愛しき君へ (7)

重みとぬめる感触に身体を起こせば、背中から何かがずり落ちる。
金蝉はゆっくりと振り返り、その瞳を声もなく見開いた。
同時に包み込んだ三蔵の意識が哮り立つのがわかった。

のろのろと身体を起こし、倒れているそれに手を伸ばす。

「三蔵!悟空!!」

駆け寄ってくる八戒と悟浄の声と足音を遠くに聞きながら、金蝉は倒れているそれに触れた。

「…おい…何や、って…」

揺らした身体に反応はなく、じわりと広がる赤い水たまりに金蝉の顔から血の気が失せた。
それを追うように三蔵の意識が上げた悲鳴が痛みとなって身体を貫く。
その痛みに金蝉は意識が遠のくが、今、「三蔵」にこの身体を戻すわけにはいかない。
金蝉は哮り立ち、表に出ようとする「三蔵」をねじ伏せて、悟空の身体を抱き起こした。
そこへ八戒と悟浄が駆けつけた。

「悟空!」

八戒と悟浄が悟空を抱き起こしている三蔵の傍に膝を折った。

「三蔵、悟空は?」
「お前は?」

矢継ぎ早な質問に金蝉は答えず、腕の中の悟空を血の気のない顔で見下ろす。
動かされた所為で痛みが走ったのか、悟空の瞼が微かに震え、意識が戻った。

「さんぞ…無事?」

焦点の合わない瞳が三蔵を探して彷徨う。
その頬に触れて、金蝉はここだと居場所を示してやる。

「あ、ああ…無事だ」

その声と指の感触に悟空はふわりと笑顔を浮かべた。

「そっか…よかった…」
「お前のお陰だ」
「へへ…お礼言われちゃった…」

常にない三蔵の言葉に悟空は困ったように、でも嬉しそうに笑った。
八戒はその間に悟空の傷を調べ、金蝉に身体を支えさせて、傷の手当てを始める。
身体に広がるじんわりとした温もりに、悟空は八戒を振り返った。

「ごめん…」
「無茶しすぎですよ」
「うん…」

かくんと首を金蝉の胸に落として、悟空は意識を失った。
その様子にはっと、緊張する金蝉に、八戒は大丈夫だと頷いてやる。

「傷は塞ぎました。思ったより深くないので、すぐよくなりますよ。で、三蔵、あなたは大丈夫ですか?」

悟空の流した血で汚れた三蔵に向き直れば、三蔵は顔色こそ青いが何処もケガを負っている様子もなく、体調も悪くはないらしい様子が見て取れた。
と、悟浄が周囲を見回って戻ってきた。

「残党はいねぇな。しっかし、これだけの数をサル一人で片付けたとは恐れ入る」

自分達の周囲を見回して、悟浄は呆れたようなため息を吐いた。
悟浄は八戒が悟空の治療を始めたのを見届けると、襲ってきた妖怪の残党がまだ周辺に身を隠しているのではないかと見回ってきたのだ。
が、幸いなことにここに事切れている数だけで全部だったようで、潜んでいるモノはなかった。

「じゃあ、ま、もどりますか」
「そうですね。悟空もですが、三蔵、あなたも休んだ方がいいですから」
「わかった…」

悟空を抱き上げた金蝉は、八戒の言葉に頷いたのだった。





















夢を見た。

綺麗な黄色い花の花畑に佇む幼い自分と背の高い金色を纏った人の夢。

常春の温かな風と穏やかな太陽。
傍らに立つ長身の綺麗な人のことが大好きで、とても大切だった。
その人の頂く金色の髪に似た黄色い花畑。

「──の花畑みたいだろ」

と、指し示せばその人は花畑に視線を向けたまま答えてくれた、

「お前の花畑じゃねえか」
「え?」

きょとんとする俺の顔をちらと見て、

「お前の瞳と同じ色だろうが」

また、ふいっと、視線をもっと逸らして、その人はそう告げた。
見上げたその人の耳が赤い。
それに気付いた俺は握ったその人の腕に抱きついた。

「──!」

もう、どうしようもなく嬉しくて、幸せで。
ふいに加わった重みその人はよろめきかけたが、俺の喜びように瞳を眇めた。
そして、その人は俺の頭を仕方ない奴とでも言いたげな様子で撫でてくれた。

