思い知らされたようで、悟空は堪えた涙が溢れそうになった。

暫くのどこか切なく悲しい沈黙のあと、金蝉の声が聞こえた。

「…悟空」
「…ぇ?」

金蝉の告げた言葉が理解できなかったのか、悟空が振り返った。

「悟空だ」

振り返った悟空の蜜色の瞳に映ったのは、髪を下ろした金蝉の後ろ姿。
だが、そこに先程のような拒絶の色はなくて。

「短くて簡単だから猿頭でも覚えられるだろ」
「…うん」

ちゃんと返事をしない悟空に照れた自分をごまかすように言われた言葉に悟空は頷いた。
そして、胸に落ちる名前。
その一瞬、曇った顔が晴れやかな笑顔を浮かべた気配を金蝉は背中に感じた。

「ごくう…えへへ…そっかあ、俺”ごくう”かぁ」

くすぐったそうに何度も付けられたばかりの名前を悟空は呟いていた。



そうか、そうやってお前に俺は名前を告げたんだな…



悟空の笑う気配に三蔵は口元を綻ばせた。



そんなに嬉しかったんだな。
だから岩牢から出した時もその名前を大事にお前は抱えていたんだな。



三蔵は喜ぶ悟空の気配にゆっくりと瞳を閉じたのだった。





















ゆっくりと水の中から浮き上がる心地で、三蔵は目を覚ました。

胸に残る温かく幸せな想い。
面映ゆく優しい記憶。

もう一度、瞳をゆっくりまばたいて、三蔵は傍らを見やった。
そこにいつもいるはずの悟空の姿はなく、三蔵は小さく息を吐いて身体を起こした。

一体、どれ程眠っていたのか。
最初目覚めた時は、まだ星が瞬いていたような気がしたが、窓から見える様子は日中のようで、薄曇りの陽差しが宿の中庭を照らしていた。

銀の刃の雨を受けた記憶。
まだ幼い悟空を庇って、闘いなどしたことのない身で刃を握った。
そうなる前、お前と出会い、退屈で無彩色だった毎日に華やかな色が付いた。
たわいもないことが幸せだと、知った。

お前からもらったものはたくさんある。
が、お前に与えたものは「孫悟空」という名前だけ。

お前は大地が生んだあやかしではなく、ちゃんとした人で、目に見えないモノを悟り、理解できる綺麗な存在。

だから、お前は「孫悟空」。



幸せだったんだ…な…



悟空の屈託のない笑顔を思い出し、三蔵はため息に似た息を吐いた。
視線を落とし、三蔵は自分の手を見下ろした。
男にしては細身の手。
節の目立つ指に銃を持つ為に出来たタコ。
夢の中で見た自分の指は今と同じように男にしては細かったが、何もしていない綺麗な手をしていた。

この現実感。
この感覚。
この・・・。

一体今自分はどちらなのだろう。
金蝉と悟空が呼んでいた人間なのか、それとも三蔵という自分なのか。

現と幻。
夢と現実。



俺は…誰だ…?



掌で顔を覆い、三蔵は肩を落とした。





















無惨に散らかった執務室の様子にげんなりして。
それでもあの喧しい生き物の仕業と解っているから、ふつふつと怒りが湧いて。
足許に転がる紙飛行機の材料は─────

「あのクソチビ猿……」 

急ぎの書類を取りに戻ってみれば最重要と赤い印の押された書類が綺麗な紙飛行機や折り鶴に化けて床に散らばっていた。
いくら最近、忙しくて構ってやれないからと言って、やって良いことと悪いことがある。
わなわなと震える拳を握りしめ、金蝉は深く息を吸い込んだ。
そして、一拍おいてあらん限りの声で己の養い子の名前を呼んだ。




悟空は遊び相手が居なくて、つまらなくて。
金蝉が忙しいのは百も承知で、不器用なのもよく分かっていて。
それでも構って欲しいから。

「こんなのがあるから金蝉、俺のこと構ってくれないんだ」

でも、七日ほど前に約束した。
遠出して、遊んでくれるって。

「今日…だったのに……」

八つ当たりだって解っていても、どうしても我慢できなくて。
天蓬に教えてもらった折り紙を折り始めた。
やがて夢中になって───

気が付けばたくさんの紙飛行機や折り鶴が出来上がって、机の上の紙束はずいぶんと減っていた。
それを見て、悟空は幾分気が晴れた悟空は椅子から飛び降りると、天蓬に借りた絵本を読みに寝室に駆けていった。




金蝉の怒鳴り声に悟空は飛び上がった。
絵本を読みながらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「悟空───っ!!」

いつにも増して怒気を大量に含んだ声音に、悟空は肩を竦めた。
そして、金蝉が何に怒っているのかに思い至る。

「…やべぇ」

どうしようかと狼狽えた頭で考えていると、叩き付けられるように寝室の扉が開いた。
その音に飛び上がって振り返れば、憤怒の形相で金蝉が立っていた。

「こ…金蝉…」

金蝉の表情に悟空はやりすぎたことに気が付くが、今更やったことがやっていないことになるはずもなく。
悟空は足音も荒く近づいてくる金蝉を怯えきった瞳で見上げていた。

「こんのバカ猿!」

怯えた瞳で自分を見上げてくる悟空の首根っこを捕まえると、寝台に押し付け、ゲンコツで力一杯その頭を殴った。

「い、痛い…ご、ごめん…ごめん」

三度ほど殴り、金蝉は悟空を解放した。
そして、踵を返すとまた、足音も荒く出て行ってしまった。
悟空は痛みとバカ猿以外何も言われなかったことが、何故か悲しくて寝台に突っ伏す。

「…金蝉の…バ─カ…」

くぐもった悪態が零れた。




何故、悟空が書類を折り紙にしたのか。

怒りが収まってようやくその理由に金蝉は気が付いた。
約束していたのだ。

「気晴らしに遠出でもするか?」

声をかけたのは確か自分から。

「ホント?」
「ああ…たまには、な」

最近、仕事がいつになく忙しくてずいぶんと構ってやっていないから。

「今の仕事が片づいたら…そうだな、七日後の今日、行くか?」

気まぐれな提案に悟空はそれは嬉しそうに笑って。

「うん!うん!」

腰にまとわりついて、それは幸せそうに。



俺が…悪いな…



金蝉は大きく肩を落とし、どうやって悟空の機嫌をとるか、考え始めた。




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