君にこの聲が届きますように (5) |
「見つけてくれたね、ボクの可愛いプリムラちゃん」 ニィは、手元で微かに花弁を揺らすプリムラの黄色い花に嬉しそうに触れた。 「逃がさないよ、可愛いボクの悟空」 くすくすとニィは笑うと、傍らに黙って佇む助手の女に頷いて見せた。 「あ、待って。僕も行くって伝えといて」 女は背中を向けたまま頷くと、ニィをその場に残し去って行った。
本当にまさか、逃げ出すとは思いもしなかった…
人外の存在が世界から消息を絶って、三桁の時間が流れていた。 静かに人に紛れ、或いは辺境へその存在を移し、隠して人外の存在〈妖〉は生きてきた。 金蝉をとある街で見かけた時、魂が震えるほどの歓喜に出逢った。 両親と死に別れてからずっと、自分と同じ〈妖〉の一族と出逢うことはなかった。 その奇跡。 だが、出逢った金蝉の手には金眼の子供が抱かれ、その傍らには人の妻の姿があった。 そう、ひっそりとその存在を隠すように人に紛れ、金蝉は人間の妻とハーフの子供と暮らしていたのだ。 人に交じらなければその存在が維持できない〈妖〉。 理解はしていても誇りがそれを是とはしない。 だが、ニィには納得できないことだった。 ちょうど、組織では〈妖〉を使ったプロジェクトが進行していた。
金蝉の家を急襲した時、彼の妻を一番に殺した。 「一緒に来てちょうだいね」 間髪入れない返事に、ニィの顔から表情が消える。 「では、大事な息子さんの命がどうなっても?」 ニィの言葉に腰を浮かした金蝉の耳に、元気な子供の声が聞こえた。 「ただいまあ」
あの時点で悟空が戻って来るのは予定外だった。 お陰で計画は狂い、金蝉を失うはめになった。
今度捕まえたら二度と離してあげません、ねぇ…悟空
夢見るようにニィは悟空の名前を呟いたのだった。
◇◇◇◇◇
仕事の打ち合わせから戻った三蔵を出迎えたのは、無惨に荒らされた家と庭だった。 そして、一昨日買ってきたばかりのプリムラが踏みにじられ息絶えていた。
一体何があった?
三蔵は荒らされた庭に立ち、気を集中させた。 三蔵の瞳が開く。 紫暗の深いはずの瞳の色が金色の煌めきを放つ。 「散!」 その声を合図に、光は爆発するように一瞬で三蔵の周りから消えた。 「…悟空」 悟空の名前を呟いて見上げた空は、夕焼けに染まっていた。
三蔵が仕事の打ち合わせから戻るほんの小一時間前、悟空は訪問者を迎えた。 翻訳の仕事の依頼と原稿を取りに来る編集者と数少ない友人と名乗る人。 それだけだった。 「みいつけた、悟空」 立ち竦む悟空に優しく笑いかけると、その腕をおもむろに掴んだ。 「…ぁやっ!」 悟空はその手を力一杯振り払うと、家の中へ逃げ出した。 「邪魔しない!」 ニィはアジアンタムの葉を鷲掴むと力一杯引きちぎった。 「ど、どうし…三蔵…」 がたんと椅子に躓いて、悟空はリビングの窓に身体をぶつけた。 「あれ?もう、逃げないの?」 背後から聞こえたニィの楽しそうな声に、悟空の身体が竦んで、強張ってしまう。 ニィが悟空に近づこうとするたびに、家のそここに置いてある鉢植えの植物たちがそれを阻止しようとその腕を伸ばし、悟空を庇ってニィの動きを止めようとした。 「煩いなあ、お前達は」 だが、ニィは、煩そうに行く手を遮るイースターカクタスを引きちぎり、ドラセナの葉を踏みにじり、植物たちの抵抗をものともしなかった。 悟空はうまく動かない身体を叱咤して、庭へ出た。 悟空は、庭の奥へ男達の手を逃れて走った。 「…ひっ!」 声にならない悲鳴を悟空が上げる。 「悲しいなあ、あんなに可愛がってあげたのに」 悟空は真っ青な顔で、ニィの手から逃れようと暴れた。 「いや!やだ!!いやぁ───っ!!」 がむしゃらに暴れる悟空をいなして、ニィはクスリを悟空の首筋に打ち込んだ。 「いやっ!三蔵!三蔵!!助けて、たすけ、て…さん…」 ばたばたと暴れていた悟空の身体から力が抜けた。 「だだっこだねぇ、君は」 力の入らない身体で尚もニィから逃げようと、悟空は身を捩ったが、身体は動くことなく、意識を無くした。
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