君にこの聲が届きますように (7)

風に乗って研究所の屋上に三蔵が舞い降りた時、建物全体が地面から突き上げるように大きく揺れた。
そして、ガラスの割れる音と同時に建物のすぐ脇に生えるアカガシが、建物を貫くように枝を走らせるのが見えた。

「な…何だ?」

衝撃に身体を揺らしながら三蔵は、建物の周囲へ視線を走らせた。
すると、建物を包む森の気がたわむのが見えた。

「……暴走?!」

ずきんと、三蔵の頭が痛んだ。
同時に森の植物たちの怒りと悲鳴が三蔵の精神に流れ込んできた。

「…っぅ…ぁ」

その急激な聲の流れ込みに、精神が焼き切れそうになるが、その植物たちの聲に混じる微かな悟空の気配に気付いた三蔵は、痛む頭を何度か振って意識の中の雑音を振り払い、意識を手のひらに集中させた。
広げた手のひらに淡い光が灯り、やがてそれが金色の蝶の姿をとった。

「導け」

三蔵は金色の蝶に軽く息を吹きかけた。
すると、蝶は呼吸をするように何度か三蔵の手のひらで羽ばたくと、すいっと、飛び立った。

「悟空…」

三蔵は蝶の後を追って走り出した。






体中の血が別の生き物のように息づいていた。
ニィの勝ち誇ったような笑顔を見た時、何かが悟空の中で弾け飛んだ。

引き金を引いたのはニィの笑顔か、恐怖か、哀しみか今はもうわからない。
もうどうでもいい。
この身体の底から沸き立つ昂揚と破壊衝動。

壊したい。
殺したい。
手に触れるもの、この目にとまるもの、自分を囲む世界を。

最初にニィをこの手で引き裂いた。
いたぶる気などなかった。
ただ、この手で引き裂いて、引きちぎった。
手を濡らす流れる温かい紅い水が、気持ちよかった。

けれど、哀しかった。
何か大きな穴が、胸に空いたような気がした。
声が、叫びが、喉の奥から迫り上がる。
悟空は、破れた天井から見える夜闇に向かって咆哮を放った。
見開いた瞳からは、銀色の雫がひとつこぼれ落ちた。









   ◇◇◇◇◇









暴走する植物たちを宥めながら、三蔵は金色の蝶に導かれるままに研究所の中を走り抜けた。
時折、どこかが爆発しているのか、建物全体が揺れる。
崩れた瓦礫を乗り越え、暴走し、我を忘れた植物たちを時に宥め、時に打ち払って三蔵は金色の蝶の後を追い続けた。

そして、導かれた先にいたのは、深紅の〈妖〉だった。
柔らかく少し癖のある大地色の髪は長く伸び、大きく愁いを含んで澄んだ蜂蜜色の瞳は、赤味を帯びた金色に、薄く笑みを掃いた唇は濡れた赤に、長く伸びた爪は朱に染まっていた。
何より儚げだった存在は、獰猛な獣を思わせる程に危険を孕んだ存在に変貌していた。

「…ご…くう…か?」

三蔵の無意識にこぼれた呟きに、夜空を見上げていた悟空で在るはずの妖が三蔵を振り返った。
三蔵の姿を認めてほんの一瞬、妖の瞳が泣きそうに歪んだ。
そして、何か言いたげに開いた唇が、次の瞬間には楽しげにほころんだ。
その悟空のあまりの豹変ぶりに立ちつくす三蔵の前に、妖は何かを投げてよこした。
重たいものが転がる音に誘われるように三蔵の視線が動く。
そこに三蔵が見たのは、引きちぎられた人間の生首だった。

「──!!」

恨めしげに虚空を見つめるそれは、ニィの生首だった。

「…お前」

絶句する三蔵のすぐ脇を暴走したウバメガシの幹が壁を突き破って走り抜けて行く。
その衝撃に三蔵はよろめき、ようやく身体から精神的な強張りが抜けた。
三蔵は脇を走り抜けて行くウバメガシの幹に軽く触れた。
すると、幹の暴走が止まり、一度幹を震わせた後、緩やかに戻って行く。
それを視界の端に捉えながら、三蔵は妖に話しかけた。

「こいつが、お前をこんな風にしたのか?」

ニィの生首を指して問えば、妖の身体がほんの僅か強張った。

「そうか。なら、気が済んだだろうが。それともここを破壊し尽くすまで収まらねえのか?」

三蔵の言葉に、また、どこかが爆発する音と振動が伝わってくる。

「それに、こいつ達をこれ以上痛めつけてやるな」

暴走したツタの蔓が、三蔵の腕に巻き付いた。
ぎりっと締め上げてくるツタにまた、三蔵が触れた。
すると、ウバメガシの木と同じようにするりと、三蔵の腕を離れ、戻って行く。

「今、暴走している奴らは、お前の友達なんだろが」
「…ぅあ」

妖の金晴眼が、軽く眇められた。

「悟空」

三蔵の声に、妖の身体が宙に舞った。
それを見るなり、三蔵はその場を飛び離れる。
三蔵が飛び退いた後に、妖の手刀がめり込んだ。

「悟空!」

床にめり込んだ手刀を引き抜くその妖の目の前を凄まじいスピードで木の枝が、走り抜ける。
妖はその枝を無造作に掴むと、引きちぎった。

「ぁう…ぁ」
「悟空!もう止めろ」

引きちぎった枝が、妖の力を受けて鋭利な刃に変化する。
三蔵は、後退りながら風を呼んだ。
集まった風が三蔵の髪を吹き上げる。
妖が刃を振り上げ、走った。

「縛!」

三蔵が上げた声と同時に、三蔵は喉を掴まれて妖に組み伏せられた。
伸びた爪が首に食い込み、血が流れる。

「くっ…ご、く…う」
「うぁ…」

にたりと、妖の口角が上がり、刃を振り下ろした。
が、妖の腕も身体も刃を振り上げた状態でびくとも動かなかった。

間一髪、風の緊縛が間に合ったのだ。
自分の身体に馬乗りになった妖の身体をそのままに、三蔵はその下から這い出た。

ぬるつく首を上着の袖口で拭うと、三蔵は風に拘束された妖──悟空と正面から向き合った。




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