くすぐったくて、嬉しくって。
誰よりも大好きな─────











開いた瞳に映ったのは、見覚えのある天井で。
何度か瞬いて首を巡らせば、すぐ傍に金糸が見えて、悟空は跳ね起きた。
その振動に悟空の寝ていた寝台に突っ伏して眠っていた三蔵が目を覚ました。

「さ、さ、さ、さんぞ…?」

まるで珍獣でも見るような目つきで悟空は、眠たげに目を瞬く三蔵を見る。

「…ご、くう?」

軽く頭を振って目を覚ました三蔵は、身体を起こして自分を見ている悟空にようやく気が付いた。
その途端、びっくりしている悟空を抱き締める。

「ほぇ…っ」

三蔵のいきなりな行動に悟空はどうして良いか解らず、三蔵の腕の中に収まっている。
が、常にない三蔵の行動に、悟空の心臓はどきどきと落ち着かない。

「…よかった…無事で」
「さんぞ…」

耳元で言われた三蔵の言葉に悟空は小さく身体を震わせた。

「もう、あんなことするな、いいな…」
「うん…ごめん」

何かを堪えるように告げられた三蔵の言葉に、悟空は素直に頷いた。
そうだ、三蔵は庇うのも庇われるのも良しとしない。
それを自分は知っていたはずで、三蔵も知っているはず。
それでもお互いがお互いを庇うのはもう、条件反射のようなモノで、頭で考えるより先に身体が反応する行為で。
だから、こうして何度でも謝って、怒って、二度と庇わないと約束する。

「…ごめん、三蔵」

そっと、自分を抱き締める三蔵の背中に悟空は腕を回した。











悟空の寝顔を見ながら金蝉は、自分を責めた。

一緒だ。
あの時と同じだ。

戦闘能力のない自分の所為で友人達を危険に曝し、愛し子を泣かせた。
己の身体を盾にすることしか思い浮かばない、自分の愚鈍さに呆れ、悟空の泣き顔に後悔を刻む。



俺は、足手まといばかりだな…



ただ、悟空を守りたいだけなのに、その行動が悟空に涙を流させてしまう。
笑顔が見たいだけなのに。

いくら「三蔵」の記憶を持って、その身体が戦闘経験豊富でも宿った精神が自分では悟空の負担が増しただけだった。

共に闘い、同じ道を歩む。

そんな希望さえ持てないほど脆弱な自分に腹が立った。
「三蔵」ならきっと、悟空と一緒に闘い、その腕で悟空と対等に並び立ち、先へ歩いてゆくのだろう。
自分が叶えられなかった願いを現実のモノとして。



…悟空



額にかかる髪をそっと払い、冷たい感触の金鈷に触れ、その指を頬に、唇に。
辿る先に生まれる想いを握りしめて、金蝉は瞳を伏せたのだった。











何も言わず抱き合う二人を仄かな光が照らした。
夜明けが来る。

金蝉は抱き締めていた悟空の身体を離し、自分を見上げてくる悟空の瞼に、頬に接吻を落とした。
その優しい感触に悟空はくすぐったそうに身体を竦ませる。

「さんぞ、くすぐったいって」

くすくすと喉を鳴らして笑う悟空の鼻先を啄むように唇で触れ、もう一度金蝉は悟空の身体を抱き締めた。

「さ…んぞ?」
「…お前は幸せか?」

耳元で静かな金蝉の問いかけに、悟空は素直に頷く。

「うん、すっげえ幸せ」
「そうか」
「そうだよ」

悟空の答えに金蝉は小さく笑った。

「お前は本当に愛されて大きくなったんだな」
「さん、ぞ?」
「本当に…よかった」
「何言って…」

悟空の心臓が撥ねた。

「ずっと、このまま真っ直ぐに前だけを向いて…悟空」

背中に回っていた金蝉の腕が緩む。

「さんぞ?」

悟空の声が震えた。

「歩いていけ。いつでも傍で見ている」
「…さ……ぞ…?」

薄れて行く意識にゆっくりと金蝉の瞼は閉じ、身体から力が抜ける。

「ご…く……」

金蝉の身体が寝台に崩れおれた。




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