愛しき君へ (5)

「さんぞ、ただいま」

ひょこっと、扉から首だけ覗かせて、悟空が笑った。
それに三蔵は笑い返してやる。
その笑顔に悟空は嬉しそうに笑い返すと、部屋に入って来た。

三蔵が悟空を庇って傷を負って意識を失い、もう一度、原因不明の傷を負ってから三日が、三蔵の意識がはっきり戻ってから五日が経っていた。
いつもなら三蔵の意識が戻って二日もすれば旅立つのに、今回はまだ同じ街の同じ宿に滞在していた。

なぜなら、三蔵の体調が戻らないのだ。

傷は、八戒が気功を使って治療した。
多量の出血の後遺症も思ったほど酷くなく、栄養のあるモノを食べ、安静にしていればそれでよかった。
ただ、体調が不安定だった。
微熱が続いたと思えば、嘔吐が続いたり、眠ったまま何度呼びかけても起きなかったり、目覚めても何処かへ意識を飛ばしたように焦点の合わない瞳をしていたり。
こんな状態で旅を再開しても、いたずらに三蔵を危険な目に遭わせるだけで、良いことは何もない。
急ぐと言えば急ぐ旅ではあったが、無理をおしてまで急ぐ旅ではなかった。
三蔵を覗く三人で話し合った結果、三蔵の体調が元に戻るまでこの街に滞在することに決めた。
そのことを三蔵に告げた時、三人は拒絶の言葉を覚悟したのだが、意外にあっさりと三蔵は「仕方がない」と、頷いたのだった。

「なあ、気分はいいのか?」

寝台に起き上がって座っている三蔵を見下ろして悟空が尋ねる。

「ああ…まあな」
「そっか、よかった…」

ふわりと笑う悟空に三蔵は小さく笑い返し、窓の外へ視線を移した。
悟空はそんな三蔵を不思議な面持ちで見つめた。

意識を失って、もう一度目覚めた三蔵は、纏う空気が変わっていた。
どこがとははっきり言えないが、確かに変わっていた。
強いて言うなら、懐かしくて、柔らかな空気とでも表現しようか。
幼い頃失った記憶。
その記憶の彼方に居たはずの、大切な人のような温かな空気。
何も思い出せはしないけれど、それでも確かに心が覚えている温もりに包まれているような、そんな雰囲気。
三蔵本来の優しさが鎧を脱いだような・・・・・。



傍に居ると、前以上に安心して、嬉しくなるんだよな…



やっと、巡り会った、そんな気持ちさえ抱いてしまう。



三蔵は、三蔵なのに……俺、変なの…



悟空は小さく苦笑を浮かべ、いつもその容を覆っている険の取れた柔らかな三蔵の横顔に、また、ふうわりと笑った。

「な、今気分がいいなら外へ…散歩に行かね?」

三蔵が見つめる先に気が付いた悟空がそう声を掛けると、「そうだな…」と、頷いたのだった。
















悟空に手を引かれて回廊を歩く。
仕事が一段落したのを見計らったように、悟空が散歩に行こうと強請ってきた。
いつもなら付き合う気も起きない金蝉だったが、ここ最近忙しくて悟空を構ってやれなかったことを思い出し、重い腰を上げたのだった。

「きっと、金蝉、気に入るから」

幸せそうに、嬉しそうに笑う。
その笑顔に紫暗を細めて、金蝉は口元を綻ばせた。

ただ、散歩に付き合う、そのことがそんなに嬉しいのかと。
何をするつもりもない、ただ、本当にただ一緒に居るだけのことが、そんなに幸せなのかと。
















悟空に手を引かれて宿の向かいの公園を歩く。
別に宿の中庭でよかったのだが、悟空は三蔵に見せたいモノがあるからと、向かいの公園へ誘ったのだ。
そんな二人の姿を買い物帰りの悟浄と八戒が見つけた。
普段なら絶対にない悟空に手を引かれて歩く三蔵の姿に、一瞬、珍獣でも見つけた顔付きになった。
だが、そのどこか微笑ましい様子にお互いの顔を見合わせて笑った。

「起きて、散歩が出来るようになったってことでしょうか」
「どうだかな…ま、悟空が誘ったんじゃねぇの?」
「きっと、そうでしょうね」
「決まってる」

木々の間に見え隠れする二人の姿を見送って、八戒と悟浄は宿へ戻っていった。











「あのね、すごく綺麗でね、金蝉見たいなんだ」

ぐいぐいと金蝉の手を引いて、悟空が嬉しそうに案内する。
朱塗りの柱に囲まれた回廊の途切れた所から小さな東屋の横を通り、茂みの中へ。
金蝉の長い金糸が枝に絡まったり、悟空の髪が絡まったり。
そのたびにほどき、そのたびに枝を手折ってたり。
ようよう茂みを抜ければそこは、城の裏手であった。

「あの丘の向こうなんだ」

くしゃくしゃになった髪から木の葉や枝を落としている金蝉を悟空は振り返った。

「うわぁ…ひでぇ格好」

金蝉の格好に悟空が吹き出す。
それに金蝉は顔を顰め、くしゃくしゃになっている悟空の髪を仕返しとばかりに引っ張った。

「痛てっ」
「人のこと言えるか。こんなところ抜けやがって」
「だってぇ…近道なんだもん」
「俺を猿と一緒にするな、チビ」
「俺、猿じゃないもん」

ぷっと、頬を膨らませる悟空に、金蝉はため息を吐く。
せっかくの笑顔を消したくはない。

「だったら、ちゃんと連れて行け」

ぽんと、木の葉の付いた大地色の頭を小突けば、悟空は一瞬、ぽかんとしてすぐ、満面に笑顔を浮かべ、大きく肯いたのだった。











「こっちに三蔵に見せたいモノがあるんだ」

嬉しそうに笑って。

「大丈夫か?疲れてねぇ?」

時々心配して。
そのたびに「大丈夫だ」と、頷いてやりながら、三蔵は悟空に手を引かれるまま、公園の奥へ歩みを進めた。






「金蝉みたいにきらきらして、綺麗なんだ」

笑う幼子の顔と重なって。






以前にもあった?




重なる情景に、三蔵は軽い目眩を覚える。




「ほら…」

丘を越えて広がった視界を埋め尽くすのは、黄色い花畑。
薄橙色の靄がかかったような景色に、金蝉は瞳を見開く。




「な、すっげぇだろ?」

公園の林を抜けた所に広がったのは薄紫の花畑。
柔らかな香りに包まれたその風景に、三蔵はその瞳を見開いた。




重なる視点。

重なる時間。




「金蝉?」
「三蔵?」




幼い子供と少し成長した子供。




「…あ、いや…」




声が重なる。

今、時が一つになる。




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